petit four(1話読みきり掌編)

petit four2 プリン戦争

「勝負だ!」

 平日の夕方、突然飛び込んできたのは、男子高校生二人組だった。やんちゃそうな背の低い、刈り上げの少年と、反対におとなしそうな背の高い、眼鏡の少年だ。

「この店で勝敗が決まる、わかってるよな」

「ああ。ここが最後だ」

 二人が同時にショーケースをのぞき込んだ。ケーキを選びに来たというよりは、なにかの戦いが始まりそうな雰囲気が漂っている。ケーキを出すために店に出ていた蒼衣は、八代と顔を見合わせた。

 しばらくショーケースを物色していた彼らは、ほぼ同時に指を差す。

「これだ! プリン、ください! ここで食べていきます!」



「へえ。君たちのクラスでプリンの堅さ論争が起きたの? それで、彩遊市のケーキ屋を巡り巡って、そこのプリンが固めが多いのか、柔らかめが多いのか調べてるって?」

 二人がなぜプリンにそこまでこだわっているのか。理由を尋ねると、彼らはそれはそれは熱く蒼衣に語ってくれたのだった。

 発端は、くだらない雑談だったという。しかしそれが次第にエスカレートし、決着をつける雰囲気になってしまった。もともと、彼らが始めた話題だったらしい。責任を取るために、放課後や休みを利用してケーキ屋巡りを一ヶ月もしていることに、蒼衣は驚いた。

 高校二年生ってそんなに暇だったっけ、と心の中だけで思う。

「そうなんスよ! 俺は絶対柔らかめ派なんですけどね。このお店でラストっス」

「今のところ、クラスの投票もお店でも引き分けなんです。あ、僕は固め派です」

 向き合って喫茶の机に座った男子高校生――背の低いほうが佐藤、背の高いほうが鈴木だ――が語った。

「じゃあ、うちの店がどちらのプリンなのかで、勝負が決まっちゃうんだねえ」

 そう言いながら、蒼衣はプリンをそれぞれ目の前に置く。すると、二人とも真剣な目でプリンを凝視し始めた。しばらくすると、まずは鈴木が口を開いた。

「僕の見立てでは、こういう小さな町のお菓子屋さんは、昔ながらの固めタイプが多いと思うんですよね」

「昔ながらのっていうけど、この店は新しいだろ。それに、これはおっしゃれ~な瓶に入ってる。だいたいそういうのは、流行の柔らかいもんが多いんだよ」

「見た目で判断してはいけませんね、佐藤くん」

「うるせえ、てめえも店の見た目で判断してんじゃねえかよ。難しいことはどーでもいい、プリンは柔らかいほうが美味いんだよ!」

「僕のは予想です。あと、プリンは固めが至高です。まあ、君のようなお子様の舌ではわからないでしょうが」

「うるせえ、さりげなく俺を馬鹿にすんなトーヘンボク! この頭でっかち!」

 プリン一つでここまでののしり合えるのは不思議でもあるが、思い返せば高校時代は、こんなくだらないことでずっと話ができたこと。それを思い出した蒼衣は、しばしの感慨深さを感じた。

 しかし、ここは夢と甘さを売るお菓子屋である。あまり険悪な雰囲気でお菓子を食べては欲しくない。

「まあまあ、とりあえず、食べてみてよ。そうじゃないと、決着つかないでしょう?」

 あくまで穏やかな蒼衣の言葉に、二人とも我に返った。

「じゃあ、いざ実食!」

 二人同時にスプーンがプリンをすくう。佐藤に至っては「うおおおお!」とまるでアニメか漫画の主人公のような雄叫びを上げている。ごく普通にプリンをすくった鈴木が「いちいちうるさい。もっと静かに食べてくれないか」と苦言を言うが、佐藤は「対決の雰囲気ってもんがあるだろ」とどこ吹く風のようだ。

 やはり同時にプリンを口にする。ほどなくして、鈴木は瞬きをし、すぐに口元に笑みを浮かべた。勝利者の笑みだ。

「フフフ、佐藤くん、やはり僕の予想通りだったね。このしっかりとした食感、卵の強い風味がたまらないよ」

「くそっ……! 勝負あった、か……」

 スプーンをくわえたまま、佐藤は大げさに嘆く。絶対柔らかいと思ったのに、とぼやきながら、机に力なく突っ伏した。

「ご愁傷様」

 鈴木は、佐藤のオーバーリアクションを冷ややかな目で眺めるている。

 近くでそれを眺めていた蒼衣には、二人の気持ちが伝わってくる。佐藤はまさに態度通りの『悔しい』気持ちだ。気持ちと行動に裏表のないタイプなのだなとわかると、あの口の悪さもかわいく思えてくる。

 対して、鈴木はというと、なぜか『残念』という気持ちで、蒼衣はひそかに首をひねる。あれだけ固いプリンを支持し、佐藤を論破すべく語っていたのに、だ。

「まあ待ちたまえ、若人よ。まだ勝負は終わっちゃいないのさ」

 ぽん、と佐藤の肩に八代の手が置かれた。え? と顔を上げた佐藤に、八代はニィ、と笑った。それが高校時代の彼とかぶって見えて、蒼衣は時が経ったことを実感する。

「ソースがついてるだろ。その小瓶。かけてみて食ってみろ」

 二人は、プリンの隣に置かれている小瓶の存在に気がついたようで、あっという顔をした。そういえば蒼衣も、二人の話を聞くことに夢中で、魔法効果を説明していなかった。

 小瓶には特製のカラメルソースが入っている。これこそが、プリンの魔法効果を決定づけるものだ。

 二人は半信半疑で小瓶のソースをかけ、口に運ぶ。すると、二人の表情が変わった。

「ん、ん、んんーー!?」

「これはっ!」

 二人がスプーンを持つ手を震わせる。

 再度プリンをすくった鈴木のスプーンから、先ほどまでしっかりとした堅さだったプリンが、攪拌もしていないのにとろりとこぼれる。

「なんで……柔らかく……?」

 信じられない、といった顔のままの鈴木をよそに、佐藤は歓喜の表情で二口目を食べていた。

「うめえ、うめえよう。この、とろーっとした感触! 甘さが口の中いっぱいに広がるぜ、このほろ苦いソースがまたなかなか合う! でもなんでいきなり柔らかくなったんだ?」

「このプリンの名前は『お好みプリン』プリン自体は昔ながらの固めのカスタードプリンなんだけど、ソースに『やわらか草』っていう花の蜜を使っているんだ」

「やわらかそう……?」

「魔力含有植物の一種でね。食材を柔らかくする作用があるんだよ」

「魔力? え、これ、魔法菓子!?」

「ごめんね、説明するタイミングをはずしちゃって」

 魔法菓子だということがわかり、佐藤は「俺初めて食べた! すげえ!」と興奮した様子を見せた。鈴木も「僕も初めてだから、びっくりした」と言葉は冷静ながらも驚いているようだ。

「俺、プリンがあるかどうかしか気にしてなかった。じゃあさ、このプリン、結局これはどっちになるんだ?」

 佐藤の疑問に、鈴木もはっとする。

「これは……引き分けだな」

 フフ、と不適な笑みを浮かべて鈴木は言った。

「引き分けー!? なんだそれ!」

 スプーンを持ったまま抗議する佐藤に対し、鈴木は冷静だった。

「そのまま食べて固く、ソースをかけると柔らかくなるなら、どちらにも分類できない。これは判定不可だ」

「ま、仕方ねえか。確かにこれはどっちだって言えねえ。そうだ、俺、トイレいってくるわ」

 存外あっさりと納得した佐藤を見送り、鈴木はフッと息を吐く。

「勝負、つかなかったね」

 蒼衣が話しかけると、鈴木は「本当は、僕はどうでもいいんですけど」と言った。

「あいつ、いつもあんな感じなんです。どうでもいいことだけには一所懸命で。もうすぐ高校三年なのに受験のことすら考えてない。まったく、時間は限られてるというのに。頭の中は自分の興味があることだけでいっぱいだ」

 ため息交じりに話す鈴木の気持ちが、蒼衣に伝わる。呆れの中に入り交じるかすかな『安堵』はなんなのか、蒼衣にはわからない。

 先ほどもそうだった。なぜ、彼が固いプリンだとわかったとき、落胆していたのか。

「それにしては、きちんと付き合ってあげてるように見えるけど」

 試しに、尋ねてみた。すると鈴木は、プリンの瓶のふちをゆっくりなでながら、ぼそりと言った。

「こんなことできるのも、あと少しですから。うちは工業高校で、就職するやつ、大学行くやつ、バラバラなんです。僕は大学に行きたいけど、あいつは就職する気みたいで。今くらいは、馬鹿なことに付き合ってやろうって」

 うつむいた鈴木から『さみしい』という気持ちが伝わってくる。

 もしかして、勝負がつきそうになって落胆したのは『馬鹿なこと』に付き合えなくなるからだろうか。だから、このプリンが柔らかくなるとわかったとき、安心したのかもしれない。佐藤という子の直情的な性格なら、ここで勝負は終わらないだろう。

 冷静に見える鈴木の隠れた不安は、蒼衣にも覚えがある。思えば蒼衣も、八代と進路が別れたときは、一抹の不安を抱いたものだった。

「すみません、なんか、変な話して」

 いいんだよ、と蒼衣が首をふる。 

「たかがプリン、されどプリン」

 そのとき、節をつけて歌うように八代が言った。

「八代?」

「少年、案ずるな。あれだけプリンひとつで言い合いできるんだったら、五年後もそうしてると俺は予言する」

「え?」

 自信に満ちあふれた八代の態度に、鈴木は声を上げる。

「この、ふんわりぼや~っとしてるパティシエとは高校からの付き合いでさあ。俺らもプリンの固いのやわらかいので一晩中討論したことあるぞ」

 ふんわり云々の部分に抗議したかったが、それよりも、討論をしたことがあったのかと蒼衣は慌てて記憶を探る。

「おまえが専門学生のときよくあったろ。持って帰ってきた実習のプリンやら有名店のプリンとかを食べあさって、あーだこーだぐだぐだ朝まで語ってさ」

 八代の言葉で思い出した。専門学生時代は、実習で持ち帰ったケーキや、勉強のために買ったケーキをを八代と共に食べることはよくあることだった。

 結局、お互いの学校が名古屋市内だったのをいいことに、蒼衣と八代の付き合いはさほど高校時代と変わらなかったのだ。その後一時期、蒼衣のほうから離れてしまったことはあれど、いろいろな出来事の末、こうして一緒に店をやっている。まさに八代言うところの腐れ縁である。高校時代に抱いた不安など、今思えばかわいいものだった。

「よく覚えてるねえ」

「まあ、腐れ縁だし」

 鈴木はその話を、羨望の色が含まれた目で眺めていた。

 すると、佐藤がトイレから戻ってきた。

「あれ、みんなでなんの話してたの? 俺だけハブ? ずるい!」

 鈴木は先ほどの感情をすっと消し、無表情になる。

「お店のひとの話を聞いてただけだ、佐藤。ところでさ、プリン対決、これからどうすんの」

「これから? んー……」

 席に座った佐藤は、ソースをたっぷりかけた柔らかいプリンを味わいながら、なにかを考えだした。やっぱこれめっちゃうめえ、と言う佐藤を視線から外し、鈴木はつぶやく。

「こんなこと、もう続けなくてもいいじゃん」

 言葉だけは無関心を装っているが、その気持ちの中に『拗ねた』ものを感じた。おそらく言葉と気持ちは真逆だろう。

 しかし蒼衣はわかっていた。佐藤の気持ちは、彼を裏切らないことを。

 顔を佐藤から背けた鈴木と、蒼衣の目が合う。不安げな顔が、過去の自分と重なった。

「――大丈夫だから」

 そう思うと、自然に言葉が口をついて出た。

 安心させたいのは鈴木なのか、過去の自分なのか。ほんの少しだけそんなことを考えながら、蒼衣は薄く笑みを浮かべる。

「え? それは、どういう」

 蒼衣の言葉の意味を鈴木が問う前に、佐藤が「鈴木よう」と声をかけた。

「勝負はまだついてねえよ。ってことで、来週は名古屋に遠出しようぜ」

「え? ……は?」

「っていうか、トイレで考えてたんだけど、勝負うんぬんよりも、誰かとこうやってケーキ食べに行くのが楽しいんだよな。ケーキにもいろいろ違いがあるわけじゃん? それをあーだこーだいうの楽しくない? だから今後はプリンだけではなく、ほかのものもやってこうぜ!」

 勢いのある佐藤の様子に、鈴木はあっけにとられた顔をする。完全に混乱しているらしい。うれしいと思う気持ちと、呆れる気持ちとが入り交じっている。

「佐藤……おまえ、就活……」

「ああっ、それがあった! やっべ忘れてた! 頭の中からきれいさっぱり消えてた!」

 それを聞いた鈴木は、盛大なため息をもらした。就活を忘れる高校生・佐藤に、蒼衣と八代は苦笑を浮かべる。

「本当に君は馬鹿だな。それに、高校生の財力でそんなに巡れるとでも?」

「就職すればもっと金が手に入る。そうしたらもっと店に行ける」

「ちょっと待て、おまえ就職してもこんなこと続けるつもりか!?」

「楽しいだろ。あ、そっか。鈴木は大学行くんだよな。いいぜ、社会人の俺様ががっぽがっぽ稼いでおごってやろうじゃないか」

「君におごられるなんて屈辱そのものだ」

「なんだとこのやろ! そーだ、おまえのにもソースどばどばかけてやる」

「あっ、こら、止めろ。ソースはかけずに味わいたまえ!」

 気兼ねない言い合いに発展した二人を眺め、蒼衣と八代は肩をすくめた。


***


「あの」

 支払いを終えた鈴木は、上品な革製の財布をもてあそびながら、少し声を潜めた。

「あなたがさっき“大丈夫だから”って言った意味、わかりました」

「そっか」

 言葉少なく蒼衣は答える。

「不思議なところですね、ここは。お店も、お菓子も、そしてあなたも」

「魔法菓子店、だからねえ」

 日常の中の、ほんのちょっとの非日常。すると、見えていなかったものが見えたり、感じられたりする瞬間がある。この店には、そんなことがあってもいいのではないか。

 鈴木が佐藤を見やる。佐藤はショーケースの前で、八代の説明を楽しげに聞いている。

「俺、社会人になったら、ここのケーキ買い占めますぜ!」

「おうおう、どんと買え! 働け少年、稼げ少年!」

 三十一歳と十七歳が意気投合しているのがおかしくて、蒼衣から苦笑がこぼれる。すると、隣にいる鈴木も同じように笑っていた。

「……柔らかいプリンも、美味しかったです」

「ありがとう。勉強に疲れたら、いつでもおいでね。二人でも、友だちを連れても、もちろん一人でも」

 はい、と答える鈴木の口元には、穏やかな笑みが浮かんでいた。 

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