蒼衣さんのおいしい魔法菓子

服部匠

第一部(recette5 プラネタリウムと蒼衣の空で完結済み)

recette1 心の魔物と魔法菓子(全5話)

心の魔物と魔法菓子(1)

「端から端まで、全部のケーキ、ここで食べていきますっ!」

 鈴木すずき信子のぶこは、ケーキの並ぶショーケースを前にして叫ぶように言った。

「ええと……それは、全種類を一個ずつ、ということで、よろしいでしょうか?」

 ショーケースの向こうに立つ優しげなパティシエは、信子の注文に戸惑いを隠せない様子だった。

 それもそうだろう。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔をした女子高生が、十八時の夕飯時にケーキ屋に駆け込み、あまつさえ全種類のケーキを喫茶スペースで食べようとしているのだ。

「そうです!」

 信子はやけっぱちになって答える。

 心の中の苛立ちをそのまま含んだ声に、パティシエは一瞬気おくれした顔をしたが、さすがにプロの顔をして、

「かしこまりました。ご用意いたします」

 と言った。

 


 信子がこのケーキ屋にたどり着いたのは、本当に偶然だった。

 時間はさかのぼり、放課後。いろいろあって最低最悪、とにかく苛立った気分の信子は、いつもは右に曲がる道を左に曲がった。不機嫌なまま家に帰れば、弟や妹が詮索してくるのは目に見えている。それに、親にも心配をかけたくない。素直に家に帰りたくなかった。

 スマホで店などを検索することすらめんどくさくて、なにも目的がないまま道を進む。

 信子は自宅のある愛知県名古屋市から、隣の彩遊さいゆう市にある県立高校に通っている。遊びに行くなら栄か名駅、もしくは大須を選んでいた信子にとっては、初めての場所。馴染みの歓楽街に行きたくなかったのは、放課後にあった「いろいろ」が原因だ。本当はこんなところを一人で歩く予定なんてなかった。

(だって、行ったらあの子に会っちゃうかもしれないじゃん)

 少しばかり面白そうなものはあるかと期待したが、大きな道路に面した学校から離れてしまえば、そこはなんの変哲もない住宅地。途中で通りかかった小さな商店街は大須ほどではないが人がいる。新しく、きれいめのお店も見かけたが、女子高生の信子が覗いて楽しめるような店はなかった。

 意気消沈しながら、さまざまな人とすれ違う。保育園から帰る親子、犬の散歩をするおじさん、そして、学校帰りの学生。別の高校らしい二人組の女の子が、楽しげに会話しながら歩いている姿が目に入り、信子は思わず目をそらす。

 すると、二人が甘いものでも食べようよ、と話す声が聞こえてきた。

「アイスがいい? パンケーキにする?」

「夕食前なのによく食べるね」

「甘いのは別腹だし」

「たしかに~」

 気兼ねない友だち同士の会話に、信子は奥歯を強くかんだ。そして、極力二人を見ないように下を向いてすれ違う。

 本当ならば、今頃、信子だって、ああやって仲の良い友だちと楽しく過ごしているはずだったのだ。

(どうしてこうなっちゃったの)

 そっと振り向き、二人の背中を見た。信子の鼻がつん、となって、涙がにじみそうになる。九月下旬の風は秋の気配を含んでいて、少し冷たい。信子の心まで冷え切りそうだった。

「……帰ろ」

 むなしくてさびしい気持ちのまま、正面を向いた。しかし、それまで前をよく見ていなかったので、標識のポールに思い切り衝突した。

「痛っ!」

 頭に響く痛みに耐えきれず、その場にうずくまる。

(もう、ほんと、本っ当に最悪!)

 いらだちは最高潮。ぼたぼたと涙が地面にまで落ちたそのときだった。ポールのそばに置かれた、小さな立て看板が信子の目に入った。

(なに、これ?)

 白いペンキで塗られた木製のイーゼル風看板だった。おしゃれな雑貨屋やカフェが使っていそうなそれに、なにか書かれている。

 黒板にチョークで「菓子店 ピロート」と書かれているのはかろうじて見えた。菓子店、の前になにか文字があるが、かすれていて読めない。

「お菓子屋さん……?」

 その下には「神社右『アパートあずま』1F 喫茶スペースあります お菓子とお茶でおいしく楽しいひとときを」という説明文と、簡易的な地図が書かれている。

 喫茶スペース。お菓子。その単語に、信子の頭にかっと血が上る。

「もう、こうなったら、やけ食いしてやる!」



 そしてたどり着いたのが、このお店だった。

 落ち着いた照明の喫茶スペースは、四人掛けのテーブルが四席と少ない。しかし、天井が少し高く、開放的な空間が印象的だった。夕方だからか、他の客の姿はない。

 信子は一番奥にある席につくと、恥も外聞もなくテーブルに突っ伏した。ひんやりとした机の感触が気持ちいい。しかし気持ちは収まらず、信子は大きなため息をついた。

(なんで、あんなことになっちゃったんだろ)

 信子の苛立ちの原因は、親友との仲たがいにあった。

(なんでみなみは、私と一緒にいてくれなくなっちゃったの?)

 みなみは、今年入学した高校で知り合った友だちだった。席が近く、話しかけやすい雰囲気の子だったので、思い切って声をかけたのがきっかけだ。真面目な信子と、おとなしい性格のみなみは気が合って、瞬く間に親しい間柄になった。それがうれしくて、学校でも一緒に行動し、休みの日もたくさん遊びに出かけて、いろいろなことを話した。中学時代、性格の生真面目さが過ぎていじめに遭い、人間関係でいいことがなかった信子にとって、一番の親友だと思える子だった。

 しかし二学期が始まってから、みなみは信子の誘いを断るようになった。

(夏休みまではよかった。毎日のように遊び歩いて、楽しかったのに)

 行事も部活も忙しい二学期だから、最初は仕方ないと納得していた。しかし、何度誘っても答えは同じ。

 九月の最終週、業を煮やした信子が問い詰めると、みなみは心底いやそうな顔をして「ごめん。信子ちゃん……鈴木さんと一緒にいるのは、もういやだ」と言った。

 それ以来、みなみとは一言も口をきいていない。突然友だちを失った信子は、クラス内でひとりぼっちになってしまった。思えば、みなみとばかり遊んでいて、他に友だちと呼べるようなクラスメイトがいなかったのだ。みなみはというと、賑やかなグループに自然な形で混ざっていた。

 みなみとの一件は他のグループの子にも伝わっているらしく、どこかに混ぜてもらえるような隙は見当たらない。

 信子は突然、孤立状態になってしまった。

(これじゃ、中学のときとおんなじじゃん)

 そして今日の放課後、別のクラスメイトとみなみが楽しそうにしている姿を見かけた。どこか甘いものを食べに行こう、と話す姿を見てられなくて、部活もおざなりに終わらせて学校を出てきたのだった。

(私だって、あんなに仲よくしてたのに。どうして他の子とあんなに笑えるの?)

 道で見かけた二人組を思い出す。すると、今度は悲しさと空しさが押し寄せてきた。

 突っ伏したまま手癖でスマホを取り出す。なんでもいいから、この気持ちをどうにかしたかった。写真をスクロールする。もう何度見たかわからない、みなみとのツーショット。そして、SNSでみなみから『いいね!』をもらった写真たち。今、みなみのSNSアカウントからはブロックされていて、見られないことを思い出した。

(……親友って思ってたのは、私だけだったの? なんでも話せると思ったのに)

 裏切られた、という言葉が浮かぶ。ひとりぼっちになってしまったのだと改めて思うと、気分がいっそう沈んだ。

「お、お待たせいたしました」

 優しい声にはっとして顔を上げる。そこには、たくさんのケーキを持ったパティシエが立っていた。慌てて身を起こすと、パティシエはにっこりと笑いながら、テーブルにケーキの皿を置き始めた。

「う、わあ……!」

 テーブルに所狭しと置かれたケーキを見て、信子から思わず感嘆の声がもれた。沈んだ気持ちよりも、驚きが勝った。

 音符の模様がついたスポンジが印象的な、赤いソースの入ったロールケーキ。黒くツヤのあるドーム型のチョコレートケーキ。オーソドックスなショートケーキ、ミルフィーユ、プリンでさえ、なんだか輝いて見える。自然に笑顔が浮かんだ。

(よく見ずに頼んじゃったけど、すごい! これ、みなみにも見せなきゃ……)

 とっさにスマホで写真を撮り、メッセージアプリを立ち上げて――はっとした。

(みなみに送ったって、見てもくれないんじゃん)

 既読のついていない画面をみた信子の顔から、表情が消えた。ケーキを見て盛り上がった気分が、急速にしぼんでいく。見てほしい相手に見てもらえない悲しさに、体中が支配されたみたいだった。

「ええと、うちのケーキや店の写真は、SNSに載せても大丈夫なので、心配しないで」

 パティシエが信子に話しかけた。

「あ、の……」

 穏やかで、どこか安心する笑みを浮かべた彼の顔を見た瞬間。耐えられなくなった信子の目からまた涙がこぼれた。


 

「なるほど。とてもいらいらして、悲しくて、だから鈴木さんは偶然見つけたうちの店で、ケーキをやけ食いしようとした……と」

「そう、です」

 パティシエの前で泣き出した信子は、宥めてくれた彼に聞かれるまま、みなみとのことを話した。見知らぬ人にもかかわらず、彼はあいづちを打ちながら、信子の話を最後まで優しく聞いてくれたのだった。

「そうなのかあ」

 パティシエ……天竺てんじくあおと名乗った男性は、信子の話を聞き終えるといったんカウンターに入った。しばらくして戻ってきた蒼衣の手には、紅茶のポット一つと、二つのカップの乗ったお盆があった。

「あの、お兄さん、なんで……」

 飲み物を注文していない信子は戸惑った。

「気にしないで、僕も休憩したかったんだ。あと、僕の事は『蒼衣』って名前で呼んで欲しいな」

「えっ、名前で?」

 初対面の男性に、下の名前で読んでほしいと頼まれたのは、初めてだった。明らかに戸惑った顔をしていると、蒼衣は、

「僕のこだわりというか、好きなんだよね、名前で呼ばれるのが。紅茶のお代だと思って、そうしてくれないかな」

 と言って、信子の向かい側の椅子に座った。なんだか言いくるめられてしまったように思えたが、目の前に出された紅茶を見て、しぶしぶ「わかりました、蒼衣さん」と答えた。

 蒼衣は満足したようにほほ笑むと、コック帽を脱いで、傍らに置いた。彼が軽く頭をふると、男性には珍しい、一つにまとめられた長い髪が落ちた。

「わあ……」

 信子は向きあった蒼衣を見て、コック帽をつけているときと、そうでないときの印象の違いに驚いた。

(っていうか、この人、本当に男の人なの? 美人、だなぁ……)

 年齢は二〇代前半か、若く見える。男性的な安定感があるはずなのに、やや白い肌、落ち着いたまなざし、穏やかな微笑を作る口元、そしてつやめく長髪――お兄さん、といいよりも、きれいなお姉さん、と言った方が似合うかもしれない。

「どうしたの?」

 蒼衣に尋ねられ、自分が凝視してしまったことに気づいた信子は、

「ごめんなさい、あの、男の人だけど、髪が長くて、き、きれいだなって思って……」

 と、しどろもどろに言った。直接『美人』というのははばかられた。

「ああ、髪か。本当は食べ物を扱ってるから、こんなに伸ばしちゃいけないんだけど……魔法菓子職人をやってると、魔力の影響で伸びちゃうスピードが速くて」

 信子は、困ったように笑う蒼衣の口から出た『魔法菓子』という言葉に「え」と声を上げた。看板の消えていた文字は『魔法』だったのだ。

「魔法、菓子? ここって、魔法菓子のお店だったんですか!?」

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