其ノ弐拾弐 ~天庭~
「お帰り一月……あら、お客様?」
偶然にも、道端で一月と遭遇した世莉樺。彼女は一月に招かれ、一月の家に行っていた。一月は、『見せたい物がある』とだけ理由を述べた。
「うん。ちょっとそこで会って……少しだけ上がってもらうから」
居間と廊下を隔てるドアの側で、一月が自身の母に告げる。
一月の母は居間で、テーブルに向かって何かをノートに書いていた。ノートの周りに何枚もレシートが並んでいる事、さらに電卓が置かれている事から、世莉樺は家計簿をつけているのだと推測する。
世莉樺は一月の母に一礼しつつ、挨拶した。
「お邪魔します」
一月の母は、一度ボールペンを置いた。
「可愛いお嬢さんね、ゆっくりしていって」
世莉樺は、一月の母にもう一度を礼する。
すると一月に軽く肩を叩かれ、世莉樺は後ろを向く。
「ついて来て」
そう一言残すと、一月は二階への階段に向かって歩を進め始める。
世莉樺は、彼の後ろ姿に続いた。さらに、彼女の背中を炬白が追う。
「まあ二人とも、入ってよ」
階段を上がり、一月は二階のドアの一つを開けた。彼に促されるままに、世莉樺と炬白は一月の自室に入室する。
畳張りの部屋で、世莉樺の目には特に変わった物は見受けられない。世莉樺と炬白が入ったのを確認し、一月も二人に続く。
「一月先輩の部屋……」
世莉樺は無意識に漏らす。
正直な所、彼は一月の部屋に入る日が来るとは思っていなかったのだ。想像していた通り、という感じだった。
一月の部屋はこれといって飾り気は感じられず、畳張りの床にはカーペットも敷かれていない。
目に付く物は机や本棚に、壁に立てかけるように置かれた竹刀袋くらいだ。飾り気のない、言ってしまっては申し訳ないが、地味で味気ない感じ――冷静沈着な性格である一月のイメージに、この上なく合致する部屋だ。
「何も無いけど……ま、座って」
「失礼します」
世莉樺と炬白は、畳の上に腰かける。すると、炬白が一月へ発した。
「お兄さん、見せたい物って?」
「……ちょっと待ってて」
黒着物の少年の問いを受けた一月は、部屋の押し入れを開けた。
そして、押し入れの中に収納されていた幾つもの段ボール箱や絵の具セット、習字セット、他にもかつて一月が使っていたであろう物を引っ張り出し――奥へ奥へと、捜索の手を伸ばす。
「一月先輩、何を……?」
押し入れに顔を突っ込んでいる一月に向けて、世莉樺は問う。返事の代わりに、ガチャリ、という金属音が鳴った。
すると一月は押し入れから顔を出し、世莉樺と炬白に向き直る。
「! 先輩、それ……!?」
一月が両手に抱えていた物を見て、世莉樺は驚きを露わにする。炬白は何も言わなかったが、彼も世莉樺と同様、驚きに表情を染めていた。
「炬白、これ……役に立たない?」
一月が押し入れの奥から取り出した物――それは、鞘に収められた一本の真剣だ。鞘には、判読不能な文字が無数に刻み付けられている。
その真剣が帯びている雰囲気から、世莉樺には容易に想像が付いた。
一月によって押し入れから取り出された真剣、それが紛れも無く、『天照』と同じ霊刀であると。
炬白はその場から立ち上がる、そして彼は、一月に向かって両手を伸ばした。言葉で発した訳では無かったが、一月は炬白が何を求めているのか理解したらしい。
一月は、両手に持った真剣を炬白へ手渡す。
「それ、高校の資料室で見つけたのと……」
一月から炬白の手に渡った真剣を見て、世莉樺は呟く。
炬白は、真剣を観察するように眺めていた。柄に、鍔に、無数の文字が刻まれた鞘。その真剣は天照に似ていた、似過ぎていた。
「やっぱり、『天庭』……!」
一しきり真剣を眺めた後、炬白は視線を一月に移した。
「お兄さん、これを何処で……!?」
「話すと長くなる。……まあ、座ろうよ」
炬白に促し、一月はその場に座る。促されるままに、炬白も腰を降ろした。
世莉樺、炬白、一月。その三人で向かい合って座る形となる。
「一月先輩、学校で言ってた『心当たり』って……これの事ですか?」
炬白が持つ真剣を指しつつ、世莉樺は問う。
「そう。何かの役に立つかと思ってね」
一月は、続ける。
「それで世莉樺、あれから何か掴めた? 鬼……由浅木瑠唯の事」
以前に世莉樺は、鬼と成った瑠唯の事について一月に相談していた。
故に一月は、世莉樺が以前まで知っていた瑠唯の事については既に、理解している。
「! はい」
世莉樺は瑠唯の母から得た情報を、一月に明かした。生前、瑠唯の周囲で不可解な事が起きていたという事や、瑠唯の死の真相だ。
瑠唯の事を勝手に話すのはどこか気が引けたが、一月は貴重な協力者であるが故、躊躇う猶予は残されていないように感じたのだ。
「……なるほど」
聞き終えた後、一月は納得するように首を縦に振る。
すると、階段の方から一月の母の声が届いた。
「一月、お茶とお菓子取りにおいで」
どうやら、一月の母が気を利かせたらしい。
一月は世莉樺に告げつつ、腰を上げた。
「すぐ戻る」
世莉樺にそう残し、一月は部屋から出て行く。部屋には、世莉樺と炬白が残される。
「炬白、それって天照と同じ……?」
一月が持っていた真剣を見つめる炬白の横顔に、世莉樺は問いかける。
炬白は世莉樺に向き、応じた。
「これ……『天庭』っていう霊刀なんだ。鵲村の名のある僧侶が自分の手で作り、自ら魔除けの力を込めた真剣だよ」
炬白は天庭の柄を掴み、少しだけ刃を鞘から抜く。
銀色の刃が、僅かに覗いた。
「天照と違って……封印はされてないみたいだね」
そう言いつつ、炬白はその真剣――天庭を、世莉樺へと差し出す。
世莉樺はそれを受け取った。天庭には天照と同じく結構な重量があり、怪しげな雰囲気を纏っている。
柄を掴み、世莉樺は天庭を抜く。
「! あれ?」
すると、天照とは違ってあっさりと抜けた。
世莉樺は刃を直ぐに鞘に収め、炬白を向く。
「それは誰にでも抜けるよ、天照と違って封印されてないから」
「じゃあ、天照を使わなくても、これがあれば……!?」
世莉樺は思う。
簡単に抜く事の出来る霊刀、天庭がここにあるのだ。ならば天照を抜かなくとも、天庭を使えば瑠唯に相対する事が出来るのではないだろうか。
しかし炬白は、首を横に振った。
「いや、ダメなんだ」
「えっ……」
世莉樺が抱いた一時の希望は、炬白の言葉によってあえなく潰え去る。
「この霊刀……封印はされてないけど、霊力がかなり弱まってるんだ。これじゃあ、瑠唯に対抗するには足りてない」
「……霊力?」
一度では炬白の言葉を理解出来なかった世莉樺は、問い返す。
炬白はより細かく、解説した。
「鬼は、人の魂を取り込んでその力を増していくんだ。瑠唯はもう、相当な数の魂を取り込んでると思う。今の瑠唯に対抗するには、やっぱり天照じゃないと……」
「じゃあ、それ……天庭は役に立たないって事?」
世莉樺の問い掛けに、炬白は首を横に振る。
「役に立たないって訳じゃない。でもこの天庭だと、瑠唯を止める事は出来ないと思う」
「そっか。やっぱり、天照が抜けないとダメなんだね」
無言で、炬白は頷いた。世莉樺は、自らが持つ霊刀――天庭に視線を落とす。
二人とも何も発さず、一月の部屋に一時、沈黙が流れた。響き渡る雨音が、世莉樺と炬白を包む。
「それにしても、どうして一月先輩がこんな物……?」
世莉樺が視線を炬白へ移そうとした、その時だ。机の上に置かれた写真立てが、世莉樺の視界の端に留まった。
「……!?」
世莉樺は発しかけた言葉を止め、その場に立ち上がる。
「姉ちゃん?」
炬白の言葉を流し、世莉樺は机に歩み寄る。
彼女の視界の中央には、机の上の写真立てがあった。
「これって……」
そして――そこに収められた写真に、視線を向ける。
「あのお兄さんだね」
いつの間に後ろに居たのか、炬白が言う。写真には、首から下を柔道着に包んだ一月、そして隣にもう一人、短い髪型の少女が映っている。
現在と比べると一月は幼げで、ぎこちなく笑みを浮かべていた。
一月の笑顔が、世莉樺にはとても新鮮に思えた。
(一月先輩が、笑ってる……)
思い返せば――世莉樺は、一月が心から笑ってるのを見た記憶が無い。彼が浮かべる笑顔はいつもどこか影があり、取り繕うような笑顔だったから。
けれど、この写真に映っている幼い一月が浮かべているのは、違う。
「……この隣の女の子は?」
炬白が発する。
一月の隣に映っている短い髪型の少女は、カメラに向かってピースサインをし、笑顔を浮かべていた。彼女が誰なのかは分からないが、世莉樺の目にはとても可愛らしい子に見える。
すると不意に、廊下へ続くドアの方から、
「秋崎琴音、僕の友達だった子だよ」
「!」
世莉樺は思わず驚き、弾けるように振り返る。
ドアの側に、麦茶の入ったコップやバタークッキーの皿を載せたトレイを持った一月が居た。辺りを支配する雨音に、階段を上がる足音がかき消されていたらしい。
「友達……『だった』?」
炬白は、不意に戻ってきた一月に驚く様子は無い。そして雨音の中に、一月の言葉が発せられる。
「……琴音はもう、この世には居ないんだ」
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