其ノ拾六 ~刻マレシ悲哀ノ記憶~






「これが……霊具?」


 資料室の傍らに放置された古びた真剣を見据えつつ、世莉樺は問う。

 炬白は頷いた。


「そう、鬼を……由浅木瑠唯を止める為に必要な物なんだ」


 黒着物の少年は、真剣――霊刀・天照に指先で触れた。

 高校の資料室に霊具がある、という噂は本当だったらしい。世莉樺には霊具の事など何も分からないが、炬白が霊具だと言っている以上、間違いは無いだろう。

 一目見れば、それが霊具であるか否かは直ぐに分かる。炬白は以前そう言っていたから。


「……っ」


 世莉樺は、本物の剣を見る事など初めてだった。いつも彼女が剣道をする際に用いる、竹刀や木刀などとはまるで違う。

 見ただけでも、世莉樺には伝わってくる。ひとたび振るえば、人間の体を裂くことも出来る凶器――それが今、目の前にあるという事が。


「でも、これ……どうやって持っていくの? 鞄になんか入んないし……」


 思いついた疑問に、世莉樺は炬白に向かって発する。

 真剣は見た限り、結構な大きさである。世莉樺や一月が持つ鞄になど勿論収まる筈は無いし、竹刀袋には既に竹刀が入っている。

 このような凶器を裸で持ち歩くなど、論外だろう。誰かにでも見られれば、警察を呼ばれる事態に発展するのが目に見えている。


「それは心配しないで、オレが持っていくから」


「え?」


 炬白は、今度は数本の指で天照の鞘へと触れた。

 彼の指が暗い青色の鞘に触れた瞬間――天照が、消える。


「!? あれ、刀が……!」


 世莉樺は戸惑う。

 数秒前まで、確かに箱の中に天照は入っていた筈なのだ。なのに炬白が触れた瞬間、一瞬にして消滅した。


「精霊の能力だね? 触れている物を、人間に見せないようにも出来る……」


 まるで知っていたかのように、一月は冷静だった。

 世莉樺は驚く。炬白が見えた事も同じだが、彼は何故、精霊の能力を知っているのか。

 炬白は先んじて、


「そう。オレが持てば、他の誰に見られる事も無く持ち出せる」


 再び、炬白の両手の内に天照が現れた。

 一月の言う通り、精霊は自身が持つ物を人に見せないようにする事も出来るのだ。


「時間も時間だ。用も済んだし、そろそろ出ようか」


 一月が、世莉樺と炬白に促した。


 霊具は見つけた事だし、埃っぽい資料室から早く脱出したかったのかも知れない。

 天照の入っていた木箱を元の位置に戻し、世莉樺達は無造作に段ボール箱を積み上げていく。再び、舞い上がった埃に咳き込んだ。



  ◎  ◎  ◎



 学校を後にした世莉樺は、炬白と共に夜闇に包まれた鵲村の道を歩いていた。

 夏の時期、何時もなら蝉の鳴き声が喧しい程に辺りを満たしているが、今日は違う。世莉樺の鼓膜を揺らすのは、耳障りな雨音だけだ。


「教えて炬白、どうして一月先輩には、炬白の姿が見えたの?」


 世莉樺は傘を差しつつ、自身の隣を歩く炬白に訊く。

 なお、一月と世莉樺の家は反対方向に位置する為、一月とは既に別々の道を歩いていた。

 炬白は、降り注ぐ雨を全く気に掛けていない。傘も何も差さず、その身を雨粒に晒している。しかし、彼の髪や着物には、全く水滴が付いていなかった。


「……人間が精霊を見えるようになる条件は、二つ」


 炬白は、世莉樺と視線を合わせ、ピースサインのように指を立てる。

 歩を進めつつ、彼は続けた。


「まず一つ目。精霊が、精霊自身の意思で自分の姿を人間に見せてる場合。オレが、オレの意思で姉ちゃんに姿を見せたようにね」


 世莉樺が頷くと、炬白は続けた。


「まあ自分の意思って言っても、オレは姉ちゃんにしか姿を見せられないんだ。前に言ったように、オレは姉ちゃんを鬼から救う為につかわされた精霊だから」


 世莉樺は、頭の中で炬白の言葉を解釈する。

 鬼から救うべき対象でなければ、精霊はその姿を見せてはいけないらしいが、その理由は見当も付かなかった。


「だったら、一月先輩には何で?」


 重要なのは、そこである。

 炬白は、一月には姿を見せようとはしていなかった。にもかかわらず何故一月には炬白が見え、意思の疎通までもが可能だったのか。


「そして二つ目。一度精霊の姿を見れば、その人間は永続的に精霊を見る事が出来るんだ。最初に見た精霊と、二度目に逢った精霊が同一でなくてもね」


「だったら、一月先輩は……!?」


 驚きを含んだ世莉樺の声が、雨音に吸い込まれていく。

 炬白の言葉が何を意味するのか、彼女には容易に想像がついた。


「そう。あのお兄さん、過去に精霊と逢った事があるんだよ。オレじゃない、他の精霊と」


 炬白は続ける。


「正直オレも予想外だったよ。まさか姉ちゃんの近くに、それも姉ちゃんの知り合いの中に『通霊力』が居たなんてね」


「つうれいりき……? それ何の事?」


 これまで聞いたことの無い言葉に、世莉樺は訊き返した。


「通霊力ってのは、精霊を見る能力が備わった人間の事。霊に通ずる力、って事で通霊力。オレの姿を見たから、姉ちゃんももう通霊力だよ」


「……」


 自身の知らぬ間に、自分には他の人に無い力が備わっていた。

 そう思うと、世莉樺は若干の恐怖を感じる。思わず辺りを見回してみるが、世莉樺の瞳には炬白以外の精霊と思われる存在は映らない。


「そんな怖がる事なんて無いよ、鬼と違って、精霊は人間を助ける為に現れるんだから」


 世莉樺ははっとしつつ、炬白に向いた。

 どうやら、黒着物の少年にはお見通しだったらしい。


「そうだよね。精霊って炬白しか知らないけど……すごく頼もしく思える」


「へ?」



 怪訝に思ったのだろう、炬白の声は、どこか素っ頓狂だった。


「私、悠太とか真由迎えに行くとき……小さい子よく見るんだ。そういう子達と見比べてみたら、精霊だって事を考えても炬白ってしっかりしてるっていうか、それに結構かっこいいし……」


 長女という立場故か、世莉樺は弟妹を迎えに小学校や幼稚園に赴く事機会が多かった。その際、他の子供達の姿は嫌でも目に入る。炬白ぐらいの外見の子供達は、皆騒ぎまわったりしていかにも手の掛かる子供達だと感じていた。

 けれど、炬白は違う。確かに外見は幼く、やんちゃな印象が感じられるものの――世莉樺には外見に反し、とても落ち着いた性格であるように感じられた。

 さらに、その容姿もなかなか端麗に感じる。もしも外見的に数年歳を重ねれば、もっと格好良い少年になるのでは、と世莉樺は思った。


「炬白って、中々モテるんじゃない? 精霊に女の子って居ないの?」


 優しげに笑みを湛えつつ、世莉樺は炬白に問いかける。

 彼女の足が水溜りに入り、泥水の飛沫が小さく上がった。


「別にモテはしないけど、女の子の精霊も居るよ」


 女の子の精霊も居る――そう聞いた世莉樺は、思わず思ってしまった。

 精霊の少女は、どのような存在なのだろうか? 炬白と同じように着物を着ていて、大人びた性格の持ち主なのだろうか。


「てか、それよりも姉ちゃん、あのお兄さんに鬼とか精霊の事、不用意に訊かない方がいいと思うよ」


 脱線しつつあった話を元に戻し、炬白は進言した。


「どうして? 一度精霊を見た事があるなら、一月先輩に訊けば何か掴めるかも……」


 一月は先んじていたのだ。

 彼ならば何か、自身の知り得ない事でも分かるかも知れない――彼を頼れば、瑠唯を止める事や、真由を助ける近道になり得る。

 世莉樺はそう思っていた。


「精霊が絡む事には、ほぼ間違いなく鬼が絡んでる。下手に訊いたりしたら、その人の辛い記憶を呼び覚ます事にも繋がりかねないんだよ」


「!」


 世莉樺は思い出す。

 自身が体験した、恐ろしい出来事――鬼と成った瑠唯に、殺されそうになった事を。


「もしかしたら、一月先輩も以前に私みたいな目に……」


 炬白は頷いた。


「それだけじゃない。鬼が絡んだ事で、あのお兄さんはオレ達には想像もできないような、重い傷を負っているかも知れないんだ。ここに」


 炬白は、片手の拳を握って自身の胸に当てた。

 彼はさらに続ける。


「精霊を見たって事は、鬼とも遭ってるんだ。鬼に大切な人を殺された……なんて事も、十分考えられるんだよ」


 鬼は、遭遇した者を見境も無く殺していく。

 鬼や精霊が絡んでいる事には、必ず『悲しみ』も絡んでいる物だ。人が死ねば、その者が生前に接していた者は恐らく、深い悲しみに沈む。鬼は死を呼び、死は悲しみを呼ぶ。

 炬白の言う通り、一月が鬼に絡んだ事で深い悲しみを抱いている可能性は、十分過ぎる程に考え得る。


「……炬白、忠告してくれてありがとう。私、一月先輩に下手に詮索しちゃう所だった」


「どういたしまして。てか、普通知らないだろうし……。姉ちゃん、気にする事なんて無いよ」


 炬白の仮説の話にも関わらず、そう考えると世莉樺は納得できるものがあった。

 いつも冷静で、口数の少ない一月。その表の顔の裏に、彼は何かを隠しているのかも知れなかった。

 世莉樺が時折感じる、一月の哀愁を帯びた雰囲気――その源は、本人にしか理解出来ない心の傷なのだろうか。鬼や精霊が絡んだ、今世莉樺が遭遇しているような怪異によって齎された、治まる事の無い痛みなのか。


(一月先輩……貴方は冷静な面持ちの裏に、どんな悲しい思い出を押し込めているんですか……?)


 残酷に降りしきる雨の中、世莉樺は心中で発した。

 決して声に出して発する事は無いであろう、自身の先輩――金雀枝一月への質問を。



  ◎  ◎  ◎



 帰宅した一月は、暗い自室に入ると同時に電気を点ける。

 机の上の写真立てに飾られた一枚の写真が、彼の目に留まった。


「……」


 雨音が鳴り響く室内で、一月は写真立てを手に取る。

 写真には、二人の人物が映っていた。首から下を剣道着に身を包んだ、中学生だった頃の一月、その隣に同じく首から下を剣道着に身を包んだ、一人の少女。

 一月と共に写っている彼女は、ピースサインをしていた。


(……琴音)


 少年にとって忘れようにも忘れられない、一人の少女の名前。一月は悲しげな面持ちのまま、雨音に耳を委ねつつ――写真を眺めていた。

 彼の部屋の押し入れの奥には、高校の資料室に保管されていた天照とは違う、一本の真剣が立て掛けられている。

 鞘の表面に、常人には到底判読不能な文字が無数に刻み込まれ、天照と同じく古びた真剣。

 二度と、振るう事は無いと思っていた霊具だ。





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