オペラ座 Fan Fiction

今川 巽

第1話 新章

ああ、自分は夢を見ていたんだと女は周りを見回して現実に戻った事に内心ほっとした、サドは独房の中で死んだ、当初は広場の絞首台、ギロチンでということになっていた、だが、そうはならなかった。


 世間から見れば彼は悪人という部類に入るだろう、非道な限りを尽くしたからだ、といっても、彼は貴族だ、そしてこの時代の貴族なら決して珍しい事ではないし、それが悪いことだとはいえない。


 同性、近親愛、世間では禁止されていた性行為を恥ずすことなく公然と行ったこと、それは貴族なら当然かもしれなかった、悪い事だと周りが言っても彼は、それを自分にとっては芸術だと言ってはばかることなかった。


 


 そして自分は、彼の娘になった。


 驚くことに見ず知らずの外国人である自分を彼は助けてくれた、普通の人間なら警察に引き渡したり、珍しいからとペットのような扱いをしたかもしれない、だが、彼はそうしなかった。


 自分の話を普通なら信じられないと思えることを真面目に聞いてくれた。


 「君の話はおもしろい、それが嘘だなんて誰かが言ったら、その誰かおかしいんだよ、私は、そう思うね」


 何故、そんなにもきっぱりと言い切れるのか不思議だった。


 だが、サドは自分なの言葉を笑いながら聞いていた、世の中には世界には信じられない出来事や奇跡があるんだ、そして私は幸運にも、その奇跡を見る事ができた人間なんだと。


 


 一年あまりの時を二人で過ごした。


 その間、色々な事があった。


 世間で破廉恥ちと罪悪の塊のような人間だと烙印を押されて投獄されて死ぬ事になると聞かされてもサドは改めようとはしなかった。


 「君のいう通りなんだろう、だが、今更、私がらしくない生き方をするというのはどうだろう、それよりも心配なのは君のことだよ、私が投獄されたら、君は」


 それだけだとサドは投獄される直前まで気にしていた。


 


 


 ロンドンで暮らすようになって二ヶ月あまりが過ぎた、先日、パリからやってきたサドの友人が色々な噂話を楽しく話してくれた。


 オペラ座に新しいプリマドンナが誕生したという、名前をクリスティーナ・ダーエ、なかなか優秀らしく、新公演でお披露目されるらしい。


 観に行くなら切符を取るからと言ってくれたが、今、ロンドンを離れる気にはならなかった。


 


 その日、机に向かってペンを取るとドアをノックする音がした、家主、ハドスン夫人だろうと思い、確かめることもなく、おはようございますと声をかけドアを開けた。


 そこに誰が立っているのかすぐにはわからなかった。


 黒のロングコート、服も同じ色だ、相手が分かると女は驚いた顔をした。


 「ミスター、どうして」


 確か二ヶ月ほど前にアメリカに帰った筈だ、どうして、自分の目の前に、ここに来たのか、姉はロンドンにはいないというのに。


 自分の姉であるアイリーナは女優だ、舞台に出てくれるようにと出演交渉を依頼してきたが、女優の機嫌を損ねたのか、気まずくなり、結局のところアメリカに帰ったという話を聞いたのは交渉が終わった後だった。


 中に入るようにと声をかけ、湯を沸かす間、男は無言だった。


 椅子に腰掛け、出された紅茶を見て、ありがとうと頭を下げるが、口を付けようとはしない男に疑問をぶつけた。


 「あなたの劇場での公演を断ったそうですね」


 「御存じでしたか」


 「私に何か、口添えをしても」


 男の顔は左半分が仮面で隠れている、もう半分の素顔に困惑の表情が浮かんだ、迷っているのか、そうでないのか、わからない。


 「姉は少し我が儘なところがあって」


 言葉を探すのは簡単ではない。


 「大変失礼なことをしたそうで」


 男の仮面を剥いだという、それも人前でだ、周りには大勢の人間もいたので、その場にいた人間は驚いて騒ぎになった。


 だが、それが公にならなかったのは周りがアイリーナ・アドラーという女優を知っているからだ。


 「謝るのは、こちらの方だ、私は侯爵が書いた舞台劇を私の劇場で上演したいと言ったのだが、それが」


 「舞台、を」


 サドは投獄されても小説を書き続けていた、ペンやインクを没収されると自分の排泄物、血まで使って、それぐらい書くということに情熱、いや、命をかけていた。


 「劇場で上演するような内容とは思えないんですが」 


 本の内容は決して上品なものとは言いがたい、社会や世間の常識に泥を吐く、下品で低俗すぎる殆どが発禁書として出版されているのだ。


 だが、自分はサドの書いたもの全てを知っている訳ではない、もしかして。


 「実は」


 仮面の男はある貴族のサロンで上演された舞台の話を始めた、その台本があるなら上演したいという話に女は言葉が出てこなかった。


 どんな顔で答えれば返事をすればいいのかわからない、それはサドが書いたものではない、自分が書いた「ファントム」化け物のような醜い男が好きになった、恋した女の終演の恋物語だから、だ。


 


 


  


  


 

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