第57話 昭和20年3月 春香、6年生の東京帰郷を見送る

 昭和20年も3月となったけれどまだまだ寒さは厳しく、先月の終わりにはまとまった雪が降った。けれども順調に野草も芽を出してきていて、子供たちの副食に活躍してくれていた。

 これからお彼岸が近づくにつれ少しずつ気温も上がっていくのだろう。春はもうすぐなんだ。


 6日の夜。

 明日は6年生の子供たちが、受験のために東京に出発する。久しぶりにそれぞれの実家に帰ることができるということもあり、ここ数日間はずっとそわそわしていた。


 夜の点呼が終わり、6年生は2階の先生の部屋に集合になった。これから訓示を受けるのだ。私たちも呼ばれて先生の部屋にお邪魔している。


 先生の部屋は、壁際には衣類を入れた行李と、教科書や参考書と思われる本が積んであった。

 先生の普段の衣類こそ私たちが洗っているけれど、掃除はご自分でされているようで、普段は私たちも入ることはあまりない。



 青木先生は、正座をしている6年生8人を前に、

「明日から君たちは東京に戻る。それぞれ受験する学校は違うが、君たちが将来、この日本を背負っていくのである。

 天皇陛下のため、またビスケットを御下賜くださった皇后陛下の期待に添えるよう、精一杯、挑戦してきたまえ」


 全員の「はいっ」という返事を聞いて、先生は満足そうにうなずき、

「当日は直子さんが東京まで引率するが、向こうでは何かあったら森山第六で待機している先生方に相談すること。あとは風邪を引かないように。実家に帰るからといって、食べ過ぎてお腹をこわさないようにな」

「はいっ」

「……笠井。お前のことだぞ」

 すると皆が笑いながら隊長の笠井くんを見た。


 おどけて自分を指さす笠井くんは、

「えっ、僕ですか?」

「お前、今ちろっと笑いそうになったろ」

 指摘を受けた笠井くんが頭をかきながら、

「ばれてましたか」

 周りではまた笑い声が起きた。

「ははは。まあいい。……ここのところ東京では頻繁に爆撃を受けていると聞く。明日、私は駅まで見送りにいけないが、気をつけるんだぞ」

「はいっ」


 こういう先生と子供たちのやり取りを見ていると、自分が学生だった頃のことを思い出してしまうね。


 さて寮母からも一言ということだけど、その前に実はプレゼントを用意してあるんだ。みんなで作った米ぬかクッキーだけど、焦がしてチョコレートのような風味に仕上げてある。きっと喜んでもらえるだろう。

 紙袋を手渡して、

「これはみんなから。お砂糖の関係で3枚ずつしかないけど、がんばってね」


 中を見て驚いた表情を浮かべる子供たちを見て、私たち寮母は互いに顔を見合わせて微笑みながら、サプライズ成功に喜んだ。


 翌朝、私は村の入り口にあるバス停まで、みんなを見送りに行くことにした。


 リュックを背負った直子さんと子供たちと村道を歩く。村人の庭先にある梅の花が赤や白の花を咲かせていた。どこからきたのか、ウグイスがぴょんぴょんと跳ねるように枝から枝へと渡っている。

 道の途中に桜の木もあるけれど、すでにつぼみが出てきているものの、まだまだ小さいようだ。今年は例年より少し遅いかもしれないね。


 空はあいにくの曇天だけれど真冬のような寒さはなく、旅立ちには良い日だと思う。

 道ばたには土の黒い色に混じって、若葉の綺麗な緑色が見える。つくしもでてきているようだ。

 冬から春に移りかわるこの時期は、瑞々しい清気に満ちて自分の体が清められていくような感覚になる。


 後ろからは楽しそうな6年生たち。ふざけ合いながら歩いているけれど、まさか受験ということを忘れてないよね。

 隣の直子さんも、久しぶりの東京にどこかうれしそうな様子だった。彼女は子供たちを送り届けた後、5日ほどお休みとして東京のご実家に留まり、13日の列車で帰ってくる予定になっている。


 男の子が道ばたの雪をすくい上げて、小さな雪玉を作り、女の子めがけて投げつけた。笑いながらそれを手で払いのける女の子。


「ほらほら、濡れるからやめなさい」

と直子さんが注意すると、「はあい」と笑いながら返事をしながら列に戻る。うかれてるなぁと思いながらも、どこかほほ笑ましい。


 やがて村の入り口が見えてきた。

 その脇にぽつんと立っている「松守村入口」のバス停。

 黒磯駅を発着点として、各村を巡回するバスが日に2本だけくるんだけれど、少し時間が早かったようだ。



「春香先生。ありがとうございました」


 振り向くと、声の主は宮田香代子ちゃんだった。

「ここに来たころは、早く帰りたいとばかり思っていましたけど、今日まで無事に過ごせたのも寮母先生や住職さん、それに村の方々のお陰です」


 気がつくと、他の子たちも私をじっと見つめていた。やだなぁ。今生の別れじゃあるまいしに。


「どういたしまして。――まあ、私は子供が好きなだけだから、気にしないでちょうだいな」

 すると香代子ちゃんはしれっとして、

「知ってました」

「やっぱり? みんなも、これでお別れってわけじゃないんだし、無事に帰ってくるのよ」

「はい!」


 一斉に返事をする子供たちは、いつの間にか大人っぽく見える。不思議なもんだね。


 やがてバスがやってくる。直子さんとハグをして、

「直子さんも気をつけてね」

「ありがとうございます。……お土産持って来ますね」

「ふふ。楽しみにしてる」


 直子さんや子供たちが乗りこみ、目の前で扉が閉まった。窓の向こうにいるみんなに手を振っている。私も手を振り返しながら、少しずつ遠くなっていくバスを見送った。


 ……あ~あ、いっちゃった。


 そんな寂しさを抱えながら清玄寺に向かって歩いていると、本堂前の方から賑やかなこえが聞こえてきた。


「鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ!」

「鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ!」


 山門をくぐると、前広場で子供たちがぐるっと円を描き、その中央で法衣姿の恵海さんが目隠しをして鬼役をやっていた。

 その口元がニッコリと笑みを浮かべている。

「ははは! まてぇ~」


「鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ!」

「鬼さん、こちら、手の鳴るほうへ!」


 逃げ惑う子供たちがキャッキャッ言いながら走り回っている。その向こう。本堂の正面階段では、先生や美子さん、安恵さんが腰掛けて、楽しそうに恵海さんを見ている。


 子供たちにとっても、今まで一緒にいた人が8人もいなくなるわけで、寂しさもあるだろう。ああやって子供たちと遊ぶなんて、これも恵海さんの思いやりなんだろうな。


 さて6年生がいなくなり、新隊長に5年生の大石政重くんが任命された。一番上のお兄さん、お姉さんがいなくなり、どことなく学寮に寂しさが漂っている。

 夜の点呼を終えた後は、宿直ではないので離れに戻ることにして、美子さんと安恵さんにお休みの挨拶をした。


 直子さんも行ってしまったから、今日から宿直も2日に1度となる。帰ってくるまでの話だけれど、子供たちも慣れてきているし、まあ問題もないだろう。



 昨年12月の東海地震につづき、およそ1ヶ月後の1月13日にも東海地方を大きな地震が襲った。

 その2日後には伊勢神宮に空襲があり、各紙とも憤激に満ちた論調の記事が躍っていたっけ。2月には本土上陸に備えて全国に軍管区ができ、決戦体制が整いつつある。

 小笠原諸島の硫黄島いおうとうでは、日米の激しい戦いが始まっているようだ。


 終戦は8月ってことは記憶にあるけれど、それでも早く講和を、早く講和をと願わずにはいられない。なぜグズグズしているのか。その理由はどこにあるんだろうか。


 気になるのは、工場で欠勤者が増えているという記事が見られるようになったことだ。空襲に備えて地下に工場を移していると噂で聞くが、環境が甚だしく悪くなっているんじゃないだろうか。


 2月16日には、初めての空襲警報けいほうが村にも鳴り響いた。ラジオからは軍管区情報として迫り来る爆撃機の情報が流れ、初めての防空壕に子供たちも不安げな様子だった。

 幸いにも村にはこなかったけれど、宇都宮の清原にある陸軍飛行場が爆撃にったと聞く。宇都宮上空では、陸軍の戦闘機・疾風はやてが空中戦を繰り広げたらしい。



 離れの部屋に入り、さっそく布団を敷いて電気を消し横になる。

 今朝までいたはずの子供たちが行ってしまった。まるで娘の碧霞が嫁いでいったときのような寂しさを感じる。巣立ちを見送る親の気持ちとでも言えばわかるだろうか。


 どんな時代であっても、子供はやがて大人になる。あの子たちの受験が上手く行くことを祈っておきたい。


 私は夏樹枕に顔を埋めながら、そっと目を閉じた。



 それから3日が経ち、寂しさも普段の忙しさに紛れて薄れていった頃。朝起きた私の元に、役場から学童の係の川津さんが飛び込んできた。


 ――3月10日午前0時、東京大空襲。



「うそでしょ?」


 尋ね返すも、川津さんは首を横に振るだけ。

 悲痛な表情の大人組。子供たちには不安にさせるから、まだ連絡はしていないという。


 胸の奥がずぅんと重くなっていく。気持ち悪くなってきた。

 誤報だと信じたい。けれど、みんなの様子を見ると……。


 大空襲? なんで? どうして? よりによってこのタイミングで。


 直子さんと6年生の子供たちの顔が思い浮かぶ。火の海となった東京で、逃げ惑う皆の姿を想像してしまう。嫌だ。そんなのは嫌だ。


「……美子よしこさん」

「はい」

「しばらく私の代わりに寮母をお願いします。場合によっては香織ちゃんも助っ人にお願いして下さい」

「御仏使さま?」

「私は――、東京に行きます」


 途端に「えっ」と驚きの声を挙げるみんなが私を見つめる。

 辛い光景が待っているかもしれない。でもね。手が届くところならば、かけつけて1人でも助けに行きたい。どうなっているのか、もう待ち続けるのはゴメンなんだ。


 後のことは任せますと一言いって、私は蔵へ向かう。すぐに準備を。一刻も早く東京へ行こう――。

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