第64話 地下世界41-1

「こりゃ本当に良い眺めだな」




枠に多数の装飾の施された窓から外を眺めると宙を多くの明かりが漂っていた。


元々設置された光源に加え、バルーン自体が発光しているせいで薄暗い宙が幻想的に見えている。




街を管理しているエルフ達に特別なコネでもあるのか、ハーフリングであるケラニア結族が経営している宿にも関わらずこの建物に並ぶ高さの建物は他にない。


そのおかげで遠くまで見渡せ、景色の良さを助長していた。




『サント・パウ』で舌鼓を打つ至福の一時の後、俺たちはフラーラに紹介されたこの街有数の宿『バン・ファイアー』で羽を休めていた。




「やっぱり宿業を専門にしているだけあって違うね。ベットの柔らかさに照明の位置、空調、何をとっても快適だね」




ココがキングサイズのベットをコロコロと転がりながら言った。




思い出すのはつい先日の洞窟内宿場でのひと時や、ポーカー邸を襲う際に緊張感を多少なりともほぐしてくれたミガルドの手配してくれた宿。


その後の予定に縛られずケラニア結族の宿でまったりと過ごしたのは今回が初めてだ。




「本当にフラーラさんに紹介してもらってよかったですね。部屋はもちろん、サービスがすごいです。質素倹約が美徳のセントラルシティじゃ一生、味わえないところでしたよ」




リナが濡れた髪をタオルで拭きながら銀色の球体、外装骨格を伴って奥の部屋からやってくる。


朝からシャワーを浴びていたようだ。




「特に昨日のマッサージとエステ、まさに夢心地でした……起きてからずっと身体の調子も良いですし」




よほど良い経験だったのかリナは手を止めてうっとりとしはじめた。


それも無理からぬことかもしれない。


俺も同じものを一緒に受けたが、あれなら高い料金だろうがもう一度受けたいと思わせるだけの魅力があった。




きっとあのサービスも紹介がなければ利用できない類のものだろう。




この宿、部屋のグレードで料金はまちまちだが最高レベルの部屋になると値段もそこそこ。


少なくともただの市井の人間では泊まることはできない。


今後の出費を考えると、所謂お友達価格でなければ俺たちだって泊まろうとは思わなっただろう。




今まで使ってた『幸運のよつば亭』もハーフリングの主人が営む宿だがあれは結族とは無縁の安宿だ。値段相応にベッドが固い。




「あんまり借りを作るのも怖いけどな」


「同感……この部屋は気に入ったけど……」




よほど気持ちいいのか、寝起きの良いココには珍しく何時までも布団に包まり何度も枕に顔を埋めて居る。




「なんだかお二人とも異常に借りを作ることを恐れていますよね。借りってとらずに親切心って考えれば良いのに」


「残念ながらそうもいかないな。フラーラだけなら親切心で済むが、その上司ミガルドはそうは思わない。その時は貸し借りって考えでなくとも、必ずいつか最悪のタイミングで相手は貸しのことを思い出して頼りにされたりするのさ。だからリナも個人同士の関係の時も気を付けたほうがいい」


「……うーん、そういうものですか」




反応から見るにいまいち、リナは納得していない。


だが、いつかそういう体験をすれば嫌でも分かる。


痛い目見るのは彼女自身だ。




「ねぇ~スバル。家買ったらこのベッドと布団と枕、一式で揃えようよ~。みんなでお金出し合ってさ~」




ココが柄にもなく猫なで声でおねだりをしはじめた。


長い付き合いだが、彼女のこんな声を聴くのは人生で初めてかもしれない。


少しだけ心が揺れるが、値段を勘定してすぐに正気にひた戻る。




「……馬鹿言うな、どこの芸術家の作品だか知らんがこんなに意匠をこらされたら値段も天井知らずだぞ。欲しけりゃ自分で買ってくれ」




金持ちはこの世界に巨万といる。


一般よりも稼ぎの良い俺たちだが、上には上、それもポーカーのような寝ているだけで金が入ってくるような天井知らずの資産家はどこにでも居る。




俺たちは豪華な家具などレンタル気分で宿の備え付けを使うぐらいが身の丈にあっているのだ。




「……っと、もうこんな時間かさぁ、二人ともそんなまったりしてないでそろそろいくぞ」




ベッドに転がるココは言わずもがな、シャワーしたばかりのリナも当然の如く外に出る準備ができていない。


時間は有限。今日は午後からミスカトニック大学の見学もあるのだ。


無駄になんかできやしない。






第四十一話






「スバル様、フラーラ様より言付けを預かっております」




ロビーに降り外出を告げて部屋のカギを渡そうとした時、受付係に呼び止められた。




「『ミスカトニック大学の見学予定は午後3時からです。2時30分にはバルーンの停泊所に来ておいてください。夕食はまたとっておきのお店を紹介するのでお昼を食べ過ぎないでくださいね』とのことです」




邪魔しないの言葉通り、フラーラは出ずっぱりではないようだ。


彼女自身も休みたくて来ているわけだし、当たり前の話か。




昨日の『サント・パウ』も素晴らしい店だった。


彼女のとっておきの店とやらに思いを馳せつつ、受付係にチップを渡して俺たちはロビーを後にした。








外に出ると昨日の玄関口での喧騒が嘘で有るかのように、道には適度な密度の人しか歩いていない。


宿に来るときも思ったが、この辺りは物の単価が高いだけあって客足もある程度の量で保たれているようだ。




此処は中層地区の高級ブティックの集まる一角、島の中央からほど近い場所だ。


玄関口とは異なり、五月蠅くないだけではなく、石畳の道一つをとっても模様が描かれて居たり、ゴミ一つ落ちて居なかったりと治安や過ごしやすさに雲泥の差がある。




周りを見渡せば物騒な武器の類は一つもなく、冒険者には縁遠いブランド物の服や実用性皆無のカバンなどが売られている。




良いところではあるが店自体にはまるで用はない。




「さて、早速買い物と行こうか……と言っても少し歩くけど」




受付係から聞いた限り、冒険者向けの物品は此処から20分程度先の商業区画だ。


観光がてら歩いていくのが良いだろう。




「うーん、私はちょっと別行動しても良いですかね?」




リナは話ながらもちらちらと服飾屋のショーケースを見ている。


俺は欠片も興味が湧かないが彼女は服に興味があるらしい。




「全然かまわないよ。待ち合わせに遅れなければ」


「はい! 時間はきっちり守ります!」




よほど嬉しいのか、リナは今にも飛び出しそうな勢いだ。


実用性しか重視しない俺にはよくわからないが、リナも年頃の女性なのだろう。




見知らぬ街での一人行動をさせるのは不安でもあるが、そこは自己責任だ。


俺達は子守じゃない。日常生活にまでは責任は持てない。




痛い目に合わないように自衛しなければならないのは自分の責任なのだ。


アイリスで何か月か過ごしたリナにもそれはよくわかっているだろう。




「あ、そうだ! ココさんも一緒にどうですか?」




良い事思いついたと言わんばかりのリナの笑顔に、誘われたココが露骨に嫌な顔をする。




「別にボクは無駄に高いだけの服にはあまり興味ないね。見てよあのヒラヒラ。戦闘になった時に相手に掴まれたらどうするのさ。よほど良い効果が込められてなければ釣り合わないよ」


「マントだってヒラヒラしてるじゃないですか……」


「これは熱や冷気を遮断する力が込められているんだ、あんなのと一緒にしないでよ」


「……勿体ないですよ。ココさんそんなに可愛いのに」


「勿体ないって……必要ないでしょそんな服。リナだって最終的に出歩くには今着ている装備か外装骨格になるんだし使う機会なんて殆どないでしょ」




ココが今着ている革鎧や、リナの着ている革鎧をめんどくさそうに指で示した。




冒険者の装備は特注品やアーティファクト、既製品であっても何らかの効果が付与されていることが多い。


そのため出かけるときは常に同じ服装だ。


無論、毎日身に着ける装備品の手入れや掃除は欠かさないから不潔というわけではないが。




いざとなれば秘術一つで綺麗にもなる。




何にせよ、せっかく良い装備を作ったり手に入れても装備してなかったから殺されましたなんて話、酔った時の笑い話にすらなりゃしない。




だから同じにせざるを得ないのだ。




「それが不満なんです! でもわかってもいるんです」


「だったら……」


「だからこそ、服を見るくらい良いじゃないですか!!」


「いや、ボクは否定してないよ。一人でやればいいじゃない」


「違うんです! たまにはきゃっきゃきゃっきゃと女の子同士であーでもないこーでもないって無意味なショッピングがしたいんです!」


「無意味って……」




ココは呆れた様子を隠そうともせずに言った。




「今までお洒落とか言い出したことなかったでしょ」


「言えるほどの余裕がありませんでしたからね。私、一応これでもセントラルシティでは素朴だけどお洒落で通ってたんですよ? 洞窟の岩肌に隠れるためだからって身に着けているものの大体の色が茶色とか暗い色なんて……うぅ……」


「そんなこと言われても……髪が銀色なんだから別にそれいいじゃん。明るい色じゃん」




意地でも食い下がろうとしているリナをめんどくさがりながらも真面目に対応しているココに思わず微笑ましい気分になってくる。




昔のリナとココの関係だったらココが即座に切り捨てて終わっていたやり取りだ。


これもこの数か月で築かれた信頼関係があってのことなのだろう。




「……じゃあ、最悪スバルさんでもいいです! 付き合ってください!」


「死んでもお断りだ。俺は女じゃないんだ、きゃっきゃうふふだなんて」




暇な時なら付き合ってやらなくもないが、今日は忙しい。


俺だって新しい場所の新しい店には心躍るものがある。


命を預ける装備品はできるだけ慎重に選びたいのだ。




「じゃあやっぱりココさん行きましょう!」




……これは絶対に諦めないな。




「……ココ、リナの相手は任せた。じゃあ後でバルーン乗り場で」




決断したら即行動。


踵を返して背を向ける。




「あ! ちょ! 待ってよスバル!」




聞こえない。




「その大きな耳は飾り!?」




無視だ無視。


俺はそそくさとお洒落な区画から逃げ出した。










その通りには小さな羽が洒落た街灯が等間隔で並べられていた。




「………………」




意図して設計された景観に思わず息をのむ。


エルフ達の好みなのか通りの至る所に樹や草花、動物をモチーフとした装飾が施されていた。


アイリスの雑多な街並みとは違い統一感があり、この通り全体が一つの芸術作品のように見える。


この全てが秘術道具屋だというのだから驚きだ。




道端から覗ける店の主人達も自身が街の一部だと認識しているのか誰もがきっちりと礼服を着こみ、客が店内に居ようが居まいがしゃんと背筋を伸ばしていた。


彼らのプロ意識には頭が下がる思いだ。




しかしその一方で、ショーケースに並ぶ商品は店が誇る秘術道具や武具、アーティファクトの他に観光客向けの可愛げなぬいぐるみや俗なペナントが並べられているのだから何処か可笑しさが込み上げてくる。




商人はやはり金儲けに余念がない。




何処か落ちつた建物の外観がそうさせるのか、通りには飲食街のような下品な客引きはおらず、観光客も玄関口での喧騒が嘘かのように大人しく店を回っている。


此処はミルトリオンの観光の要、多くの秘術道具屋が軒を連ねる中層地区の大通りだ。




バルーンの光も幻想的だが個人的には洗練されたはこの街路のほうが好みかもしれない


大道芸じみた連中がいないのは街の性質なのだろうか。


そのことが街を余計に落ち着いた雰囲気にしている。




軽く幾つかの店の商品を見る限り観光客向けのお土産を除けば同じような道具は見受けられなかった。


これだけの店を見るのは骨が折れそうだ。


それが楽しみでもあるが。




……ただ、このまま店を回って商品を購入するわけにはいかなそうだ。




軒先のかごに並べられたデフォルメされたポニャディングのぬいぐるみを手に取り、顔の高さまで持ち上げ細部を確認する。


視線のみをぬいぐるみに向け嗅覚など残りの感覚を背後に向ける。




……つけられている。


ずっと同じ匂いが一定の距離を保って俺に追従してきている。


害を成そうという敵意こそ感じないが理由がわからない。




いったい俺に何の用だ。




直接、お話に行っても良いが、もしかするとアイリスにあるようなただの新参者観察の可能性もある。


長居するつもりのない街でそういった現地の勢力とめんどうを起こすのは不本意だが、あまり舐められるのも問題だ。




……仕方ない。


後日じっくり見る店の目星もつけたし、適当に挨拶して待ち合わせ前に撒いてしまおう。




簡単な秘術の宝石を補充した店の主人から聞いた極上のティラミスが食べれるという店に向けて足を動かす。


この秘術道具街にも足休めのためのカフェがいくつか設置されているらしい。




少し歩くと目的の店の入り口を見つけた。


その地下への入口は簡素な装飾が施されているだけでケーキの描かれた小さな看板がなければカフェだとは気が付かないだろう。




秘術に関連する道具のみを扱うという街のイメージや街の景観自体を壊さないために、こういった飲食系の店は地下に作られているそうだ。




浮いた島の地下を繰り抜くなんて俺には恐ろしいことに思えてならないが、街を運営するエルフにもきっと考えがあるのだろう。


……なんらかの拍子に浮力を失ったらどうするというんだろうか。




雑念を振り払い、においが付いてきているのを確認して俺は地下に足を踏み入れた。




階段を降りると、給仕の格好をした壮年のエルフが扉を開けて出迎えてくれる。


彼が開けてくれた木の扉にも大樹の彫刻が施されていた。


こんな細部にまで拘るなんてエルフの芸術意識はすさまじい。




「いらっしゃいませお客様。今はちょうど店自慢の吟遊詩人の唄がはじまったばかりです」




店内は入口に反して広く、テーブルやカウンター、催しをするためのステージまである。


食事時を過ぎたせいか客は疎らだ。




ステージでは若いエルフがリュートを鳴らしながら唄を披露している。


悠久の国に語り継がれるエルフの英雄の話のようだ。




唄にも興味は湧くが本来の目的を忘れてはならない。


ステージ付近の席を諦め、カウンターまで進み腰をかける。


入口には背を向けている。




さて、追跡者達はどう出るだろうか。


この店の中まで追跡者が来れば正体を見れるし、来なければ彼らを撒くのは容易いことになる。




どう転んでも悪いうようにはならない。




「ご注文は何になさいますか?」




若い男性エルフのバーテンダーが唄の邪魔にならぬよう小さな声で話かけてくる。


カウンターの中を見る限りエールはないがカクテルの類は飲めるようだ。




「この店のティラミスが評判だと聞いてね。それを頂けるかな? それと……そうだな、それに合うお酒を頂こうか」




彼に答えてこちらも小声で返す。




「畏まりました」




それから十分ほど、ティラミスの美味しさに感動したり、バーテンダーにティラミスのお持ち帰りを断られたり、唄に聞いたりとしているが連中は現れない。




まぁ、このティラミスを食べられただけでもこの店に来た意味はあった。




これ以上動きがないようなら早々に撒いてしまうかと考えた時、件の匂いが近づいてくるのを感じた。


ようやくお出ましのようだ。




足音からして二人、そして音から類推するにおそらくは男性の二人組。


身長も低いわけではなさそうだ。


高い確率でエルフの二人組だな。




壮年のエルフが彼らを招き入れた。




直接見るわけにもいかないのでタイミングよく佳境に入ったバードのを唄を利用して、ステージに身体を向け、視界の端で彼らの姿を捉える。


絶対に視線や意識は向けない。




気取られる危険性がある。




彼らは予想通りエルフの二人組の男だった。


身形や立ち振る舞いからは粗暴な連中や冒険者の類には見えない。




彼らは入口近くのテーブル席に腰を下ろす。


何やら唇は動いているが防音対策をしているのか二人の会話は聞こえてはこない。




何事も起こらないまま、時が過ぎ、バードの素晴らしい演奏が終わった。


バードが退場しても二人組はまるで友人同士がただ談笑してるかのように振る舞い、何もしてこない。




話しやすい場を作ったにも関わらず向こうからのアクションがないということはめんどくさい事に新参者の様子を見に来た、というわけじゃなさそうだ。


新参者観察なら実力把握のためにこういった状況なら会話を仕掛けてくるなり、なんらかのトラブルを起こすなりしてこちらの出方を窺うはずだ。




……本当になんでつけられているのかわからないな。




この街に来て俺はまだ二日目だぞ。




彼らが俺を追跡する理由がいくつか潰れたところで、そろそろフラーラ達との待ち合わせに向かわねば間に合わない時間になってしまった。




目的も分からず着けられて、このまま何もせずに彼らを帰すのは癪だ。


最後に気が付いていることを知らせて消えることにしよう。




「すまないが、俺がトイレに入って少し経ったら入口の二人組にティラミスと……プレリュード・フィズをそれぞれ頼めるかな」


「畏まりました」




此方も彼らに倣い、彼らに聞こえないように秘術で細工してからバーテンに頼みごとをする。


彼はカクテル名を聞いて少し笑い、了承してくれた。


頭を下げて代金よりもかなり多めに金貨を置き、自然な動作でトイレに向かう。




扉を閉めた瞬間に宝石を取り出し、秘術を詠唱する。




「≪幻の操り人形≫≪攪乱工作≫(ディスラプティング・ワーク)」




≪幻の操り人形≫を自身にかけ、自らの現身を作る。


自身の幻を作りその幻を通して視界共有や会話することすら可能なこの秘術は今の状況ではうってつけだ。


右目を幻の視界とリンクさせる。


対人でしかあまり使わないこの呪文を使うのはリナを助けた時以来だろうか。




さらにその秘術に幻であることが露見してしまう時間を遅らせるための秘術、≪攪乱工作≫を重ね掛けする。


これは最近仕入れた新しい秘術だ。


金回りのよくなった今だから使える呪文の一つでもある。




携行袋から『透明化ポーション』を取り出し嚥下する。




「≪攪乱工作≫」




同様に露見防止の秘術を重ねがけする。


意図的に呼吸の仕方を変え、自身の気配を薄める。




準備はできた。


これで今いる二人組程度の実力ならば数分は事態が露見することはないだろう。




自身で操る幻と重なる様にトイレの扉を開ける。


傍目から見ればなんの異常もないはずだ。




幻に続いてトイレから出て音もなく入口へと向かう。




秘術で生み出された幻がカウンターに座った。




俺本体は焦らずに進み、入口へとたどり着いた。


扉は閉ざされているが問題はない。




耳で拾っていた足音がすでに扉の前に控えている。




「いらっしゃいませお客様、生憎と吟遊詩人の演奏は終わってしまいましたが当店自慢の焼きチーズケーキが焼ける頃です。是非、焼きたてを召し上がってください」




想定通り扉が開き、新たな客が入ってくる。


俺は隙間に身体を滑り込ませ、店から脱出する。




やはり、追跡者は気づいておらず、何も行動を起こそうとはしていない。




「また、よろしくお願いします」




目と鼻の先にいるせいで、幻であることに気が付いたバーテンが幻に向かって話しかけてきたようだ。


音声をリンクし返事を返す。




「あぁ、滞在中に是非また来させてもらうよ。次回は焼きチーズケーキとやらも頂きたいね」




彼はティラミス二つとカクテル二つを見せるように掲げ、その後、軽くお辞儀をした。


きっとこれからあの二人組に届けてくれるのだろう。




こうして俺は二人組に気づかれることなく、その場から立ち去った。








屋根の上から跳び下り、音もなく着地する。


二階建て程度の高さであれば足を獣化させるだけで事足りるのだ。




少しの遠回りをしたせいで、約束の時間よりも若干遅れてしまっていた。


待ち合わせ場所にはすでに全員が集合している。




「やぁ、ちょっと遅れちまったかな?」


「いえ、大丈夫です。時間に余裕はもたせていますから」


「それを聞いて安心した。君の名前で予約してるのに遅れたら顔を潰すことになっちゃうからな」


「でもゆっくりしている時間もありませんので、私は操縦士の方を連れてきますね」




フラーラを見送りつつ聴覚と嗅覚を研ぎ澄ましてバルーン乗り場周辺を探る。


追手と思われる気配はない。


完全に撒いたようだ。




つけていた連中の実力はさしたるものではなかったようだし、もしかするとようやくあの店に俺がいないことに気付いた程度かもしれない。




視界共有ができる範囲から外れたせいで幻の制御ができていない今、明らかに幻の動作はおかしいはずだ。それに、もうそろそろ幻は効果時間が切れ、消える。


これでも気づいていなかったら追跡者の目は節穴が過ぎる。




「スバルさん! 時間に遅れちゃだめですよ!」




周りを探っている横でリナがハイテンションで小躍りしている。




「ご機嫌だな……」


「はい! とっても楽しかったです!」




彼女の元気度数の跳ね上がりがなんだか怖い。


リナを軽くあしらっていると、左半身に強烈な視線を感じた。


いや、この場所に来てからずっと感じでいた。




「………………」


「なんだココ。そんな目をして」




視線の正体は無論、ココだ。


虚ろな眼差しで俺を力なく睨む様はかなり不気味だ。


申し訳ないことをしたと思う反面、俺でなくてよかったという思いがこみ上げてくる。




「……ふりふりを着させられたんだ」


「はぁ?」




ふりふり?


ふりふり……ふりふり? ……ふりふりっ!


まさか……。




「わかるかな? ボクのあの時の心境。着せ替え人形って言うのかな?」


「に、逃げればよかったんじゃ……」


「にげる? スバルが逃げたせいで警戒度数が上がったみたいでね。逃げようにも忌々しい外装骨格が複数に分裂してずっとボクを見張ってるんだ。忠犬ここに極まれりだね。ははは」




乾いた笑いを繰り出すココの後ろで、リナは満足げに虚空を見上げている。




「何軒回ったと思う?」


「さ、さぁ?」


「全部だよ全部」




マジかよ。




「あぁ、辛かったなぁ……スバルのこと信じてたのになぁ……」




虚ろだったココの目が、俺への怒りを口にするごとにどんどん生気が宿っていく。




「今日、スバルがボクを見捨てたこと。絶対に忘れないから」


「………………」




ココが睨み、リナは小躍り。


俺はココをここまで疲弊させたリナを化け物を見るような目で見つめる。




収集つかない空気の中、救世主フラーラが昨日と同じ操縦士を伴ってやってきた。


彼女は空気を無視して端的に告げる。




「さぁ、皆さんミスカトニック大学に行きましょうか!」




バルーンに乗っている間、ずっとココに睨まれた。


くそ、追跡者について話そうと思ったのに。

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