第63話 地下世界40-2

フラーラが操縦士に金貨数枚を渡した。


意図を理解したのか彼は軽く頷き籠の側面を開く。




操縦士に促されて四角い乗り物に乗り込んだ。


材質は木の蔓か何かだろうか。丁寧に編み込まれているおかげで隙間もなく全員が乗っても軋む音一つあげはしない。


操縦士が手で動作を行うと上の球体が淡く輝き、籠がゆっくりと浮かび上がった。




リナの目にはバルーンが頼りなく見えているのか、いつでも外装骨格を纏えるよう、平時よりも銀色の球体が近い位置にいる。




かくいう俺も手甲内にある≪飛行≫の秘術を宿した宝石に意識を傾けている。




「リナ、そんなにおびえなくてもいいんじゃない?」




揶揄うようにココがリナへと笑いかける。


しかしココ俺は気づいているぞ。


お前もひっそりと意識を宝石に向けているじゃないか。


長い付き合いの俺にはばれている。




「安心くださいリナさん。バルーンの周りには不可視の膜が張られているので滅多に落ちることはありませんよ」


「けど、なんとなく警戒しちゃいます……」




リナの手が籠のふちをより一層握りしめた。


そんな俺たちの様子を見てフラーラは可笑しそうに微笑んでいる。


安全なのだろうが、備えることは必要なのだ。高所からの落下死なぞ目も当てられない。




そうこうしているうちにバルーンは高度を上げ前へと進み始めた。


最初の遅さは初めての人間を考慮してのことだったのか今では上昇速度、進行速度共に申し分ない。




秘術で飛ぶとしたらたった銀貨11枚程度では人は運べない。


宝石はそれほど高価なものだ。


そう考えるとバルーンは使い捨ての秘術ではなく使用回数が一定時間で回復するリチャージ式の道具なのだろうか。




「今、このすぐ下に見えるのがミルトリオンの大動脈、メインストリートです。この道はこの街のあらゆる場所に続いています」




操縦士の言葉に釣られて、地面を見下ろしてみる。


今の高度は地面よりは随分と高いが、浮島よりは低い位置だ。真ん中の浮島にすら届かない。


ミルトリオンの建物の高さはアイリスとほぼ同じらしい。




「一般的には先ほど乗船していただいた地区、浮島の影にならない下層部を総称して『ミルトリオン・エントランス』、真ん中の島は『アストラル・カマーシャル』、最上部にある島はミスカトニック大学にちなんで『セントラル・ミスカトニック』、浮島の影になっている最下層部を『アンダー・ミルトリオン』と呼んでいます。それぞれ略して円周地区、中層地区、上層地区、最下層地区なんて呼ばれたりもしますね」


「ちなみに私は中層地区の端のほう出身です」




操縦者の説明に補足してフラーラが付け加えた。


説明を聞く限り彼女は中々いい所の出のようだ。




アイリスと違って強い光を放つ天然ものの宙の光球がないせいでミルトリオンは全体的に薄暗い。


宙自体には幾つかの秘術で作られたと思われる人工的な光こそ設置されているが、特に浮島の直下は常に暗く弱い光が灯っている程度のようだ。




人の流れを上から見る限り、入ってきた入り口とは反対側に行きたいときは中層地区を経由していくのが一般的らしい。


最下層地区を通り抜けて行った方が近いように見えるが観光客はあまり利用しないようだ。




「最下層地区に興味がおありですか? あそこは賭博場など歓楽街が中心で治安はあまり良くありません。特別な用事がない限りはあまり近づかないほうがよろしいかと思いますが……」




なんとなしに眺めていると操縦士が小さな声で忠告をくれる。


そして、俺を上から下まで眺めて一言。




「お客様なら大丈夫そうですね。ただあちらのお嬢様方には刺激が強すぎるかもしれませんが」


「……アドバイスありがとう。行く機会があれば気を付けることにする」




幸いなことに今の会話は他の面子には聞かれていなかったらしい。


ココやリナはもとより、生まれ育ったはずのフラーラまで街の景色に集中している。




「アイリスよりも随分と人が多いんですね……」


「おや? 皆様はアイリスからいらっしゃったんですか?」




バルーンを操縦しながらも操縦士は俺達に気を配り、リナの独り言やちょっとした態度にまで反応を返してくれる。


フラーラが態々この操縦士を選んでくれただけのことはありかなり優秀なのだろう。




「はい。転送屋の方に運んでいただいてきたばっかりです」


「そうでしたか。アイリスの方でしたか。彼の街は白龍の居城ですからあまり物見遊山の方が訪れないのかもしれませんね」




壮年の操縦士は穏やかに話ながらも巧みにバルーンを操り、他のバルーンなどに当たらないよう高度を上げていく。




「白龍さんが原因なんですか?」


「はい。アイリスには白龍がいらっしゃいますでしょう? もちろんそれによる加護もあるかと思いますが、逆にそれが要因になって観光の方はあまり訪れないでしょうね」




気が付けばバルーンは間もなく真ん中の島『アストラル・カマーシャル』へと差し掛かった。


もう、間もなく目の前の島よりも高度が高くなるだろう。




「神格にも匹敵すると言われている古代の龍の怒りにいつ如何なるときに触れてしまうかはわかりません。ついこの間も2対の龍が街中で暴れたという話です。これからさらに観光を目的にした方や買い物を目的にした方は減っていくと思いますね」




アイリスは正しく冒険者の街だ。


街自体がその他の街に比べ地底に近く、デーモンの類や他の厄介な連中の目に止まりやすい。


無論、その危険に見合うだけの報酬や名声は得られる。


ある意味でチャンスに満ちている街でもあるのだ。




「この島は『アストラル・カマーシャル』、中層地区です。最下層地区に比べれば格段に治安が良く過ごしやすいところです。中央の大広場から向かって東から時計回りに商業、行政、住宅地、工業地区になっています。それぞれの区画で下層から接続している橋には関所も設けられていて観光客の方々の安全はある程度担保されていますね」




上から見える建築物や街並みは最下層とは比べ物にならないほど綺麗だ。


退廃的な街並みも悪くはないがやはり清潔感のある街並みの方が心地良いのは間違いない。




「目的の場所『サント・パウ』は中層地区の東にありますが、今日は特別コースですので少し遠回りを致しましょう」




操縦士が良い笑顔を浮かべてバルーンを操作し始める。




「次はいよいよ、この街の代名詞、ミスカトニック大学の上からの見学です。ミスカトニック大学内部の観覧は予約制ですのでご希望でしたら先にアポイントを取ることをオススメ致します。それでは、少し速度を上げますので心配でしたら何かに掴まっていてください」




彼はそう警告するが速度が上がっても乗り物が大きく揺れることはなかった。


周りの膜に守られているお陰か彼が熟練の操縦をみせているのは定かではないが、風も速度の割にそよ風程度にしか感じない。




バルーンはみるみるうちに上層地区へと近づいていく。




「これ、アイリスにもあれば良かったのに。絶対便利ですよ」


「それは難しいんじゃない? セントラルシティへの柱がいくつもの建ってるし、必要以上に上の街に近づくのは白龍が嫌がりそうだよ」




リナが最もなことを呟いたがココに即座に否定される。




「……う~ん、そうですか。じゃあ、せめてこの街のバルーンの搭乗口がもっと近くなったりしませんかね? 玄関口から結構歩いて距離があるのが玉に瑕です。あんなすごい人混みを避けて歩くのは大変なので入口からすぐの所に作ってくれればいいのに。その方が売り上げも絶対上がると思うんですよね」


「リ、リナさん……」




リナは育ってきた環境の差のせいか時折、一般的な人が触れない暗黙の了解に疑問を投げかける。


操縦士は涼しい顔をしているがフラーラは少し焦った顔をしている。




「リナさん。入口にあるとどうなると思いますか?」


「普通に便利になるだけかと思います」


「もう正解を言っちゃいますけど、奥にあれば必ず屋台のある道を通りますよね?」




フラーラの講義を受けているリナが素直に頷いた。




「今の状態だとバルーンを利用するようなお金を持っている人も通ります。そうすると匂いに誘われて買い食いをする、なんてこともあるかもしれません。いえ、往々にしてあるでしょう。これがもし、今と逆で入口からすぐにバルーンがあったらどうなりますか?」


「……なるほど、屋台の利用客は減っちゃいますね」




リナが即座に納得した顔をして答えを出した。


彼女はずっとセントラルシティに住んでいたせいでこちらの事情にはかなり疎いが頭は決して悪くはないのだ。




ありえないことだが、もし、仮にいつか俺やココがセントラルシティに行くことがあったら今度は俺達が世間知らずみたいな状態になってしまうのだろうか。


……いや、本当にありえない仮定だ。考えるだけ無駄な事だな。




考え事をしている間に、リナはフラーラから更に講義を受け世界について更に理解を深め、バルーンは遂に上層地区へとたどり着いた。




「さぁ、此処がお待ちかねの上層地区、かの有名な『ミスカトニック大学』がある浮島です」




操縦士が誇らしげに手を広げ、街並みを俺達に示した。




ミスカトニック大学が代名詞である島なだけに、島の殆どが大学の敷地内のようだ。


島の淵を一周するように壁が設けられており、研究をするために必要なのか煙突のついた本格的な工房のみたいな見た目の建物だ幾つも見受けられる。


それどころか、植物を栽培するたハウスや、大学専用の住居と思われる建物まで見受けられる。




全ての建造物は無作為に増築が繰り返されているのか上へ上へと不規則に伸びており、決まった区画や揃った街並みというのも存在せず、あらゆる建物が乱立していた。


頂上付近で二つの別の建物がくっついてしまっているものまである始末だ。




その無造作に作り上げられた建物群は、まるで大学が設立されて以来蓄えられ続けた知識の積層を示しているかのようだ。




「これは……なんというか、圧巻だな」




街自体は人が何人も忙しそうに行き交ってはいるが、市場のような喧噪はない。


けれども活気に満ちていないというわけではなく、遠目で見てわかるほど人々の目には強い意志があり、何かを成し遂げようという種類の違う別の活力に満ちているのが理解できた。




「別の街に聞こえてくるほどの研究機関だ。そりゃ大学にいる連中は一味違うか」


「大学を卒業した多くの生徒はそのまま研究室に在籍して大学に残ります。中には実地を重んじる方もいるそうですが大体の方は上層地区で大半の時を過ごすみたいですね」




俺の独り言に気が付いたフラーラが丁寧に補足をいれてくれる。


彼らの作る最先端の秘術道具、あるいは秘術はきっと俺達の冒険に役立つものがあるだろう。




「彼らの作品はいったい何時俺達の元に回ってくるんだろうな……」


「だれもがお金や名声に興味があるわけではないので、一般には広まらない物も多いでしょうね。最近ではサイオニックの研究で進歩があったそうですがその研究の中身は広まってはいませんし」




フラーラが残念そうに目を細めて街を見回した。




「なんとか彼らと接点を作って研究の成果を使わせてもらうことはできないのか?」


「もちろんできますよ。研究は時に多額の資金が必要になります。それを用意できない方も


多いですからね」


「やっぱりそういう制度はあるのか。しかし、どうやって大学に通うあんな大人数から目的の研究を探し出すんだ?」




俺はバルーンの淵から下で忙しそうに歩き回っている研究者たちを指さした。


フラーラはまってましたと言わんばかりの笑みで得意気に答えた。




「そのための見学予約です。大学に入学することが目的なのか、それとも出資が目的なのかがまず最初に聞かれます。もし出資が目的なら出資を必要としている一覧表と研究の概要が大学に入るときに渡されます。それを元に直接会って条件を決めて融資するんです」




学校をあげてパトロン制度が推奨されているようだ。


如何に高名な大学とはいえ資金に限りはあるから全ての可能性を実験させるには賢い選択なのかもしれない。




「なかには自分から売り込んでくる人もいるそうですよ」




俄然興味が湧いてくる。




「さっそく見学を……っとそうだった」




言いかけて自分で思い出す。確かこの場所を見学するには予約が必要だったはずだ。




「フラーラ、見学を予約するのはどうすればいいんだ?」


「いまからですと1ヶ月後くらいですかね……」


「そんなにかかるのか!?」


「最先端の知識が集まる場所ですから警備の関係上、無制限に受け入れるわけにはいかないみたいですからね」




残念だ。是非見学したかったが今回は諦めよう。


次の機会だ。


転送サービスはある程度使えるようになったのだからまた来ればいい。




「ふふふ。そんなに落ち込まないでください」




次に来るときの予定を考えているとフラーラが小さな胸を反らして胸を叩いた。




「実は今まで黙っていましたがすでに予約は取っておきました」


「……昨日の今日だぞ?」


「ミルトリオン出身者を舐めないでください。この大学には多少コネがあるので流石に今日は無理でしたが、明日ならばっちり予約できましたよ」


「有難いがあとが怖いな……」




俺の心配を余所にフラーラが柔らかく笑った。




「別に貸しになんてしませんよ。最近よく結族の仕事を手伝ってくれたお礼です」


「……じゃあ有難く受け取るよ。明日はよろしく」




怖くはあるが本当にありがたい話だ。


これから装備品に、家に、と出費が嵩むがこちらもきっと必要な投資だ。




「ーーーーあの中心の極端に歪な建物が大学の中心、ミスカトニック大学図書館です。ざっとですが紹介はこんな感じですね」




金勘定を脳内でしていると、操縦士の声がようやく頭に入ってくる。


フラーラと二人で話している間に操縦士の街説明は終わってしまったらしい。




リナとココも大学に興味が湧いたようで見学予約の取り方を操縦士に聞いている。


そこにフラーラ後ろから会話に割り込み、先程と同じように胸を反らして見学予約済みを伝える。




話し込む三人を見て操縦士が微笑みながら穏やかに告げた。




「それでは最後に街の上を一周して、レストラン『サン・パウロ』に向かいましょうか。積もる話には美味しい食事と美味しいお酒が必要不可欠です」




さぁ、ようやく飯の時間だ。


先のことは腹が膨れてから考えよう。


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