第55話 地下世界36-3
リナが俺やレイナール達に視線を移した後、一歩前に歩み出る。
黒龍を警戒しているのか勝手に動いているのか、外装骨格が黒龍とリナの間で左右にふらふらと浮かんでいる。
「私でお願いします」
「〈願い〉は何だ?」
「ひとつ確認したいのですが、願いは物とかじゃなくても良いのでしょうか?」
「……内容によるだろうな」
束の間の躊躇いの後、リナは意を決して願いを口にした。
「私は……私は地上に至る方法が知りたいです。知り合いは口を揃えて地上に出た人間はいないと言います。それどころか出る方法すら存在しないと言ってるほどです」
彼女の声は自信満々とは言い難く声量はあまり大きくはない。
「今まで誰一人地上を拝むなんてことを成し遂げたことがないそうです」
しかし、黒龍を真っ直ぐ見つめ紡がれるその言葉に込められた決意は生半可なものではない。
リナは唯一無二の貴重なチャンスを夢のために使うらしい。
ゴブリンの巣で宣言した地上を見たいという彼女の夢は自分さえも誤魔化す嘘の類ではなかったようだ。
「酒場でこんな与太話をしようものなら周りの客に向こう一時間は酒の肴にされてしまいます。だけど……だけど、私は見てみたい。地上を空を、太陽を、月を真っ直ぐ見てみたいんです」
酒場で情報を集めようとしたのか笑われたことに対する若干のいら立ちをリナは顔に滲ませている。
俺のあずかり知らぬところで独自に情報も集めようとしていたようだ。
人の知り得ない知識を有するであろう龍にこの質問をするのはもしかすると彼女の描く夢への近道なのかもしれない。
「だから……地上に至る方法があるなら教えてもらいたいです」
思いの丈を語り終えたリナは静かに黒龍の言葉を待つ。
黒龍は即答することなく大きな瞳でリナを見据え、やがて深く息を吸い込みおもむろに切り出した。
「……知識は金貨や宝石、何物にも劣らぬ至高の財。『ーーーーーー』を助けた見返りに望むに足る貴重なものだ」
黒龍の穏やかで真剣な口ぶりにずっとじゃれついていたミスティも動きを止め、傍らで大人しくし始める。
「地上か、久しく私も空に翼を広げてはいないな……知識が如何に価値あるものとはいえ、恩あるお前には譲ることは厭わない。だが、残念なことに私もこの枠組みの外にある世界へと至る術、至る方法を掴んではいない」
「そんな……」
人を遥かに超える見識を持つ龍ですら至る術がないという絶望的な事実を伝えられ、リナが言葉を失った。
俺も驚いている。
難しい事柄だとは思ったが、あの湧き出るような力を簡単に俺やリナに貸せるほどの実力を持つ黒龍ですら難しいと言っている。
簡単に協力するなどとリナに言ったが早計だったかもしれない。
「私は世界の穴を超え、天使や忌々しいデーモン同様こちらにやってきた異界からの来訪者だ。もといた世界の地上は知っているがこちらの地上の事は正しく理解してはいない。こちらの世界の成り立ちを知らぬ私には、この世界の形を正しく知ることはできないだろう。故にこの枠組みからの脱出を私の力でさせることは難しい」
悪魔や天使、龍などが異界からやってきた存在というのは子供でも知っている事実。
よくよく考えれば地上に出る方法があるなら一部の例外を除いて陰湿で悪意の塊であるデーモンどもがこんな地下の穴倉で大人しくしているというのもおかしな話だ。
事情あっての事だったのか。
悪魔どもが人を殺して回るのも地下に留まり続けなきゃならない鬱憤晴らしの側面もあるかもしれないな。
「この地下の全てを確認したわけではないがこの地下世界は光の膜で覆われている。その膜は今、この時も少しずつ広がり浸食を続けている。その構造は私が理解するにはあまりに異質だ」
光の膜?
俄かには信じられない話だ。
それでも、黒龍が言うのなら事実なのだろう。
少しずつ広がっているというのを信じるなら、いつかその膜は地上に達するかもしれないが、残念なことに俺達の命はそれを悠長に待てるほど長くはない。
「もし、本当にこの地下世界から出て地上へと至りたいのであれば私や悪魔、天使のような来訪者ではなく、元よりこの世界に居続けている者に会わねばならないだろう。彼らなら或いはもしかしたら、答えを知っているやもしれぬ。なれども、この世界に元々いた者たちにとって我々のような来訪者はただの侵略者だ。私と彼らとの関係はとても良好とは言えない」
「………………」
「お前の問いを彼らにしたいというのならば自ら訊ねて行かねばならない。そして、たとえ外に至る方法を知っても私の力では力添えは難しいだろう。我らの操る力とお前たちの操る力は理が違いすぎる。何れにせよ、もし、本気で地上を目指し光の膜の先へと至りたいと願うのならば、それは必ずおまえ自らの手で成さねばならないだろう」
「そう、ですか……わかりました」
黒龍の返答に落ち込んでいるかと心配したが、リナの表情は思いのほか明るい。
漂う銀色の金属球、外装骨格を呼び寄せ胸元でつるつるの表面を撫でる。
そのままリナは笑顔で言った。
「黒龍さんですらわからないことなんて挑戦し甲斐があります。答えを得られなかったのは残念ではありますが、漠然としていた進路がようやく定まってきた気がします」
「定命の身で地上への道に挑むと言うのか」
「はい! 科学を学んだ者として不可能への挑戦は永遠のテーマですから」
リナは笑いながら言い切るが現実は難しい。
挑むも何も黒龍の言う光の膜、世界の端すら見たことない俺達はこの問題のスタートラインすら立っていない状況なのだ。
世界の端に行くには実力から何から全てが足りていない。
まぁ、挑むというからには以前の約束通りある程度の協力はしよう。
口約束でも言ったことには責任がある。
「お前のその志は尊いものだ。だが、その大志を語るにはお前の力はあまりに弱すぎる。私を傷つけたあの鎧を脱いでしまえばお前のその肉体は人と言う点を除いても脆弱が過ぎる。故にお前の望む知識を与えられなかった代わりに、一つの助力を施そう」
黒龍が暗く煌めく翼を広げると大きな魔方陣がリナを中心に焦げた地面に広がった。
その魔方陣は回転し、彼女を中心に徐々に小さなっていく。
リナは害意がないことを知っているためか慌てることなく大人しく黒龍の動きを待っていた。
どんどん小さくなる魔方陣はまるでリナに吸い込まれているようだ。
間もなく魔方陣が完全にリナに飲み込まれ、彼女手の甲に小さな刻印が浮かび上がるった。
「……これは?」
黒龍の鱗と同じ輝きを放つ刻印を見つめて、リナは疑問を口にした。
「その刻印はお前の傷を肩代わりしてくれるものだ。しかし、傷を負わないからと無謀な行動を繰り返してはならない。どんなサイオニックも込められた力を使い果たせばその加護はすぐにでも失われる」
秘術でいうなら≪生命の上乗せ≫(モアスタック・ライフ)か何かに近いサイオニックだろうか。
治癒に属するその秘術は偽りの命を与え、負傷した傷をたちまち癒してくれる。
黒龍の力なら秘術よりもかなり強力な物だと想像できる。
黒龍にとっては瞬きする間に付与できるその刻印も人間世界じゃ垂涎の品であることには間違いない。
そんな貴重な刻印を眺めてリナは言った。
「はい! ありがとうございます! 地上へのヒントをくれるばかりかこんな凄い刻印までくれて! できればこの刻印の力を借りなきゃならない事態にならないのが一番いいんですけどね」
リナが勢い良く頭を下げ、場所を譲る様に後ろに下がった。
レイナール達の相談がなおも続いている現状、次の順番は俺だ。
足を動かし大きな黒龍の正面で立ち止まる。
「次は……お前か」
「あぁ、頼む」
俺の願いは既に決まった。
ココとリナが黒龍と話している間に自ら手に入れるのは困難なあるものが思い浮かんだ。
リナが受け取った刻印もかなり魅力的だが刻印にはどうも苦手意識が生まれてしまっている。
「俺もリナが願ったように俺も知恵を貸してもらいたい」
「お前達は全員が知識を求めるのだな」
「何が貴重なものか彼女達も理解しているんだ。ある意味当然の結果だろうさ」
黒龍が俺達三人を見て鼻で笑う。
「それで、お前の欲する知識とはなんだ?」
「単刀直入に聞く。俺やリナのようなただの人間がサイオニックの力を手に入れる方法はあるか?」
俺の欲する知識はこれ以外にない。
これはサイオニックを扱う存在、それもかなり理解の深い存在にしかできない質問だ。
コボルトのボルトガでは到底答えられない。
秘術手甲に嵌められた宝石を指でなぞる。
以前からサイオニックの有用性や汎用性は常々羨ましいと感じていた。
宝石やスクロールといった秘術媒体を利用せずに自前の力だけであらゆることを成せる力。
戦いに身を置くものとして欲しくないわけがない。
黒龍程の力が手に入るとは思わないがあればそれだけで対応力の幅が大きく広がる。
そんな俺の淡い希望を余所に黒龍は短く、けれどはっきりと答えた。
「不可能だ」
予想していた答えだけに驚きはない。
残念ではあるが。
「……まぁ、仕方がないか。簡単にできるなら先人たちがとっくに試しているだろうしな」
おそらくはどの結族、どの勢力も研究しているテーマの一つだ。
結果が得られることはあまり期待していなかった。
「焦るな。方法がないわけではない。単純にサイオニックは人には扱ぬと言っただけだ」
「ん? 焦るなって言うが言葉通りなら、人には無理って言っているんじゃないのか?」
人には無理なのに焦るな?
何を言っているんだ黒龍は。
「『人』であるならば無理だと言っているんだ」
やけに人を強調して黒龍は言った。
そこまでされては如何に察しが悪くとも想像がついてしまう。
「まさか……」
「そうだ。簡単な道理だ。人に行使できぬ力なら人の理から外れてしまえばいい」
「……簡単に言うが……人から外れるったってどうすりゃいいんだよ」
「そのような研究をした人は遥か昔にいた。彼の者は確かに人ならず者に成り果てた。今、彼の者がどこで何をしているかはあずかり知らぬが、そいつの凶行なら知っている」
黒龍をして凶行と言わしめる、彼の者とやらの行為に言い想像は決してできない。
「そいつは一体、何をしたんだ……?」
「古来より他の者を取り入れる方法は決まっている」
特別感情を込めるでもなく、淡々と黒龍は語った。
「喰ったのだ。サイオニックを扱うものを。彼の者は自らが変わるまで際限なく食べた。肉から、骨、臓物に至る全てのものを。幾度となく数えきれぬほど何年も何十年も」
簡単にして最低の解決策だ。
黒龍の言う彼の者がどれほど喰ったのかわからないが非効率的すぎて眩暈がする。
あまりにも愚直で単純なその方法は頭を捻ってサイオニックを扱うための研究をしている結族には逆に思いつけもしないだろう。
「それも、そこらのコボルトやゴブリン程度の存在ではない。悪魔を龍を長年、そいつは喰らい続けた」
いや、思いついても実行には移さない。
継続的に長期間、高次元の存在を殺し喰らい続けるのは並大抵の実力ではできやしない。
コストと結果が見合わなすぎる。
それだけの敵を殺し続けられるなら、そもそもサイオニックなんぞ必要としないぐらいの強さだ。
「とても理性的とは言えない酷い解決策だな」
「他者を受け入れる方法の真理でもある。なに、お前たちが食していた料理と何も変わらぬよ」
俺のぼやきは即座に否定された。
黒龍の言うことはある種の納得こそできるが肯定はできない。
「……ただ、もしお前も地上を目指す旅を歩むというなら手を出さないほうがいいだろうな。人の理から外れるということはこの世界の法則から離れ我々に近づくということだ。一度為ってしまえば二度とこの世界の枠組みを正しく知ることはできなくなるだろう」
「そう、か。貴重な知識をありがとう。生憎、まだ人を辞めるつもりはないから今回は諦めることにするさ」
「もし、仮にお前の質問が人の身でサイオニックを使えるかという質問ならば、それは否だ。間違ってもただの人の身ではサイオニックは扱えぬ。私がお前たちの持つ脳力を扱えぬようにそういう風にできているのだ」
「……なるほどな。よくわかったよ。助かった。気長に別の方法を見つけることにするよ」
「そうか。お前達は揃いも揃って難題に挑むか。それも面白い。短命なその身体をどう使おうともお前たちの自由だ」
答えは得られたがあまりに現実味がない。
まぁ、元々あればいいね程度の質問だ。
至る方法が得られただけでも御の字だと思おう。
その方法を絶対に実行することはないが。
必要なものもかかる時間も得られる結果も俺の求めるモノとはかけ離れすぎている。
語り終えた黒龍を見れば何か新しい動きをするようなことはなく、すでにレイナールの達の方へと意識を向けているように見える。
俺は質疑は答えをもらったためか、残念なことにリナのような刻印のサービスはないようだ。
心情的に刻印が苦手にはなったがついででくれるなら心良く受け取るというのに。
本当に残念だ。
兎にも角にもこれで俺達三人の願いが終わって後はレイナール達だけなのが……。
「さて、残るはお前たちか。お前たちの願いはなんだ」
一塊になっていた三人を代表してレイナールが一人、前に歩み出た。
「我々の望みは彼らのように高尚なものではありませんがよろしいでしょうか?」
恭しくお辞儀をして今できる最大限の礼を尽くし、レイナールが謙る。
彼の後ろではエリスとフラーラが跪いていた。
俺達三人は立ったまま、それも俺に至っては腕を組みながら答えていただけに違いが際立つ。
「構わぬ。言ってみろ」
黒龍はそういった小手先の礼節に頓着しないのか特に態度は変わらず平然としている。
「有難うございます。偉大な黒龍様」
再びのお辞儀。
やはり交渉事が彼の本職のようで、所作だけでレイナールが活き活きとしているのがわかる。
願いを口にするだけだから交渉とはとても言えないものだろうが。
「私達の望み、一つ目は黒龍様を祭る祭壇の建立を認めてもらうこと、二つ目はこの地の鉱物資源の採掘を認めていただくことです」
二つ望みを一息で告げてレイナールは一度言葉を切った。
ハーフリングの小さな身体をさらに丸めてお辞儀をし、黒龍の反応を窺う。
頭を下げて相手の反応を窺う動作も手慣れたもので全く淀みがない。
「ハハハハ! そうか、お前たちは鉱物を求めてこの地に来たのであったな。お前たちは知よりも利を取るか。よかろう、その望みをかなえてやる。そうだな、屋台と言ったか? そこに置かれていた品を供えるがいい」
屋台という単語が出ると大人しくしていたはずの幼い黒曜龍の尻尾が急激に揺れ始めた。
黒龍が話したのかわからないがミスティは屋台の食事を知っているようだ。
「お前たちの街の食に対する創意工夫は私の欲を見事に刺激した。その祭場で私に供物が捧げられる限り、この地に他の者を寄せ付けずお前たちの採掘とやらを認めてやろう」
黒龍がミスティを鎮めるように長い尾を器用に使い、小さな黒曜龍の頭を撫でる。
ミスティのためでもあるみたいだが、恒久的な資源の採掘を屋台の食事で得られるというのなら破格にもほどがある。
黒龍の叶えてくれたこの願いは長期的に見たら莫大な利益が得られるものだ。
金貨数枚で屋台一日の売り物を買いつくせるんだ。
リターンが半端ない。
少しだけ黒龍の言う俗な願いをしなかったことを後悔する。
「ありがとうございます」
莫大な利益が約束されたレイナールに浮かれた様子はなく、礼を述べていた。
性格的に多少は喜びが漏れるかと思ったがそんな気配は微塵も感じられない。
エリスは変わらず膝をついているが、フラーラからは若干の緊張が伝わってくる。
フラーラの平時よりも多い発汗や身体の筋肉の強張りを無駄に良い鼻が伝えてきた。
彼女はレイナールほど交渉の場に精通してはいないらしい。
それとも黒龍相手に気を張っているのだろうか。
或いは、まだ述べられていない、三つ目の願いはフラーラを緊張させるに足る願いなのだろうか。
「さて、最後の望みはなんだ? お前たちは三人だ。もう一つ望みを聞いてやろう。いらぬと言うならそれも良し。さぁ、どうする小さき者よ」
黒龍もフラーラの緊張を悟ってか、多少の威圧感を放ち続きを促した。
ミスティは空気を読まずに尻尾を振っている。
「はい、黒龍様。是非とも最後に叶えて頂きたい願いがございます。それはーー」
レイナールは交渉用のペルソナを崩さずなんでもないことかのように願いを言葉にした。
「ーールクルドの街の住民を一人残らず息の根を止めることです」
リナが疑問符を口にしながら勢いよく笑顔のレイナールの方へ振り返る。
ココはいつもの調子を取り戻し無反応。
…………なるほど。そうきたか。
レイナール達も考えたな。
黒龍は即答せず不気味なほど静かに言葉の意味を考えている。
おそらくはその行為の先に秘められたレイナールの真意も。
一秒、二秒と、無音が続く。流石の幼い黒曜龍も何かを感じて動きを止めている。
たっぷり十秒もの時間が過ぎて黒龍は沈黙を破った。
「なるほど、なるほど……」
俺の目と耳を通じてアイリスを多少なりとも見聞きした黒龍ならばある程度結族の勢力関係は知っている。
俺ですら理解できたレイナールの思惑は、例え少ない情報しか知らない黒龍でもその知性で察してしまったらしい。
「私を貴様らのつまらない勢力争いの隠れ蓑にしようというのか」
巨大な空洞を埋め尽くすほどの圧力が黒龍から放たれた。
焦げた地面の煤が少しばかり浮き上がる。
空間をも縛る強大な力は、俺達をも縛り上げた。
身動きは取れず指先ひとつ動かせない。
悔しいことにレイナールを睨みつけることすらできやしない。
馬鹿なことを口にして!
心の中でありったけの呪詛をレイナールにぶつけた。
レイナールの願いは黒龍に正しく届いた。
届いてほしくないその真意まで乗せて。
現状、ルクルドの街との関係はよろしくないものになってしまった。
仲間を殺した龍の味方をしているのだから当たり前の話だが。
そのせいでこの地での資源の採掘は難しいものになってしまっている。
嫌いな連中に土地を分ける奴などいるわけがない。
関係を修復するのには長い時間が掛かってしまうことに疑いはない。
それを手っ取り早く解決する手段は一つしかない。
ルクルドの街の人間の皆殺しだ。
中途半端に残せば遺恨は残るが恨む人すらいなくってしまえばそれは何もなかったと同じことだ。
けれども、これには大きな欠点がある。
それは他の結族の存在だ。
殺人を含め、集落を一つ丸ごと消すには恐ろしいほどの労力がいる。
よしんばそれを上手くこなせても、必ずどこかに痕跡が残ってしまう。
脳力や秘術は小さな痕跡から殺人者が誰なのか、どんなことがあったかその全てを暴きだす。
そんな痕跡を他の結族は絶対に見逃さない。
非道な行いをしたグラント結族とケラニア結族は必ず糾弾される。
貪欲な結族達はそれを口実に結託してグラントとケラニア結族を攻撃しその利権を奪うだろう。逆の立場ならレイナール達だってそうする。
俺達やレイナールがルクルドの街の人間を殺しまわったら必ずそんな未来が訪れる。
だが、もしその殺人者が人ではなく黒龍だとしたら?
殺人の痕跡を辿れば必ず黒龍に至る。
俺達と黒龍とを結びつける証拠はなにもない。
万が一、関係を疑われてもしらばっくれてしまえばいい。
僅か会って数日の関係である俺達に黒龍が手を貸すなど、常識ではありえないのだ。
どの結族も叩けばごっそり埃がでる。
証拠の無い疑惑程度では友好関係にない結族同士は協力し合えない。
レイナールとフラーラにとって良い事づくめだが黒龍にとってはそうはいかない。
人間のせいで幼い龍を攫われた黒龍に、人間の矢面に立てと言っているのだ。
痕跡が黒龍を指し示すのなら物好きで愚かな密猟者がまた黒龍を、ひいてはミスティを狙わないとは限らない。
場合によってはミスティを攫った密猟者よりも質の悪い輩に付きまとわれる可能性すらある。
つまるところスケープゴート。
この大きな不利益に黒龍が気づかないわけがない。
「なるほど確かに。この地に住まうもの価値など『ーーーーーー』には遠く及ばない。今回は礼だ。働きに対する報酬だ。私は働きに敬意を払い、その願いを叶えよう」
怒りか何か、感情を爆発させながら黒龍が咆えた。
「この感謝はとても言葉では表せません。黒龍様」
桁違いの力の奔流の中、流石というかなんというか、レイナールは振りまかれる圧力に一切顔色を変えず悪びれる様子なく謝辞の述べた。
「だが、心せよ。間違っても私を御せるなどとは考えないことだ。定命の貴様らと私には覆せぬ大きな隔たりがある」
「はい。肝に銘じておきます」
黒龍が焦げた広場の至る所に魔方陣を展開する。
その全てがリナに加護を与えた時のような温かみはない。
「貴様の浅はかな策略にのってこの地を何も残らぬ灰燼と化してやろう。その小さな眼を見開いてちっぽけな脳に刻み込むが良い」
黒炎の吐息が黒龍の口の端から小さく溢れた。
「今一度、私の力を見るがいい」
俺達全員の周りに半透明の青い半球が出現した。
シールドか何かの類だろう。
幸いなことに生かしておいてはくれるようだ。
全身が縛られ動けず、これから起こる惨状を見守る覚悟ができたその瞬間。
脳裏に言葉が響いた。
(別れとしては物騒だが、これで終いだ)
黒龍だ。
向けられたのはおそらく俺とリナとココの三人。
奇妙な確信をもってそう感じた。
声音は平時と変わらず怒りの色は見受けられない。
俺達は怒りの対象ではなかったようだ。
(ではさらばだ難題に挑む愚かなもの達よ。また縁があれば何処かで会うこともあるだろう。お前たちの旅路にウルヴァスの加護あらんことを)
ウルヴァスとは何だろうか、龍の神かなにかだろうか。
動かぬ身体の代わりに頭が回る。
口に出せない代わりに心の中で別れを告げる。
魔方陣に囲まれた黒龍の口角が上がったように見えた。
その刹那。
「ーーーーーーッ!!!!!」
ただの雄たけびとも異なるナニカが大音量で黒龍の口から発せられた。
口から吐き出された黒煙が森すら生まれる巨大な洞窟の天井へとぶつかり四方に広がる。
同時に魔方陣から雷と炎があふれ出す。
瞬時にそれらは膨れ上がり、視界の全てを埋め尽くした。
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