第56話 地下世界37-1
「全く、今回はひどい目にあったな」
運ばれてきたエールを一息で飲み干し宿屋の小さな主人、ブラウにお代わりを注文する。
「それをいうなら今回『も』だよスバル」
ため息をつきながらココが大きなエールグラスを傾けた。
「あぁそうかもな。どうにも最近巡りが良いのか悪いのかこの数年が何だったんだのかと思えるほどトラブルが多い」
彼女のぼやきに思わず同意してしまう。
「私はてっきりスバルさん達はいつもこんな命がけで生きてるのかと思ってましたよ」
「そんなわけないでしょ。いくらボク達だってこんな生活が続いてたら命が幾つあっても足りないよ」
リナの言葉はココに即座に否定された。
「確かにお二人の調査資料によりますと一般的な奪還依頼や収集や調査の依頼を多くこなしていたようですね」
フラーラが卓上の揚げ物を摘まみながら言った。
彼女と卓を囲むのはコボルトの住処以来だろうか。
深く考えず彼女が食べている揚げ物を見つめてしまう。
「結族は雇う人間の経歴は調べるのが好きなんだな。レイナールのやつも最初に会った時に俺達の過去の依頼を調べてたみたいだし」
「いえ、今回の件で調べてたってわけじゃないですね。どの結族とも懇意にしてない流れの冒険者は多分ある程度はみんな調べられてると思いますよ」
なるほど。
結族は有用な手ごまを得るために余念がないらしい。
なんにせよ、ここのところ予想外のごたごたが多いのには変わりない。
変化の時期なのかなんのかはわからないが少しゆっくりとしたいものだ。
出そうになるため息を飲み込もうとエールグラスを持ち上げて空になっていることを思い出す。
その時、タイミングよくブラウが注文したエールを運んできた。
いつもよりも大分早い提供速度だ。
「ほらよ、お代わりだ。今日はどんなメニューも風よりも早く提供できそうだ。じゃんじゃん飲んでくれると助かるな」
ブラウの言葉を受けて酒場を見回す。
常ならそこそこの人が入り、そこそこの盛況を見せている一階の静かな酒場も今日ばかりは俺達以外に人はない。
暇そうに空きグラスを磨いていたブラウがすぐさま嬉々としてエールを注ぎ、テーブルまで届けてくれる程には閑散としている。
アイリスに帰ってきたときに歩いた大通りの状態を見れば街はずれのこの場所に活気がないのは仕方のないことだろう。
「さてね、適度に楽しめるように飲むさ」
「そういわずに助けると思って潰れる程飲んでくれ」
小さな宿の主人は愛想よくころころと笑ってカウンターに戻ろうとした。
ふと思いつき、揚げ物をフォークで持ち上げて後ろから彼に声を掛ける。
「そうだ、ブラウ。最初におまかせで出てきたこの料理は、いったい何の肉何を使ってるんだ?」
「そりゃグレンタウロスの肉だよ。どうにも少し前に大量発生したワーグの排泄物のおかげか植物が随分と大量に生えてるらしくてね。そのせいでワーグの次はそいつが市場にいっぱい流れてるんだ。臭いは好みが別れるが脂がのった良い肉だ。その料理は自分で言うのはあれだが中々美味いぞ」
ブラウは自慢を交えて簡単に答えた。
そのままカウンターに戻り、またグラスを拭き始める。
グレンタウロス。
確か、牛みたいな魔物だったかな。
草食のせいなのか肉はそこそこ美味いと聞いたことがある。
嗅覚からは衣についた油の良い匂いがしている。
耐え切れなくて一口齧る。
すると、割れた衣の中からスパイシーな香りが一気に押し寄せた。
ブラウの言う肉の臭みをスパイスで消しているらしい。
スパイスの確りとした下味がついており、付け合わせのソースもいらない。
自画自賛することだけあってかなりおいしい。
フラーラもこの揚げ物を気に入ったのか美味しそうに頬張っている。
なんとなくコボルトとの食事を思い出す。
「存分に食ってくれ此処の肉料理はそこそこ上手いんだ。なんならおかわりもいるか? 良い肉らしいぞ」
「私の分もどうぞ」
俺やリナに続きココも無言で揚げ物の乗った皿をフラーラの方へと寄せる。
二人とも俺と同じ気持ちらしい。
「……? よくわかりませんけど、わかりました。いただきますね」
三人で肉をフラーラに安全で素晴らしい食用の肉を勧めていると入口のドアが軋む音がした。
ゆっくりとドアが開きフラーラと同じく背の小さな女性が入ってきた。
その女性は背筋をピンと張り真っ直ぐにこちらの卓に歩いてくる。
「エリス。めずらしいじゃないか。てっきり後始末に追われてるかと思ったが……ん? レイナールの姿が見えないな」
「レイナールは資料を纏めろと上に言われて必死にやっているところです」
「大変だな偉いってもの……そういえば、君は仕事の見張りをしなきゃいけないんじゃないのか?」
「いえ、私はレイナールを信じていますからね。きちんと仕事をしてくれるって」
エリスはエールを頼みながら慣れた動作でハーフリング用の足の高い椅子に腰を掛けた。
彼女が護衛役だと自分で言っていたのにレイナールをほったらかしにして良いのだろうか。
まぁ護衛は別の人間がついているかしてるのだろう。
「けど残念なことにレイナールあらゆる手段を使って抜け出すでしょうね。だから私は先回りです」
エリスは柔らかく笑う。
「信用されてないなぁ」
「ほらほら追加のエールだ」
ブラウが満面の笑みで頼んでもない人数分のエールを運んできた。
いつもなら文句の一つも言うが今日は良いだろう。
全員が同じ気持ちなのか互いに目配せをして中途半端になってるグラスを一気に空にした。
それをエリスが頬笑みを浮かべたまま見守る。
新たなグラスに持ち替えもう一度目配せ。
視線は勝手にエリスの方に集まってい良く。
何度目かもわからない乾杯。
次の音頭はエリスの番だ。
空気を察し、彼女は居住まいを正し一度咳ばらいをした。
「コホンッ……では、僭越ながら私、エリスが乾杯の音頭を取らせていただきます。えー、今回は私達グラント結族の……」
「長いッ! 乾杯ッ!」
長くなりそうな口上をココがぶった切った。
掛け声に反応して反射的にグラスを打ち合わせる。
音頭なんて、ただ一言、乾杯で事足りる。
酒を前に冗長な枕詞はもはや犯罪的に邪魔なものだ。
少し拗ねたエリスの顔を肴に皆が一斉にエールに口を付けた。
第三十七話
乾杯をして十数分。最強の酒の肴が何か談義をしていると入口の扉が再び開かれた。
「すまない遅れた皆の衆。全く主役を置いて飲み始めるなんてひどいじゃないか」
レイナールだ。
仕事を抜け出せたのがよほどうれしいのか彼はスキップするような足取りでテーブルにつき、流れるような動きで金貨を弾き酒を注文した。
「いや、今日の大通りはお祭り騒ぎでよくないな。私なんか踏みつぶされそうで裏道を駆けてきたよ。それにくらべ此処は中々穏やかで良い店じゃないか」
一連の動きをリナが無言で見守り、ため息をつきながら腰につけた布袋から金貨を取り出した。
俺とココの前に金が十枚ずつ並べられる。
「来るのが早すぎます……信じた私がバカでした」
「よくやったぞレイナール。俺達はお前を信じてた。リナは一時間は真面目に仕事するとか言ってたけどお前はそんなに辛抱強くないよな」
賭けをしていた俺達をフラーラは呆れた目で見ている。
積まれた金貨でレイナールはなにをしていたの察したようで口角を上げた。
「エリスが離れていたお陰でかなり楽に出てこれたよ。まったく、こんな日ぐらい仕事は後回しにして飲まなきゃやってられないさ」
風のように素早く届けられたエールをレイナールは一気に煽る。
ココ達三人娘はレイナールに興味を失い、摘まみ談議に戻り唐揚げが如何に素晴らしいか確認し合っている。
「はぁ……この喉越し……生き返る……っと、おや? 失礼レディ。気が付きませんで。スバル、こちらの美しい女性を私に紹介してくれないか?」
今、この丸い卓を囲んでいるのは俺、ココ、リナ、フラーラ、レイナール、そして頬に傷こそあるが綺麗な顔をしたハーフリングの女性だ。
ちょうどレイナールの隣に座っている。
「そちらはえーっと……エリーさんだ。一人で飲んでたみたいだから誘ったんだよ」
「ほうエリーさんですか。良い名前ですね。私の副官とエリスと一文字違いだ」
「はじめまして、ミスターレイナール。先程からお話は伺ってましたわ。なんでもかなりのやり手だとか」
「ははは、何を聞いたのかは知りませんが過大な評価ですよ」
口では謙遜しているが優男レイナールは褒められて悪い気はしてないようだ。
「そうだ、さっき仰っていた私に似た名前のえっと……エリスさんのお話でも聞かせてください。一体どんな方なのですか?」
「これまた唐突ですねレディ」
「なんだか似た名前って言われて気になっちゃいまして……」
「んー……まぁいいでしょう。この話で少しでもレディに近づけるなら私は喜んで話しましょう。お耳汚しになるかもしれませんが聞いてください。先程のエリス、これは私の副官というかお目付け役をしているのですがこれ酷いんですんよ」
「……それはどのように?」
面白くなってきた展開に三人娘が会話をしつつもレイナールに意識を向けているのが分かった。
「彼女は仕事仕事仕事仕事と、そこら中から仕事を持ってくるんです。持ってくる仕事は私の許容量ぎりぎり。狙ってやってるとしたら凄すぎる。そのくせあまり手伝ってはくれないんです。私の本職は護衛だからと」
「そうなんですか……」
よほど溜まっているのか早口でまくし立てるレイナール。
いやに口が軽いが大丈夫か?
まさか一杯で酔ってるのか? それとも空きっ腹に飲んだせいか?
空気を読みすぎたブラウがそっとレイナールの手元にある空いたグラスと並々エールの注がれたグラスを入れ替える。
レイナールは間髪いれずに新たなエールを嚥下した。
「この前なんかエリスが機関紙を読んで優雅にコーヒーを飲んでいる中、私は淡々と何時間も書類作成だ。いい加減、上も書類作成専用の人間をあてがってくれても良いじゃないか。そうは思いませんか、エリーさん?」
「…………そうですね」
「エリスもエリスだ。たまに何もないところで転ぶようなトジな一面もある癖にスバルやココ、外部の人と会うときは服装から何からしゃんとぴっちり決めてくる」
レイナールは本人に聞かれたら不味い事をすらすらと喋り出す。
これ以上は流石にやばい。
「お、おいおいレイナール、居ない人の悪口なんてあまり言うもんじゃないぞ」
「わかっている。普段は決して言わないさ。だが彼女は別だ。エリスが本気になったらやばいんだ。どんな力を駆使しているのかわからないが、彼女が本気を出すと私は確かに部屋を出たはずなのに何時の間にか椅子に座らせられている。そして慌てて隣を見ると彼女が柔らかく笑っている。酷い時なんか机に縛り付けられているんだ」
ココなんてリナたちと会話しているようで時折ぷすぷすと笑いをかき消す音が漏れている。
リナとフラーラは顔色が真っ青だ。
「最近、エリスの柔らかな笑みを見るのが怖いんだ。微笑みを見るたびに心臓が締め付けられ背筋が凍り付く」
そろそろ気づけレイナール。
さっきからエリーが一切相槌も何もしてないことに。
「私は思うんだ。もしかすると彼女はデーモンのたぐーー」
レイナールが言葉を言い切るよりも早くエリーの手がブレた。
ゴン、と鈍い殴打の音が店内に響く。
激しい拳骨でレイナールの顔が丸テーブルにめり込んだ。
直前まで彼のすぐ目の前にあった皿は脇に避けられ、その上レイナールに後遺症がないように治癒の秘術まで発動させてある。
一連の動きだけでも彼女の実力の高さがうかがえる。
拳を振り抜いた状態でポロポロとエリーの幻が剝がれ、≪虚実の変装≫が解除された。
顔に傷のある美人のハーフリングの中から出てきたのは言わずもがなの副官エリス。
レイナールに危害を加えることで≪虚実の変装≫が剝がれてしまったようだ。
「おいエリス、自分から正体バラスなんてずるいぞ。賭けになんないじゃないか」
「失礼しました。スバル様、つい身体が動いてしまいまして」
エリスが乱れた服を整え、立っていた椅子に丁寧に座り直した。
治癒がかけられたはずのレイナールはピクリとも動かず机に突っ伏している。
「スバルさん。ココさん。勝ちは勝ちです」
そんな変に張りつめた空気の中、リナが声をあげ、にんまりと満面の笑みで手を差し出した。
俺とココ同時にため息をつき、金貨を二十枚ずつ布袋から取り出してリナの前に積み上げる。
ちくしょうレイナールめ。エリスを挑発しやがって。
エリスなら一時間は騙せると思ったのに十分と持たなかったじゃないか。
一向に起き上がる気配のないレイナールを心配し始めた頃、突如レイナールが身体を起き上がらせた。
「エ、エリス!? き、君は上に報告するとかいってなかったか!?」
「ふふ、ふふふふ。覚えといてくださいねレイナール。私は皆さまの前ではしゃんとしているもので『今』は何もしませんから」
「ち、違うんだ。さっきのは悪口じゃなくて……それにこれはさぼってるわけじゃなくて……」
しどろもどろになりながら言い訳を繰り返すレイナール。
彼を見るエリスの目は冷たい。
全ての賭けも終わり、リナが嬉しそうに金貨をしまいだす。
畜生め。
「ふふふふふ……とプレッシャーをかけ続けたいところですがか……今日ぐらいは良いでしょう。サボリは水に流しましょう。私も飲みたい気分ですので…………まぁ、先程の暴言は忘れられませんが……」
「………………」
レイナールは無言で酒を流し込み、ブラウ自慢の揚げ物を口に押し込みゆっくり咀嚼。
「……さて、もう話終わってたらすまないが、改めてルクルドで別れてた時の話を聞かせてくれないか? 帰ってきてすぐに書類作成を押し付けられてろくに情報交換もしてないからな」
レイナールが強引に話題を変え、手慣れた手つきで宝石を取り出た。
よつば亭の主人、ブラウには聞かせられない話をするようだ。
強引な話題転換に付き合い、目で続きを促す。
レイナールが小さく呪文を唱え≪精神的集団連鎖≫が発動した。
卓を囲んだ全員に精神的なつながりが生まれる。
しかし、レイナール。
急に真面目になってもすでに威厳は取り戻せないぞ……。
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