第51話 地下世界35-1
「やめろ! 此処は白龍の領地じゃなかったのか!?」
「戯け、ここまで虚仮にされればそんなことなど既に些細な事だ」
刻印から力が溢れ全身に滾った。
暴風の如き風が俺を中心に吹き荒れる。
周囲に置かれた建材が瞬く間に散乱していく。
異常な風の中、俺と黒曜龍の少女だけは無風を保っていた。
「復讐するなら後にしてくれ!!」
俺の言葉に刻印は答えず、ただ力を流し続けた。
少女は力の波動から自らに近しい何かを感じたのか暗かった表情から一転、笑顔になり喜びを露にしている。
くそ! 黒蜥蜴め! 聞いちゃいない!
刻印が四肢に巻き付き俺の意思を無視して身体を動かしはじめた。
意志に反して少女への歩みを進める。
どんな効果があるかもわからない秘術の模様に足を突っ込むなんて自殺行為だ。
歯がゆさを抑えて、最低限の身体の制御ができるうちに秘術を発動させた。
「≪伝言≫」
(失敗。黒龍暴走。どう動くかは任せる。俺はどうしようもない)
思念をリナの元へと送る。短文だがきっと意味は伝わるだろう。
現状、街の外に行ったとしても転移を使ってくれるかわからない。
どうしようもすることができない以上、全くもって最悪なことに後は野となれ山となれと祈るしかない。
自分より上の存在に絡まれたとき、できることなどただ祈ることぐらいしかないのだ。
俺の身体がとうとう幾何学模様の刻まれた床のすぐ手前まで到着してしまう。
身体の表面全てを押さえつけられ、自らの身体だというのに指先一つすら動かせない。
獣化をしても刻印の強制力には抗えない。
今の俺ができることなど手甲に嵌められた宝石の秘術を、何故かまだ動かせる口で行使することくらいだろう。
「いい加減にしろ! あんたの復讐に俺を巻き込むな!」
手の平が前に突き出される。
長い爪の先から刻印が虚空に染み出し、陣形を描く。
黒い魔法陣が形を成す。
「ーーーーーー」
俺の口がが知らない言語を紡いだ。
怪しい暗い輝きが模様から発される。
光を保ったまま溶けるように陣形が床に零れ落ちた。
刻印だった黒いものが床に染み渡り、幾何学模様を喰らった。
複雑な紋様がサイオニックの濁流に飲み込まれ形を崩していく。
秘術を喰らうなど馬鹿げた話だが事実目の前でそれが行われている。
金に糸目をつけず作られたであろう人類の技術の結晶がいとも容易く破壊された。
俺の身体を中継地として送り込まれてくる力はあまりに強大。
まるで力そのものに全身が浸っているようだ。
手が勝手に振るわれ、黒いものが立ち上がる。少女を捕らえる鎖を破壊した。
少女が嬉しそうに自らの身体を手で確認する。
やがて自身に目立った外傷がないのを確認すると、
「ーーーーーー!」
少女が笑顔で飛び出し俺の身体に飛び込んできた。
「ーーーーーー」
黒龍が俺の口を介さず、何事かを少女に向かって話しかけている。
少女も身振り手振りを合わせ説明しているようだ。
おそらくは何が起きたのか話しかけているのだろう。
共通語でなければさっぱり意味が分からない。
せめて龍の言葉ではなく人の言葉を使ってほしい。
勝手に身体を使われている身としては状況がわからないのはたまったもんじゃない。
会話もひと段落したのか刻印だった黒いものが床から伸びて黒龍の手のように変形し少女の頭を撫でた。
少女が嬉しそうに黒龍の手に身を委ねる。
「ーーーーーー」
再び刻印から湧き上がるの力の奔流。
俺の身体を介して送られるサイオニックの力が少女を包み込んだ。
彼女の身体が膨れ上がる。
人のものだった手足は消え去り、鋭い爪を擁した龍のそれに変わった。
膨張した背が滑らかな翼膜になり大きく広げられる。
体躯が艶やかな光沢を帯びた鱗に覆われた。
全長は五メートル程だろうか。
幼体と言うだけあって黒龍よりは随分と小さい。
「グルァアアアアアア!!」
咆哮。
サイズこそ小さいものの立派な飛龍。
堂々たる雄叫びは聞いたものを萎縮させるだけの圧力を放つ。
呼吸する度に顎からは黒炎を漏らし、少女だった飛龍の穏やかな瞳は一変し怒りに燃えていた。
これから行われることは想像に容易い。
水を差さずにはいられない。
「感動の再開も終わっただろう。そろそろ皆でジャングルに戻らないか? そしたらあんたらもハッピー俺もハッピー。最高じゃないか」
震えそうになる声音を静め、努めて明るく言い放った。
強大な存在し対する根元的な恐怖こそ消えないが、長時間その恐怖に曝されれば慣れもする。
ただ麻痺しているだけなのかもしれないが。
「虫けらを処分する。ミッド・ポーカーと言ったか? そいつの居場所を言え」
口ぶりからすると、本体が居ないせいなのかはわからないが、刻印の力だけでは俺の記憶は攫えないようだ。
刻印を通して完全に全てを把握していたわけではなかったらしい。
「聞けよ。俺の見えてるものが見えてるもんだろ?」
「私の理性が残っているうちに早く述べよ。さもなくばお前の身体諸共この街を破壊するぞ」
「……お前、白龍はどうするつもりなんだよ」
黒龍の刻印の浸食が目にまで及んでいるのかアイリスに蔓延する白龍の力が可視化された。
俺の目にはどういった効果があるかまではわからないが、空間に薄く張り巡らせられた白銀の力が見えている。
俄かには信じがたいことに黒龍の言っていた白龍の護りが作用しているらしい。
街の端にあるこのポーカー邸まで届いているなら正しくアイリス全体を白龍の力で覆っているのだろう。
「この街を覆う白龍の力のことか? 心配いらぬこれは私のような存在の転移を制限するだけのものだ」
「だけど」
「くどい」
反論する俺に言葉が被せられた。
黒龍の言葉には有無を言わせぬ圧力があり、明確にそれ以上の反対を拒絶していた。
これ以上は無理のようだ。
だが、俺にも譲れぬ点がある。
「わかった。だが一つ条件がある。俺の顔を完全に隠して俺の肉体が使われたことをわからなくしろ」
ここで死んでも終わりだが、此処で黒龍に言われるがままに行動して生き延びても今後この街で暮らすことができない。
一応、布や秘術で隠してはいるが絶対ではないのだ。
「あとはどうとでもしてくれ」
「……よかろう」
俺の意図を汲んでくれたのか広がっていた刻印が身体に纏わりつき、皮膚から少し離れたところに骨格を形成していく。
流体だった黒い何かが硬質に変化し外殻へと変化した。
首が勝手に動き左を見る。空間との境界の曖昧な歪な鏡が現出していた。
何のアクションも起こさず自然にサイオニックの力が使われていたようだ。
鏡には黒龍の鱗と同じ輝きを秘めた外殻を纏う人型が映っている。
顔面を龍の頭部のように覆われ、身体は急所を除き刻印の黒い線が針金で縁どり、外殻として足りない面積を骨組みだけで再現している。
ご丁寧に翼まであり、一見して龍を模した鎧のような印象を受けた。
強力なサイオニックの力を見るにただ顔を隠すだけ以上の効果がこの鎧にはありそうだ。
少女だった幼い黒曜龍は黒龍の言葉を待っているのか、怒気を隠そうともせずに尻尾を壁に打ち付けながらその場で待機している。
その余波で建物は既に倒壊寸前だ。
二体の飛龍から圧力を受ける中、大きな耳が足音を捕らえた。
不可思議な力の高まりに、龍の咆哮まで轟いている敷地内。
異変を感じ取って傭兵達が駆けつけてきてしまうのも無理はない。
異常に気が付いてしまった傭兵達が扉を破り室内へと侵入し始めた。
鋭敏にさせられた五感が、侵入者の数、装備、息遣いまでも背中越しに伝えてくる。
傭兵達が優秀さのせいで瞬時に状況を理解してしまい、俺と黒曜龍へと即座に攻撃を開始した。
宝石の砕ける音と共に≪氷の槍雨≫や≪雷撃≫が俺の背を目掛けてと放たれる。
黒龍によって紡がれた刻印の龍鎧が力場を展開し、俺の身に届くことなく秘術の攻撃が霧散した。
「なっ!!」
驚愕の声を漏らす傭兵。
もはや完全に自分の意思では動かすことができなくなった肉体がゆっくりと彼らへと向き直る。
俺の顔を隠す様に形成された龍の頭部を模した外殻が口角を上げた。
そして、黒龍が無情にも彼らへと死刑宣告を言い放つ。
「失せろ」
その一言を待っていた幼い黒曜龍が弾かれたように飛び出し傭兵の一人に齧り付く。
彼女がサイオニックの力を行使し、傭兵の傷口を癒しながら咀嚼する。
吐息の度に黒炎の欠片が見え隠れしていた。
焼きながら顎で切り裂くというできうる限り最大限の苦痛を与える幼い黒曜龍に戦慄を覚えた。
第三十五話
それは正しく殺戮だった。
眼前に広がる光景は地下深くに住まうデーモンたちが創り出した空間だと言われても信じてしまうほどに凄惨だ。
金にものを言わせて建てられたエルフ式の住居もハーフリングの緻密さが見て取れる細かな装飾も龍の力の前ではただの的に過ぎず、いともたやすく崩れ落ちた。
まるで凱旋のようにゆったりと歩き、ポーカー邸を黒い炎で焼き払う。
黒い炎に巻かれて誰かが苦悶の声を上げた。
黒曜龍がすかさず反応し長い爪でその人型を分解する。
後に残るは無数の死骸と瓦礫のみ。
俺の知覚の隅、崩れかけた壁の裏で何かが動いた。
認識と同時にサイオニックが起動し、刻印の鎧が黒い炎を創造する。
激しい燃焼音と共に炎が生き物のように壁裏に殺到し、焦げた臭いが鼻に届いた。
そんな虐殺が僅か数分で幾度も繰り返され、ポーカー邸の住民や傭兵達の多くが地に伏している。
生き残りはもはや数える程度だろう。
自身の作り出した光景に満足したのか、周囲を見回した後に鎧の翼が広がり、空間を震わせた。
宙へと飛び上がる。
「ミッド・ポーカーは何処だ」
「飲み屋にいる。ここからそう遠くない場所だよ。今頃女性に鼻の下を伸ばしている頃だろうさ」
紋様にふてくされながら俺は答えた。
もう爪の先すら動かせないのだ。
立てた計画もすべてがおじゃん。
多少投げやりになってしまってもばちは当たるまい。
ポーカー邸から数百メートルの宙からアイリスを見下ろし、黒曜龍に手を出した馬鹿者の位置を探る。
拡張された視覚はこんな上空からも街の外れの惨事を知らずのんびりと歩いている一般人をまるで目の前の居るかのように細かく映し出す。
しかし、見えすぎるが故に言葉では説明がしづらい。
「ここからじゃ伝えにくいな。もっと下がってくれないか?」
「だいたいの場所でかまわん」
「あー……じゃあ、足元に大きな通りが下に見えるだろ? その道の先を辿って台形の建物を右に曲がって突き当たるまで真っ直ぐ行く。それで端までついたらT字路を左に曲がって少し行った建物の二階だ」
口早に説明が終わると同時に黒曜龍が現れた。
まだ殺し足りないのか目は煌々と輝き戦意を露にしている。
彼女を無視して言葉をつづけた。
「自分で言っててなんだがわかるのか? 飛びながら案内した方がよっぽど建設的だと思うぞ」
「この場所で良い、いやこの場所だから良いのだ。大体の場所は見当がついた。それで問題はない」
黒龍が静かに告げた直後。
刻印の鎧から力が漏れ出し、陣形が多重に展開される。
幾重にも重ねられ丁寧に魔法陣が層を作り上げた。
「お前……こんな場所から何する気だよ……」
黒曜龍も嬉々としてサイオニックの力を解放し黒龍を真似て魔法陣を構築している。
どうやら馬鹿げたことに、俺の想像が外れていなければ阿保みたいに力を練り込んだサイオニックでミッド・ポーカーの居る地点を攻撃するらしい。
どの程度吹っ飛ばすつもりなのか、今なお増大する込められている力から考えるにポーカーの居る一帯は地下ごと消失するかもしれない。
いや、それどころか下手したらアイリスの半分は吹っ飛ばされてしまうのではなかろうか。
特別に念を込めた力の行使というわけではないようで大した時も経たずに力の充填が終わってしまった。
「ーーーーーー」
理解できない言語を黒龍が呟き、貯められた力が解放された。
魔法陣が膨れ上がり、元の黒龍程もある炎弾が6つほど射出される。
黒曜龍の魔法陣からは4つ程の一回り小さな炎弾が放たれた。
恐ろしい速度でポーカーのいるであろう地点へと都合10発の炎弾が殺到する。
今、アイリスにいる結族が対策を講じても遅いだろう。
思えばいい街だったが此処でアイリスも終わりのようだ。
顔をそむけることもできずにただサイオニックの結果を漫然と眺める。
膨大な熱の塊が街へと進んでいく。
新たな街に思いを馳せ、全てが終わる、そう思っていた。
ーー唐突に。
唐突に破壊をもたらすはずの炎弾が消失した。
「なっ!!」
「ーーーーッ!」
驚きの声を漏らしたのは俺と幼い黒曜龍。
放たれた力の奔流を柔らかく受け止める力場が出現し、建物にぶつかることなく消失した。
そして、初めて黒龍と対峙した時のような威圧感が俺の背後から湧き上がる。
事態を把握しているのか黒龍が俺の身体を操り、焦ることなく背後へと向き直った。
「本気かよ……」
目の前の存在を信じられず、顔の筋肉が驚きの表情を作ろうとしてできなかった。
この時ばかりは黒龍の支配下のお陰で良かったかもしれない。
アイリスにいる成熟した巨人すら子供に見える程の巨大な四肢。
白銀の輝きを放つ神々しい飛龍。
アイリスの中央に君臨し、セントラルシティを守護する偉大な白龍。
普段生活していたら絶対に邂逅することのない強大な飛龍が今、俺の目と鼻の先にいる。
彼が静かに大きな口を開いた。
「好き勝手やってくれたようだな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます