第42話 地下世界28-2

視界が黒く染まり、一瞬の浮遊感を経て地に足が付く。


人生初の転送はあっけなく終わった。




最初に感じたのは濃厚な草の匂い。


靴越しにも分かる柔らかな土。周囲を見回す。




転移した先は密林だった。


『潰えぬ松明』を向けると視線の先には巨人の胴体よりも太い大きな幹。


人の身長程もありそうな大きな葉。蔓がそこかしこに伸び宙を厚く覆っている。


生い茂る葉の隙間から辛うじて見える天井は今まで見たどの空洞よりも高く、所々に群生する光り苔が空洞を明るく照らしていた。




俺たちは巨大な空間の端にいるらしい。




ココやリナはもちろんのことレイナール以外のハーフリングも皆一様に自然に目を奪われていた。


もちろん俺も例に漏れない。


長い事、冒険者稼業を営んできたが此処まで巨大な木々は中々見れるものではない。


この場所はよっぽどな辺境で街の人間の手がほとんど入っていないようだ。


だからこそ、レイナールが直々に来たのかもしれない。




「では四日後に此処で落ち合いましょう」




何の感動もなくエルフが言い放ち、彼の姿が消えた。


瞬時にあらゆる場所を巡る彼らはきっとこれ以上の光景も幾度となく見てきたのだろう。


少しだけそういった脳力が羨ましくなる。




エルフが消えた場所を見つめているとパンパン、と乾いた音が二回ほどなった。


革鎧に身を包んだレイナールが全員の意識を引き戻すために手を打ったようだ。




「目を奪われるのも無理はないがレディが口を開けて何かに見とれるものじゃないよ」




心当たりがあったのか、リナとフラーラが慌てて口を固く結んだ。




「それでレイナール。集落からの迎えが居るって話だったけど。この木に囲われた場所のどこにいるんだい?」




ココが手元でスローイングナイフを弄びながら巨木を指さした。


確かに聞いていた話とは違い、迎えの獣人が居ない。




「慌てるなココ。彼らはちょっとシャイな連中でね。呼ばなきゃ決して出てきてはくれないんだ」




むせ返るような木々の香りに混じって動物の臭いもいくつかしている。


この臭いの主がレイナールの言うシャイな連中なのだろうか。




レイナールが腰の布袋から小さなヒスイの笛を取り出し、口元に充てる。


大きく息を吸い、思い切り小笛に吹き込む。




耳障りな高音が響く。


ココとリナの表情を見る限り、この音は俺にしか聞こえていないらしい。


セリアンスロープにしか聞こえないのだろうか。




「彼らにたっぷりと鼻薬を効かせてある。その度にこの音で彼らを呼んでいたんだ。きっと今に涎を垂らしながら現れるだろうさ」




ニヤリと笑いレイナールが密林を背に両手を広げる。


すると彼のすぐ背後から凛とした女性の声が発せられた。




音を聞きつけ飛び出してきた獣人らしい。




「あら、ミスターレイナール。私わたくし達がそんな野蛮に見えて?」




つかつかと歩み寄る彼女は、5人ほど現れた獣人の中でも一番若い。


肩ぐらいで切り揃えられた金髪に、意思の強さを表すような釣り上がった金色の目。


金色の尻尾に整った容姿、そして何より目を引くのは頭部の大きな耳。


耳の形状と尻尾からして彼女は狐に起源をもつ獣人らしい。




言葉遣いこそお嬢様のような印象を受けるが、動物の皮を繋ぎ合わせただけの簡素な衣服は高貴な印象を完全に損なわせていた。


彼女の取り巻きの獣人も外見的特徴から判断するに狼や虎、熊などの種類の獣人だが共通して言えるのは野生的な服であるということだ。




彼女達は先祖と同じ原始的な生活を好む一般的な獣人のようだ。


容姿はともかく服装だけは十分に野蛮だった。




「ティーダじゃないか。予定では族長が直接迎えに来てくれるという話だったはずだが……」




レイナールの一言で腰に下げたククリの柄に手を伸ばす。


予定と違ういうことは往々にしてトラブルがあったということと同義だ。


ココが何気ない動作で何時でもナイフを投げられるように備え、リナも外装骨格に手を伸ばしている。




リナも大分冒険者稼業が板についてきたようだ。




「父……失礼、族長は急用でして私がお迎えに上がることと相成りましたの」


「そう、か。それは有難い話だ。では早速、君らの集落に案内してもらおうか。ほら、諸君、物騒な獲物はしまってくれ。……彼らは忠実に仕事をこなしているだけなんだ。悪く思わないでくれよティーダ」


「構いませんわ。私達も仕事こなすだけですから。ほら、きちんとお守りなさい」




ティーダが視線を仲間に送ると彼ら4人が俺達を囲うように配置された。


守る、という名目だがどうにも逃げられないための囲いにしか見えない。




「では早速、参りましょうか」




彼女の言葉に従い歩みを進めつつポーチに手を突っ込み、宝石の呪文≪念話≫を解き放つ。




『レイナール、聞こえているか?』


『あぁ、スバルか。急に頭に声が聞こえたから遂に天使からのお迎えが来てしまったのかと思ってしまったよ』




突然の呼びかけにもレイナールは動揺を表には出していない。


思念では俺との会話をしつつ、表ではティーダとオーバーリアクションで取り留めもない話をしている。




『馬鹿な事言ってないで、この状況が大丈夫なのか教えてくれ。どうにも不安でならない』


『そうだな。彼女が族長の娘なのは本当だが、どうにもきな臭いのも事実だ。今と変わらず警戒だけは必ずしておいてくれ。君らに掛かれば彼らをどうこうするくらい訳ないだろう?』


『まぁ、そうだが……本当に危険はないんだな?』


『あぁ、そうだ。結族としては此処の鉱物資源は喉から手が出るほど欲しいし、古代遺跡も是非ともアーティファクトや失われた技術のために調査したい。状況が分かるまで事を荒げないでくれ。殺すのは簡単だろうが世の中、仲間に引き込んだ方が得なことも多い』


『わかったよご依頼主様。今はあんたがリーダーだ』




ため息を吐いて思念での会話を打ち切り、周辺の環境に視線を巡らす。


結族の利益を考えるならば、目の前にニンジンがぶら下げられた状態でノーとは言えない。


詰まる所、今の状態はそこそこに厄介そうだ。




再びため息をついて木々の隙間を縫って歩く。


森の内部は想像していたよりも道が綺麗に分かるようになっていた。


草が踏まれ獣道が出来ている。


木々の枝には所々、人工的な照明が取りつけられており人の手が入っていることを教えてくれた。




思っていたよりも天井から光が差し込んでおり、ともすれば松明の灯りすらいらないかもしれない。


視界の隅に何かが動いた。ポニャディングだ。


こんなところにもポニャディングは住んでいるようだ。




想定よりもクリーチャーの臭いがしないのは獣人の彼らが定期的に狩りを行っているせいだろう。


彼らのような一般的な獣人は動物を狩り、その肉と簡単な農耕でその日暮らしをすることを好む。


俺のように都会で済む者はそこそこ稀な存在と言える。




粗末な服、護衛の獣人を確認がてら味方に目を向ける。


フラーラは周りの自然には目もくれず熱心に資料を読み込んでいた。


得体のしれない奴らに囲まれているというのに中々肝が据わっている人だ。


伊達に最年長じゃない。




「何か失礼な事を考えませんでしたか?」




フラーラから視線が飛んで切る。




「いや、別に」




短く答えた。下手なことは考えられない。


レイナールは相変わらずのおしゃべり、エリスはその後ろを気配を消してゆったりと歩いている。




リナの表情は硬いがココはいつも通りの表情で黙って足を動かしていた。


そんな二人に一人の獣人が近づく。


通常の人よりも大きな肩幅に身長。特徴的な耳。おそらくは熊が混じっている。


訝しむ二人を無視してそいつは彼女達の身体を舐めるように見つめた。


そして徐に一言。




「なぁ、お前ら俺の女になれよ。身体も顔もそこそこ。俺の群れに入れてもいいレベルだ」




突然の頭の緩んだ言葉にリナは開いた口が塞がらない。


不躾な輩にお灸を据えようと、ココが後ろ手に投擲しようとしていたナイフを寸での所で止める。


流石に許容できない態度だが、いきなり攻撃は不味い。




ココに睨まれながら、うつけた獣人に告げる。




「曲がりなりにも俺たちは正式な交渉の使者の内の一人だ。言葉と態度をわきまえな」


「きゃんきゃんと犬風情が何を抜かす」




熊の獣人は悪びれもせず言い放った。


酷い話だ。これだから田舎者は嫌いなんだ。




「強者が娶る相手を決めるのは当たり前のことだろうが」




熊が続けた言葉も惨憺たる内容だ。


ココの投擲の気配にも気が付かない程度の実力で何を抜かす。


俺の妨害で二度目の投擲を未遂に終わらせたココが明らかな舌打ちをする。




「もっと理知的に考えな。それともこの言葉すら難しすぎて理解できないのか?」


「あら? 弱い者が強い者に従うのは当たり前の話でしょうに」




割って入る様にティーダが話に入ってきた。


集落の未来を担う族長の子供ですらこんな認識では本当に交渉する意味などないのではないかと思えてくる。




俺の見立てではこの獣人たちはそんなに強くはない。


まず装備がない時点でお察しだ。


脳力がどのようなものかはわからないが、わからないなら使わせる前に殺しきればいいだけの話。


リナの力を単純な見た目や立ち振る舞いで測れないのは仕方ないが、ココの実力を理解できない時点で終わっている。




物騒な考えだが、こいつらを皆殺しにして鉱床と遺跡を手に入れたほうが絶対にあと腐れがなくていい。


金は掛かるが脳力を発動させればこいつらを数秒で殺しきる自身はある。


レイナールの依頼でなければすでに切って捨てているくらいだ。




俺の意図を察したのか、レイナールが苦笑している。


結族には結族の事情があるのだろうが彼らは交渉に値する人間だとは本当に思えない。




「そうだなお頭。失礼したな、犬っころ」




族長の娘をお頭と呼んでいることから彼らは現在の族長とは違う一派であることがわかる。


俺達からの最低評価を得た熊は下卑た笑いで口だけの謝罪を述べた。




醜い笑いを聞いた瞬間、リナが外装骨格も纏わずに浮遊した金属球の一部を意図的に変形させる。


金属球が変形し細く薄い刃が柔らかく突き出て熊を取り囲む。




「いい加減にしましょうか、熊さん。これ以上の侮辱は流石に私も許せないです」




リナが殺意を込めて冷静に告げる。


ゴブリンの虐殺で吹っ切れた彼女は、その言葉にしっかりとした重みを感じさせるほどに成長していた。


しかし、彼女の放つ殺気は成熟したものでもなく、一般的な冒険者でも軽く受け流せるレベルのものだ。成長の兆しは著しいが一足飛びで力を上げれるほど世の中は甘くはない。




熊は彼女の殺気を涼しげな顔で受け流し、緊張感のない声で答える。




「何マジになってるんだ。冗談だよ、冗談。街の人間はこんなジョークも許さないのか?」




彼はへらへらとした笑いを繰り返す。




「冗談でも命を落とすことはあるんです。これ以上スバルさんを、私達を侮辱しないでください」




自身の威圧が通じなかったことにいら立っているのかリナは語気をさらに強めた。




「わかったよ、次からは気を付けよう」




熊がにやけながら敵わないとばかりに両手をあげて俺達から離れた。




「メスに守られるなんて情けない犬だ」




俺にだけ聞こえるような小声で熊がつぶやいた。


無視をしてリナと隣に並ぶ。




「リナ怒ってくれてありがとう」


「いえ、あまり役に立てなくてごめんなさい」


「ああいう手合いはどこにでも居るから気にしたってしょうがない」


「コボルトのボルトガさんの方が理知的でしたね。あの熊もどきもスバルさんと同じ獣人なのに大違いです」




彼女は言葉とは裏腹に熊の顔を睨み続けている。


無作法な奴が嫌いらしい。




その後は全員が黙り込み、穏やかに道なりを進む。


気まずい空気だが、馬鹿にされるよりはいい。




和やかな空気が吹き飛んだまま歩みを進め、森を抜け開けた場所に出る。


篝火が幾つも焚かれ、耕したと思われる農地の隣に闇市の奥で見たようなテントがそこかしこに立っていた。




ディーダが振り返り、腰に手を当て得意気に言い放った。




「さぁ、つきましたわ。此処が私達の村『ルクルド』です」




土を踏み固めただけの道、脇には篝火が等間隔で並べられ、その近くにはゲルや木製の簡素な小屋が幾つも建てられていた。


道端にある木々を切り倒して残った切り株は幼い子供たちの遊び場になっているらしく、今も元気に子供がはしゃいでいる。




ゲルの近くには簡単な農耕地があり獣人たちは木製の農具で耕していた。


農地の隣には豚や牛などの畜舎が併設されており、餌を食べる咀嚼音が耳に入ってくる。


また、木製のドライラックなどもあり、屠殺した牧畜が干し肉に加工されていた。




集落の装いはコボルトと同じ程度、服飾のレベルはともすればコボルトの方が高い。


獣人は噂に違わず原始的な暮らしを送っていた。




「おねーちゃんそれだれー?」




道端の猫耳の少女が俺達を指さしてティーダに訊ねた。


その言葉に釣られるように子供の獣人だけではなく大人の獣人までこちらを興味深げに眺めていた。




「お客さん達だから指差しちゃだめよ。失礼のないようにね」


「はーい」




ティーダが笑顔で手を振り少女に答える。


彼女の言葉遣いは俺達と会話する時のような似非お嬢様のようなものではない。


あの口調は外交用のペルソナなのだろうか。




「わたしミミっていうの、あなたのお名前はなぁに?」




大きな猫耳を生やした少女ミミがレイナール駆け寄り手を差し出した。


彼女の身長はレイナールと同じくらいか。




「私はレイナールだ。小さなレディ。よろしくお願いするよ」


「わぁ良い名前だね。お友達になってほしいな! 耳がそんなに小さい人初めてみたの!」




流石にこの程度の対応には慣れているのか、彼は怒ることなく手を握り返す。


ハーフリングで背の小さな彼は子供と間違われているレイナールとを見て俺は必死に笑いをかみ殺す。ココは笑いを殺すことに失敗し、ぷすぷすと息が漏れている。




「ごめんなさいね。あの娘も悪気があるわけではないの」


「我々は種族的に小柄だからな。別の種族をあまり見ないなら無理もない。以前は子供が寝ている夜に来ていたからな」




レイナールが笑ってティーダの謝罪を受け入れる。


握手が終わるとミミの興味がリナの外装骨格に移り、浮遊する金属球を追いかけ始めた。


何かの遊びだと勘違いした別の子供が猫耳少女に続いて走り出す。


一人が二人、倍々に増えていき、遂には遊んでいた子供を全員引き連れ街を練り歩く。




長蛇の列を数分も歩くと集落の中央部まで辿り着いた。


何度も住民からティーダに声が掛けられるあたり、彼女は族長の娘として信頼されているのだろう。


他のゲルとは一線を画す大きな木製の屋敷が立っていた。


篝火も多く焚かれ、いかにも有力者が済んでいますという風体。




ティーダが扉をノックをする。




「お父さん、ミスターレイナールをお連れしましたわ」




ノックから間もなく、どしどしと音を立て傷だらけで薬草を体中に張り付けた屈強な老人が扉を開けた。


狐の耳に狐の尻尾。おそらくはティーダの父。族長だ。




「よく来てくれたレイナール。見苦しい格好な上に約束通り出迎えに行けなくてで済まなかった」

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