第三章 獣人の街

第40話 地下世界27

朝、自然と目が覚める。時刻は6時。

アイリスの宙に佇む光の球は24時間休まず光を放ち、厚手のカーテンの隙間から俺たちの安眠を妨害しようとその猛威を振るっていた。


目を擦り隣のベットを見れば大きなダブルベットにココとリナが身を寄せ合って眠っている。

身体を起こし上半身の革鎧を着て、腰にククリを装備する。


人は寝るとき、非常に無防備な状態になってしまう。装備は極力外さない。

本来であれば革鎧も外さないほうがいいが、流石にそれでは寝苦しくてとても寝つけやしない。


別の部屋にある水場の蛇口を捻り、顔を洗う。

屋上に設置されている秘術アイテム『止めどない水』は常に水をながし続け、地下の排水エリアへと水を送り続けている。

全ての汚水が行きつく先は『虚無の瓶』だ。


途方もないような昔、偉大な脳力者がその『虚無の瓶』を作り上げ、水を延々と吸い上げ今も汚水を廃棄し続けている。

この街が一定の清潔さを保っていられるのはその先人のおかげといっても過言ではない。


取り留めのないことを考え、思い出す。

そういえば今日は≪警報≫の呪文が解けてしまう日だ。

スクロールを無造作に床に置かれた『秘術の携行袋』から引っ張り出し、二人が起きない様小さくに詠唱。


≪警報≫の効果が発揮され、室内を包んだ。

部屋への侵入者を脳内の音で告げるこの呪文は宿での休息にぴったりだ。

秘術的な鍵をかける≪秘術の錠前≫は解呪しない限りずっと続く上に術者以外は開閉できない。


不便すぎてそんなものは宿には掛けれない。

そろそろ本格的に家を探した方が良いだろうか。


掛け布団を蹴り上げ布団のないココとリナが微かに震えた。

この宿『幸運のよつば亭』には何時でも若干の厚さを感じるアイリスへの対策として≪快適な空間≫(アジャストメント・テンプラチャー)が掛けられている。

人の過ごす最適な温度にしてくれるこの呪文は、少女二人にとっては寒いようだ。


ココが一人では朝に布団がないなんてことはなかった。

おそらくはリナが蹴とばしているのだろう。

育ちは良さそうなのに夜はココの方が大人しいらしい。


二人に掛け布団を掛けなおし、準備を整えて朝食の為に階下へと向かう。



第二十七話



「スバル、おはよう。今日は一段と早いね」

「俺が起きたら朝ごはんを準備しておいてくれるブラウには負けるよ」


よつば亭の一階。朝早いせいか他に客もいない。

今日も主人のブラウが明るく迎えてくれる。

彼は夜遅くから朝早くまで起きておりいつ寝ているのかわからない。

秘術的な加工の施された寝具を持っているのだろうか。


「今日はまだ朝食の支度がちょっとできてなくてね。すまないが少し待っててくれ。アイリスレヴォリューションあるけど読むかい?」

「意外な物を読んでるな。長い付き合いだが初めて知ったよ」

「客が置いていったんだ。俺のじゃない」


アイリスレヴォリューションとはアイリス革命と銘打たれ、根拠の無い斬新な内容を掲載する、この街にある機関紙とは一線を画す眉唾を扱うタブロイド紙だ。

著者数名が趣味でやっており訳の分からない風説や持論を垂れ流している。

時折鋭い意見もありそれが真実を示していることから熱心に購読する者も多いらしい。


せっかくなので着席して朝食を待つ間、記事に目を通してみる。



アイリスレヴォリューション 第291号

・黒魔術の現場か!

アイリスからそう遠くない場所で血溜まりの空間が発見された。

アイリスの一大酒場『木漏れ日酒場』以上の大きな空洞が地面に満遍なく赤い血が塗りたくられていたという。それでいて死体はそこには一つもなかったようだ。


一説によると黒魔術には大量の新鮮な肉を使い血に飢えた獣を創り出す禁術があるらしい。もしかすると今回もそんな怪しげな儀式が行われたのかもしれない。

皆さんも夜の出歩きにをする際には注意を忘れずに! 


・『地底の篝火』(ミルトリオン)にて都市間転送業の術者が5人行方不明! 危険なあの街から逃げ出したのか!?

ミルトリオンにて都市間を一瞬で結ぶ転送サービスの職員が5人も行方不明になっている。しかし、運送ギルドに問い合わせても該当職員は一身上の都合でやめたの一点張り。 


転送ができる貴重な脳力者を過酷な労働で使い潰して死なせてしまったのではないかという黒い噂も街に流れ始めている。

労働問題に強い関心がある我々は逐一この話題を調べていくつもりだ。続報を待て!


・潮の香りは浪漫の香り

遥か遠くにある世界最大級の地底塩湖『マヨルカドラッガ』の下に海底神殿があることが学者ロバート・バラードの調べで分かった。だが、厚顔無恥な魚人どもが神殿の存在を知るや否や領有権を主張し始めた。今まで存在すら知らなかったというのになんという奴らだ。


姿形はかなり違うが魚人も人の仲間。そして地底湖の近くには魚人の集落もあるという。

たしかに彼らの言い分にも一理はある。しかし、奴らはエラ付きだ、構うことはない。

さぁ、みんなでエラ付き共を三枚おろしにしてやろう!


・またハーレムが増えるのか!!

最近、アイリスの大富豪『ミッド・ポーカー』氏が自身の邸宅の敷地に新しい後宮を建築しているともっぱらの噂だ。遂に彼は30番目の妻を迎えるのだろうか。

このドラ息子め!! その金は父親が仕事に大成功して築いた富だろう!!

 

父親のフラッシュ氏はアイリスの発展に寄与した偉人だというのにその息子は浪費三昧の酒池肉林だ!! なんたること! ミッド氏は否定しているが信じられない。私はジャーナリスト魂をかけてこれが事実かどうかなにがなんでも突き止めると約束しよう。

この記事は決して嫉妬ではないので悪しからず。


・『頑固者のドーナツ屋』は果たして本当に頑固なのか!?

今回、調査員ウッドワードは頑固者ドーナツ屋に潜入し、店主にあれこれ注文を付けてどれほど頑固にドーナツを作っているのか調査した。


私はここで一つ残念なお知らせをしなければならない。

店主のロックボルトが如何なる注文にも柔軟に答えてくれた。彼は全くと言っていいほど頑固者ではなかったのだ。

砂糖のグラム数すら指定してより甘くしろと注文を付けたのに彼は見事にそれを作り切ってしまった。なんて素晴らしい腕とドーナッツへの愛なのだろうか。

皆も是非、彼の情熱を堪能してほしい。

カロリーオフのオールドファッション絶賛販売中!


今回の担当記者 カニエル・ウッドワード



タブロイド紙らしい過激な言葉の多いアイリスレヴォリューションを読むうちに出された食事を摂り終わり、情報紙を机に置いて席を立つ。


「もうお出かけかい? だったらココとリナちゃんに何か伝言を残しておくか?」

「そうだな……じゃあ今日もオフだからのんびりしておいてくれと伝えておいてくれ。にしてもなんでいつもリナはちゃん付けなんだ? ココと年は変わらないのに」

「銀色の流れるような髪に、大人しめの容姿。なんだかちゃんってイメージに見えるんだよ」


ブラウにはブラウのイメージがあるらしい。

手を振り、よつば亭を後して高級歓楽街へと足を向ける。


今日はケラニア結族のフラーラに呼ばれている。なんでもお礼の準備が整ったらしい。

宿泊業を営む彼らの結族は多忙で約束の時間が早く、早朝しか時間が取れないとのこと。

仕方がない。こちらの迷惑も考えて欲しいが、もらえるものをもらえるんだ。

文句は言えまい。


歓楽街の大通り、朝公演を終えた劇場から人が次々と出てくる。

彼らは上品な服に身を包み興奮冷めやらぬといった様子で劇の感想を静かに言い合っていた。

早朝だからと気を抜いて鎧のまま来てしまったが浮いているかもしれない。

グラント結族と懇意になったことで強制的に区画から追われることは無くなったが、スティルオーダーのシティガードが訝しげな眼差しをこちらに向けている。


劇場前のカフェでは出てきた客を引き込もうと下品にならない程度に熱い客引きが行われていた。

その劇場近くのケラニア結族の建物に入り、受付のハーフリングに用件を伝える。

壺や絵などの調度品だらけの応接間に通され、出された紅茶を飲み待つことしばし、フラーラともう一人のハーフリングが入室してきた。


立ち上がり頭を下げる。


「スバル様、よく来て下さいました。この前はありがとうございました」

「気にしなくていいよ、フラーラ。その後の調子はどうだい?」

「何かに当たってしまってお腹を壊したこと以外はまぁ、概ね良好です」


今日の彼女は鎧姿ではなく、上等なドレスを着ている。

小さな彼女と握手をして隣の人物に目を向ける。

茶色く長い髪の壮年のハーフリング男性。人の良さそうな柔らかな笑みを浮かべている。

彼もまた俺のような武芸者の姿ではなく高級そうな礼服を着こなしていた。


「……それでそちらの方は?」

「私の上司のミガルドです。どうしても礼を言いたいからと付いてきてしまいました」

「初めまして、スバル君。私はミガルドだ。フラーラがお世話になったみたいで感謝しているよ。私の部下を忌まわしいゴブリンから助け出してくれて本当にありがとう」


差し出された手を握るとレイナールの繊細な手とは違う、皮が厚く硬い感触が伝わってきた。

気の優しそうな見た目をしているがかなり鍛えているようだ。


「ミスターミガルド。アイリスで暮らす者として人助けはごく自然なことです。私なんかにそんなにかしこまらないでください」

「いやいや、噂はかながね伺っているよ。なんでもかなりの実力の冒険者だとか。最近はグラント結族とも親しくしているみたいだね」


結族関連の話題が出てしまい一瞬だけ筋肉が強張る。

結族と会っている時に別の結族の話題が出るのは心臓に悪い。


「我々ケラニア結族とグラント結族は結族のなかでも同盟関係にある。互いに良好な関係を築いているよ。宿泊と飲食はどうしても切っても切れない関係だからね」


俺の動揺を察せられたのか態々説明までされてしまう始末。

やはりこういった政治に身を置く連中の相手はあまり得意じゃない。

ココは政治的な面倒な会話を好まずこういった会合の場には積極的には来たがらない。


俺だって金の受け渡しだけで済むならそれが良い。

だが、それだけで済まないのが街での暮らしの悲しいところ。


依頼を受ける、調整する、報告する。

これだけでも随分と時間がとられる。

そういえば最近エルフの仲介人リカルドの依頼は受けてない。

酒場に居ても話を持ってこないし、ハーフリングと懇意にしているのが分かっているのだろう。


着席を促され、互いに座る。

どこどこの飯屋が美味いなどと形式ばった会話を繰り返し、ようやく本題に入る。

前置きと再びの謝辞の後、切り出された。


「これは我々からの気持ちだ。ぜひ受け取ってほしい」


ミガルドが手を叩くと給士服姿のハーフリングの女性が金貨の詰まった布袋を運んでくる。


レイナール然り、結族はこういう演出が好きだな。

中身を確認せずに『秘術の携行袋』に放り込む。

布袋の心地の良い重さは俺の疲れた心を癒してくれる。


流石に気持ちと言われて値段を確認するほど俺は非常識人でもない。

正式な依頼があったわけでもないし。探し物も頼まれたがすぐ近くで見つかった。

あれを依頼とは言い張れない。


「これからも何かあったら協力を頼むよ。では、すまないが私は失礼する。これでも忙しい身でね」


足早にミガルドが室内から出ていく。

こんな早朝に呼び出されたのはきっと彼の都合なのだろう。

その証拠に忙しいはずのフラーラはにこにこと対面で座っている。


その後、彼女と他愛のない雑談に花を咲かせ、昼食まで御馳走になりあれよあれよと気が付けば夜。

歓待ぶりを見る限り本当に感謝してもらえているのかもしれない。

なんとなく彼らの本命、少なくともミカルドの狙いは俺ではなくリナの外装骨格な気もするが。


フラーラと別れ、めんどくさい結族との行事を終え大きな通りを歩いて『幸運のよつば亭』への帰路に就く。

ゴブリンの住処を壊滅させたときに居たブリントが気になり、最近は大通りでも気を抜かないようにしている。


ブリントは過去にその変身能力を生かして歴史の裏で幾度となく暗躍してきた。

そして、その影響力は今も残っている。

あの時、彼らがあの場所に居た意味は分からないが、どうせろくでもないことを考えて何か企んでいたのだろう。


リナを助けて以来、連続して何かしらの陰謀に関係を持たされている。

警戒して損はない。最近はココも一人歩きをするときは怪しげな場所には立ち寄らないようだ。

結族関連は得る物のも多大だがリスクも多大。うまい具合に生きていかなければならない。


考え事をするうちに目的地へとたどり着き、よつばの描かれた看板を見ながら木の扉を開け、中へと入る。


「あ、スバルおかえり」

「スバルさんお帰りなさい」


ココとリナの二人がテーブルでよつば亭の主人お得意のポトフをたべていた。

金属球がふわふわを周りを浮く中、食事をしながら何やら二人でカードゲームに興じている。


「面白そうな事やってるな。俺も混ぜてくれ」


ブラウにエールを頼み凝った肩を回しながら席に着く。

ゴミが落ちているわけでもなく清潔でないわけでもないのにどこか小汚さを覚えるこの場所はとても落ち着く。

今日受け取った報酬の分配は食後にのんびり部屋でやってもいいだろう。

二人が楽しんでいるところに水を差す必要もない。ココは金勘定の方が喜びそうだが。


テーブルの上でリナが悔しそうにしながらやっている物はセントラルにあるトランプというカードの遊びなのだそうだ。手作りでカードを模倣してつくったらしい。

リナ曰く、色々な遊び方があるようで今はスピードという遊びをしている。

反射神経を要するゲームらしくココが圧勝していた。


しかし、よくよく見てみれば、一枚ずつ置くはずのルールと説明していたにも関わらずココはカードを重ねて出し、二枚出しをしている。

リナの動体視力では外装骨格を纏わない限り見切ることができない速度だ。


なるほど、いい手だ。リナ相手に俺もやろう。


「あ、そうだ。レイナールから連絡くれって言付けがあったみたいだよ。ブラウがその伝言受け取ったってさ」


レイナールか。なんでかあいつからの連絡は面倒事のイメージしかわかない。

特に迷惑を掛けられたわけでもないのに何故だ。


今日はもう遅い、明日にでも顔を出そう。


俺はリナとのスピードに圧勝しながら明日の予定を思い描いた。

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