第5話 地下世界3
石畳が敷き詰められた大通りを衣類のはためく音すら立てずに移動する。
石造りの建物が立ち並ぶこの道は、歓楽街とは程遠く、喧噪を一切感じさせない。
一般的には寝静まる時間のためか人通りは無く走るにはとても都合が良い。
宿屋の三階の高さから≪軟着地≫(ソフト・ランディング)の効果で緩やかに着地した後、臭いの元へと走り始めていた。
戦闘補助の類の呪文は一日の始まりにすでにかけており、一部の瞬間的な呪文以外の接続時間を大幅に増加する≪効果時間延長≫(マス・エフェクトタイム)の影響で今もその力を発揮している。
今日たまたま仕事をしており、これらの呪文を使用していたお陰でリソースの節約になっているのは運が良い。
……戦闘することになってしまったのに運が良いのか?
などと、くだらない事を考えている暇はなかった。
襲撃者がすぐ近くにいると鼻が教えてくれた。人数はやはり一人のようだ。
相手も『幸運のよつば亭』に向けて移動していたためか思ったよりも接敵が早い。
その場所は大きな通りから少し離れ、三つほど細道に入る路地裏だった。
地中という限られたスペースでできるだけ多くの建物を建てるために、この街『虹彩都市アイリス』にはこういった細い裏道が数多くある。
最低限人の行き来ができるだけの1メートル程度の幅の道、この場所もその一つだ。
宿屋や住居の多いこの区域では、建物は主に2階から3階建てで構成されている。
そのため裏道は暗く、悪意ある者が身を隠しながら移動するには最適だろう。
臭いで感じとれる動きではこちらに気が付いている様子はない。
やはり襲撃者はリナを探知して行動していたようだ。
探知できないよう対策は施したがきっとその場で対策を施したのも筒抜けだ。
最初の反応があった場所に向かうのは間違いじゃない。
マンティスが探知を使う以上相手も秘術を使う可能性がある。
あまり手間はかけたくないな。できれば素早く無力化したい。
マンティスが通るであろう道と別の道とが交わる地点の物陰で息を潜める。
丁度、建物の陰になる場所だ。
街の黎明期に無計画に乱立した建物のおかげで身を潜めるところはそこら中にある。
今回はその利点がこちらに味方した。
マンティスのローブがはためく音が聞こえる。邂逅までもう幾ばくも無いだろう。
右手でシミターを抜き放ち、手甲の嵌められた左手で腰のスローイングを抜き、いつでも投擲できるように構える。
静かにその瞬間を待った。
第三話 斥侯との戦闘
マンティスが十字路を通過し『幸運のよつば亭』の方向へ向かっていく姿を視認した。
できるだけ音を発さないように後ろから飛び掛かる。
シミターを狭い通路にぶつからないように小さく振るった。
狙い違わず、刃の軌跡はマンティの首へと吸い込まれていく。
カキン、と硬質な音が路地裏に反響した。
シミターはマンティスの首から拳一つ分離れた場所で停止している。
空間に亀裂が入っていた。視認できない力場が確かにシミターの斬撃を受け止めている。
≪不可視の緊急盾≫(エマージェンシー・シールド)か!!
文字通り使用者の緊急事態に反応するその盾がマンティスの命の救い、彼に回避する余裕を与えた。
異常に気が付いたマンティスが速度を上げ、こちらに身体を翻しながら前方へと跳躍する。
手に握るシミターを引き戻す。役目を終えた盾が霧散し消失した。
接近戦での追撃か遠距離での追撃か、一瞬の逡巡の後。
飛びのいた背中目掛けてスローイングナイフでを投擲し追撃を加える。
着地し、完全に振り向いたマンティスにナイフが飛来した。
しかし、投擲したナイフは一向に対象へと届かない。
速度を保っていたはずのナイフはマンティスに近づくにつれ減速していく。
≪凶弾の遅延≫(ディレイ・オブ・バレット)だ。
一定時間、自身の周りに遠距離物理攻撃の速度を大幅に減速させる呪文がマンティスの周囲に発動されていた。
≪不可視の緊急盾≫≪凶弾の遅延≫。
多くの冒険者が愛用するそれら呪文は、それぞれ使用回数や持続時間の問題があるものの、一定以下の攻撃を一時的に無力化する使い勝手の良い呪文だ。
もちろん俺自身の同じ備えをしている。
命に直結する効果だけにそこそこ高価な呪文だ。
奇襲こそ成功しなかったが身を守る加護を二つ?がせたのは悪い結果ではない。
なんだ、酒場の時の体たらくと違っていい呪文使っているじゃないか。
略奪することへの期待に胸が膨らむ。死人に道具は必要ない。
僅かに入る宙からの光を頼りにマンティスを視界に収めた。
空中で緩やかに進むスローイングナイフがマンティスの鎌で叩き落とされる。
ローブのフード越しに気色の悪い複眼が俺を覗く。ギチギチと昆虫の口が開いた。
「酒場であの女の近くにいたやつか」
予想通り顔を覚えられてしまっていた。
「酒場では目立つなと言われたから何もできなかったが、今は違う」
何時でも反応できるようにマンティスの動きをしっかりと観察する。
俺とマンティスとの距離は7、8メートル程。
「この場所はいい。何かを切り刻むのに適した場所だ」
暗がりとはいえ、目が慣れると相手の容姿が嫌でも目に入ってきてしまう。
顔はまんまカマキリ、両手には大きな鎌。足は2つ。
ローブで隠れて詳しくわからないが、本物のカマキリと違い足は4つではなさそうだ。
姿勢は悪く、おしりが後ろに突き出したような体勢をとっている。
おしりじゃなくて腹だったかな?
「あの女の場所について知っていることを話せば楽に殺してやる」
こちらが言葉を発さずにいるのを怯えと取ったのか気持ちよさそうに口上を述べている。
「沈黙か……仕方ない。四肢を削ぎ落し神より賜りし力で全てを吐かせてから内臓を喰らってやろう!!」
異様によく動く口は虫嫌いなら卒倒してしまうだろう。
知識ではマンティスを知っていたが、実際に見ると正直かなり受け入れがたい容姿だ。
「お前は誰にも知られることなく後悔を口にしながら『メズスティス』の供物としてこの世から解き放たれるのだ!!」
『メズスティス』は確かマンティスが信奉する悪性の女神だったはずだ。
そんな気持ちの悪いものと一緒になることなど堪らない。
「生憎、俺は虫の神様と一緒になるのは御免だね」
思わず口に出てしまった俺の言葉に気を悪くしたのかマンティスは両手に着いた鎌を振り上げこちらに飛びかかってきた。
マンティスの前進に合わせこちらも地を蹴る。
腰のポーチから新たなスローイングナイフを左手で抜き再び投擲。
二度目の投擲は速度が減衰することなくマンティスの身体に届こうとしている。
有難いことにお喋りが長かった。
30秒が経過し、すでに≪凶弾の遅延≫の持続時間時間が切れている。
奴には自動的に遠距離物理攻撃を防ぐ手段はない。
右手の鎌が振り下ろされナイフが弾かれた。
無視して右手の鎌の先をシミターで斬りつけながらマンティスのすぐ左横を通り抜ける。狭い通路のせいで壁すれすれだ。
斬りつけたにも関わらず傷一つない鎌。シミターと同程度の硬度があることは予想の範疇。
マンティスは俺の動きについてこれず無防備に背中を晒している。
俊敏性は俺の方が上のようだ。
最初に弾かれたナイフを拾い、そのままマンティスの首を目がけて投げ放つ。
瞬間、マンティスの顔が消え、ナイフがないもない空間を直進していく。
俺の嗅覚や聴覚のようになにかしら死角を補う手段を持っているらしい。
マンティスが反転しこちらに全身を見せつける。頭部が数瞬前の腰の位置に移動していた。
恐ろしい速度で伏せたようだ。
隠されていた節足が服を破り露わとなり、四つ足で動き始める。
地に伏したままカサカサとこちらに迫り来る。
四つ足になり伏せたことで正面から攻撃を狙える面積が半分以下に減っていた。
ならば、上から攻撃するまでだ。
必要経費と割り切り手袋に備え付けられた宝石から≪跳躍ジャンプ≫を使用。
呪文による補正が常ならぬ跳躍力を俺に与える。
地を蹴り壁を蹴り、マンティスの直上まで一気に飛躍した。
シミターを鞘に納めながら、スローイングナイフを一つマンティスがいる場所へ飛ばす。
此処は狭い裏路地。マンティスはおそらく前か後ろに跳んで避けるはず。
これまでの運動能力から想定される前後の二か所にナイフをお見舞いする。
ポーチ内の残りのナイフは16本。8本ずつ目標地点へ投げつけた。
当たれば致命傷には程遠いが動きに支障はでることは間違いない。これで詰みだ。
攻撃が終わったら精神系統の秘術で情報を引き出そう。
時間をかければ対策をされていようがなんとかなる。
戦闘後の処理を考えていると、ブゥン、と不快な羽音が狭い通路に響き渡った。
突如、マンティスの身体が膨れ上がり背中の服が飛び散る。
それは巨大な羽だった。褐色の表皮の下、透明な膜が羽搏き始める。
二対の羽が加速し、マンティスを飛翔させた。
曲線的な動きで直接マンティスへと放ったナイフが回避される。
当ての外れた16本ものナイフが石畳へと無意味に突き刺さった。
マンティスは鎌を構え、地上の動きとは比べ物にならない速度で俺へと詰め寄った。
跳躍し、空中に留まっていた俺は避けることすら儘ならない。
視線を外さずに手甲で頭部を守り、衝撃に備える。
俺の≪不可視の緊急盾≫が発動した。
斬撃こそ防いだものの衝突の勢いで不可視の力場ごと押し出され空中に投げ出された。
マンティスはそのまま空高くへと舞い上がる。
眩い光が目に飛び込んできた。
建物の上まで弾きだされたようだ。
身体を捻り体制を整え、民家の屋上に着地する。
完全に油断しすぎだ。まだ酔いが残っているとしか思えない。
≪飛行≫(フライ)の呪文だって存在するのに敵が飛ばないとなぜ考えたのか。
まして相手は昆虫型の人間だというに。
宙で反転したマンティスが直線で迫りくる。
今の俺の速度よりも数段早い。だが、回避できないほどでもない。
鎌での一撃を紙一重で避ける。屋上の床に亀裂が入った。
マンティスは飛び去り再び攻撃の体制を作っている。
空中から浴びせられる攻撃に防戦を余儀なくされた。
回避するたびに屋上はその傷を増やしていく。
高火力の呪文や銃による飽和攻撃はできれば使いたくない。
総じて派手なのだ。音は煩く、光も放つ。
研ぎ澄まされた嗅覚により、周辺の住居内以外に人の存在はないと分ってはいるが、異常な光景を見て増援が現れないとも限らない。
そもそも街を破壊する呪文は御法度だ。街を管理する連中に目をつけられ下手すりゃ殺される。
近距離や遠距離の奇襲を対策しているなら当然、マンティスは対象を従順にさせるような精神攻撃への対策もしているに違いない。
このまま精神に作用する呪文を撃ったとしてもリソースの無駄にしかならないだろう。
情報収集はあきらめたほうが無難。
自らの油断によりもはや相手を殺すより他に術がなくなってしまった。
回避しながら打開策を模索する。
手甲には高火力な呪文や防御の呪文ばかりで現状に有用な呪文はない。
銃もダメだ、火薬の炸裂する音は遠くまで届きうる。
今の俺のスピードでは攻撃への反応力も足りない。
加えて宙には明るく輝く光の塊。こんな明るい場所に居ては増援にすぐ見つかってしまう。
情報を求めて時間を浪費し、別の敵に捕捉されては元も子もない。
ここが限界だ。
あぁ、もう穏やかにいけそうにない。
脳内で歯車が切り替わった。
獣の自分が解き放たれる。
心臓が過剰に脈を刻んで煩く騒ぐ。
音が、臭いが、肌を撫でる空気の流れが、より鮮やかによりはっきりと感じとれる。
何度目かわからない突撃をしてきたマンティスが急にスローに見えてくる。
両手が歪に膨れ上がり瞬時に腕が肥大化した。
体毛が生え揃い、露出した指の爪が硬化し太く長く伸びていく。
両手の手甲は伸縮し、膨れ上がる腕に合わせたサイズへ変貌する。
靴が弾け、獣の足が現れた。
不思議な高揚感が脳髄を痺れさせた。
スローで動いていたマンティスがようやく目の前へと肉薄してくれる。
何気ない動作で左手を使いカマキリの首を掴んだ。
「グゲェ」
虫が汚い悲鳴を上げた。
そのまま屋上の地面へ思い切り叩きつけた。
「ゲググェェ」
「なんださっきまでの威勢の良さが台無しじゃないか」
緑の血を流してマンティスがピクピクと痙攣している。
「狼の獣人を見るのは初めてか? 初めまして。俺もマンティスを見るのは初めてだったよ」
喉が潰れたのかマンティスは言葉を発することもできずにこちらを力なく見つめている。
獣化した足で腹を踏みつけた。言葉にならない悲鳴が聞こえた。
「互いに仲良くなれたところで……悪いな、気持ちよく死んでくれ」
気色の悪い複眼が恐怖に歪んだ。
躊躇なく変化した右手をマンティスの腹へと捻じ込む。
一度腹を抉っただけでは足りないらしい。鎌を動かそうともがいている。
そのまま右手を何度も突き刺すとようやく瞳が力を失った。
虫だけに生命力がつよい。
深呼吸をして心を落ち着ける。酷い臭いだ。
マンティスのローブで右手の血を拭う。完全には取れないがこれで十分だ。
もう一度を深呼吸する。
すると肥大化した脚や両手がみるみる萎んで元の手足に戻っていく。
左手の『秘術手甲』も縮んだ拳に合わせて小さくなる。
秘術的に加工が施されたこの手袋は変化する身体に合わせてサイズが変わってくれる優れものだ。服や革鎧、ベルト、ストラップにも同じ加工が施されている。
ただ、靴は普通の靴だ。
秘術的加工がなされた装備は高い。特殊な靴を買えるほどまだ稼いじゃいないのだ。
結局、追手からの情報は何一つ得られなかった。
実力の高い冒険者なら最高の結果を導けるのだろうが、未だに俺はその領域には至っていない。
反省もそこそこに変わり果てたマンティスの所持品を漁る。
一つを除き特に目ぼしいものはない。
マンティスが装備していた腰ベルトを持ち上げる。
宝石がいくつもついていた。そのうち一つに意識を集中する。
宝石の内部には確かに秘術的エネルギーが内包されていた。
これはおそらく≪不可視の緊急盾≫だな。
使った分が返ってきた。
他にも宝石が付いている。一つ一つ調べる暇はないがおそらく全て秘術的エネルギーが込められているだろう。
こうやってベルトに宝石が嵌められている以上≪接触広域化≫も付与されているはず。
ベルトの血を物言わぬマンティスのローブで拭いポーチに仕舞い込む。
やったぜ。儲け儲け。
ハックアンドスラッシュは冒険者の常。
名前も知らないマンティスさん悪く思わないでくれ。
周囲を見回す。緑色の血とマンティスだったものが広範囲にまき散らされていた。
獣化するのはこれが良くない。
綺麗にできない。
まぁ、ここは裏路地のすぐ近く。三階の屋上とはいえ、そのうち鼠かなんかが勝手に死体を処理してくれるだろう。
できれば次はもっと上手く戦いたいものだ。
……っと忘れずに使わなくては。
このまま服を血だらけにして街を歩くわけにはいかない。
自分の手甲についた宝石の一つに意識を向け呪文を唱える。
「≪紳士淑女の嗜み≫(クリーン・イクイップメント)」
淡い光が身体に纏わりつき、服や身体汚れ、緑の血を落としていく。
瞬く間に服は戦闘前の綺麗な姿を取り戻した。
残念ながら壊れた靴は元に戻らないが。
今回は運がよかった。
相手は一番警戒していた秘術を殆ど使用してこなかった。
自らが所持していた脳力を使用しなかったのは攻撃能力じゃなかったからなのだろうか?
神より賜りし力で吐かせるとか言ってたし、精神に作用する力だったのだろうか?
戦闘脳力持ちではきっとこうも簡単にはいかなかったかもしれない。
……過ぎたことは考えてもしょうがない。
気持ちを切り替え、屋上から飛び降りる。落ちているスローイングを拾い集め装備し直す。
戦闘時間は5分に満たない。
移動時間を含めてもすぐにココとリナに追いつけるだろう。
俺は『頑固者のドーナツ屋』へと向かって裏路地を歩き始めた。
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