アプリコットフィズ

羽間慧

第1話 青天の霹靂

 私がカクテルに意味があると知ったのは二十歳の冬のころだった。


 男性が女性にポートワインを勧めれば「愛の告白」になり、女性がシェリーを注文すれば「今夜、あなたに全てを捧げます」という意味になる。どちらも情熱的な口説き文句だ。


 アプリコットフィズの意味は、私に振り向いて。カクテルに託す乙女心に共感した。


 そんなタイトルに惹かれて読み始めた携帯小説は、のちに同じサークルの後輩が書いたものだと分かった。一年間ほど楽しく読んでいたのだが、未完のまま終わった。というのも、後輩に完結させる意欲がなくなったのだ。

 私はそれを大学四年生の五月に、本人から聞いた。


 先輩、アカウントを消したんです。


 ミーティングの前に、後輩はぽつりと呟いた。そのとき、私は後輩と食事をしながら雑談していた。お茶を飲んでいたときに聞いたため、私は思わずむせてしまった。


 どうして。私は驚きを隠せなかった。毎回、作品提出を守る彼女の台詞とは思えなかったのだ。


 携帯小説サイトのアカウントを消すということは、同時に作品のデータも消すことを意味していた。作品を応援していたユーザー数はあまり多くはなかったが、それでも少しずつ増えていた。その期待を裏切るようなことを、優しい性格の彼女がするはずがないと考えていた。


 後輩はつらそうな表情を浮かべて話し始めた。


 結末は書けているんです。ヒロインの大学生が卒業後に先生と結ばれる構想は、掲載を始めたときから考えていましたから。


 私は静かに耳を傾けた。


 デートの幸せな時間が、会えないつらさが書けなくて。半年間、時間をおいてみたんですけど、どうしても完結に持って行けなかったんです。


 その先は、何を書こうと思っていたの。


 私の問いに、後輩は嬉しそうに答えた。


 ヒロインが渡したチョコレートのお返しに指輪が贈られ、その指輪がヒロインにとって会えない時間を耐えるお守りになるという方向になっていたようだ。


 物語の時間は、付き合い始めた最初のデートの後で止まっている。後輩の話を聞いて、私の脳内で登場人物がゆっくりと動き始めた。


「それでは、これからミーティングを始めます」


 部長の声は、ざわめいた空間の中でもはっきりと聞こえた。連絡事項は、部誌に載せる作品の締め切りについてだった。


 創作部と名付けられたサークルでは、一冊の本を作っている。十月に行われる大学祭で配布するため、夏休みに学内で製本していた。


 先ほどまで暗い表情を浮かべていた後輩は、私と話して気持ちが楽になったのか普段通りにメモを取っている。彼女にはまだ創作意欲が残っているようだ。


 アプリコットフィズと名付けられた恋愛小説。その続きが読めないのかと思うと、私は人知れず溜息をついた。

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