第26話 肉弾戦

 拓海の右手を握った瞬間から、亮二はその居場所をはっきりと掴んでいる。奴のイメージは青色。場所は池袋駅のすぐ近くだ。恐らくそこに奴の棲み処があるのだろう。


 思わぬ負傷をして決戦を避けたに違いない。避けたということは、今は奴にも勝つ自信が無いのだ。しかも奴は自分の居場所を亮二に掴まれているとは思っていない。十分に勝機はある。


 だが、勝った後何が待っているのだろう。このことを思うと亮二は足の力が抜けるような孤独感を覚える。病床に戻ったところで生田目も、レンコももう居ない。また同じような友情と愛が得られるなんてことは無いだろうし、欲しいとも思わない。あの二人には代えなど効かないのだ。


 池袋駅に着いた。青の気配は駅全体を包み込むほど濃く立ち込めている。駅前にひときわ高くそびえるホテルの最上階、その窓から青い気配が渦を巻いて流れだして行くのが見える。奴はそこに居るに違いない。亮二は腕時計を見た。受肉してから15分、残り15分で勝負を決めなければアウトだ。


「悠長に悩んでる時間なんか無いようだ。俺はいっつもこうだな、レンコ」


 空に向かって話しかけると、亮二は猛然とホテルへ向かって駆け出した。


 拓海の手を口に銜えホテルの外壁にとりつくと、亮二は一気に最上階目指して登り始めた。コンクリに指を打ち込み窓枠を砕きながら、数十秒で24階までたどり着く。拓海の気配が渦巻く最上階のスイートルームを窓からのぞき込むと目指す男は居た。


 ベッドに腰かけながら、血まみれのパーカーを着て右腕を押さえている。パーカーの血は奴のものだけじゃない。あの血の大部分はレンコのものなのだ。そう思うと、我をも失いそうな怒りが電流となって頭からつま先まで駆け抜け、亮二は咆哮した。


「くたばりやがれぇぇぇッ!」


 硬質ガラスを破り雨のような破片とともに室内へ殺到した亮二は、全体重を乗せて拓海の顔面へ拳を叩きこんだ。


 芯まで捉えた重い手ごたえが伝わり、同時に亮二自身の拳にも鋭い痛みが走る。ベッドが派手な音を立てて二つに折れ部屋に木片が散乱し、拓海の体は部屋の壁をぶちぬいて廊下へ飛ばされた。


 すかさず駆け寄ると、驚いた表情のまま倒れている拓海の顔面に向って再び拳を振り下ろす。床は亮二の拳に耐えられずに抜け、二人は階下の高層レストランへ派手な音を立てて落下した。


 それでなくとも無差別殺人事件で敏感になっている時期だ。着飾って豪華な食事を楽しんでいた人々は天井からの闖入者にパニックとなった。


 ドアに殺到する中年男、転んで泣き出す女。必死に声をはりあげるボーイらしい白服の男。無関係な者の巻き添えを恐れた亮二は拓海の首を両手で締め上げると、そのまま体を持ち挙げて窓を割り、拓海とともに池袋の夜空へダイブした。


 風が轟轟と耳元で鳴る。20階以上の高層ビルから飛び降りた亮二は、迫ってくる交差点の横断歩道を見ながら着地までの時間をいやに長く感じた。この高さから飛び降りたのはさすがに無謀だったか?ちらと後悔の念が湧いたがもう遅い。アスファルトが目前に迫り、二人は地面に激突した。


 思った以上の衝撃が体を貫く。それでも亮二は拓海の首から手を放していない。ふらふらになりながらも拓海の体を引き寄せると、血だらけの顔に一回頭突きを食らわせて怒鳴った。


「正木亮二だ!望み通り来てやったぞ!有難く思え!」


 もう一度、頭突きを食らわす。衝撃で拓海の左側の眼球が飛び出たのを見て、亮二はすかさずそれを引きちぎった。


「お前を殺す男の顔をよく覚えとけ!地獄で会ったらもういっぺん殺してやる!」


 言いながら馬乗りになると、亮二はめったやたらに拳の雨を降らせた。レンコが右手を切断しておいてくれたお陰で、拓海は上から降ってくる拳をほとんどガードすることができない。拳で、打つ、打つ、打つ。


 このまま頭を砕いてしまえるかとも思える勢いだったが、亮二はふと拳に違和感を覚えた。感覚が無くなってきているのだ。


 拓海から飛びのいて手を広げる。右側の拳はかろうじて動くが、左は指がありえない方向に折れて曲がっている。それどころか、小指と薬指が無い。夢中で攻撃しているうちにどこかへ吹き飛んでしまったのだろう。拓海のタフな頭蓋骨に亮二の拳の方が負けたということか。これではいくら殴ってみても効果は期待できない。


 かろうじて形を保っていた腕時計をちらと見た。残り受肉時間は9分。いくら回復力が高くてもこの拳の再生は決着までに間に合いそうにない。


「やりやがったな。出来損ないのくせしやがってしつけえ野郎だ!あのとき殺してりゃ良かった」


 むくりと立ち上がった拓海が、形の崩れた口を動かした。この化け物は、あれだけやられてもまだ動けるというのか。


「レンコをたらし込んだのもお前だろう?あいつが本物の女になってたのはビックリだが、俺を襲ってきたのはもっとビックリだぜ。なんでも言うこと聞くオカマだったのによ。今頃あいつはどっかでくたばってるはずだ。心臓をくりぬいてやったからな。全く阿呆なオカマ野郎だ!」

「黙れ!」 


 片手で電柱を引き抜くと、亮二はけらけら笑う拓海へ向かって放り投げた。うおっと言いながら避けた拓海は派手に転び、路駐してあったベンツに手をかけてよろよろと立ち上がる。それなりにダメージは受けているようだ。このころになって、ようやく警察車両のサイレンが聞こえ始めた。

 

 残り時間8分。もはや迷っている暇はない。拓海を捕まえなければならない。亮二は信号機を引き抜くとベンツに掴まっている拓海に向ってまた放り投げ、投げると同時に拓海へ殺到した。


 信号機がベンツに突き刺さった瞬間、拓海は横っ飛びする。その拓海に組み付こうと亮二が飛んだ時、拓海の左手が鞭のようにひょうと鳴った。胸に経験したこのないような種類の痛みが走り、足が萎える。広い胸の真ん中に、拓海の腕が深々と埋め込まれていた。


 拓海の残った右目がにやりと崩れる。レンコはこれでやられたのだと亮二はすぐに悟った。息がうまくできない。風呂の元栓を抜いた時のように、体中の血液が胸を中心として流れ出てゆく。


 だが、この程度で攻撃を止めるわけにはいかない。この体が動く限りは戦うのだ。この場を逃げても、どっちみち先に待つのは死でしかない。ならば拓海を道連れに出来る可能性のあるこの瞬間だけが、落とし前のつけ所だ。すべてを、すべてをこの呪われた男にぶつけるのだ。


 胸に刺さった拓海の腕を自分の左腕で抱えると、亮二は残った右拳で再び拓海の顔面を叩き始めた。だが痛めた拳では大きなダメージが与えられない。その証拠に拓海の右目はまだ笑っていた。


「なんだぁ?全然効かないじゃねーか。テメーが死んだら、テメーのお袋もぶっ殺してやるから安心しな。ババアは好みじゃないが、殺す前に一杯犯してやるよ」


 けけ、と下卑た甲高い声を上げる男を、亮二は心底憎いと思った。命に代えても、ではない。命を脱いだ後の魂に代えて、こいつだけは葬らなければ気が済まない。



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