第12話 受肉者たち

「加藤家を襲ったのは私だ。君に嘘をついて本当に悪かった。」


 紺色のスリーピースをきちんと着こなした男が病室で亮二に頭を下げた。横ではレンコがうさん臭そうな目で男を見つめている。男は、あの生田目だ。


「いや。助けてくれたことは感謝してる。で、あなたも受肉者なんですか?」

「そうだ。だが私は刑事じゃないんだ。ただの役所の公務員、いや、元公務員だな。でも、生田目という名前は本物だ。君と同様加藤拓海には恨みがあってね、奴を探していたんだがどうしても居所が解らなかった。だから君に嘘をついて実家の住所を聞き出したのだ。後は新聞の通りだな」


 新聞通り、と言うときの生田目の表情は何の変化も見られない。十人以上殺した事実もこの男の心には何ら影を落としていないのだろう。それは復讐者であるからなのか、それとも受肉者特有の残酷さからなのだろうか。


「結局実家に奴の姿は無かったんだが、後から奴が新宿でホストの仕事に就いていると突き止めてね。改めて殺してやろうとしたんだが、私は手もなく負けたよ。それで次の襲撃の機会を伺って奴をマークしていたら、ひょっこり君が現れたというわけだ。いや、驚いたよ。私以外にも受肉者がいるとはね」


生田目は亮二とレンコの顔を交互に見回した。


「ひとつ聞きたいんだが、加藤家で顔に傷がある男が居ませんでしたか?額から頬にかけて大きな傷がある男なんだけど」


 前から気になっていた元ラーメン屋の男の事を亮二は聞いてみた。生田目はそんな男は居なかったと首を横に振る。


 良かった。男はきっとあの後組を辞めたのだろう。何故か亮二は旧知の友人が助かったような安心感を抱いた。


「で、あんたは拓海に何の恨みがあるの?」

 

 アーモンドの袋を手にレンコが横から口を挟む。アーモンドは美容にいいというテレビ番組を見てから、この女はそればかり食べているようだ。


「加藤拓海はどうやら詐欺グループを作っていたらしい。私の妻はそれに引っかかって一千万以上の金をだまし取られた。その挙句、自殺したようだ。たかが一千万円でな。奴はまだ未成年だったから主犯とはされなかったが......だが間違いなく奴が主犯なのだ。保護観察などという罰にもならない罰で許せるものか!」


 先ほどとは違い、生田目の表情はひどく険しかった。拓海という男はどこまで人に害悪を振りまけば気が済むのだろう。亮二は昔絵本で見た、殺生石にまつわる故事を思い出した。九尾の狐という大妖怪が人間に退治され、その姿を殺生石という石に姿を変えたという伝説だ。殺生石は常に周囲へ毒を振りまき、近づく者すべてを苦しめ続けたという。拓海もまた、近づく者すべてを不幸に巻き込む歩く殺生石なのだろう。


「自殺したようだって、あんた自分の奥さんが自殺したかどうかもわからないの?」


 亮二の思いを断ち切るように、レンコが亮二の気が付かなかった部分へ突っ込んだ。 


「い、いや。私はそのとき海外に単身赴任だったんだ。だから妻の変化にも気が付かなかったし、自殺した現場にも居なかった。私が帰ってきた時に妻はもう、荼毘に付されていたんだよ。」


 慌てて言い訳をする生田目にはどこか不自然な気配があった。そもそも、役所の公務員が海外に単身赴任するケースなどあるのだろうか?だが、この男は命の恩人なのだ。敢えて細かいところを掘り返そうとは思わない。亮二は話題を変えることにした。


「生田目さんはどう思う。拓海は生きていると思いますか?もし生きているとしたら俺は拓海を殺せると思いますか?」


 生田目は腕を組んで細く優美な眉根を寄せた。この男の秀麗な顔は苦渋の色が浮かんだときに最も輝くらしい。亮二はその整った顔立ちを美しいと思った。男に美しいという表現は何かふさわしい気がしなかったが、素直に心に浮かんだ言葉は美しいという形容詞だったのだ。


「私は加藤家を襲撃したすぐ後、続けて拓海本人を襲った。だが結果はひどいものだったよ。奴のたった一発の蹴りで私の胸骨は粉砕されたのだ。力の差は歴然としていたから私は逃げた。恥も外聞もあったものではない。君は随分奴といい勝負をしたから私よりはるかに強いのだろうが、惜しいことに奴には僅かに及ばないように思える」


 ふうと深いため息をつくと、生田目は長い指で煙草に火を点けながら断言した。


「拓海は、やっぱり生きてますよね?」


 わかりきったことを、あえて亮二は尋ねてみた。


「奴の頭の上に自動車をお見舞いしてやったが、もちろんあの程度で死ぬはずがない。かならず生きているだろう」


 渋面を作りながら生田目が応じた。


 予想通りだが聞きたくなかった答えに亮二が沈黙していると、代わってレンコが口を開いた。


「じゃあさ!あんたと亮二がタッグを組んで拓海を殺っちゃえばいいじゃない」


 レンコの能天気な大声が病室に響く。外に聞こえることを恐れた亮二はちらりとレンコを睨んだ。


「確かに、奴を殺すにはそれしか方法はないだろう。作戦を考えないといけない。協力してくれるか?」


 生田目の質問に亮二は頷いた。願ってもないことだ。とても単独であのタフな化け物を倒せるとは思えない。


「レンコさんはどうなんだ。協力してくれないのか?」


 続けての生田目の問いにレンコは笑ったような、困ったような表情を浮かべ、ひとつアーモンドを袋から取り出すと壁に向かってぴんと弾いた。アーモンドは壁に向かって飛び、破裂音を響かせて粉々に砕け散る。


 そういえば、あの時レンコは何をしていたのか。


「あたしは、直接拓海をどうこうすることは多分できない。亮二と拓海が戦っている時も、どっちに味方していいのか解らなくなっちゃってあの場を逃げ出したの。ごめんね亮二」


 ぺこりとレンコは頭を下げた。


「いいさ、邪魔しなかっただけでも感謝だよ」


 少し嫌味を込めたつもりだったが、そんな遠慮がちな批判は通じなかったようだ。レンコはぱっと顔を明るくさせた。


「許してくれるんだ。よかったー。いつ謝ろうかずっと迷ってたのよ。ほんというとね、あたしあの時拓海と一緒にいた女を追いかけてシメてやってたのよ。もちろん殺したりしてないわよ。頭にきたからちょっと右手の指を数本折ってやっただけ。ポキポキッって。あ、左腕も折ったかな」


 殺伐とした内容を明るく話すレンコに戸惑ったような表情を生田目が向けた。その視線に気づいたのか、レンコは急に真顔になると黙りこんだ。


「ちょっと席を外してくれる?」


 気まずい沈黙の後、遠慮がちにレンコは生田目を見た。生田目は少し首を傾げて考える様子を見せ、やがて二人に目礼するとぴんと背筋を伸ばして静かに病室を出て行った。


「改めて聞くけど、亮二はあたしのこと愛してる?」


 真正面からの質問に亮二はどう答えていいか正直なところ解らなかった。好きと言えば好きだ。実際毎日のようにセックスしている。だが愛しているという言葉は当てはまるだろうか?それとはまた違う気がするのだ。レンコの中に沈んでいる狂気と凶暴性はどうしても受け入れらそうにないし、拓海にまだ未練がありそうなところも気に障る。


 なにより、玲奈に対して感じるような熱さをこの女に感じない。好意があり体の関係もあるが、愛してはいないというのが心の中での着地点だろう。なんという身勝手で卑しい感情をおれは持っているのか。亮二は自分の醜くて矛盾だらけの一面から目を背けたくなった。


「愛してない。が、俺はお前が好きだ」


 馬鹿正直に言った自分に呆れた。


「俺は俺に体をくれるお前が好きだ。美味い弁当を食わせてくれるお前が好きだ。そして、母と世間話をしてくれるお前も好きだ。こういう好きが愛とイコールだというならおれはお前を愛しているんだろう。だが、何か違う気がする。まともに恋愛をしたことのない俺なんだが、それでも何か違うことだけは解るつもりだ。お前が好きだから嘘はつけない。愛してはいないが好きだというしかない」


 特徴的なレンコの分厚い唇が歪んだ。歯をかみしめているのだろう。かすかにゴリゴリという音が響いてくる。怒りを抑えた為にレンコの鼻孔は大きく広がり、その大ざっぱな顔をひどく醜く変えた。


「この大馬鹿。下手な嘘もつけやしないの?」


 レンコは静かに言うと細くながい指を亮二の顔に近づけて、受肉者特有の力で鼻をぴんと弾いた。鼻骨が折れて熱い鼻血が大量に鼻から口に流れ込むと、麻痺でせき込むこともできない亮二は窒息しそうになってえずく。レンコは亮二の細い体を抱き起こすと亮二の鼻に口を充て、ためらうことなくその血を吸った。


「ほらね、亮二はあたしがいないとなんにもできゃしない」


 血を吸った唇はいつも以上に赤く膨らんで、なにやら吸血鬼のようだ。


「あたしは随分いろんな男に騙されてきたのよ。拓海はひどいやつだったけど、もっとひどい別れ方をした男だっている。あんまりにもあたしが尽くしちゃうし、いつも一緒に居たがるから男は鬱陶しくなっちゃうのかもね。でもあなたは違う。いくら尽くしたって尽くし過ぎることはないの。だってこんな体なんだもん。戦った時あたしを殺せなかったでしょ。それで気が付いたのよ。あなたはとんだお人好しの馬鹿で、いくら尽くしてもあたしから逃げない初めての男だって。だってその体じゃ実際逃げられないじゃない」


 まつげにエクステを施した瞳が、さらに何か怪しいものをはらんで大きく裂け開いた。


「亮二、あなたは私のものよ。あたしがそう決めたんだからあなたはそうなるの。あたしの身体をおもちゃにしたんだから、あなたも私のおもちゃにならないと不公平でしょ。逃げようたって逃げられない。だから、あきらめて私を愛して。もし私を愛してくれたら」


ひと呼吸置いてレンコは吐き出すように言った。


「拓海を殺してあげる。愛してくれる人は1人で充分だもの」




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