第4話 えせらいご

私は養女に出されるはずだった。


長い間子宝に恵まれなかった叔母夫婦が、子どもを貰おうと思うがどうせなら知らない子よりも身内の子をと、我が家に相談にやってきたのは春のこと。

我が家は私と姉との二人姉妹、田舎の慣習として長子は家に置いておくものだったので、自然と次子である私が望まれたらしい。


叔母夫婦はいわゆるハイカラさんだった。

日本間の土壁をタペストリーで覆い、畳の上に絨毯を敷いた居間には、当時まだ珍しかったステレオセットが置いてあった。椅子の上には本物みたいにフワフワなスピッツのぬいぐるみ、おビンボな我が家ではなかなかお目にかかれない洋菓子なんかも出してもてなしてくれた。

叔母ちゃんちに行くよ、と言われたらそらぁもう大喜びしたものだ。


あれは六歳の初夏だったと思う。

その日も私は叔母の家に連れていかれたのだが、遊んでいるうちに、ふと気が付くと母の姿が消えていた。

お母ちゃんは先に帰ったよ、あんたはしばらくここでお泊りしていきなさい、と言われて、珍しいこともあるもんだと思ったが、後追いするような年齢でもなく単純だった私は、素直にお泊りを楽しんだ。


なんたって叔母は若くて優しい。母みたいに口うるさくもなし、ハイカラで趣味が良い。叔父はどこにでも連れて行ってくれるしレコードをかけてくれる。おやつだって姉と取り合いせずに独り占めできる。めんどくさい幼稚園も大手を振って休める、とあればそりゃ天国だ。


が。

天国も三日住めば退屈になってくる。

そろそろケンカ相手が欲しくなったころ、スピッツのぬいぐるみが私に言った。

「あんまり可愛がられておったら、あの子が泣くよ」

あの子って誰や。というよりおまえ、喋れたんかい。

ぬいぐるみときたら、叔父さん叔母さんの前ではワンとも鳴かないくせに、私にだけはボソボソ言うのだ。

「かーえれ帰れ。あの子が可哀そう」


こんなふざけたぬいぐるみのこと、大人に言っても信じるまい。

そうだ姉に言ってやろう。

姉ちゃんは来ないのと聞くと、学校があるからね、という叔母さんの返事。

おや、幼稚園は休ませてくれるのに? と、このあたりで幼い脳みそも違和感を感じ始めた。

一週間目。そろそろお家に帰りたいと言うと、叔母夫婦はこれまでになく真剣な顔で私に言った。


「うちの子になればいい」

「私たちをお父さんお母さんと呼んでくれんかね」

「そうすればここがお家になるんだよ」


青天のヘキレキ。天国の底が抜けた。

いや実際にはもう少し丁寧に説明をしてくれたのかもしれないが、なにしろそこは単純な六歳児。細かいことなど耳に入らない。

なによりかにより、いつもは笑顔の叔母夫婦が真剣な顔で話するのがまた怖かった。

これは人生の一大事、全力で抵抗しなくてはなるまい、と本能が囁いた。


おうちかえるー!お父ちゃんとお母ちゃんと姉ちゃんのいるとこに帰るー! 


ひたすらギャン泣きするうちに鼻血まで出し、とうとう叔母夫婦が根負けした。


一週間ぶりに帰った我が家は、相変わらず狭くて小汚いおビンボ家だった。父も母も口うるさく、ぬいぐるみのスピッツもなけりゃレコードもない。

私は安心して、姉とおやつの取り合いに精を出すことができた。


 *  *  *


それから半年、叔母のお腹に待望の赤ちゃんが授かったと知らせがあった。

えせらいやねえ、できるもんやねえ、と母は感心したように言った。


「えせらう」とは、うちの田舎の方言で「嫉妬する」の意味だ。

子宝に恵まれない夫婦が養子を迎えると、本来生まれるはずだった実子が「えせろうて=嫉妬して」慌てて生まれてくる、それをえせらいと言うのだ。


冗談じゃない、そのために私は養女に出されるところだったのか、と憤慨したが、母は涼しい顔で私に言った。

そういえばうちも、姉ちゃんの後はなかなか次の子が生まれんでねえ、猫を飼って可愛がっとったら、次の年にひょっこりあんたが生まれたわ、と。


私もまた、えせらいだったのだ。











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