262話 嫌いな自分を好きになるために
絶対の信頼を寄せるルシェアに、俺は何も言い返せないでいた。
彼女を押し倒して服を剥いで傷付けた相手を、どうしてここまで信じられるんだろうか……。
同時に思う。
──あの時のルシェアもこんな気持ちだったのか、と。
確かに、こんなに強烈な信頼を見せつけられたら、何も言えなくなるな……。
「──ツカサ先輩」
「ん……?」
「ツカサ先輩は、自分のことが嫌いですか?」
「んなの、唖喰と同じくらい大嫌いに決まってんだろ……」
「ふふっ、これ以上ない最悪の相手を引き合いに出すなんて、よっぽどですね」
投げ掛けられた質問に解り易く答えると、ルシェアはクスリと笑う。
その笑顔に思わず見惚れる。
実際のところ、大袈裟でもなんでもなく、俺は自分が嫌いで仕方がない。
情けないし不甲斐無い、唖喰との戦いも魔力を操れないってだけでゆず達に任せっきりなのが忍びない。
だからせめて出来ることでもと思っても、すぐに限界が来る。
ゆず達への想いに応えられないまま、ずっと待たせてしまっていることも相まって、本当に嫌になる。
一体これでどうやって自分を好きになれるっていうんだ。
「──ボクだって、自分のことが嫌いで嫌いで仕方ありません」
「え……?」
まさかと、思わず聞き返してしまう。
それが本心で思っていることだと、他でもない彼女の自罰的な表情が物語っていた。
「だって、ボクがもっとしっかりしていたら、ポーラさんにやり返すことが出来たでしょうし、ダヴィド元支部長に襲われることも、アリエル様の誘拐を手伝うことも、なかったかもしれないんですよ? そう思うとボクは弱い自分が嫌いになるばかりです」
「それは、キミが悪いことなんてないってなったはずだろ……?」
「いいえ、ツカサ先輩やアリエル様が許してくれても、他ならないボク自身がボクを許せいていません。正直、先輩に告白しないでおこうと思ったのも、こんなボクが好かれてもらおうだなんて烏滸がましいって理由も含まれていましたから」
「……」
ダヴィドが残した傷は、男性恐怖症以外にも未だ彼女の心に深く根付いていた。
いくら俺達が良いと言っても、本人が一番自分を許せていないなんて、感じる必要のない罪の意識を抱える姿は、まるで……。
「あ……」
そこまで考えて気付く。
今のルシェアが語った言葉は、俺自身にも、そして美沙のことで後悔を抱えている翡翠にも当て嵌まるのだと。
弱い自分を許せず、自罰的に自らを責める……正直、ここまで共通点があるのかと驚くばかりだ。
だからといって、俺が俺自身を嫌うままなのに変わりはない。
「ツカサ先輩は、人と世界を守る魔導士と魔導少女を守るために戦うって言ってましたよね?」
「え、あぁ……」
身の程を知らない荒唐無稽な誓いだが、ルシェアはどうしてそれを持ち出したのだろうか?
そう思いながら曖昧気味に返事をすると、彼女はジッと青い瞳を俺に向けて口を開く。
「──なら、ボク達を支えてくれるツカサ先輩は誰が支えるんですか?」
「え……?」
目から鱗が落ちるような、核心を突いた言葉が出た。
キョトンと呆ける俺の体に、ルシェアはスッと両腕を伸ばして、俺の頬に添える。
「じ──」
「自分の事は自分でどうにかするなんて、今まさに出来てないじゃないですか」
「──っ」
言い逃れを許さない追随に、俺は答えに窮する。
何せ、彼女が言ったことは俺にとって天地がひっくり返るようなものだからだ。
俺がダヴィドやアリエルさん、ルシェアの前でその覚悟を宣言した時、アイツは魔導士が唖喰と戦えない自分達を守るのは当たり前と言った。
それに対して俺は、その魔導士を誰が守るんだと反論して、先の誓いに繋げたんだが……。
まさかそれをそっくりそのまま彼女に帰されるとは思わなかった。
だが……。
「こんな自分を支えるなんて迷惑だろう……そう思ってませんか?」
「……なんで分かるんだよ……」
「だって、顔に出てますから」
あっさりと俺の考えを看破して見せたルシェアは、クスクスと笑いながら種を明かした。
その理由がどうしようもなく、俺は苦い顔をするしかなかったが。
「日本では〝持ちつ持たれつ〟って言葉があるじゃないですか」
「あ、あぁ……」
「つまり、ツカサ先輩が支えてくれるなら、ボクが……ボク達がツカサ先輩を支えたいと思うのは、当たり前のことなんですよ」
「でも、俺は助けられてばかりだから、甘えるわけには──」
「それのどこがいけないんですか?」
「……っ!」
断言する彼女に、俺はまるで言い返せない。
完全にルシェアのペースだった。
そして、そのまま俺の背中に手を回し、彼女は自分の胸元に俺の顔を抱き寄せた。
胸の柔らかさと一緒に、妙に早い心臓の鼓動が耳に届く。
一見平然としているが、ルシェアにとってとても勇気を出しているのだと伝わる。
「人一人に出来ることは限られてるんです。互いに支え合ってこそ、初めて気持ちが通わせるんだって、ボクは信じてます」
「……」
俺の凝り固まった心を解そうとしているのか、ルシェアは俺の体の魔力を動かして全身に流し込む。
抱き寄せられていることも相まって、酷く落ち着く気持ちがして……、
「──っ、っぐ、あつっ……なんだ、これ……っ!?」
ドクンっと、自分の心臓が大きく跳ねたかと思うと、耐え難い欲求が噴火するように押し寄せて来た。
全身が沸騰したかのように熱くて、着ている服が肌を擦っただけで、ビリビリと電気が走ったような感覚がする。
「はぁっ……はぁっ……!」
呼吸も荒くなり、汗が止まらない。
フワフワと思考がまとまらないし、渇いた喉が潤いを欲して水を求めるように、ある感情が今も理性を吹き飛ばしそうになっている。
俺はこの感覚をよく知っていた。
ふとした拍子に感じるそれを、自分でも驚く程の理性で以って抑えていたのだが、今回はいつもの比じゃないくらい強烈だ。
咄嗟に体を起こしてルシェアから距離を取るが、彼女から目が離せない──正確には、胸や腰に足といった一般男子が女子に対して視線を向けがちな箇所から視線を逸らせないでいた。
そう、何故かはわからないが、俺は突如性的興奮に襲われたことによって、油断すると今度こそ彼女を襲いそうになる、所謂発情状態に陥っている。
「る、ルシェア……悪い……今すぐ離れ──」
「その必要は、ないです。だってツカサ先輩がそんな風になってるのは、ボクがしたことなんですよ?」
「は、あぁっ!?」
自分でも何をするか分からない不安から彼女を遠ざけようとしたら、その口からとても信じられないことを言われた。
いや、だって……俺はルシェアから飲み物をもらったりしていないし、注射を刺されたりもしてない。
にも係わらず、どうやってこんな媚薬を盛ったみたいなことが出来るんだ……!?
「身体強化術式の裏技、らしいです」
「う、裏技……?」
「はい。身体強化術式は全身に魔力を流して身体能力を強化することが主ですが、応用で一箇所に魔力を集中させることも出来ます。ですが、その要領で人間の脳で本能行動をつかさどる視床下部に存在する、性欲中枢を刺激するんです。すると……」
「──今の俺みたいに、薬無しで発情状態に出来るってことか……」
なんつー技術が存在してんだよ魔導ってやつは……。
だが、それを彼女が行使したにしては不可解な面がある。
ルシェアは魔導少女となってまだ三か月だ。
そんな彼女がゆずでも知らなさそうな裏技を知ってるのは、どうしても腑に落ちない。
そこで、ルシェアがどういった経緯でここに居るのかを思い出した。
「──アリエルさんが、教えたんだな……」
「その通りです。色々と悩みごとの多いツカサ先輩に一番効くクスリは、これしかいないそうです」
「っ、ざっけんな……なんで男性恐怖症のキミにそんなことをさせるんだよ……これじゃ、ダヴィドと何も変わんねぇだろうが……!」
必死に情欲を抑えながら、とんでもない裏技を吹き込んだアリエルさんに愚痴る。
だが、ルシェアはそんな俺に構わず、俺に近寄って来た。
「おい……?」
「ボクなら、大丈夫です」
「はぁっ!? 何言って──」
「その、恥ずかしいですし、ちょっぴり怖くもありますけど、好きな人とそういうことが出来るなら、本当に気にしていないんです」
それは、かつてゆずや菜々美にアリエルさんが言ったことと同じだった。
けれど、彼女達の時と違って、今回ばかりは俺もギリギリだ。
近付いて来たルシェアから香る女の子の匂いで、思考がぶっ飛びそうになるし、正気を保つのもしんどい……。
このままでは、彼女を傷付けてしまうかもしれないという僅かな理性だけで耐えているのが現状だ。
「……そうやってボクのことを心配してくれるツカサ先輩だから、良いんです」
「え……」
「いつだって助けてくれるツカサ先輩のために、ボクは何が出来るんだろうって、ずっとずっと考えて来たんです。……結局、思い付かないままこういうことしか出来ないですけど、こんなボクでも助けになれるなら全然構いません」
そんな助けはいらない、とは言えなかった。
グワングワンと揺れる頭では、彼女を説得出来る言葉が出てこないし、何より俺だって男だ。
ゆず達と関わって来て、我慢していることが山程ある。
目の前の据え膳に対して、餌の前でよだれを垂らす犬と変わらない状態だから、本人が良いって言うのなら、何を躊躇う必要があるんだって邪な考えが払っても付き纏って来て、折れそうになる。
「──っ、ダメ、だっ!」
「ツカサ先輩……」
だからといって、このまま流されるわけにはいかない。
今まで耐えて来た矜持が、ギリギリ理性を繋ぎ止めていた。
そのなけなしの理性で、俺はルシェアを止めようと試みる。
「いくら好きだからって、俺の助けになりたいからって、自分の体を差し出すようなことだけは、絶対にダメだ……! もし後で俺が君をフッたら、それこそ余計に傷付けるだけだ……だから、考え直して、くれ……!」
「……本当に、優し過ぎますよ」
苦笑を浮かべてそう言うルシェアの表情を見て、理解してくれたかと思った途端……。
──ギュッ。
「──は?」
ルシェアは俺を抱き締めた。
彼女の柔らかい体に密着して、これでもかと鼻腔を擽る異性の匂いに、どうしようも無く興奮してしまう。
「──ん、お腹に……」
「──っ、な、何してんだ!? 早く、離れろって……」
確かに、彼女の体に下腹部の膨らみが当たっている。
驚きのあまり衝動的に体を離そうとするが、ルシェアはそうはさせまいと、さらに腕に力を籠めて俺を捕まえたことで、より互いの体が密着した。
「嫌です。ボクだってツカサ先輩のことが好きなんですから、二度とないこんなチャンスを逃す理由がありません」
「~~っ!!」
止めてくれ、本当にもう限界が近い。
蜘蛛の糸のように細い理性に必死にしがみ付いていると、ルシェアは俺の耳元に顔を寄せる。
「る、しぇあ……」
彼女の息遣いが鼓膜と理性を揺さぶり、何をするんだと警戒した。
「我慢は体に良くないって言うじゃないですか。それに────こういったことは、ボクの方が経験あるんで、ツカサ先輩が不安になるようなことはありませんよ!」
「……」
──あぁもう、本当になんてことを言うんだこの子は……。
そんな諦念に駆られて、俺は掴んでいた理性の糸を持つ力を緩めた。
「──その自慢は……笑えないし、余計に不安になるっての……発作が出たら突き飛ばせよ……?」
「ごめんなさい。でも、ツカサ先輩となら、怖くなんてありませんから」
なんというか、女の子は色々とズルい。
こっちが真剣に悩んでることが馬鹿らしくなって来て、俺は遂に理性を手放して彼女に身を委ねたのだった。
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