255話 少女の内なる誓い


 翌日、調子を取り戻した翡翠に、比嘉也や同級生達を驚かせたりしたが、みんな口々に『良かった』と言ってくれた。


 改めて、回りの人達にどれだけ心配を掛けたのかを実感した翡翠は、ひたすら謝り倒す。


「うっぎぎぎ……っ、ああああぁぁぁぁっっ!」


 心を入れ替えて臨んだリハビリでは、苦しそうな呻き声を上げ、苦悶の表情を浮かべながらも、泣き言は一切言わずに続けた。

 ガチガチに固まったような足に、必死に動け動けと念じる。


 たくさん動いてたくさん食べてたくさん寝る……成長期も相まって、毎日を大事に、真剣に生きてきたことで、入院から半年で翡翠は短時間であれば自らの足で立つことが出来るようになった。


 とはいえ、長い入院生活を経たことで、体力は一般的な魔導士より下回る程度に落ち、特に運動能力に関しては、同年代の女子でも下から数えた方が早いレベルにまで下がってしまっている。


 そのため、日常生活においては体に貼る医療用の魔導器に刻まれている、最低出力で発動出来る身体強化術式が必須となった。


 肌に直接張り付けるので、学校や冠婚葬祭でも身に付けて使用することが出来るため、奪われて体が動かせないといった被害のリスクも減らせることが出来る。


 さらに、美沙が使用していた魔導器を改良して、翡翠専用に作り替えてもらった。


 流石に姉が使っていた固有術式を扱えることはないが、消すのは惜しいということで、術式が刻まれたデータだけは残したが。


 人付き合いに関しても、以前とは大きく変わっていた


 入院生活の間にゆずと交流を重ね、退院した後も彼女を見掛けたら積極的に話し掛けるようにしている。


 天光の大魔導士という肩書きと本人の人柄故に、敬遠されがちなゆずと意欲的に接する姿は、かつてその攻撃的な性格で恐れられていた美衣菜と接する美沙を彷彿とさせた。


 もちろん、ゆずだけでなく以前から顔見知りだった魔導士達とも仲を築いていく。


 先輩魔導士の工藤静、その彼女が教導係を務める翡翠の後輩にあたる女性──柏木菜々美、魔導六名家の一つに数えられ、ゆずと同じく最高序列の一人である──和良望季奈。


 魔導士として戦う前と同様、技術班班長である比嘉也の助手業の傍ら、翡翠はかつての美沙に倣って人と関わることを大事にして来た。


 そうして過ごしていってさらに半年後が経過し、四月上旬に差し掛かる頃……。


 ~~~~~


「え!? ゆっちゃんにまた日常指導係が就くのです? しかも男の人が?」

「おう、そいつがはぐれ唖喰に襲われているところを、並木ゆずが助けたらしい。加えて前任と違って魔力持ちだ」

「はぐれ唖喰に……」


 比嘉也から語られた簡潔な説明に、翡翠はその人がはぐれ唖喰に襲われたという部分に反応した。


 未だに唖喰への恐怖から戦えない自分とは違い、魔力持ちであっても男性であるが故に術式を扱えない。


 にも関わらず、その人は恐怖に屈さずにゆずの日常指導係を引き受けたというのだ。


 ──凄いなぁ……。


 思わず、称賛する。

 そうなると、どんな人なのか気になって来たので、翡翠は比嘉也に尋ねることにした。


「博士、その人の顔写真とかあるです?」

「あぁ、あるぞ。確か……ほれ」

「ありがとです」


 術式や魔導士が使う装備の資料が山積みになっている机から、比嘉也は一枚の書類を取り出して翡翠に手渡す。


 それを受け取った翡翠はお礼を言ってから、紙に目を通す。


「──え……?」


 見た瞬間、少女の頭の中が真っ白になった。

 ところどころ跳ねている短い黒髪、眼鏡の奥にある、柔和な性格を覗かせる黒の瞳……翡翠は彼に見覚えがあった。


 否……ゆずの日常指導係となった男性の顔は、見覚えがある等というレベルでは無い程、よく見知った人物で……。


「……つーくんさん」


 彼は、美沙の好きな人で、自身も一度言葉を交わしたことのある──竜胆司だった。


 確かに、美沙から司が珍しい魔力持ちの男性だとは聞いたことはあった……だからこそ、姉は彼を巻き込むまいと自らの想いに蓋をして距離を置いたのに……。


 もし運命といったものがあるのだとしたら、あまりに残酷なことだと呪いそうになる。


「なんだ? そいつのこと知ってんのか?」

「あ、はい……ちょっとお話ししたことがあるです……」

「ほぉ~」


 比嘉也の問いに、翡翠は咄嗟にそう答える。

 美沙に交際相手がいたこと……引いては、それが司であることを彼は知らない。


 以前、姉に好きな人が出来たと聞いた時から、従兄の比嘉也には内緒にするように言われていたため、翡翠は約束通り黙っていた。


 それに、咄嗟に出た言葉ではあるが嘘は言っていない。

 自分が重傷を負い、美沙が亡くなったあの戦いの前の一度きりではあるが、本当に言葉を交わしたことがある。


 ひとまず、少女の言葉を信じた様子です比嘉也は、翡翠の頭に手を──置こうとして彼女に払われた。


 同性以外にはやけに辛辣な対応に『可愛くねーチビだな……』とぼやきつつ口を開く。


「あー、顔見知りなら、お前が気にするのも無理はねぇわな……っま、かの天光の大魔導士様の日常指導係ってんなら、最強の護衛が就くだろうよ」

「……はい、です」


 確かに、ゆずと共に行動するのなら彼の身の安全は保障されているようなものだろう。

 しかし、本音を言えば翡翠自身で司を守りたかった。

 自分が大好きなおねーちゃんが好きな人を……おねーちゃんを好きになってくれた人を守りたいと、少女は自然に考える。


 だが、肝心の自分は唖喰へのトラウマを抱えていた。

 一度ゆずに付いて行って克服しようと試みたことがあったが、敵の姿を見た途端体が竦んでしまい、常に発動させていた医療用の魔導器にある身体強化術式を切らしたことで、逆に足手纏いとなってしまったことがある。


 それ以前に……日常生活を送れる程に回復こそすれど、翡翠は美沙の死になる原因は自分にあると後悔を抱いたままで、彼女に好意を抱いていた司に対し、自分勝手ではあるがその事を知られたくないと思っていた。


 それは、責められたくないというよりは、美沙の好きな人に嫌われたくないという気持ちが強く、もし恨みでもされたら確実に耐えられないと確信している。


 しかし、組織の同じ支部に身を置く以上、接触を避けられないことは明白であった。


 ──どうしよう……あの人と会ったら、どんな顔をして、どんな話をすればいいんだろう……。 


 結局、司のことに関してはいずれ顔を合わせる時にまで保留することにし、その日はまた鏡の前で笑う練習をしてから休んだ。

 

 ~~~~~


 四月十五日、日曜日。


 竜胆司が並木ゆずの日常指導係となって、一週間が経とうとしていた。

 美沙から彼が魔法少女オタクだと聞いてはいたが、まさか魔導士の成人と未成年を区別する呼称として、魔導少女なんてものが出来るとは思わなかった……その名称の元となったのが、司の一言だと聞いた時は失笑する他なかった程に。


 さらに、彼は自分から唖喰と魔導士の戦闘に首を突っ込んだのだという。

 術式を使えない男性だというのになんと無茶な……と思うものの、翡翠は司に言葉に出来ない尊敬の念を抱いた。 

 会って一週間も経っていないゆずのために、自分の命を賭けて行動出来るなど、早々真似できることではないからである。


 唖喰との戦い続ける上で、避けられない過酷な現実に直面して尚、彼は日常指導係を続けると言ったらしく、ついこの前まで一般人だったとは思えない程に強い意志を持つ司に対し、美沙が惹かれたことにようやく理解出来た。


 そしてなんと、彼はゆずと友達になったばかりか、今日は二人でデートに行ったという。


 ──つーくんさんは、おねーちゃんの大事な人なのになぁ……。


 翡翠個人としては不満を感じずにはいられない複雑な心境だが、流石に一年も経過していれば、司も初恋を吹っ切っているかもしれないとも思っていた。


 ならば、せめて美沙の好きな彼の幸せを願い、その手伝いをすることが自分に出来ることだと思い直す。

 そうすれば、美沙もきっと喜んでくれると考えて……。


 そんな感慨に耽っていると、一昨日の戦闘で損傷したゆずの魔導装束を修理していた比嘉也の元に、一報が寄せられた。


「は? あの坊主の女友達が魔力持ち? んで、ソイツが魔導士──いや、魔導少女になるってか? じゃあ装備作らねぇといけねぇよなぁ……あん? 坊主と並木ゆずも一緒に来るのか? へいへ~い」

「──っ!!」


 比嘉也の電話に耳を傾けていた翡翠は、司が整備室に来ると知って大きく息を呑んだ。


 ──遂に、この時が来たか、と……。


 緊張と不安が入り混じり、気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。

 一応、この一週間で司への対応は決めてあるが、いざ本番となった時に上手く出来るかは自信がない。


 その答えとは──『初対面のフリをすること』であった。


 きっと彼は美沙の死を知らないままのはず……ならば、自分と彼女の関係性も把握していないだろうと踏んでの決断である。

 

 彼と仲良くしないという選択肢はあったが、翡翠はそれをすぐに拒否した。

 美沙の好きな人に素っ気ない態度を取るのは、もう嫌だと思ったが故で、翡翠としても司に嫌われたくないという思いからも来ている。


 だが、そうしていればいずれ美沙のことを知られてしまうだろう……その時は、翡翠は自らの身を彼に委ねることにした。


 美沙に助けられたとはいえ、自分の命が彼女と同等だとは思っていない。

 それでも、自分に出来る精一杯の償いを司にするつもりではある。

 最悪、司に嫌われる程傷付けてしまうだろうが、それはもう承知の上であり、後は煮るなり焼くなり自分に出来ることをするまでであった。


 最早、今更くよくよしている場合ではないのだ。


「博士、ゆっちゃん達が来るまでに早くお仕事終わらせるです!」

「わぁーってるよ!」


 残っている仕事をさっさと終わらせ、翡翠は司達と顔を合わせる前に着替える。

 譲ってもらってから、一向にブカブカのままな美沙とお揃いのジャージを羽織り、ロッカーの扉に着けてある鏡を見て、ニコッと笑顔の練習をした。


 ──大丈夫……ちゃんと笑える……。


 そう自らを鼓舞し、比嘉也と合流して整備室の方へ入る。 

 

 扉を開ける上司の背中に続いて部屋に入ると、司はいた。

 その彼の隣には二人の少女がおり、一人は翡翠が一方的に友達だと思っている並木ゆずで、もう一人の赤みがかった茶髪をポニーテールにしている彼女が、彼の女友達だろう。


 そして、当の司と目が合うが、彼は特に驚いた様子はなかった。

 それはつまり……。


 ──あぁ、覚えてないんだ。


 一抹の寂しさこそあるが、逆に好都合と思考を切り替える。

 今から彼と接するのは、舞川美沙の妹である天坂翡翠ではなく、過去に重傷を負って前線から下がった魔導少女の天坂翡翠だ。

 

「あ~、隅角比嘉也だ。日本支部技術班の班長をやってる。そんでこっちのチビが──」


 比嘉也が真っ先に自己紹介をする。


 ──さぁ、いよいよだ。


 翡翠は目をパッチリと開き、今の自分に出来る最高の笑顔の仮面を張り付ける。

 息を吸い、胸を張って名乗る。 




「はいはいはーい! ひーちゃんでーす!」


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