253話 抜け殻の生命


 舞川美沙の葬儀は、彼女の死から一週間後に執り行われた。

 遺体無き葬式というのは、唖喰との戦いを続けて来た組織にとって別段珍しいことではない。


 翡翠は、別れ際に美衣菜が口にしたことを改めて実感させられた。


 喪主は美沙の従兄である隅角比嘉也が務め、家族葬で葬式は進む。

 彼女の遺品は従兄の計らいで、居住区にある衣類や家具なども全て翡翠に贈与されることになり、部屋もそのまま継続して使えるようにしているという。


 そして、姉が亡くなった戦闘で負った怪我で一時的な半身不随となった翡翠は、車椅子に乗って身内側での参加となったが、当然その表情は美沙と出会った頃に逆戻りしていると評する程に、生気と感情が抜け落ちていた。


 葬儀の後、翡翠は羽根牧区にある総合病院に移される。

 長期のリハビリが必要な彼女の体を、しっかりと療養出来る設備が整っている場所が求められたこと、その間見舞いに来るであろう学校での友人達との面会を可能とするためだった。


 唖喰と魔導、組織の秘匿性故に、表向きは交通事故という体裁で入院となり、学校には美沙の跡を継いで翡翠の保護者となった比嘉也から通告済みである。


 だがしかし、美沙の死とそれに伴う罪悪感、唖喰の絶滅不可、美衣菜との離別が重なったことで、翡翠は抜け殻と言える程に心を閉ざしていた。


 入院生活を初めて三日が経った頃、小学六年生になった翡翠は自身の病室にあるベッドの上で、昼食である病院食を口にしていた。


「……」


 ──美味しくない。


 パクパクと食べ進めるも、元々味付けの薄い病院食であることに加えて、塞ぎ込んだ少女の味覚は食事の味を感じ取れなかった。

 

 怪我に関しては、治癒術式のおかげで見た目は綺麗であるものの、足には同年代の女子と比べて脂肪があまり付いていない。

 感覚はあってもあまり力が入らず、いざ地に足を着けると全身を貫く痛みが走る。


 リハビリに取り組んではいるが中々上手くいかず、何度も転倒を繰り返してばかりであり、本人も精力的に臨んでいるわけではないため、看護師達も眉を顰めるしかない。


「うぅ……あぁ……痛い、痛い痛い……痛いぃ……」


 さらに、美沙の死を突き付けられてから、翡翠は毎晩悪夢にうなされるようにもなった。

 見る悪夢は決まって、自身の半身を無理矢理喰い千切られた瞬間であり、追い討ちを掛ける様に目の前で美沙を喰い殺されるという内容で。


 眠れば毎回同じ悪夢を見てそこでいつも目を覚ますため、まともに眠れた試しはない。


「──っ!? はぁ……はぁ……ひぐぅ、あぅ……」


 その悪夢の内容に釣られるように、目が覚めると同時に力が入らない両足にズキズキと痛みが走る。


 悪夢から目覚める度に苛まれる幻肢痛と罪の意識、幾度となく枯れる程に泣き腫らして真っ赤になった瞳は黒く沈み、絶望によって閉ざされた心には、姉が亡くなったのに何故自分だけが生きているのかという自らの生に対する疑問が宿り──サバイバーズ・ギルトという精神状態に陥った翡翠は、美沙の死から二週間あまりで目に見えて憔悴していた。


 

 ~~~~~


「おいチビ。お前はいつまでそうしてるつもりだ?」

「……」


 入院してから、仕事の合間を縫って見舞いに来る比嘉也を前にしても、翡翠は一言も返さない。

 彼自身、組織に身を置いて長い年月が経つが、従妹が大事にしていた彼女の容態は初めて見るかつてないものだった。


 これでも入院当初よりはかなり軟化しており、その頃は比嘉也の姿を見ただけで美沙を連想させたのか、喉を潰す程に泣き喚く始末であった。


「……また、時間が出来たら来るからな」

「……」


 そういって、比嘉也はベッド脇の椅子から立ち上がって去っていく。

 現状は、一方的に彼から話しかけては無言の応酬で終わる。

 

 ~~~~~


「よ、よう、天坂……元気か?」

「今日もいい天気だね。はいこれ、今日の宿題のプリントだよ」

「……うん」

 

 流石に何も知らない同級生の前では、相槌を打つ程度に返事はしている。

 特に、ふわふわのパーマが掛かった紫混じりの黒髪の少女──李織いしきすみれと、赤茶の髪を逆立たせている少年──崎田さきた蘇芳すおうの小学一年生の頃からの仲である二人には顕著だった。


 だが、それ以外は比嘉也と同様であり、二人が学校であったことを話しても全く顔色一つ変えなかった。

 二人は翡翠の笑顔を取り戻そうと懸命に話しをするが、その成果は思しくない。


 ──何も知らないくせに……。


 口に出しはしないものの、翡翠は常にそう感じていた。

 事故だと言えばみんな心配するものの、本当に事故だった方が何万倍もマシだったという現実を知る彼女からすれば、その心配は同情にも及ばず煩わしさすら覚える程に不愉快になる。


「あ、天坂! 何かしてほしかったらオレに言えよ!? 力に、なるからさ……」

「……」


 特に、翡翠に好意を向ける蘇芳は積極的であったが、元々自分の恋愛にあまり関心を向けていないことと、美沙と司の想いを紡げずに絶ってしまったことで、それらの感情に何も思うことがない。

 

 むしろ、異性の彼から力になると言われると、どうしても美沙が好きだった司を連想させるため、一層塞ぎ込んでしまう程だった。


「……それじゃ、また明日な?」

「……また来るね?」

「……バイバイ」


 二年前に母親の死があっても笑顔を無くさなかった翡翠が、たった一回の事故でここまで憔悴する理由が分からないまま、二人は自宅へと帰って行く。


「……」


 病室を出る前に蘇芳は後尾を引くように翡翠へ振り返るが、既に翡翠は横たわって窓の方を見つめていたため、やるせなさを残して出て行くしかなかった。


 ~~~~~


 生きているはずなのに心が死んだような、抜け殻のような日々を過ごしていく。 

 寝ようにも連日の悪夢のせいでロクに眠れず、起きている時もリハビリと食事と排泄以外には何もすることなく、ベッドや車椅子でどこか遠い所を見つめているばかりであった。


 美沙を死なせてしまった罪悪感と居なくなった虚無感から、生きる気力と価値を見出せず、かといって彼女の仇を討とうにも敵は絶滅出来ない怪物であり、加えて翡翠自身もトラウマの対象となって、戦えるかも怪しい無力感もあった。


 何をどうしようとままならない現実に、少女の心は日に日に虚しさを増していき、母親を亡くした時以上に翡翠は絶望に暮れる。 


 ──おねーちゃん……。


 そうなると、決まって翡翠はかつて三人で笑い合っていた日々を思い返す。

 あの頃は大好きな美沙が自分を抱き締めて、そんな彼女を抱き締め返し、同じベッドで二人揃って寝ることが日常茶飯事だった。


 もし……自分が魔導士にならなければ、美沙はきっと司とのよりを戻せたはずだった。

 かつて彼女が語っていた未来を、叶えることだって出来たのかもしれなかったと思うと、翡翠の心に圧し掛かる後悔と罪の意識は、よりかさを増していく。


 ──みぃちゃん……。


 初めて会った頃は怖かったが、共に日常を過ごしていく内にそんなことはなくなった。

 好き嫌いが激しくてイライラするとすぐに怒るなど、年下の自分でも子供っぽいと思うところがあり、必要以上に怖がらなければ普通の人と同じように絆を育むことが出来た。


 だが……もう彼女と顔を合わせることは出来ない。

 あの別れの後、比嘉也の口から美衣菜が日本を発ったことを知らされた。

 元々スマホを持たないが故に連絡先など無く、行き先は伝えた彼もあずかり知らない。


 三人で過ごした二年間は、翡翠にとってかけがえのない思い出であり、大人になっても忘れないと確信出来た。

 

 ──しかし、二人がいなくなった今は、大人になるまで生きたいと思えない。

 

 美沙が死んだ代わりに生きていることに強い罪悪感を抱えているのに、どうやって笑えというのだろうか?

 もう〝おはよう〟も〝おやすみ〟も、〝ただいま〟も〝おかえり〟も、〝ありがとう〟も〝ごめんなさい〟を交わすことも出来ない。

 

 二度も家族の犠牲の上で生きることに、翡翠は疲労感と徒労感を抱く。

 

 ──おねーちゃんに会いたい……ひーちゃんって呼んで欲しい……。


 彼女が亡くなって三週間が経過した頃、翡翠は事あるごとにそう渇望するようになる。

 、美沙と再会することが出来れば、もう何もいらないと感じていた。


 だからだろうか。

 今も動く心臓の鼓動が何故自分だけが生きてるのだと、責めているようにも思える。


 美沙と美衣菜のいない日常をこれ以上生きて、一体何をどう過ごせというのだろうか。


 そんな途方もない孤独感に苛まれる空っぽの心は、やがて少女にある考えに至らせる。


「──死んだら……おねーちゃんに会えるかな……?」


 きっと天国にいるであろう美沙に会うためには、死ぬしかない……即ち、自殺願望が芽生えたのだ。

 そう考えると、やけに納得がいった。

 自身の命にすら未練を抱いていない翡翠からすれば、どうしてもっと早く思い付かなかったのかと自嘲する程に。

 

「ん……っしょ」


 思い至ったなら早く行動した方がいいと判断し、翡翠はベッドから車椅子に移乗する。

 ベッド脇に備え付けられている床頭台にある、美沙が使っていたピンクのヘアピン型の魔導器と、修理された自身の魔導器を手に取り、転送術式を発動させる。


「……転送術式発動」


 ある場所への座標を指定して展開された魔法陣の光により、車椅子ごと翡翠はワープする。

 行き先は……、










 リハビリの一環で訪れたことのある、病院の屋上……それもフェンスで遮られていたスペースの向こう側だった。


 陽の落ちた空は既に月が昇っており、四月のまだ冷え込みのある夜空が翡翠の視界に広がる。

 キラキラと光る星空のどこかに、美沙がいたりするのだろうかと思いつつ、少女は車椅子を漕いでいく。


 本来なら自殺防止として設置されたフェンスによって、飛び降りることは出来ないようにしているのだが、魔導という技術を扱る彼女にとっては有ってないようなものであった。


 最早、自身の行動を遮るモノはないと表しているようで、いっそ清々しさすら感じる。

 僅かにある塀の段差を越えれば、すぐに六階建ての高さから落下するだろう。


 そこまで三メートルを切ったところで、翡翠は一旦車椅子を動かす手を止める。

 

「……」


 それは、自殺を思い留まったわけではなく、遺書代わりとして持って来た自身の魔導器と美沙の魔導器を安置するためであった。

 暗に美沙と共にあることを示唆するように見えるそれを一瞥し、翡翠は再度車椅子を動かす。



 ──おねーちゃん、もうすぐ会えるからね……。



 美沙に会うためなら、命をなげうつことも厭わない程に、翡翠は心身共に限界に達していた。

 同時に、耐え難い孤独の苦痛を受け続けるより、早く解放されたいという懇願の表れであるその行動を、翡翠が実行するまで、後一メートル……七十センチ……五十センチ……。


 後三十センチを切って……。





















「──何をしているのですか?」

「え……?」


 背後から声を掛けられたと同時に、翡翠が乗る車椅子が止められた。  

 あとちょっとなのに一体誰が止めたんだと、翡翠はその正体を確かめるために振り返る。 

 


 ──そこには、一人の少女がいた。


 自分と同じ病衣を身に纏い、左腕にギブスを付けた黄色のセミロングヘアの彼女は、翡翠でも息を呑む程に端麗な顔立ちで、抑揚のない声音と無表情な顔と感情を宿さない緑の瞳から、美衣菜とは違う意味で人間離れしているように見える。


「あ……」


 彼女を目にした時、翡翠の渇いていた心に動揺が走る。

 なにせ、自分を止めた人物がどんな人間なのかを知っていたのだから。


 他の誰でもない、この目の前の少女こそが……。


「──〝天光の大魔導士〟……」


 組織に所属する全魔導士の中で、最も優秀な五人のみが名を連ねる最高序列……その頂点であり歴代の最強の魔導士を冠する大魔導士の肩書きを持つ、最年少でその座に就いた今代の最強の魔導士その人だった。

 

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