243話 ふわふわな気持ち

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 少年と別れた後、美沙は何もなかったかのように戦闘の報告をした。

 彼のことは敢えて伏せている。

 組織からは魔力持ちの男性を発見・遭遇した場合は極力勧誘するように言われているが、美沙個人としてはわざわざ危険のある戦いに巻き込みたくないと思っているからだ。


 そもそも、美沙が少年の名前を知らないということもある。

 聞いておけば良かったと自分のミスを呪うが、どのみち巻き込まないために記憶を消すつもりではあり、早々再会なんてしないだろうと思うことにした。


 だというのに、美沙の頭には少年と語らい合ったほんの短い時間が、何度も思い浮かんでいた。


 ──ガシャーンッ!


「──っ!?」

「おねーちゃん!? 大丈夫です?」

「あ、う、うん。ボウルを落としただけだから……」

「もし疲れてるならおねーちゃんはお休みして、今日の夕食は食堂で食べるです」

「うん……じゃあ、そうしようかな」


 翡翠の提案を美沙は了承する。

 そのまま美衣菜も混ぜて三人は食堂に向かうが、彼女は心此処に在らずという風に集中力を欠いていた。

 彼のことを考えると、どうしようもないくらいに頬が緩みそうになり、思考が逸れがちになるせいで夕食の準備もままならない。


 もう関わることはないと思っているのに、無性に寂しさが心に募り、彼に撫でられた頭が気になって仕方がない。


 一体どうしてしまったのだろうか?

 美沙は自分の心に齎された変化に戸惑うばかりで、頭を働かせても一向に答えが出ることはない。


 なんとかしないといけないが、どうにも出来ないもどかしさで、余計に胸のもやもやが落ち着かない感じだった。


「──ちゃん、おねーちゃん!」

「──えっ!? ひーちゃん? どうしたの?」

「ご飯中なのに手が止まってるから、何回話しかけてもずっとぼーっとしてたです」

「ご、ごめんね? ちょっと考え事してただけだから……」


 翡翠に何度も呼び掛けられていたと気付き、美沙は咄嗟にそう誤魔化す。


 注文したパスタがすっかり冷めてしまっているが、取り合えず考え事は食事の後にしようと決め、急いで食べる。

 

「どうせそこのガキのことだろ?」

「え、わたし?」

「え、ええっと、うん……」


 呆れた声音で美沙の考え事にあたりをつける美衣菜の言葉に、翡翠はキョトンとした表情を浮かべる。

 本当は違うのだが、否定して問い詰められることを避けるためと、少年に相談したおかげで得た答えを翡翠に伝えるために、その勘違いに乗ることにした。


「ねえ、ひーちゃん。まだ私の力になりたいって気持ちは変わらないの?」

「絶対に変わらないです! おねーちゃんのためなら唖喰と戦うのだってへっちゃらです!」


 美沙の問いに、翡翠は目を逸らすことなく毅然と言ってのける。

 今までもそうだが、改めて尋ねた真意は本気のものだと再認識した彼女は、ふぅと息を吐いて瞑目する。


「……ひーちゃんの気持ちは本当に嬉しい……でも、それでもやっぱり私は唖喰と戦って欲しくない」

「──っ!」


 それだけは違えないと言う美沙の想いに、翡翠はやはりダメかと表情を強張らせる。


「──でもね、最近おじさんが試作術式のテスターが欲しいって言ってたから、その手伝いをしてくれるなら、いいよ」

「え?」


 が、続けて言われた言葉は咄嗟に理解出来ず、呆ける。

 依然として戦闘はダメだということに変わりないが、美沙の言ったことは技術班班長の比嘉也の手伝いをすることは良いというものだった。


「あ? どういう風の吹きまわしだよ?」

「だって、ひーちゃんの気持ちは本当に嬉しいんだよ。なのに大好きな人を危険な戦いに巻き込みたくないって私の我が儘でその気持ちを蔑ろにするのは、とても申し訳なかったんだ……」

「そんな、ワガママを言ってるのはわたしの方で、おねーちゃんは当たり前のことを言ってくれただけです……」

「ううん。大好きな人の力になりたいっていうのも、当たり前のことだよ」

「おねーちゃんだって、わたしが大好きだから巻き込みたくないって思うのも当たり前のことで──」

「あー、それはどっちもワガママだってことでいいじゃねぇか。んで、なんでガキがおっさんの手伝いをするならいいんだよ?」


 真面目な話をしているというのに、やたらと大好きを連呼する二人に美衣菜が割って入り、話を戻す。

 呆れた様子の彼女を見て、美沙は頬を赤らめながらも話を続ける。


「えっと、危険な戦いに巻き込みたくないなら、戦いと関係のないところで私の力になってくれるならいいかなって思ったの」


 答えを齎してくれた少年の存在を隠しつつ、彼女はそう翡翠に告げるが、言われた本人はまだ納得のいかない表情で美沙をみつめる。


「でも、博士のお手伝いでおねーちゃんの力になれるの?」

「なれるよ」


 自信と確信の無い不安気な疑問を口にする少女に、美沙は出来ると断言する。


「試作の術式がちゃんと魔導士のためになる物かを試すってことは、将来的に私の……私以外のたくさんの力になることだよ。みんなが積極的に使う術式を構築出来たのが、ひーちゃんが手伝ってくれたからって思うと、私はとっても嬉しいんだ」

「あ……」


 自分だけでなく、魔導士全体の力になれるという可能性を語る美沙に、翡翠は胸の奥が大きく弾む感覚を抱く。

 本当にそんなことが自分に出来るのかと一抹の不安を抱くが、一番大好きな姉は少女にならそれが出来ると確信であった。

 

「……」


 しばらく逡巡した後、翡翠はまっすぐ美沙と目を合わせて……。


「──それでおねーちゃんの力になれるなら、わたしはやりたいです!」

「っ! ……そっか、うん。ありがとう……」


 ハッキリと自分の意志で選んだ答えに、美沙は心から良かったと安堵する。

 少年に言われた通り、唖喰と戦う以外の道を示して、ちゃんと話せばこうしてわだかまりもなく解決出来たのだと安心したのだ。


 それと同時に、翡翠と話している間に薄れていた少年の存在を再び──先程よりも大きく意識するようになってしまった。

 どうにも止みそうにない動悸に戸惑うものの、やはり嫌な感じはしなかった。


 ──また、会えるのかな?


 烏滸がましくも、そんな期待を抱く。

 戦いに巻き込みたくない一心で、少年に記憶処理術式を施したため、自分と彼が語り合ったほんの僅かな思い出は美沙しか覚えていない。

  

 自分勝手だと自覚するが、一度期待してしまうとどうしても溢れ出して止められなくなってしまう。


「──名前、聞いておけば良かったなぁ……」 


 ポツリと、後悔の言葉を呟いてしまう程に。


「? おねーちゃん、どうしちゃったです?」

「どうせオマエが世界中で称賛される妄想でも見てんじゃねか?」

「わたしはおねーちゃんなら最高序列になれるって信じてるです!」


 再び黙り込んでしまった美沙を見て、翡翠と美衣菜は見当違いの予想をするだけであった。


 ~~~~~


 2015年、4月10日。


 翡翠が小学四年生、美沙が中学二年生に進級する新学期の時期となった。

 羽根牧中学校に通う彼女はクラス替えとあって、新しいクラスでの生活に期待を寄せていた。

 

 結局あの時の少年とはあれからすれ違うこともなかった。

 仕方ないと割り切った部分もあるが、やはり寂しさを感じずにはいられなかった。


 再会を望み過ぎたのか夢にまで出て来る始末であり、美沙は春休み中どうもそわそわする日々が続いていた。

 いい加減どうにかしなければならないと思いつつ、玄関に張り出されていたクラスの割り振り表を見て自分のクラスを確認し、教室へ向かう。


「2-3組……ここだよね」


 途中で男子から好奇の視線が向けられたが、美沙には何故かそれが以前より煩わしく感じるようになっていた。

 別にこういった視線を向けられること自体は今に始まったわけではないのだが、あの少年が彼女を容姿だけで人を見るような人間ではなかったことが起因していた。


 ありたいに言えば、かの少年と他の男子を比べるようになったのである。

 比嘉也以外の異性で、一緒に居て気持ちが楽だった相手が彼だけだった美沙にとって、特に関心の抱いていないその他大勢からの好意は望んでいない。


 もちろん、これから一年間同じクラスメイトとして過ごす手前、邪険に扱うような真似はしないものの、モテて良い思いをした経験がない彼女からすれば、あまりいい印象を抱けるものではない。


 今年もまた多くの男子から告白をされるのだろうかと、辟易しながら新しい教室にある自分の席に座る。

 既に教室の中にいる男子の視線が集まるが、美沙は意識しないようにする。


 すると、一人の女子が美沙の右隣の席へと近寄ってきて……。


「おはよー、司」

「おはよ、鈴花」

「──っ!?」


 隣から聞こえてきた声に、美沙は大きな心臓の高鳴りを感じた。

 周りの視線など一切頭から抜け落ちた彼女は、バッと隣の席へ顔を向ける。


「ぁ……」


 ──いた。


 隣にはところどころ跳ねた黒髪と眼鏡を掛けた黒目の、あの時の少年がいた。

 春休み中ずっと美沙の心に居座っていた彼は、彼女と同じ中学生で同じ学校に通っていたのだ。


(え、ええっ!? 同じ学校だったの!? 嘘、ホントに!? ど、どうしよう……心臓がドクドク大きい音を立てちゃってる……)


 完全に予想していなかったタイミングでの遭遇に、美沙は動揺を隠せずに少年から目を逸らせないでいた。


「今年も同じクラスとか、アタシらそろそろ腐れ縁染みて来たんじゃない?」

「全く知らない人ばかりよりはマシだって」

「それもそっか。じゃ、アタシは他のクラスにいる友達のところに行って来るね」

「おう、また後でな」


 美沙からすれば奇跡的な再会となった少年に目を奪われている間にも、彼は気安い雰囲気で話した女子との会話を終え、カバンから小さな本──ラノベを読み始めた。

 

(今の子……彼女なのかな?)

 

 先程少年と言葉を交わしていた女子は、美沙から見ても顔立ちが良い部類の美少女であった。

 溌剌とした表情と赤っぽい茶髪をポニーテールにしていて、人付き合いの良さそうな印象だった。

 その性格の良さを表すかのように、彼と彼女は気の置けない関係のようにも見える。

 

(なんだろ……この嫌な気持ち……?)


 だが、先の親しい様子を思い返すと、美沙の胸中には何やら黒いもやっとした気持ちが渦巻いていた。

 初めての感情に戸惑いながらも美沙はそれを振り切りたい一心で、ホームルームが始まる前の今の内に、少年に話し掛けることにした。


 本に集中している彼に顔を向けてもらえるように、少年の席の前に立ち、声を発する。


「……ねえ、キミの名前はなんていうの?」

「え、お、俺?」


 突然話しかけられたことに驚きを隠さず、彼は緊張を隠せない様子で美沙へ訝しむような視線を向ける。

 

 ──やっぱり、覚えてないよね……。


 記憶処理術式がしっかりと効いていたようで、彼は美沙に対して初対面の反応をしていた。

 あの時共有した僅かな時間が自分の中にしか残っていないことに切なく思いつつも、表面上は至って平然を装って話を続ける。


「そう、キミの名前」

「──竜胆、司」


 なにやら恐縮しながらも、彼──竜胆司は美沙に名前を教える。

 

 ──良い響きの名前……。


 そんな感想を抱く。

 だが、それを口に出すことなく、彼女は顎に手を当てながら逡巡する。


「ふんふん……つっつ、つっちー、つっ君……うん! つー君だ!」

「は、はぁ?」


 司からすれば初対面の異性からいきなりあだ名で呼ばれることに、そんな反応をしても無理はないだろうと察しつつも、美沙は満面の笑みを彼に向ける。


 ──そういえば、あの時は私も名前を教えてなかったなぁ。


 そうしてそうしなかったのだろうと疑問を抱ける程に、美沙の記憶にだけ残るあの時の語らいが愛おしく思えた。


 なら、あの時よりももっと仲良くなるために、自分という人間を司に知ってもらおうと決める。

 そう決意した美沙は、ゆっくり口を開いて名乗る。


「私、舞川美沙っていうの! よろしくね、つー君!」

「あ、あぁ。よろしく……舞川さん……」


 依然緊張した面持ちで美沙の名前を口にする司に、彼女はどうしようもなく喜びを感じる。


 ──あ、そうか……私、つー君のことが好きなんだ……。


 そしてようやく、あの語らいからずっと抱き続けて来た気持ちの正体を悟る。

 中学二年生に進級したばかりに自覚した初恋に、美沙は堪らなく幸福を感じる思いだった。

 自覚するとなんてことのない、今まで喉に引っ掛かっていた小骨が取れるように胸の奥が晴れるように感じた。


 それまで感じていた胸の高鳴りはより幸せに感じるようになり、一分でも一秒でも司という男の子から目が離せなくなる。


 恋を知った彼女は、なんとしてでも司を振り向かせてやると決意するのだった。

 

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