203話 五章エピローグ 少女の幸せ


 別れ際でアリエルさんによる大胆な愛の告白とキス、まさかの逆玉の輿的な婚約者認定と目まぐるしい別れとなった翌日の月曜日。

 まだフランスの空気が鮮明に思い出せる中で俺とゆずは、昼休みに屋上で弁当を食べることになったのだが……。


「お~い、ゆずさぁ~ん?」

「……つ~ん」

「いや『つ~ん』ってそんなに可愛く拗ねてないで、そろそろ機嫌を直してくれませんかねぇ~?」

「か、可愛くなんて言われても、私は許しませんから!」

「不機嫌が長続きしなさそうだな……でも何度も言ってるだろ? 別にアリエルさんをどうこうするつもりはないって」

「でも司君はアリエルさんとキスをしてました。私はまだなのに」

「う、だ、だから油断してたんだって……俺だってキスくらいちゃんと順序を踏んでだな……」


 俺と目を合わせないように明後日の方向を向いて拗ねるゆずに、何とか弁明をするものの一向に彼女の機嫌は戻らなかった。


 理由は今しがたゆずが口にしたように、アリエルさんから受けた告白とキスが原因だ。

 告白の返事と婚約者の話は、俺がまだ学生だからってことで一旦保留にしてもらっている。

 そんなんばっかだな、俺。

 

 と、とにかく、まさかアリエルさんまでもが俺に恋愛感情を抱くことになるとは思わず、またもやライバルが増えたことにゆずさんは大変お怒りだ。


 その上あのキスである。

 唇を重ねるだけに留まらず、舌を入れる濃厚なやつをお見舞いされた俺を見て、ゆずの不機嫌さはさらにヒートアップしていった。


 そしてもう一つの理由が……。


「でも司君は菜々美さんとファーストキスを交換してます。私はまだなのに」

「う゛っ……」 


 そう、菜々美とキスしたこともバレてしまった。

 何故なのかというと、何とか日本に帰ることが出来た際、気絶から復活したゆずがタメ口で俺にどういうことなのかと問い詰めた際……。


『司君のファーストキスは私が欲しかった!!』

『めっちゃ欲望駄々洩れじゃねえか!?』

『好きな人のファーストキスが欲しくて何がいけないの!? ズルいズルい! アリエルさんズルい!』

『だ、大丈夫だよ、ゆずちゃん! アリエルさんは司くんのファーストキスの相手じゃないから!』

『ちょ、菜々美、それは——』

『…………どうして菜々美さんが知ってるの?』

『えっ、あ、えと、そそ、それは……』


 菜々美がうっかり口を滑らせて、観念して説得の際に俺と互いのファーストキスを交換したことを打ち明けてしまった。


 そこからのことは……ちょっと言いたくない。

 そんなわけで、ゆずさんはこうして拗ねていらっしゃるのだった。


 一番先に俺に告白したのに、自分だけがキスをされていないことに疎外感を抱いているというのは、すぐに分かった。


 だからといって『じゃあキスをしよう』ではダメだろう。

 流石に俺でもダメだってことはわかる。

   

 ゆずだって女の子だ。

 自分の理想のファーストキスのシチュエーションぐらいいくつかあるはず……それを無視して機嫌が悪いからキスをして許してもらうでは、余計に彼女を傷付けるだけだ。


 なので、今週末のデートで彼女が満足するシチュエーションを盛り上げる必要がある。

 面倒だろうって?

 いや、これが結構楽しいんだよ。

 どうやったら相手が喜んでくれるかって期待と不安の入り混じった気持ちこそが、恋愛の醍醐味じゃないかと思う。


 なんか話が逸れた。

 とにかく、このまま険悪ムードは辛い。

 

「な、菜々美の時は咄嗟だったし……切羽詰まってたから……」

「そうですか、そうですか……司君は焦ると女性にキスをするような人だったんですね」

「その言い方止めて! 俺が悪いのは変わらないけど、度合いが大きくなる!」


 ヤバイ、ここまで不機嫌なゆずは初めてだ。

 これじゃ、週末のデートも行けるかすら怪しくなって来た……。


「……司君は、どうして私が怒っているのか分かりますか?」

「え、あぁ、それは……」

「言ってみて下さい」

「は? でも――」

「言ってみて下さい」

「わ、分かった……」


 そんなハイライトの消えた目で見つめられると恐いから止めて欲しい。

 とはいえ、先程からの会話で何に怒ってるのかはわかるんだけどな。


「お、俺が……ゆずより先に、菜々美とアリエルさんの二人とキスをしたから、だろ?」


 改めて口に出す恥ずかしさを堪えつつ、ゆずに出された問題の答えを口にする。

 俺の答えを聞いたゆずはにっこりと笑って……。


「全然違います」

「えっ!? じゃあ何に怒ってるんだよ!?」


 不正解を言い渡してきた。

 さっきの笑顔は何だったんだよ。

 というよりそれ以外の答えが浮かばず、戸惑っているとゆずから『はぁ』とため息が出て来て……。


「だって……私も司君に告白したのに、キ、キスを……してくれないから……」

「え……?」


 さっき挙げた、俺の予想をぶち壊すようなこと言うの止めてくれない?

 つまり何か?

 ゆずさんは二人とキスをしたこと自体はもう受け入れてるけれど、自分だって俺を好きなのは同じなのに、一向に俺からキスをしないことに不満を抱いてるってことか?


 待て待てそれじゃ、俺が自分のことを好きになってくれる女の子にキスをするような奴だって言われてるように聞こえる。


 既に二回の事例がある分、完全に否定できないのが怖い。

 

「で、でも流石にロクなシチュエーションもムードも無しにキスっていうのは、ゆずは嫌じゃないのか?」

「昼休みの学校、屋上、二人きり……これも十分なシチュエーションです」

「そ、そう言われればそうだけど……」


 論破された。

 ゆずが鈴花から何度か少女漫画を借りてるのは知ってる。

 多分、その中に似たようなシチュエーションでキスシーンがあったんだろう。

 

「司君」

「ん?」

「――好きです」

「お、おう」


 改めてゆずから告白されて、やはり胸が高鳴る。

 いくらゆずの気持ちを知っていて一度告白されているからといっても、こうして好きだと真っ直ぐに気持ちを伝えられると、否応なしに意識してしまう。


「傲慢なようですが、私は司君の中でそれなりに好かれていると自負しています」

「う、ま、まぁ、嫌いってことはないけど……」

「好きな人とキスをするのに、シチュエーションだのムードだの気にする必要はないんです。私が司君とキスをしたいと思ったタイミングが、一番のシチュエーションでムードなんですよ」

「――っ!」


 アリエルさんといい、菜々美といい、ゆずといい、どうして俺のことを好きになる女の子達はこうも強敵揃いなんだ。


 全員が超が付く美人で、俺が自分の気持ちを定めるまで待つと言ってくれる程優しい。

 俺なんかのどこがいいんだって思うが、彼女達が俺がいいと言う。

 そして、これだけストレートな好意をぶつけられて、何も答えないようじゃ、それこそ男が廃る。


「わ、わかった……なら、今から……するか?」

「っ、は、はい……」


 何とか同意の声を絞り出すと、ゆずも顔を赤らめながらも頷いた。


 お互い立ち上がり、互いの足先が触れるかと思う距離まで近付く。

 正直言って、自分からキスをしようとするのにめちゃくちゃ緊張している。

 アリエルさんの時は向こうからだったし、菜々美の時は無我夢中で頭が真っ白だった。

 

 けれども今だけはゆずが望んでいることとはいえ、自発的に女の子とキスをすることになる。


 すげえな、アリエルさんはこんな緊張を平気な顔をして乗り切ったのか。

 そんなものを気にしないくらい俺のことが好きなのだと改めて感じつつ、ゆずの背中に腕を回してそっと抱き寄せる。


「~~っ、はぁうぁ……」

「っ、嬉しいのは分かるから、ちょっとだけ黙っててくれないか?」


 俺とゼロ距離に密着したことでゆずの口から幸せの息が吐かれたが、これだけで既に心臓がバクバクと大きな音を立てている俺には十分過ぎる。


 アリエルさん程じゃないにしても、ゆずの十五歳という年齢にしてはかなり育っている柔らかな感触が俺の腹に伝わる。


 身長差で丁度ゆずの頭が俺の顎に触れる位置にあるため、彼女の黄色髪から香る女の子の匂いが鼻を擽って、否応なしに意識してしまう。 


 でもここからなんだよ。

 ここからゆずとキスをしなきゃならないんだよ。


「あの、司君……」

「ん? なんだ?」


 やっぱり恥ずかしくなったのか?

 なんて思ったのも束の間だった。


「その……わ、私にも……アリエルさんとしたような、し、舌を入れるアレを……し、してください……」

「は……?」


 今にも沸騰するのではと思う程に顔を真っ赤にしながら、ゆずさんはアリエルさんとしたディープキスを自分にもしろと仰った。


 ゆずは言うだけで一杯一杯の様子で、言われた俺も困惑するばかりだった。

 

「いや、無理無理! アリエルさんの時はされるがままだったし、俺じゃ舌を噛み切られるのがオチだって!」

「うぅ……でもぉ……」


 どんだけ俺とアリエルさんのキスが羨ましかったんだよ。

 でも、言った本人も緊張で俺の舌を噛まない自信はないようで、目に見えてしょんぼりとしていた。


 それでも諦めきれないのか、上目遣いで強請るような視線を向けてくる。


「はぁ……今すぐは無理だけど、もし……もしゆずの告白を受け入れて、恋人として付き合うことになるその時までとっておくっていうのじゃダメか?」

「こ、恋び……っ!? わ、解りました! 後のお楽しみということですね!!」

「間違ってないけど、あんまり期待し過ぎないようにな?」


 またもや先延ばし宣言をした俺の罪悪感とは裏腹に、ゆずは先の不機嫌など忘れ去るほどにパァッと笑顔を輝かせた。


 めちゃくちゃ可愛いけど、釘を刺しておくことは忘れない。

 正直ゆずと菜々美だけじゃなく、アリエルさんまで俺に恋愛感情を持つとは思わなかった。


 あの告白だってドタバタしてたせいで返事も出来てない。

 でも、即座に断ることはしたくないと思った。


 なんというか……レナルドさんの前でアリエルさんを悲しませないと宣言してしまったからだ。

 そういうつもりで言ったわけじゃないけど、俺が彼女の告白を断ったらその宣言を自分から破ることになってしまうし、クロエさんに殺される可能性すら有り得る。


 どうにかして、三人を傷付けないで済む答えを見つけないと……。


「つ、司君……」

「……嫌だったら、ぶっ飛ばしてもいいからな?」


 ゆずの呼び掛けで思考を中断し、予め殴ってもいいと許可を出す。

 何せゆずの顔はもうリンゴよりも真っ赤だ。

 密着してる分、彼女の年齢の割に大きな胸越しに早い鼓動がドクドクと伝わって来る。


 けれど、ゆずは首を横に振って俺を上目遣いで見つめて……。  


「い、嫌なはずありません……その、とても恥ずかしいですけど……菜々美さんとアリエルさんに先を越されたままでは、司君に振り向いてもらうことが出来ませんから……」

「っ、それを俺に言われてもなぁ……キスをしたかどうかで見限るようなら、今後もゆずの日常指導係を続けられるわけないだろ……」


 ゆずからまっすぐな好意をぶつけられて、俺は照れ隠し気味に顔を逸らしながら返す。

 すると、ゆずは大きく目を見開いたかと思うと、ふわりと微笑み……。


「知っています。ですが、私は司君のことが好きで司君の恋人になりたいから、友達のままで終わりたくないからこうしているんです。こんなに我が儘な私は……嫌、ですか?」

「……嫌だったら、今からキスをしようとしないだろ」

「……ふふっ、それもそうですね」


 そうやって互いに笑い合った後に、俺は自分の顔をゆずの顔に近付ける。

 特に合図も無かったが、ゆずはスッと目を閉じて受け入れる姿勢を取った。

 

 三センチ……二センチ……一センチ……五ミリ……一ミリと、段々と距離を縮めていき……。


「――んっ」


 ゆずの柔らかい唇と俺の唇の間にあった隙間が無くなり、俺にとっては三度目、ゆずにとっては初めてのキスが成立した。


 唇が重なった瞬間、ゆずの体がビクリと震えたものの、彼女は俺の制服のシャツにシワが出来る程ギュッと握りしめただけで、それ以上の動きはなかった。


 その間、屋上にいる俺達の耳には吹き抜ける風の音と微かに聞こえる喧騒の声、バクバクと相手にも聞こえるかと思うくらいに大きな音を立てる心臓の音だけが聞こえていた。


 学校の昼休みの屋上で何やってんだろうかという疑問すら、今は邪魔でしかない。

 今はただ、目の前にいる自分を好きになってくれた女の子に全神経を向けていた。


 一分は経っただろうか?

 けど今までの少ない経験からして、普通に五分は過ぎてると思う。


 そうやって時間を忘れるくらい、ゆずは魅力的でずっと傍に居たいと思える。


 ――あぁ、やっぱり俺は……。


 自然とある結論に辿り着きそうになるが、それより早くゆずが行動する方が早かった。



「――きゅ~……」

「っは!? ゆず!?」


 突如ゆずの唇が離れたかと思うと、彼女は電池が切れたかのように後ろに倒れ始めた。

 幸い、キスをするために抱きしめていたから転倒することは回避出来たものの、ゆずは顔を真っ赤にして煙がプスプスと出て来ており、完全に気を失っていた。


「おいおい……キスでキャパオーバー起こしたのかよ……」


 そういえばゆずさんは羞恥攻めに弱いんだった。

 普段は俺への好意が勝るからすっかり鳴りを潜めていたけれど、キスをしたことで色々と限界を迎えたんだろう。


 むしろそんなんでよくディープキスを要求してきたなとも思う。

 

「まぁ、ゆずも色々頑張ったんだし、昼休み一杯まではこのまま寝かせてやるか……」


 昼休みはまだ二十分程ある。

 俺はゆずを傷付けないようにゆっくりと降ろし、彼女の頭を自分の膝の上に置く。


 男の膝枕で悪いなと内心謝罪しつつ、彼女の年相応の寝顔を眺めながら秋の風を感じていた。



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