194話 いってきます
「ふぅ、何とかなって良かった。このまま放置するのはあれだし、ロープか何か縛るものってないか?」
「あ、そちらの方に丁度いい縄がございますわ」
「何でそんなもんが都合よく――って、あぁ、ここそういう目的の場所だったな……」
気絶した叔父様を拘束するための縄の場所をお伝えすると、リンドウ様は嫌悪感を隠さずに愚痴を零しながら縄を手に取りました。
「アリエル様!」
「ルシェア、大変でしたわね」
事態がようやく終息したことで、ルシェアがワタクシを拘束している鉄枷を解こうと駆け寄って来ました。
思えば彼女には大変苦心させたと思い、ワタクシは謝罪の言葉を口に致しました。
「ぼ、ボクのことはいいんです! ボクは、ダヴィド支部長の命令に逆らえなくて、アリエル様を……だから、そんなボクをアリエル様が気遣う必要なんて、ないんです……」
「ルシェア……」
彼女は何度も泣き腫らして真っ赤になっている目に、さらに涙を浮かべながら懺悔の言葉を口にしました。
一体どれほど一人で悩んだのでしょうか。
叔父様に慰み者にされ、脅され、きっと彼女はワタクシの想像もつかない程の後悔と不安を抱えていたはずです。
ワタクシも一歩手前まで追い込まれはされど、リンドウ様のおかげで純潔は守られたままです。
そんなワタクシが気安く『気持ちはわかる』など口にしてはいけないと思いました。
でしたら、彼女に掛ける言葉は……。
「――気にしていませんわ」
「え?」
「あなたは自分を守るために必死だったのでしょう? 結果論ではありますが、リンドウ様と共にこうしてワタクシを助けてくれたあなたを責めることなど、とても出来ませんわ」
「で、でも……」
「その上でどうしても自分が許せないのであれば、これからの働きで償いなさい」
「これ、から……?」
「ええ、いつかあなたが自分を許せる日が来るまで、ワタクシと共に道を歩んで下さいますか?」
「――っ、あ、アリエル様……あり、ありがとう、ございます……っ!!」
ルシェアは感極まってさらに号泣しました。
脅されていたとはいえ、ワタクシの誘拐を手伝った少女を再度自らの懐に入れるとなると、クロエが反発しそうですが、そこはワタクシの裁量次第ですわ。
ルシェアとの話も終わり、拘束を解かれたワタクシは部屋にあった布を羽織って体を隠します。
いつまでも殿方の……リンドウ様の前で裸同然の姿を晒すのは、淑女としてはしたないですし、恥ずかしいものですわ。
「リンドウ様、この後はどうされるのですか?」
「あぁ、俺は──っ!」
この先の行動はどうするかリンドウ様の意見を聞こうと振り返ると、何故か彼は緊張の糸が切れたように脱力してその場に座り込んでいました。
「リンドウ様!?」
「つ、ツカサさん、大丈夫ですか!?」
「ぇ、あ、あぁ、悪い……ちょっと力が抜けただけだ」
リンドウ様は口でこそなんともないと仰っていますが、顔色がとても悪く見えました。
顔面は蒼白で、手がガクガクと震えていました。
彼は叔父様には何もされていません……思い当たることがあるとすれば……。
「リンドウ様……臆測ではございますが、人を撃ったことに動揺していらっしゃるのではないですか?」
「――っ……やっぱりアリエルさんの目は誤魔化せないか……」
ワタクシの指摘にリンドウ様は失笑気味に正解だと答えられました。
「はは……なっさけねぇ……あんな奴でも撃ったらこのザマかよ……」
「……後悔、していらっしゃるのですか?」
「後悔は……してないです。これはただ俺が臆病なだけですよ……これから何度もこんなことが……人を撃つことがあるかも知れないんです。何とかして慣れないとな……」
「……」
ワタクシはまだ、ナミキ様やカシワギ様と違いましてリンドウ様との交流はあまり長くありません。
ですが、彼が宣言した『魔導士と魔導少女の日常を守る』という決意を果たす上で、叔父様のような悪人との対立は免れないことは確実に予想出来ました。
リンドウ様は本当にお優しい方です。
あれだけの凶行を重ねて来た叔父様に対しても、魔導銃で撃つことを忌避される程に、他人を傷付けることを嫌う人です。
たった一度……ルシェアを助けるための正当防衛であって急所ではなくとも、これだけ動揺されているのです。
万が一にでも人を撃って殺害してしまった時、唖喰の脅威にも耐えてきたリンドウ様の心が持つかどうか予想が着きませんわ。
リンドウ様がワタクシを助けてくださったように、ワタクシも彼を助けたい……自然とそんな想いが芽生えて来ました。
その想いに突き動かされるように、ワタクシは座り込んでいる彼に寄り添うように膝を下ろしました。
「あ、アリエルさん?」
「リンドウ様。ワタクシは以前、あなたにこう伝えたはずです『リンドウ様の命は貴方様自身が思う以上に大事に思う人達が大勢います。貴方が過度の無理を重ねて、その方達に不要な心配を掛けることが無いよう、もう少々ご自愛くださいませ』と」
「そう、ですけど……でも俺は怪我はしてませんし……」
「しているではありませんか、リンドウ様のお心が」
「……っ」
ワタクシがそう告げますと、リンドウ様は苦虫を潰したような表情を浮かべました。
きっと誰にも心配を掛けたくないと決めて日が浅い内に、同じ失敗をしたことを噛み締めているのだと分かりました。
恐らく、自分の行いを省みることが出来るかどうかが、リンドウ様と叔父様の間に出来た決定的な違いなのでしょう。
リンドウ様はこのようにしっかり心に受け止められています。
ですが、叔父様は自らの失敗を認めなかった。
自分を認めない周囲のせいにばかりして来たのでしょう。
だからこそ、お母様はお父様を選んだ。
今まさに心に感じる気持ちを思えば、お母様が叔父様を選ばなかった理由がよく分かりますわ。
「リンドウ様があのお覚悟に至るまで、どれ程悩み抜かれたかはワタクシには図り知れません。そのお覚悟は大変立派ではあると思いますが、その意志を貫く過程でリンドウ様の心が傷付いていると知って、果たしてナミキ様とカシワギ様が喜ばれると思いますか?」
「それは……」
「カシワギ様を庇われた時もそうですが、リンドウ様は無茶が過ぎますわ。助けられたワタクシがこのように申すのは無礼であると思いますが、今回が上手くいきましたが、次回も同じように解決出来るかは分からないのですよ?」
「はい……」
助けた相手から説教を受けていることに戸惑われているものの、ワタクシの一言一句を真摯に受け止めて下さっていることがよく窺えました。
それだけ反省されているのだと察したワタクシは、一息ついてから再度口を開きます。
「……無理に神経をすり減らして下手人を傷付けずとも、リンドウ様はリンドウ様の方法でワタクシ達を守ってくださって構わないのです。無理をして守られたとしても、リンドウ様が笑って下さらなければ、ナミキ様とカシワギ様も心の底から笑うこと等出来ませんわ。……もちろん、ワタクシも……」
「え?」
「そういうわけですので、リンドウ様が積極的に人を撃つ必要はありませんわ。仮に撃つとすれば、それは最終手段として一番後回しにするべきだと、ワタクシは思います」
「最終手段……後回し……」
しっかりとワタクシの言葉を飲み込み、自身の心に刻みつける姿を見て、ワタクシは自然と頬が緩みました。
やがて自分の中で折り合いを付けたリンドウ様が、ゆっくりと立ち上がられました。
その目に陰りは無く、先程まであった動揺は消え失せていました。
「すみません、なんか励ましてもらって、なんだかあべこべですね」
「いえ、リンドウ様に救われたことを思えば、まだまだ足りませんわ」
「そ、そんな大袈裟な……」
「いいんです、大袈裟で。ワタクシがそう思ったのですから」
「……はい」
どうにも謙遜が抜け切らないようですが、そこが彼という人間の感性です。
その感性を無理に変える必要はありませんわ。
「ツカサさん、ユズさん達から連絡はありましたか?」
「いや、今履歴を見ても着信はなかった……まさかまだ戦闘が続いてるのか? もう一時間半は掛かってるぞ」
「戦闘? まさか唖喰が出ているというのですか?」
「そのまさかですよ……」
リンドウ様とルシェアの会話から唖喰が出たことを知らされて、どうしてリンドウ様が一人で来られたのかという疑問が氷解しました。
同時に戦闘が未だ終わっていないということは、ナミキ様がいるのにも関わらず苦戦しているということ……。
「なるほど、そのためにワタクシを捜されていたのですね」
「元はクロエさんからアリエルさんが戻ってないって言われて、ようやく事態に気付いたんですけどね。後、アリエルさんを捜したのは戦力だからじゃなくて、アリエルさんが被害に遭う前に助けたかっただけです」
「へっ!?」
「ん? なんか変なこと言いました?」
「い、いえ、そう、そうでしたのね……」
わ、ワタクシを捜してくださったのは、唖喰と戦うナミキ様達のためだけでなく、ワタクシのため……?
どうしましょう……胸の高鳴りが抑えられませんわ。
顔も熱いですし……ううん、リンドウ様はそういった癖があるとは解っていましたが、これは中々……。
下心が一切ない分、真摯にリンドウ様の気持ちが響いて来ますわね……。
なるほど、ナミキ様達がリンドウ様を慕う理由がまた一つ分かりましたわ。
「というか唖喰が出てんのに自分の復讐を優先するとか、マジで支部長失格じゃねえか」
「一応気絶から回復しない程度に右手の傷は治しておきましょうか」
リンドウ様の仰る通り、ワタクシが目を覚ました頃には叔父様は唖喰の出現を理解していたはずです。
それを無視して自身の欲望に走るなど、到底許せるものではありません。
しかし、それでもワタクシの叔父です。
リンドウ様が撃ち抜いた右手の傷口を塞ぎませんと、最悪失血死してしまう可能性がありますわ。
そんな思いから治癒術式を発動しようとするのですが、自分の魔導器が無いことに気付きました。
巡回中に所持はしていたのですが、きっと叔父様の手によって紛失しているのかもしれません。
これでは治療は疎か、戦闘も出来ません。
どうしたものか頭を悩ませていると、ルシェアが歩み寄って両手を差し出して来ました。
「アリエル様、これ……」
「これは……ワタクシの魔導器? 何故ルシェアが?」
ルシェアから受け取ったのは、ロザリオの形をしたワタクシはの魔導器でした。
どうしたルシェアが持っているのか尋ねると、彼女は申し訳なさそうに目を伏せながら答えて下さいました。
「アリエル様に飲み物を渡して眠られた際に、ダヴィド支部長に壊されないようにと思って持っていたんです。結局怖くて返す勇気が出ませんでしたけど、傷一つありません」
「……ありがとうございます。魔導器の傷など、あなたが受けた傷に比べれば些細なものですわ」
「っ、あ、ありがとう、ございます……」
彼女の些細でも確かな勇気のおかげで、何の問題もなく戦えることに安堵したワタクシは、彼女を称賛して感謝の言葉を伝えました。
ルシェアは精一杯の笑みを浮かべて、礼を返しました。
「では、リンドウ様。唖喰の出現しているポイントは分かりますか?」
「ああはい。アリエルさんが見つかった時のために別行動を取る前に予め聞いてますよ」
「今すぐ教えて下さいませ。転送術式で向かいますわ」
「えっと、パリの北西にある自然公園です!」
「あそこですか……」
「あの、お、俺も一緒にいいですか?」
「え、ですが……」
戦場へ向かうワタクシに付いて行きたいと訴えるリンドウ様ですが、その内心が今も尚戦闘しているはずのナミキ様達を思ってのものだと分かりました。
本来であれば断るべきです。
ですが、ワタクシは彼に救われています。
だからでしょうか。
それ以上に――彼に唖喰と戦うワタクシの姿を見て欲しい、と思ってしまいました。
「あ、ボクも行きます! それで今度はボクがツカサさんを守ります!」
「ルシェちゃん……」
「……解りましたわ。時間がありませんし、早く向かいましょう」
まぁ、問題はありませんわ。
強いて挙げれば叔父様の見張りが必要でしょうけれど、縄で拘束していますし、ナイフも手の届かない位置に追いやっています。
余程の奇跡がない限りは逃げることは出来ないでしょう。
そう割り切って、ワタクシは術式を発動させます。
「転送術式発動!」
ふわりと、転送時独特の浮遊感が全身を包みますが、三秒と経たない内に目的の場所へ到着しました。
といってもリンドウ様がいるため直接戦場のど真ん中に行くわけにいかず、百メートルほど離れた場所ですが。
しかし、そこで目にしたのは巨大な蜘蛛のような姿をした唖喰でした。
「な、なんだあれ!?」
「あの大きさと肌で感じる悍ましさから察するに悪夢クラスの唖喰ですわね」
「ええっ!?」
リンドウ様はご存知かと思っていたのですが、先程別行動を取っていたと仰っていましたし、あの唖喰相手では通信が封じられても仕方ありませんわ。
「悪夢クラス自体はリンドウ様も知っているのでは?」
「まぁ、知識としてだけなら……でも俺、ベルブブゼラルの時は眠ってたんでどれだけ脅威なのかは分からないんですよ……もしアレを放置したらどうなるんですか?」
「そうですわね……一言で申しますと『まじやべーこと』になりますわ」
「普通に言ってください」
あら、唖喰の姿を目にした途端に、顔を蒼褪めさせたリンドウ様の緊張を解そうとしましたのに……。
「では真面目に申しますと、パリの街どころかフランスそのものが跡形もなく壊滅する危険性がありますわ」
「いや最初っからそう言えよ!? なんで敢えて俗っぽく言ったんですか!? 今の状況解ってます!?」
「ええ、それはもう重大に。心配なさらずともナミキ様達
「そ、そうですか……」
リンドウ様は目に見えてホッと安堵の息を吐きました。
尤も、フランス支部の魔導士は何名か死者が出ているのですが、それを伝えては藪蛇というものですわ。
それに、リンドウ様にそのような表情をさせるだなんて、お二人にはそれなりに妬けてしまいますわね。
「ではルシェア。リンドウ様をお願い致します」
「はい! アリエル様もお気を付けて!」
「ゆず達のこと、よろしくお願いします!」
「ええ、承りましたわ――魔導器起動、魔導装束、魔導武装、装備開始」
魔導装束を身に纏い、ワタクシはリンドウ様達に振り返ります。
「それでは……行ってきますわ」
「――いってらっしゃい」
そう挨拶を交わして、悪夢クラスの唖喰と戦うナミキ様達の元へと跳躍しました。
さて、当面の目標は……ナミキ様とカシワギ様の現在位置に追いつくことですわね。
そのためにも、リンドウ様の前で情けない姿をお見せすることは出来ません。
心の奥底から、力が漲って来る感じがします。
「負ける気がしない、というのはこういうことなのでしょうね」
そんな呟きが、無意識のうちに零れました。
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