176話 ダヴィド・アルヴァレスとローラ・ルアノール


 会話を終えたアリエルさん達と別れた後、時間を見てみればフランス時間の午前十一時……日本時間だと午後六時となっていた。


 少し早いが食事を摂ろうと食堂へ赴くと、しばらく顔を見ていなかったある人がいた。


 金髪のオールバックと立派に整えられたヒゲ……フランス支部の支部長であり、アリエルさんの叔父でもあるダヴィド・アルヴァレスさんだ。


 初咲さんと違って日常的に交流がある人ではないため、些か緊張をしてしまう。

 だが、俺は丁度いいとあの人に話しかけることにしてみた。


 俺と同じ男でありながら、世界各国に拠点を構える組織の支部長となっている……そんな人が唖喰の絶滅不可を知ってどう思ったのかをどうしても知りたいと思ったからだ。


「こんにちわ、ダヴィド支部長」

「こんにちわ――ん? おぉ、キミは確か……〝天光の大魔導士〟の恋人のリンドウ・ツカサだったね」


 おっとぉ……その噂はフランス支部長の耳にも届いていたのか……。

 そんなに俺とゆずは恋人に見えるのかと、若干の喜びと訂正する申し訳なさを感じつつ、俺は噂を否定する。


「あ、あはは……覚えていてもらって頂いたことは光栄ですけど、彼女と自分の間に交際の事実はないんです」

「なんと、それは邪推したようで済まなかったね。だが噂を抜きにしてもこちらからみればキミ達は世間一般の恋人と遜色ない仲に見えたものでな」

「そ、そうですか……」


 ゆずが聞けば大喜びしそうな感想に、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 何せ告白されたのにも関わらず、返事を保留しているわけなのだから、彼女に対して非常に居た堪れない。

 それを言っては余計な混乱を招くのは目に見えているので、黙っておく。


「尤も、ナミキ・ユズ以外の女性やうちの支部の魔導少女に留まらず、姪のアリエルとデートに行ったことは少々感心出来ないがな」

「う゛っ……」


 物凄く痛いお言葉を頂いた。

 そりゃそうだよ、交友関係が女性だらけの男と自分の姪がデートに行ったとか、喜ばしいわけないよね。


「あれ、でも何でデートのことを知ってるんですか?」


 ふとした疑問を口にする。

 確かそのことを知ってるのは、アリエルさんの案内でフランス支部に戻って来た時に出迎えに来てくれたゆずと菜々美さんに事後報告で鈴花、他にクロエさんとルシェちゃんだったはず。


 その場にいなかったダヴィド支部長が知っているのは何故かと思ったのだ。


「あの日の夜、妙にアリエルの機嫌が良かったからどうしたのか尋ねてみたら、仕事終わりにキミと映画を観たと答えてたのだ」

「へ、へぇー……」


 当人からかよ。

 しかもサラッと叔父に対して嘘ついてるし。 

 

「そ、そういえばダヴィド支部長は、組織に所属して長いんですか?」


 何だかこれ以上アリエルさんとのデートの件を引っ張ると仕事中に抜け出したことを口滑らしそうになる予感がしたため、強引に話題を変えることにした。


「あぁ、家名で分かると思うが、私とアリエルは血縁関係でね。アリエルの父で現当主の兄と共に厳格な父から組織の一員としての教育を受けていたから、私の年齢と大差ない年月を組織のために費やしてきたよ」

「途中で辞めたいって思わなかったんですか?」

「思わなかったわけではないが……アルヴァレスの家に生まれた身として、組織のために尽力するのは当然の責務だと割り切っているよ」

「責務、ですか……」


 季奈と同様、この人も生まれた時から魔導と唖喰の戦いに身を尽くすことを強いられてきたと聞いて、運命に対する評価が二転三転する印象を抱いた。


「どうしてその質問をしたんだい?」

「あ、ええっと、その……俺、つい先日に唖喰の数のことを知りまして、同じ男性のダヴィド支部長はどんな心境だったのかと思いまして……」

「んん? キミはまだ組織に所属して半年も経過していないはずだが……まぁいいさ。さて、私の当時の心境だったね」


 何で俺の所属期間を把握してるんだと思ったが、〝天光の大魔導士〟の恋人と噂されてるくらい、ある意味有名ならそれくらい知っていてもおかしくないと思い至る。


「我が兄であり、アリエルの父親でもあるレナルド・アルヴァレスは私より何もかも優秀な人でね、そんな兄に勝とうと様々な努力を重ねてみたものだが、結局一度も勝てないまま兄がアルヴァレス家の次期当主に就くことになったのだ」


 フランス支部長をやっているダヴィド支部長の上位互換とか、なにそれ凄い。

 そんな人の娘として生まれたアリエルさんが、あれだけ高い語学能力を発揮してるのもに納得出来た。


「事実そのものは二十歳になった際に知らされてね、跡目争いに敗れたことも相まってかなりのショックを受けた。当主になれなかったばかりかそんな終わりが見えない戦いに付き合っていられるかとヤケ酒した程にだ」

「さ、酒に逃げたんですか……?」

「私もまだ若かったからね」


 若気の至りだというように苦笑を浮かべるダヴィド支部長は、懐かしむような目をして続きを語る。


「その時さ、アリエルの母である彼女……ローラに出会ったのは」

「あ……」


 ここでそこに繋がるのかと、純粋に驚いた。

 アリエルさんのお母さんはバーのステージで歌う歌手だったと、彼女から聞いたことがある。

 唖喰の絶滅不可を知って絶望したダヴィド支部長が訪れた店こそが、ローラさんが歌うバーだったんだ。


「ローラ・ルアノール……並みの女性を突き放す美しい容姿と素晴らしい歌唱力を持つ女性だった。どうしてこんな店で歌っているのか不思議に思ったくらいだが、彼女に一目惚れをした私にはすぐにどうでもよくなった。だが彼女には大勢のファンが居てね、誰もが彼女の愛情を手に入れようとしていたよ」

「なんだか、今のアリエルさんと似たような感じですね」


 容易にその光景が想像出来た。

 当時はローラさんこそが、歌姫と呼ばれていてもおかしくないだろう。 


「ああ、アリエルは彼女の生き写しだ……本当によく似ている」

「アリエルさんが聞いたら、喜びそうですね」

「あの子はローラを母としてだけでなく、人としても尊敬していた。だからこそ、亡くなったことが惜しい」


 その憂う表情を見て、ダヴィド支部長がローラさんを今でも愛していると伝わった。

 以前、アリエルさんが語った生涯一人を愛し続けるという程の強い愛情……。


 なんとなく、今の俺に一番足りない物を持っているこの人が羨ましく思えた。


「それから私は何度も彼女のいるバーに足を運んだ。時に愛の言葉を囁いたり時に贈り物を渡したり、様々なアプローチをしたものだ」


 上流階級の家督を継ぐための跡目争いに敗れた弟が何気なく入った店にいた歌手の美女に恋をする……ダヴィド支部長を主人公に据えた恋愛物語のキャッチコピーを考えるならこんな感じだろう。


「彼女と親しくなっていくにつれて、彼女は私を『ダヴィ』と呼んでくれた。その頃の私達の間には確かな絆が芽生えていた」


 順調だったのだろう。

 それだけで色んな人の記憶に残りそうなものだが、恋愛の神様は彼に微笑むことはなかった。

 

「だが……結局その絆が愛に変わることなく、彼女は一度だけ店を紹介したことのある兄と結ばれ、アリエルを産んだ」


 何とも不公平だと感じた。

 アリエルさんから、彼女のお父さん――レナルドさんとローラさんが互いに一目惚れしたと聞いて知っているだけに、ダヴィド支部長の明確な失恋の瞬間が目に浮かんだ。


「……やっぱ失恋って辛いですか?」


 思わずそんな失礼な質問をしてしまった。

 俺の場合、失恋をするよりさせてしまう側だったこともあり、あの時の美沙を思い返しながら、胸に棘が刺さったような感覚を抱く。


 それでも尋ねたのは、きっとうどうしても他人事だと流すことが出来なかったからだと思う。


「ああ、身を引き裂かれそうだったよ。だがそれでも私は彼女の家族を守る最善手として、組織の……フランス支部の支部長として懸命に力を尽くた……はずだったのだがな。唖喰と何ら関係のないただの事故で亡くなるなど、思わず神を呪いたくなったよ」

「――っ」


 男女における価値観の違いは多少あるだろうけど、ダヴィド支部長の言葉を聞いた俺は真っ先に美沙と喧嘩別れしたことを思いだした。


 俺を好きになってくれた彼女に対して、付き合っておきながら何とも思っていなかったと拒絶したあの時を。


 すぐに自殺をするようなことはなかったけど、それでも彼女を深く傷付けたことは確かだ。

 

 そして今の状況。

 ゆずと菜々美さんから恋愛感情を向けられている今。

 二人のどちらかを選べば、ダヴィド支部長が言ったような身を引き裂くような思いをさせてしまう。

 

 何度も答えを出そうと思うものの、一向に答えが出ないでいるのはやっぱり二人を傷付けたくないと、恐れてしまうから。


 そんな板挟みからずっと抜け出せずにいる。


「ローラさんが亡くなっても、ダヴィド支部長は組織を辞めるつもりはないんですね」

「当然だ。ローラが亡くなってからというもの、元々彼女を快く思っていなかった父がアリエルを排斥しようとしていると知って、あの子を守ることこそが、ローラへの愛に応える唯一の方法だと確信した。アリエルが身を落ち着かせるまではまだまだ折れるわけにはいかないさ」

「亡くなった人が大事にしていたものを守る……凄いと思います」


 それが言葉程簡単なことじゃないことぐらい、高校生の俺でも分かる。

 だがダヴィド支部長はそれを今でもこなしている。


 そうじゃなければ、アリエルさんは最高序列第四位にまで上り詰めることはなかったし、今も笑顔を振りまく余裕はなかった。


 ダヴィド支部長の姿勢こそ、俺が目指す姿かもしれない。

 そう思える程、この人がアリエルさんを助けて来たことが分かった。


「少し湿っぽくなってしまったな」

「いえ、貴重なお話を聞けてありがたいです」

「ただの敗北者の話をそう言ってくれると、私も話した甲斐があったものだ」


 そう言って会話をしながら食事を終えたダヴィド支部長は、食堂を出て行った。


 一人になって今まで聞いて来た話を反芻する。


 そうした中で、やっぱり全員が確かな意志や目標があった。

 大して俺はどうだろうか。


 唖喰が絶滅出来ないと知って、日常指導係を続けることとゆず達を支えたいにしても、それ以上の理由も意志もない。

 

 ハッキリ言って貫くだけの明確な目標がない。

 このままじゃいけないのは解っている。

 だけどどうすればいいのか分からない。


 こんなあり様じゃ、菜々美さんを立ち直らせることなんて到底出来ない。

 心にずっしりと重荷が乗ったような感覚に、思わずため息で出た。


「……ゆずと、話したいなぁ」


 ふとそんな呟きが漏れた。

 唖喰の事実を知ってからというものの、彼女と顔を合わせて会話をしていない。

 何度か声を掛けようとしたが、どこか怯えるような素振りで避けられてしまっている。


 ゴールデンウイークの後にも似たようなことがあったので、彼女が落ち着くまで待とうとは思っていたが、前と違ってそれでは遅い気がする。


「……動かなきゃ、それこそ何も変わんねえよな」


 そう決めて、俺はゆっくりと席を立ってゆず達のいる訓練場へと移動する。

 迷って悩んでばかりの今のままでも、彼女に俺がどうしたいのかを伝えるために。


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