167話 ただ、愛してくれた人達の元へ


 アリエルさんが愛人の娘。

 それは彼女の振る舞いや言動から全く察することが出来なかった、彼女が抱える複雑な事情の根幹とも言える秘密だった。


「愛人の娘って……それってつまり、アリーさんのお父さんが浮気してたってことですか?」

「そのあたりがまた複雑なのですが、まず、ワタクシのお母様はしがない歌手で、バーのステージで歌うことが数少ない稼ぎだったと聞いていますわ」

「その娘のアリエルさんが歌姫って呼ばれていると思うと、歌の才能は母親譲りなんですか?」

「ふふ、そう言われるとお母様の娘として生まれたことは誇らしいですわ」


 満面の笑みを浮かべるアリエルさんを見て、本当に自分の母親が好きなんだと察した。

 

「そんなお母様とお父様の馴れ初めは、お父様が何気なく入ったバーで、ステージ上で歌うお母様を見掛けたのが切っ掛けだそうですわ」

「それって、アリーさんのお父さんの方が、一目惚れしたってことですか?」

「いいえ、二人共同時らしいですわ……」

「出会った瞬間から息がぴったりだったんですね」

 

 鈴花が聞いたらロマンチックだと言っていたかもしれない。 


「ですが、その頃にはお父様は既に現正妻と婚姻関係にあり、自身の気持ちに悩んだそうですわ」

「婚約者がいたのに!? って、愛人云々の話だからそうなって当然か……」


 少なくともアルヴァレス夫人は上流階級の人だろうから、バーの歌手でしかないアリエルさんのお母さんの方が横やりを入れてきたような感じに捉えられるんだろうか?


「さらに、お母様にはお父様だけでなく、お父様の弟であるダヴィド叔父様も好意を持っていたそうですわ」

「うわ、なんか昼ドラ染みてきたな……」


 しかも、アリエルさんが当主をお父様って呼んでるから、ダヴィド支部長は跡目争いに負けただけに留まらず、追い討ちのように恋愛でも負けたのかよ。


「お母様は、お父様に婚約者がいても構わまずアプローチを仕掛けて、正妻のお母様もワタクシのお母様に貼り合ってと、今のリンドウ様のように二人の女性から好意を寄せられていたのですわ」

「あああああああ! 耳が痛い!!」


 俺も大概人のこと言えなかった!!

 

「というか待って下さい。今アリーさんがそうしてるってことは、アリーさんのお父さんは二人の女性と結婚したってことですか!?」

「ええ、そういうことですわ」

「……アルヴァレス家の当主なんだから、そりゃ甲斐性はトップクラスなんだろうけど、よくそんな思い切った決断が出来たな」


 若干羨ましいとも思う。

 二人への気持ちを持ち合わせていることと、ちゃんとした甲斐性があること……どっちも俺に足りないものだ。


「最初はいがみ合っていた二人のお母様も、互いを家族であり親友だと呼べる程に仲が良い関係だと、幼心に感じていましたわ」

「あー、そういえばハーレムで一番大事なのは妻になる女性達の同意だとかでしたっけ……」


 どんな経緯があったかは分からないけど、ある意味理想の結婚へと至った三人には、それを許容出来るだけの絆が出来上がったことだけは確かだ。


 ん?

 それだとアリエルさんは愛人の娘じゃなくて、第二夫人の娘ってことにならないか?

 俺はそんな疑問を浮かべたが、それでも変わらないことがあるのも確かだった。


「愛人の娘という微妙な生い立ちではありますが、お父様もお母様も、使用人達も、ワタクシを大事に育てて下さいましたわ」


 その言葉通り、アリエルさんが家族に愛されて育ったことは納得出来た。


「特に、正妻のお母様はワタクシを本当の娘のように愛して下さいましたの。今思えば、嫌われても仕方ないはずですのに……あの方には本当に感謝していますわ」


 自分の夫と別の女性との間に生まれたアリエルさんを自分の娘のように、か……。

 悪戯好きであっても、クロエさんやルシェちゃんを筆頭に人に好かれやすい人物なのは、短い付き合いの俺でも知っている。 


「五歳になった頃には、クロエがワタクシの専属の従者として、常に傍に居てくれるようになりましたの」

「あー、二人は主従であると同時に幼馴染なんですね」

「はい、幼い頃からずっと一緒ですわ」


 クロエさんのあの狂信っぷりは、幼馴染の枠を突き抜けてるけど、二人の関係は俺と鈴花のように、長い付き合いの仲で培った絆があるのは確かだ。 


「ですが、ワタクシが七歳の頃、ワタクシを取り巻く環境は一変しましたわ」


 そう切り出したアリエルさんの神妙な面持ちを見て、ここからが本題だと思わされた。

 

「初めはお母様が事故で亡くなられたのです」

「っ!」


 誇らしいと語った母親の突然の死……アリエルさんもまた、ゆずや翡翠のように家族の死の瞬間を目の当たりにしていた。


 強いて異なる点を挙げるとすれば、家族の死に唖喰が関わっていない点だ。

 それでも、アリエルさんの中に走ったショックは計り知れない。


「ワタクシはもちろん、お父様も正妻のお母様、叔父様に使用人達も、お母様の死を悼みましたわ」

「今のアリーさんみたいに、周りの人に愛されていたんですね」

「ええ、それだけにあの人の死は、ワタクシ達の心に大きな空白を作り出すのに十分でしたわ」


 工藤が亡くなって元気を失くしている菜々美さんと似たような状態か……。

 菜々美さんも、今は普段通りに振る舞ってはいるが、ふとした拍子に無理をしている様子がある。

 明日のデートの時に、どうにか調子を取り戻せたらいいんだけどな。


「次にお爺様……お父様のお父様は、元々愛人の娘であるワタクシを毛嫌いしていたのですが、その嫌悪がエスカレートしたのです」


 アリエルさんの祖父は先代のアルヴァレス家の当主で、魔導六名家の一つに数えられるアルヴァレス家の跡継ぎは女性では務まらないという、古風な価値観の持ち主らしい。


 そのため、正当な婚約者ではない女性の娘という立場であるアリエルさんを特に毛嫌いしていたようだ。


「でも、そんな考えなのに、よくアリーさんのお母さんとの結婚を許可しましたね」

「お父様とお母様が婚姻する際も猛反対をされたそうですが、そこはお父様と正妻のお母様が必死に説得して、将来生まれる子供……つまりワタクシをアルヴァレス家の跡継ぎとしないことを条件に渋々許可したそうですわ」


 それでも渋々なのか。

 話を聞く限りよっぽど厳しい人みたいだな。 


「そのような人ですから、お母様が亡くなったことを好機と見たのか、疎ましく思っていたワタクシをアルヴァレス家から追放するため、他の上流階級の家との政略結婚の駒にしようとしたのです」

「おいおい、いくらなんでも血の繋がった孫相手にそんな仕打ちをするのかよ……」

「血統よりも、世間体と自身の価値観を優先した結果だと思いますわ」


 そう語るアリエルさんは、自分の祖父から迫害されていた事実に、大して気にしていない素振りを見せた。


「そのために、お爺様からは『その優れた外見で、少しでも良い家と婚約しなさい』と、女性としての礼節を徹底的に教え込まれましたの」

「その口調とかですか?」

「ええ」


 船上パーティーでの挨拶の際に見せたあの仕草。

 あれはアリエルさん本人から望んで身に着けたわけじゃなかったと知り、何となくシンパシーを感じた。

 程度は違えど、大人の都合で興味の持てない教育をされる辛さは、俺にも理解出来た。


「そうして十歳になった頃に、ワタクシを自分の息子の婚約者にという縁談の話がいくつも舞い込んできましたわ」

「あ……」


 繰り返すが、アリエルさんはゆず達より突出した美貌の持ち主だ。

 子供の頃には既に今の片鱗を表していたのだろう。


 だからこそ、一昨日クロエさんから聞いた話を思い出した。


『……アリエル様に近付こうとする男はこれまでにも、それこそ星の数ほど存在した。あの方の美貌に目の眩んだ者、寵愛を受けようとした者、あの方の歌声を独占しようとする者、己の欲情の捌け口にしようとする者、アルヴァレス家の威光に取り入ろうとした者、所詮男などあの方を何一つ慮ることのない私利私欲に飢えた獣のような下衆どもばかりだと思い知らされる程だ』


 当時まだ十歳のアリエルさんは、大人の陰謀を直接見せられ続けたはずだ。

 それはもう、クロエさんが男嫌いになる程に。


「クロエさんから聞きました。そうやってアリーさんに婚約を持ちかけて来た家は、誰一人としてアリーさん本人じゃなくて、外見や歌声にアルヴァレス家の権威を求めていたって……」

「……その通りですわ。婚約を持ちかけた家が欲したのは、私そのものではなく、私と婚約した際に付随するものばかりです。お爺様の狙いはワタクシの追放ですので、条件的には婿入りより嫁入りの方が都合が良かったのでしょうし、ワタクシが嫁入りした時点でアルヴァレス家とは縁を切る手筈でしたわ」


 そう、例えアリエルさんとの婚約を取り付けたとしても、アルヴァレス家と縁を持つことは出来ない。

 何せ、先代当主の狙いはアリエルさんを厄介払いすること。

 そもそも、アリエルさんをアルヴァレス家から追放するのが目的なんだから、嫁入りだろうと婿入りだろうと、彼女と婚約したところでアルヴァレス家の権威を手にすることは出来ないということになる。


「お父様はしっかりと相手を選んでいたこともありまして、婚約の話は悉く見送られ続けたまま、十二歳になった頃、ついにお爺様はワタクシを児童施設に追い出すという強硬手段に打って出ましたの」


 アリエルさんの祖父にとって、アリエルさんの外見で婚約が決まらなかったことは予想外だったのだろう。


 そこで、無理矢理にでも施設に出すことにしたのだろう。

 その際、従者のクロエさんにアリエルさんのお父さんと正妻の夫人という彼女の味方の人達に一切の相談もせず、アリエルさんの身柄を施設に移そうとしたそうだが、ここでまた彼女の祖父にとって予想だにしなかった事実が判明した。


 それは……アリエルさんが魔力持ち……つまり魔導士としての才能を秘めていたことだった。

 しかもその魔力量は、十二歳にして過去にアルヴァレス家から排出したどの魔導士も上回る、圧倒的な量だったという。 


 組織に入ってから知ったのだが、一般的な孤児と、ゆずや翡翠のように唖喰が齎した被害によって親を亡くした子供達が引き取られる児童施設には、必ず組織の構成員がいて、子供達が魔力を持っているかどうか検査する。


 そうして魔力を持っていた場合、魔導士としての道を提示するという決まりがあるからだ。

 ゆずがまさにそうだ。


 もちろん、戦うことを拒否する子もいるが、唖喰によって家族を亡くした子供は魔導士になる傾向が強いらしい。


 それこそ、自分と同じ目に遭う人を増やさないようにするために。


 祖父によって秘密裏に児童施設に移されたアリエルさんを検査した際に、彼女の魔導士として破格の才能が明らかになったことが、彼女の人生の転機となったという。


「当時は既にダヴィド叔父様はフランス支部長となっていて、ワタクシの才能を見込んだあの人は、ワタクシに魔導士になって戦い続ければ、アルヴァレス家との縁を保つことが出来ると仰っていましたわ」


 ダヴィド支部長からすれば自分の父親に逆らう行為だが、アリエルさんという姪を見捨てるくらいならと、彼女を魔導士として迎え入れた。


 そして、アリエルさんにこう伝えた。


『君がまだアルヴァレス家に戻りたいというのなら、魔導士としての実績を積み重ねなさい。そうすれば、また家族と共に暮らせるようになる』


 ダヴィド支部長は、アリエルさんの才能なら必ず出来ると信じたんだろう。

 もちろん、最高序列に名を連ねることは並大抵の努力では意味が無い。


「そこからはひたすら努力を重ねて来ましたわ。胸の中には、お父様や正妻のお母様、クロエや使用人の皆に会いたいという想いで一杯でした。程なくしてワタクシの後を追ってクロエも魔導士となって共に戦うようになり、義務教育を終えた十五歳の頃には、叔父様の勧めで現在の仕事にも就きまして、三年前……十七歳の頃に、最高序列第五位として〝聖霊の歌姫ディーヴァ〟という名を連ねたのですわ」


 当時は第五位としてでも、魔導士の頂点として捉えられる最高序列の一員となったことは並み大抵の努力では成し得ない地位なのは俺でも分かる。


 むしろ三年経ったのにも関わらず、序列が一しか上がってないという事実に驚かされたくらいだ。


 改めてゆずの規格外っぷりを見せつけられた気分だ。


 まぁ、ゆずのことは一旦置いといて、だ。

 最高序列に至ったアリエルさんを無視する訳には行かず、先代当主は彼女がアルヴァレスを名乗ることだけは許したという。


 そう、名乗ることだけ……。

 未だ家に戻ることは出来ていないのだ。


「叔父様はまさに恩人ですわ。あの人がいなければ、ワタクシは自分の人生を悲観していたかもしれませんもの」


 アリエルさんの言葉からは、ダヴィド支部長に対して確かな信頼が窺えた。

 ゆずにとっての初咲さん、菜々美さんにとっての工藤さんのように、魔導士でなくとも味方になってくれる人の存在は、彼女達の揺るぎない支えとなっているようだった。


「ですが、お爺様は未だワタクシがアルヴァレスを名乗ることに不満を抱いているようでして、時折お爺様のお知り合いから縁談の話が持ち込まれていますの」

「なんつー諦めの悪さだよ……」

「本音を言えば、聖職者の仕事は辞めたいのです。ですが、現代の聖女という看板を降ろしてしまっては、お爺様が何かしら仕掛けて来るのかと思うと、どうしても辞められないのですわ」


 アリエルさんと先代当主の確執は、未だ解決していない。

 今言ったように、アリエルさんが聖職者を辞めた途端に先代当主は我が意を得たと言わんばかりに策を張り巡らすだろう。


「まさかフランス支部の魔導士の人達に手を出したりしてないよな……?」

「有り得ない話ではないと言い切れないところが恐ろしいですわね……」


 フランス支部の腐敗の一因となった、元魔導士達の妊娠による寿退役……それがアリエルさんの失脚を狙って彼女の祖父の手の者とかが、元魔導士達を襲った……。


 確かにアリエルさんの言う通り、否定出来ないのがなんとも怖い。


「そちらはクロエに任せるしかありませんわ。話を戻しましてつまるところ、ワタクシが魔導士として戦う理由は、自分の居場所に縋る唯一の道だったからですわ」

「……」


 愛人の娘だろうと、自分を愛してくれた人達の元へ戻ることを強く望んだ……それが、アリエルさんが戦う魔導士として理由だった。


 俺が思っていた以上に彼女を取り巻く環境は複雑で、それは今でも引き摺られているままだ。

 俺だったら、途中で不貞腐れていたと断言できる状況で、アリエルさんは必死に努力を重ねていたというのは、普通では到底成し得ない程のことだ。 


 そこまで考えて、アリエルさんの今の生活には自由がないんじゃないかと気付いた。

 

 家のこともそうだが、聖職者としての仕事に、戦力不足であるポーラ達の尻拭いのために上位クラス以上の唖喰と戦う……そんな生活をしていれば、趣味の映画鑑賞もロクに出来ないはずだ。

 

 なるほど、だから抜け出しているのか。


 クロエさんはそれらの事情を全て知っていて、アリエルさんを守ることにあそこまで拘るんだろう。

 確証はないけど、今日みたいに趣味のために抜け出すのは黙認しているかもしれない。


 ともかく、話を終えたアリエルさんは一息ついた。


「ふぅ、長話に付き合わせて申し訳ございませんでしたわ」

「いや、俺から聞きたいって言ったんで、全然気にしてないです……」


 まさか、彼女の半生を知ることになるとは思いもよらなかった。

 けれど、聞いたこと自体に一切後悔はない。 


(また一個、フランス支部を立て直す理由が出来たな……)


 アリエルさんにはもっと自由な日常を過ごしてほしい。

 戦うことしか知らなかったゆずが、普通の女の子と変わらずに笑って過ごすような日常を。


 そのために俺が出来ることは、きっと少ないかもしれない。


 それでも……。


「アリエルさん」

「はい、リンドウ様?」

「まだ十七の高校生に何が出来るかは分からないですけど、愚痴くらいなら聞きますよ。改めて、一緒にフランス支部を立て直そう」


 俺はこの人の助けになりたい。

 自己満足だろうとなんだろうと、俺はそうすると心に決めた。


「ええ、よろしくお願いいたしますわ」


 心なしか、そう答えた時のアリエルさんの表情は特に輝いて見えた。

 

 

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