156話 天国への片道切符


 俺達がフランス支部の魔導士達の意識改革のために、同じくフランス支部の魔導士であり、最高序列に名を連ねるアリエル・アルヴァレスさんと話し合いたいと考えていたこと、何故か目の前の謎の美女……アリーさんは把握していた。


「〝なんで知っているんだ〟と言いたげな表情ですね?」

「……」


 図星を突かれて何も言えないでいると、沈黙を肯定と受け取ったのかアリーさんは続ける。


「簡単な話です。フランス支部の現状を鑑みて、親衛隊の崇高対象である彼女と接触を図ろうとするのは容易に想像できますよ?」

「――っは、凄いですね、本職は探偵かスパイなんですか?」

「あら、それも楽しそうですね」

 

 うふふ、と冗談に乗っかって返す彼女の表情そのものは笑顔だが、油断するなと警戒心を奮い立てる。

 腕時計型の魔導器はベッドとは正反対のテーブルの上……この距離じゃ分が悪い。


「再度申し上げますが、ワタシでしたら、彼女との話し合いの場を設けることが出来る……といったらどうしますか? 当然、無条件とはいきませんが」

「っ!」


 それもそうだろう、美味い話には裏がある。

 何かとんでもない要求でもされるかもしれない。

 そう思って彼女を睨むが……。


「その、条件ってなんですか?」

「ふふ、耳を傾けて頂いて何よりです。それとご安心を……何も無茶な要求はしません」


 一転して笑顔を浮かべるアリーさんと対照的に、俺は一層警戒を強くして――。



「ワタシの膝枕でしっかりとお休みください。ただそれだけです」

「――ん? ん゛ん゛っ!?」


 一瞬何を言われたのか飲み込めず、理解した時には驚きすぎて変な声が出た。

 いやいや、何言ってんだこの人……。

 その条件はおかしいだろ……。


「あの、俺の羞恥心を削る以外のデメリットがない気がするんですが……」

「むしろメリットだらけでしょう? もし膝枕の最中できたらの方もさせて頂きますよ?」

「いりません」


 涼しい顔でとんでもないことを言うアリーさんの提案を全力で拒否する。

 〝何を〟催して、〝何を〟するのかなんて聞かない、絶対に聞かない。

 言ったら掘ると解ってる墓穴を避けるのは当然だ。


「うっふふ、お顔が真っ赤ですよ?」

「~~っ、それはアリーさんがからかってくるからですよ……」

「ええ、大変お可愛らしいです」

「……」


 負け惜しみでもそう言っておきたかった。

 あと、大人の女性に可愛いとか言われてちょっとムキになってる。

 

「さて、どうされますか? 膝枕を受ければアリエル様との話し合いの場を用意しますが、受けなければ当然この話は無しです。一分以内に決めて下さいね?」

「短っ!?」

 

 っと、言ってる場合じゃない。

 膝枕されるかどうかで、今後の流れが大きく変わるとかどういうことだよ……。

 状況を冷静に分析してみても全く意味が分からない。

 

 受ける場合、俺の羞恥心がゴリゴリ削られるのは目に見えてる。

 だってアリーさんは膝枕をすると言っているが、悪戯をしないとは一言も言ってない。

 でもその時間を乗り切れば、懸念事項だったアルヴァレスさんとの面談が格段に早まる。


 受けない場合はアリーさんが言ったように、白紙になるだけ。

 むしろこっちを選んだ時のデメリットが大き過ぎる。

 

 半ばもう決まってるようなもんだ。

 初めから手のひらの上で踊らされてたな、これ……。


 ……仕方ない、腹を括るか。


「――その話、乗ります。膝枕、受けて立ちますよ」


 俺の羞恥心一つでゆず達やルシェちゃんの助けになるなら、喜んで差し出してやる。

 そんな思いを秘めた返答に満足したのか、アリーさんはニコニコと笑みを浮かべながら、〝早く来て〟というように自身の膝をポンポンと叩く。


 受けると言った手前、拒否するわけにもいかず、心臓が高鳴り出すのを感じつつ、アリーさんの太股の上に頭を置くために横になる。


 顔の向きは後頭部にアリーさんのお腹に接する向きにしてある。

 というかそっちの方が心臓に優しい。

 そうしていざ、頭をアリーさんの太股に乗せると……。


 ――ムニン。


 !?

 なんだ、これ!?

 え、女性の膝枕って今まで使ってきた枕よりよっぽど寝心地良いんだけど!?


 初めて知った柔らかさに感動していると、上からクスクスと笑い声が聞こえた。


「うふふ、どうでしょうか?」

「いや、確かにドキドキしますけど、思ってたより寝心地良くて、なんだか安心です」

「それは良かったです」


 お世辞も無しに素直に称賛すると、アリーさんは嬉しいのか更にニコニコと微笑みを浮かべながら、俺の頭をポンポンと優しく擦って来た。


 いや、本当にすごい。

 これは翡翠をギュッとした時と同じくらいの安心感がある。


 思えばゆずからの告白の返事とか、菜々美さんの想いへの気持ちとかに加えて、ルシェちゃんのことにフランス支部の色々、更に俺自身がゆず達に出来る事を模索するなど、悩むことが多すぎる。


 この機会にそれらのことは一旦置いといて、心行くまでリラックスに専念しようじゃないか。


 目を閉じて、頭をからっぽにして、ゆっくりと……ゆっくりと……。



 ……。



 ……。



 ……。

  

 

 寝れるわけねえだろうがあああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!


 無理無理無理無理!!

 めっちゃいい匂いするし、めっちゃ柔らかいし、めっちゃ心臓ドキドキしてうるさいのにスヤァって寝れるはずないって!!


 最初はちょっとこのまま安眠コースでいけるんじゃないか?

 なんて考えてたけど、全然そんなことなかった!

 

 悪戯はまだされてない。

 でも、俺は一つだけ確かなミスを犯した。


 それは……膝枕の有限が決まってないまま受け入れたことだった。

 多分、アリーさんの足の限界か、俺が寝入るまでだとは思うが、それでも二つの意味でいつまで続くのかという不安は漠然と胸に巣食ったままだ。


 舐めてた。

 膝枕舐めてたよ……。


「リンドウ様? どうかなさいましたか?」

「い、いえ、なんでも、ないっす……」


 俺の様子を変だと感じたのか、アリーさんの質問にどもりながらも返した。

 

 大丈夫か?

 悟られてないか?


「リンドウ様、側臥位ではなんですし、いっそ仰向けになってはどうでしょうか?」

「え、あぁ、はい、じゃあそうさせてもらいます……」


 一刻も早く終わってくれと祈っている際に、アリーさんの出された提案に従って、俺は顔を上に向けた。


 

 向けた瞬間、後悔とも歓喜ともいえる複雑な感情を抱く羽目になった。


 

 よく考えて欲しい。

 女性に膝枕をされる姿勢を。


 顔を体側に向けていると、なんだか女性の体に顔を埋めているような、そんな背徳感がある。

 逆に反対側は膝枕というシチュエーションに置いて一番の安全な姿勢だ。


 だが、一部の女性が相手だと前者以上の脅威が生まれる。


 俺が仰向けになった場合、アリーさんの太股を後頭部に面することになる。

 

 Q、その視線の先は?

 A、大きな風船で視界の七割が隠れてて、アリーさんの顔が見えません。


 うわ、え、なに、ちょ、スゴイ!?

 やばいやばいやばいやばい!!?

 この姿勢はかなりやばい!!


 期末テスト後に菜々美さんを自宅に招いた際、彼女を押し倒してしまった時にはなかった凶器に激しく動揺する。


「あ、アリーさん、やっぱ姿勢直します……」

「え? どうしてですか?」


 顔は見えないが、恐らくアリーさんは顔を下に向けたのだろう。

 

 なんでわかったかって?

 七割隠れてた視界が九割になったからだよ。

 

 そうだよ、顔を下に向けるってことは、少なからず上半身が前のめりになるわけであって、目の前の風船も一緒に移動することになる。


 当然、視界も塞がっていく。

 もう目と鼻の先だ。


 というか鼻先がちょんちょん触れてる。

 悲しき男の性故に全神経が鼻先に集中してしまっている。


 俺の心臓が大きなバクバクと大きな音を立てて悲鳴を上げていた。

 

「あ、あの、その……」


 刺激が強すぎて、口が上手く回らない。

 だってこんな膝枕と巨乳が合わさった奇跡は初めてだし、どう対処すればいいのかなんて分かるわけないだろ!

 

 動くことも出来ず、喋ることも出来ず、自分の心臓の音と、後頭部を乗せている彼女の太股の柔らかさ、鼻先に触れる胸の感触しか理解出来ない現状で、俺にどうしろと……。


 しかし、アリーさんの胸が鼻先に何度も触れてる内に、何だか鼻がムズムズしてきた……あ、やば、これ止まらな――。


 このままくしゃみをして、アリーさんの服に唾とかを付けるわけにはいかないと瞬時に判断して、咄嗟に右手を口に被せようとして――。


「ハッ――んぶっ!?」

「――あぁん!?」


 くしゃみをした拍子で顔が浮き上がった結果、顔が右胸に埋まり、口に被せようとした右手はアリーさんの左胸を鷲掴みにする形になった。


 なああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!?

 やっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっわあああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!??


 顔と手から伝わる極上の感触に、俺は頭が真っ白になった。

 

 胸に顔が埋まったり、鷲掴みにしたことはある。

 前者は菜々美さん相手に、後者はゆず相手にだ。


 あの時の感触はよく覚えている。

 

 菜々美さんの胸に顔が埋まった時は、小ぶりながらも確かな柔らかさを感じた。

 例えるなら小さなクッションのような感覚だ。


 でも、アリーさんの胸はまるで綿でふんわりと包まれるような、いつまでもこうしていたいと思える程だった。


 ゆずの胸を鷲掴みにしてしまった時は、手の平にすっぽりと収まるサイズで、パズルのピースがぴったりはまったようなフィット感が印象的で、今ではあの時より成長もしている。


 でも、アリーさんの胸は両手でも覆いきれない大きさで、むしろ指が沈んだ。

 俺の手の動きに合わせてその形を自在に変えていくのに、手を放すと何もなかったかのように元の形を取り戻していく。


 完全に異次元だった。


 さて、まずはアリーさんの膝から体を離して、ベッドの上で正座をして両手を八の字に置いて、間に頭を置くように上半身を倒す……土下座の姿勢をする。


「ごめんなさい、すみませんでした! わざとじゃないんです! くしゃみが出そうになったんで、右手で口を抑えようとしたら、あんなことになってしまったんです! お願いですから約束を無しにするのは勘弁してください!」


 必死に捲し立てる。

 いや、わざとじゃないとはいえ、女性の胸を鷲掴みにしてしまったことで、アリーさんの機嫌を損ねてせっかくのチャンスを棒に振るのは絶対に避けたい。


「もう、女性の体は繊細なのですから、あんなに乱暴に掴まれたらビックリしてしまうんですよ?」

「重々承知してます、すみません!」

「本当に反省していますか?」

「はい、本当に反省してます!」

 

 怪訝な声で俺が反省しているのかどうかを確かめるアリーさんに、許してもらおうと素直に伝える。


「まぁ、ちょっと気持ちよかったですし、乱暴なのも乙だと思えましたから、条件次第では許しますよ」

「ぶふっ!!?」


 許す条件の前の言葉おかしくない!?

 なんでわざわざそんなことを言うんだよ!?

 絶対に今の流れで言う必要なかっただろ!


 完全に弄ばれているなと思いながらも、恐る恐る許してくれる条件の詳細を尋ねる。


「じ、条件ってなんですか?」

「ワタシからのおしおきを受けるのであれば、リンドウ様を許します」

「おしおき……いや、受けて当然のことをしたんで、俺に拒否なんて出来ないですよね」


 悪戯好きのアリーさんのおしおきが全く平穏に済みそうな気がしなくて、若干慄いてしまうがこれも約束のためで、罰なのだと自分を戒める。


「では、また膝枕をどうぞ」

「は、はい……」

「あ、今度は頭頂部をワタシのお腹に当てるように仰向けになって下さい」

「っ……わかり、ました……」


 どうしよう、凄く嫌な予感が……いや、これはお仕置きなんだから、嫌なのは当たり前なんだけどね。

 膝枕で嫌な予感っていうのもおかしな話だな……。


 まぁ、そんな疑問は後回しにして、早いところ終わらせよう。

 

 そう結論付けて、俺はアリーさんの言うままに仰向けになった。

 変わらず柔らかい太股と……視界を遮るデカい双丘に再び動揺するが、顔に出ないように平静を装う。


「じゃあ、早くお願いします」

「あら、意外とせっかちさんなんですね」


 おちょくらないで下さい。

 ただでさえ一杯一杯で色々とギリギリなのに、あまり悪ふざけが過ぎるようならいい加減に怒るぞ。


「では……失礼します」


 さぁ、来た、バッチ来い!

 なんだって耐えてやる!!


 ――ポフンッ!


「――っぶが!!?」


 な、なんだ!?

 柔らかくて温かいのが顔全体に圧し掛かって、息が出来ない!?


 ちょ、息苦しい!


「うふふふ……」

「もご、が、んん!!?」


 アリーさんがしてやったりというように笑う声が聞こえる。

 酸素を求めて何とか逃れようとするが、いつの間にかアリーさんが俺の両腕をがっちり押さえ込んでいた。


 女性にこういうのも失礼なんだけど、意外と腕力あるんですね!?

 あんな細い腕のどこにこんな力があるんだよ。


「ふぅ、ワタシのは見ての通りの大きさですので、肩が凝って大変なのです。リンドウ様のお顔に乗せたら楽になりました」

「んぐもがー!!」


 見ないようにしていた現実に引き戻された!

 

 ああ、そうだよ、俺の顔に圧し掛かってるのがアリーさんの胸だって解ってたよ!

 でも、お仕置きで天国と地獄が同時に襲い掛かって来るとか予想出来るわけないだろ!

 

 なんだって耐えてやる?

 そんな決意、顔に圧し掛かる柔らかさの前じゃ無意味だったよ。


 というか、やばい!

 マジで息が出来ない……!


「むっっぐううう!!」

「んっ……リンドウ様の声の振動が胸に響いて……ふふ、何だか癖になってしまいそうですね♡」 

「――っ!?」


 色っぽい声音でそう告げるアリーさんの言葉で、遂に声を出すことすら封じられてしまった。

 そして俺は今になって、アリーさんはさっき胸を鷲掴みにされたことを然程気にしていないどころか、俺を追い詰める手段として用いたことを察した。


 完全に彼女の思うツボだった。

 何で俺にそんなことをするのかなんて皆目見当もつかない。


 けれど、一つだけ確かなことがある。



 ――このまま気絶したらいい夢を見られるだろうな。



 そんなアホらしいことを考えた途端、遂に限界を迎えた俺は、顔面に押し付けられる天国に導かれるまま、意識を手放した。



 ~~~~~

 おまけ


「死ぬときはでっけぇおっぱいに埋もれて死にてぇ!!」


 書いててそんな迷言があったことを思い出した。

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