120話 ココロノキズ


 目が覚めてから自分がベッドに横になっていると分かるまで数分かかりました。

 自身の状態を確かめるために身体を起こそうとしても、腕や腰に上手く力が入りません。


 五回程失敗した時にガララ、と扉が開けられた音が聞こえました。

 

 そして私が横になっているベッドに見知った人が現れました。


「ゆず!?」

「ゆっちゃん!」


 鈴花ちゃんと翡翠ちゃんが駆け寄って来ました。

 そうして二人に体を起こす手伝いをして貰い、改めて周囲を見渡てようやく私がいる場所がオリアム・マギ日本支部の医務室だと分かりました。


「やっと起きたんか、まあ無事で何よりや」


 鈴花ちゃん達とは少し離れた位置に立っている季奈ちゃんがいました。


 しかし、季奈ちゃんの言葉に引っ掛かりを覚えた私は彼女に問い掛けました。


「やっと、というのはどういうことですか?」


 私の質問に季奈ちゃんは神妙な面持ちで答えました。


「四日間眠りっぱなしやったんや」

「四日も!?」


 季奈ちゃんが嘘を言うとは思えません。

 鈴花ちゃんがスマホで日付を見せてくれましたが、そこには八月三日本当のことだと分かりました。


「皆心配しとったし、ゆずが起きたーって伝えに行って来るわ」


 季奈ちゃんはそう言って医務室を出ていきました。


 残された私達三人は誰も言葉を発する事なく、ただ沈黙が続きました。


 その間に目が覚めたばかりの薄く靄が掛かったような感覚が晴れていくと、私はどういった経緯で医務室で眠っていたのかを思い出しました。


 私は四日前のあの時……ベルブブゼラルに敗北しました。

 腹部を貫かれ、衝撃波をゼロ距離で受けたことで意識を失ってしまったからです。


 その後のことは目覚める今まで何も知らないため、そのことを把握していそうな鈴花ちゃんに尋ねてみることにしました。 


「鈴花ちゃん、ベルブブゼラルはどうなったのでしょうか?」

「……逃げられた」

「っ、そう……ですか……」


 やはり私に致命傷を負わせた後に逃げたようです。

 最後まで私を殺そうとしなかったのは、自身の負傷とあの高さなら放っておいても死ぬだろうと思っていたのかもしれません。


 意識を失った私がこうして生きているのは翡翠ちゃんが助けてくれたからだと聞いて驚きました。

 唖喰が怖いからと戦うことが出来ないでいた彼女が恐怖を押し殺して駆けつけてくれた……それがどれだけ辛い想いだったのか私には計り知れません。


「ありがとうございます、翡翠ちゃん」

「ゆっちゃんが無事でよかったです」


 私が感謝の言葉を伝えると翡翠ちゃんはそう返してくれました。

 

「ねえゆず。起きたばかりで悪いんだけどベルブブゼラルにどんな風にして負かされたのか聞いてもいい?」


 翡翠ちゃんと代わって鈴花ちゃんから投げかけられた質問に私は息が詰まる感覚がしました。


「どんな、風に……確か、魔導砲を受けて倒れたベルブブゼラルにトドメを刺そうとして……」

『ギュギャギャギャギャギャ!』


 ――うるさい。

 

「私と司君が交わした言葉が何故か聞こえてきて……」

『ギャギャギャギャギャギャ!』


 ――黙れ。


「それはベルブブゼラルから聞こえて……」

『ギュッギャッギャッギャッ……』


 ――鬱陶しい。


「それで……」

『『日常指導係――もう、やめようかな』』



 ――ああ、そうだ……。

 


 ――あいつを、殺さなきゃ。


 

 そこまで思い出した私は毛布を蹴り上げてベッドから降りようとしますが、両足に力が入らずに倒れ込んでしまいます。


「――あぐ!?」

「ちょ、なにしてんのゆずっ!?」

「っ離して!!」


 鈴花ちゃんが私の行動に驚き、慌てて駆け寄ってきましたが、私は差し伸べられた手を払い除けました。 


「――え?」

「ベルブブゼラルを……次の被害者が出る前に早くベルブブゼラルを見つけ出して消さないと!!」

「ぁ、えと、だ、ダメです、ゆっちゃん!」


 這ってでも外へ出て行こうとする私を翡翠ちゃんが肩を掴んで止めようとしますが、私は鈴花ちゃんの時と同じくその手を払いました。


「止めないでください!」

「いっ! ……で、でもゆっちゃんはまだ病み上がりで――」

「四日も眠っていればもう充分です」

「そんなザマで何が充分だっての! そこまでしてゆずが身を削る必要はないじゃん!」

「嗤われたんです」

「……ぇ?」


 壁に手を当てて上手く力の入らない両足をガクガクと揺らしながらもなんとか立ち上がった私は、未だ止めようとする二人に私が戦う理由を告げました。


「司君が私に言ってくれた言葉を、あの唖喰は何故か知っていたんです」

「なに、それ……?」

「分かりません……でも一つだけ確かなのは、あいつは私の思い出と日常を嘲り嗤った……お前のしていることは無理だというように!!」


 思い返すだけで腸が煮えくり返る程の怒りと憎悪が湧いて出てきます。

 それだけ、あいつは犯してはならない私の想いをアリを潰すように踏み躙った。


「そん、な……」


 翡翠ちゃんは右手で口元を抑え、目尻に涙を浮かべて悲痛な表情をしていました。

 直接聞いていないにも関わらず人伝でここまで嫌悪感を抱かせるなど、やはりあの唖喰だけは許せない。


「私のことは心配しなくても大丈夫です! それにこれは私がやらなければいけないこと……今もこうしている時間が惜しいんです!」

「心配なくてもいいって……そんなの信じられるわけない!」


 私は大丈夫だと言ったのに、鈴花ちゃんは信用ならないと口にしました。

 どうしてかいつもと答えが違うことに私は疑問を抱きました。


「どうしてですか? いつもは賛同してくれていましたよね?」

「どうしてって……ゆずは死に掛けたんだよ! そんな簡単なことも解らないの!?」


 鈴花ちゃんの人を馬鹿にするような言い分に、無性に苛立ちを覚えた私は逸る気持ちを感じながらも答えました。


「当然です。死に掛けたことはこれまでも経験したことはありますので、鈴花ちゃんが心配するようなことは何も――」


 その言葉に鈴花ちゃんは一瞬目を見開いたあと、一気に鋭さを持って私を睨み、声を荒げて掴み掛かって来ました。


「違う! ぜんっぜん違う!! アタシが言ってるのは経験があるとかないとかじゃない!!」

「っ、それではなんだと言うんですか!?」

「やっぱ解ってない! 死に掛けて病み上がりなのにこのまま友達をむざむざと行かせて、今度こそ死ぬようなことはしてほしくないってだけなのも解んないの!?」

「鈴花ちゃんこそ解っていません! 私が今までどれだけ強力な唖喰に殺されかけようと生き抜いてきたことの意味を理解していないのですか!?」


 声を荒げる私と鈴花ちゃんは互いの胸倉を掴んで互いを睨むように目を合わせます。


「自分は最高序列第一位だから死なないって言いたいの!? 殺されかけたからって今更自分の地位を振り翳すとかバッカじゃないの!?」

「バカってなんですか!? 私は私の持てる力を最大限に活かすだけです! それが魔力でも地位でも関係ありません!!」

「大アリだっての! そもそもゆずは司が眠ってから何だか初めて会った時みたいに無茶し過ぎだし、そんな無茶をして司が助けられても嬉しいはずないでしょ!? ゆずの気持ちは痛い程わかるから一旦落ち着いてよ!!」

「――っ!!」


 司君のことを引き合いに出されて、私はますます苛立ちを募らせていきました。

 その募った分を差し引いても早々に限界は訪れていたでしょうけど。


「鈴花ちゃんに私の気持ちが分かるはずない!! もう二週間も司君の声を聴いていない、ゆずって呼んでもらえてない、手を繋いでも冷たいままで、私が司君の名前を呼んでも何も返事がない……私の日常がどんどん色褪せていくのは嫌……もう、全部、全部耐えられない、我慢できない!!」

「……」

「それなのに、あいつは……ベルブブゼラルは私と司君の日常を嘲笑った!! 私の日常を奪った張本人が奪ったものを見せびらかすように馬鹿にして見下して来たのに落ち着け? ふざけるのも大概にしてよ!!」


 ずっとずっと苦しかった。

 司君と一緒にいることで輝いていたはずの私の日常はすっかり埃被ってしまった。

 早くベルブブゼラルを倒さないと司君はずっと眠ったままで、下手をすれば衰弱死も有り得る。

 

 司君が死ぬ。

 それは私にとって世界が滅ぶと同義で、それによって生じる恐怖と絶望は河川敷の時と同じ――いや彼への恋心を自覚したことも相まって日に日に膨らんでいく一方だった。


 司君と一緒だからどこへでも行けた、色んな話も出来た、唖喰と戦っていく心の支えになった。


 好きな人がいるということがこんなにも幸せだなんて、司君と出会う前の私に話してもきっと……ううん、絶対に伝わらない。


 もうあの頃の自分には戻れない程変わった私から、司君を奪おうとするベルブブゼラルが憎くて仕方がない。


 それなのに、鈴花ちゃんには気負う様子は無くて、むしろいつも通りのようで、その態度に内心イライラしていた。


 私の叫びを聞いた鈴花ちゃんは顔を俯かせていて、どんな表情をしているのか分からない。

 

 鈴花ちゃんが何も言い返さないと察した私は医務室を出ようと振り返ったところで、後ろから翡翠ちゃんに抱き留められた。


「……離して」

「い、嫌、です」


 翡翠ちゃんの声は震えていた。

 それでようやく自分の口調が崩れているのがわかった。


 けれど今はどうでもいい。

 早くベルブブゼラルを殺しに――。


「あ、い、行っちゃダメです!」

「しつこい」

「えと、ゆ、ゆっちゃんの魔導器は重傷を負ったせいでまだ修復が終わってないです! だから今すぐ戦うことは出来ないです!」


 ああ、そういえばそうだった。

 でも構わない。


「だったら代用器でもいい。今すぐ取り出して――」

「そんなのもっとダメです! それじゃゆっちゃんが死んじゃうです!」

「うるさい!! 私は〝天光の大魔導士〟だ! 相手が悪魔クラスの唖喰でもそれくらいのハンデは知ったことじゃないの!」

「――ひぅ!?」


 私が大声で怒鳴ると、翡翠ちゃんは怯えて両手を離した。

 これでもう止められることはない。


 今度こそ出ようとして……。


「ちょっと! アタシは何言われてもいいけど、死に掛けたアンタを助けてくれた翡翠に当たるのはお門違いでしょ!? 謝りなさいよ!!」

「~~っ!!」


 鈴花ちゃんに肩を掴まれた。

 既に我慢の限界だった私は肩を掴んでいる手を払ってさらに叫びました。



「謝るなら翡翠ちゃんの方でしょ! 司君が眠る前に会ってたらならどうして引き留めてくれなかったの!? そうしたら今頃こんな辛い思いをすることなんてなかったのに!!」



その叫びを聞いた翡翠ちゃんは息を詰まらせたように両目を見開き、一瞬硬直したと思ったらわなわなと震え出した。


「――っ、ぇぅ、ぁぅ、ご……ごめん、なさ……うぅ……うあああああああああああああああ、あああああああああああ!!」


 翡翠ちゃんが大泣きし始めた。

 目から大粒の涙を流す翡翠ちゃんに視線を向けて――。



 ――パァンッ!



 乾いた音が医務室に響いた。


「――ぁ?」


 自分の身に何が起きたのか分からず、左頬にヒリヒリと痛みが走る感覚だけが鮮明に感じられた。


「アンタ今自分が何言ったか解ってるの?」


 やけに冷えた鈴花ちゃんの声が耳に入ってきて、ゆっくりとそっちに目を向けると、右手を平手打ちで振り抜いたままの姿勢の鈴花ちゃんが声と同じく冷え切った目で私を見ていた。


 私を殴ったのは鈴花ちゃんだと分かった。


「さっきから聞いてたら悲劇のヒロイン気取りなわけ? 馬鹿馬鹿しいにもほどがあるでしょ……」


 馬鹿馬鹿しい?

 私は司君への想いを侮辱されたような気がした。

 そう思った瞬間、頭が真っ白になった。


 すると足腰に力が入らなかったのが嘘のように、私は確かな足取りで鈴花ちゃんに飛び込んで押し倒した。

   

「っぐ!?」

「馬鹿馬鹿しくなんか……ない!!」


 そうして鈴花ちゃんのマウントポジションを取った私は馬乗りになって鈴花ちゃんを殴りつけた。

 

「バカ……でしょ!? 辛いのは、皆同じだってのに、自分一人が世界で一番不幸なんですって、態度がムカツクのよ!!」

「そんなの知らない!! 私は司君さえ隣にいてくれれば友達も何も全部いらない!!」

「あっそ、じゃあ絶交だね! 今から一人でベルブブゼラルに挑むなり好きにしたら!?」

「言われなくてもその減らず口を黙らせてから行くつもりだから、さっさとくたばれ!!」

「うええええええええええええ!」


 尚も苛烈を極める私と鈴花ちゃんの口論と暴力は絶交までに至った。

 私が目覚めるまで静寂に包まれていた医務室は一転して喧騒の場と化した。


「アタシだって司のことは心配に決まってる! でもそれを顔に出してたら周りに迷惑だから隠してたの!」

「だったらどうして今すぐにベルブブゼラルを探しに行かないの!? 司君を助けるより自分の命が大事だからでしょ、この臆病者!!」

「臆病で結構よ! 無謀に挑んで命を散らすよりよっぽどマシだもんね!!」

「そんなの弱い人の言い訳じゃない!」

「はあぁっ!? 自分が最高序列第一位だからって調子のってんの!? 自分だって負けてたじゃん!」

「死んで無いから負けてない! 次は勝つ!」

「だーかーらー! 死んだら元も子もないって言ってんでしょうが!!」


 鈴花ちゃんを殴って、鈴花ちゃんから殴られての肉弾戦と口喧嘩はさらに熾烈になっていった。


 でも、そんな止まることを知らない喧嘩は長くは続かなかった。


「ちょい待ちや! なんでゆずと鈴花が喧嘩して翡翠が泣いとるねん!? ゆずはウチが止めるから静は鈴花のほう止めてや! 菜々美は翡翠の介抱頼むわ!」

「わ、分かったよ!」

「もう、なんで起きて早々騒ぎになるのよ!?」


 さっき医務室を出て行った季奈ちゃんが柏木さん達を連れて戻ってきたことで、私は鈴花ちゃんから引き離された。


 これが、私の初めての喧嘩で……鈴花ちゃん達との間に明確な溝が出来た瞬間だった。

 

~~~~~~~~~~~~


 殴り合いの喧嘩に発展していたゆずと鈴花は別室に引き離され、ゆずは医務室の主治医である芦川から絶対安静を言い渡されたことでようやく落ち着き、とりあえずゆずから聞いた情報を共有するため鈴花達は医務室の隣にある第二病室に移動した。


「治癒術式発動」


 鈴花はゆずに殴られた箇所を擦りながら治癒術式を施した。


「は~、いっつつ……ったく手加減無しで人の顔をガンガン殴ってくるとか、容赦なさ過ぎだってのあの猫被り中学生」

「猫被りってなんやねん……」

「普段は敬語で話すくせにキレるとタメ口になるじゃん」

「あ、確かに二人が喧嘩してる時の並木ちゃんはいつもの口調じゃなかったね」

「翡翠は?」

「泣き疲れて自分の部屋で休んでる。アルちゃんとベルちゃんが見てくれてるよ」


 翡翠が負い目に感じていることを責めたゆずの言葉に、翡翠は大泣きしてしまった。

 菜々美の介抱によって何とか泣き止んでからは部屋に閉じ篭っていた。


 部屋の外で同年代のアルベールとベルアールが時折声を掛けてはいるが、余り芳しくない様子だった。


「並木ちゃんも翡翠ちゃんも今はそっとしておくしかないね」

「せやな……で、何であんな喧嘩する羽目になったんや?」


 季奈の質問に鈴花は左手で乱れた髪を手櫛で直しながら答えた。


「……ベルブブゼラルに司との思い出を嗤われたんだってさ」

「え、どうしてベルブブゼラルが二人の思い出を知ってるの?」

「それは分からないけど、ただ分かるのはベルブブゼラルがそうしたことでゆずを怒らせたってことだけで、あとは病み上がりでベルブブゼラルを倒しに行こうとするゆずを止めようとしてたら殴り合いになった」

「怪我をさせたくなくて止めようとしたのに、殴り合いになってたら本末転倒じゃない……」


 喧嘩になった経緯を簡潔に語った鈴花に静は呆れるようなため息をついた。

 

「……ひょっとしたらしたらベルブブゼラルがつっちーの意識を奪っとるせいかもしれん」

「「「え?」」」


 季奈の呟きに鈴花達はきょとんと首を傾げた。


「ベルブブゼラルはどうやって他人の意識を奪っとるか覚えとるか?」

「えっと、対象にブブゼラ型の嘴で奏でた音を聞かせることで意識を奪うってことが、これまでの調査で分かったことなんだよね?」


 季奈が出した問いに菜々美がそう答えた。

 ベルブブゼラル討伐作戦開始から既に二週間が経とうとしている中、組織の懸命な調査でベルブブゼラルがどのようにして他人の意識を奪っているのかを把握していた。


「せや。意識を奪うっちゅうことは、その人の記憶も解るかもしれへん」

「ということは、竜胆君の意識を奪っているベルブブゼラルが並木ちゃんと竜胆君が交わした言葉を知っていてもおかしくないってことね」

「奪った司の記憶と自分に殺意を向けるゆずが一致したから、挑発するために司の言葉を引っ張り出したってこと?」

「酷い……」


 あまりに醜悪なベルブブゼラルの所業は、司に好意を向けるゆずを心身ともにこれ以上ない程傷つけた。


 同じく司に好意を抱いている菜々美には自分も同じことをされたらと考えたら、ゆずの気持ちに共感出来たのかおぞましさに口を押えていた。


「でもいくら並木ちゃんが竜胆君のことが好きだからってあんなに取り乱すのはよっぽどのことよ?」

「ゆずが言ってたよ。司と過ごす日常が色褪せていくのが耐えられないって……ゆずにとって司が世界の中心なんだと思う」

「傍から聞いたらとんだ惚気話やけど、ゆずの境遇を考えたらそう簡単なことやあらへんな……」

「私が言うのもなんだけど恋は盲目って言うし、特に司くんは並木ちゃんの日常指導係だもん。夏休みにも色々出かける約束があったのに全部無しになっちゃってるから余計にね」


 菜々美がそうしめると、部屋は静寂に包まれた。

 ゆずの盲目というより依存染みた司への想いを垣間見たが、それだけベルブブゼラルの悪辣な挑発がゆずの心を揺さぶり傷つけたということもわかった。 


「皆、いるかしら?」

「あ、初咲さん……」


 鈴花達のいる第二病室に支部長である初咲がやって来た。

 大方先のゆずと鈴花の喧嘩が耳に入ったのだろうと、その場にいた全員が察した。


「初咲さんは今のゆずの状態ってどう思いますか?」


 書類上ゆずの親代わりである初咲に静が質問をする。


「竜胆君という根幹を傷付けられているせいで情緒不安定といったところね。鈴花が喧嘩した時のように些細なことで感情が爆発して暴走する可能性は高いわ」


 それこそ普段は絶対に他人に八つ当たりなどしなかったゆずがするほどであった。

 

 あの状態のままでベルブブゼラルと戦わせても、再び特攻をするのが目に見えていた。

 次の遭遇までに何とかゆずの調子を戻さなければならないが、ここで鈴花と殴り合いの喧嘩に発展したのが痛手だった。


「感情に任せて絶交まで宣言したのは相当不味いわね」

「うぅ、でもこっちの心配を気にも留めないゆずも悪いと思います……」


 改めて自分が後先考えずにその場の勢い任せでゆずと喧嘩をしたのか痛感した鈴花は、罰が悪そうに明後日の方へ目を逸らしながらゆずにも非があると主張した。


 それを見た初咲はため息をついて眉間を摘まんだ。


「本来なら竜胆君がいなくなった時にこそ普段通りの日常を過ごしてほしかったのだけれど、ままならないものね……」


 初咲が発した言葉に菜々美だけが引っ掛かりを覚え、尋ねた。


「初咲支部長、さっきの言葉って司くんが並木ちゃんの日常指導係を辞めることを想定していたんですか?」

「ええ、ここまで順調だとは思わなかったけれど、ゆずが日常を知っていけばいずれ解任するつもりだったの」


 それは当然のことだった。

 ゆずが日常を知っていくということは、司が教えていくことが減っていくということになる。


 将来、ゆずが日常を教わり終えた時が司の日常指導係の解任の時となるが、実際の成果としては司や鈴花の尽力により、その日が来るのが初咲の想定していた時期より早まるのだった。 


 だが、鈴花はどうしても気になるところがあった。


「初咲さんはゆずが司に恋愛感情を持つか、司がゆずに恋愛感情を持つ可能性は考えなかったんですか?」

「ゆずが竜胆君に恋愛感情を抱けば御の字ぐらいのつもりだったわよ? けどまさか日常を過ごす上での根幹に成り得るほどに惚れ込むのは予想外だったわね」

「あーははは……司くんの行動力と気配りが絶妙なんですよねー……」


 経験者は語ると言わんばかりに菜々美が苦笑を浮かべながら賛同した。

 司が初咲の予想以上に日常指導に専念……というよりゆずと関係を深めていったことが、ここまで大事になるとは誰も予想出来なかった。


(今すぐどうこうってわけじゃないけど、この先司くんに日常指導係を解任を言い渡されたら、二人はどうするんだろう……)


 そんな漠然とした疑問を浮かべた菜々美は、そんな時に自分が出来ることはないか密かに模索する。


 それから今後の方針を話合った結果、一先ずゆずには魔導器の修復が完了と精神的な休息を含めて、作戦から一時的に外す運びとなった。


 当然ゆずは反発したが、従わなければ魔導器を返却しないと、人質ならぬ物質ものじちを取られてしまったことで、渋々受け入れることにしたのだった。


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