116話 静・菜々美対上位クラスの唖喰


 羽根牧商店街東方面にて、避難救助を終えた静と菜々美は唖喰と交戦中だった。


「ギシュルルル……」


 その唖喰は自身の体をダンゴムシのように丸めて菜々美達を押し潰そうとゴロゴロと縦に回転しながら接近してきた。


「この……!」

「……てや!」


 静は舌打ちをしながら躱し、菜々美はすれ違い様に鞭を振るうが回転中の唖喰に通用するはずもなく鉄に弾かれた石のように掠り傷一つも付かなかった。


 唖喰は自分の攻撃が避けられたことを悟ると、自ら建物に突っ込んで回転を停止させた。


「っ、いくら修復出来るからってあんまり暴れられると面倒ね!」

「もう七回目ですよ……」


 現在二人が戦っている唖喰は全長六メートルのダンゴムシのようなずんぐりとした体型であるが、その表皮は真っ白な甲殻に覆われているため、生半可な攻撃は通用しない。


 甲殻に覆われていない足は夥しくわさわさと蠢いている。

 さらに体の中央から生えている二メートルの大きなハサミがガシガシと開閉されている。


 もし鋏まれれば命は無いだろうと容易に察せられた。


 シザーピードの上位互換とされる上位クラスの唖喰――ギガシェルピードが丸まった体勢から地面に無数の足をつけてもそもそと動き出した。


 ギガシェルピードの最たる攻撃手段として、先程のような転がりによる体当たりが挙げられる。


 何せギガシェルピードの甲殻は砲弾でも傷が付かない程の硬度を持っている上に、六メートルの体躯で押し潰されてしまえばあっという間に踏まれたアリと同じく地面のシミとなってしまう。


 既に交戦開始から十分が経過しているものの、二人はギガシェルピードに決定打を決められず、唖喰が転がる度に躱しては商店街の店を壊されていくを繰り返していた。


「攻撃術式発動、重光槍四連展開、発射!!」


 静が甲殻に目掛けて飲み会四本の大きな光の槍を放つが、重光槍は甲殻に直撃しても小さな煙をあげるだけでダメージにすらならなかった。


「固有術式発動、アン=スティング!」


 続いて菜々美が鞭に魔力を纏わせてシザーピードを三体も貫通した固有術式を発動する。


 ――ガキィィンッ。


「っ、なっ!?」


 しかし、貫通力に特化した攻撃であってもギガシェルピードの甲殻を貫くことは出来なかった。


 おまけに菜々美の右手に反動が及んで手が麻痺したことにより、鞭を落としてしまった。

 そんな隙を唖喰が見逃すはずがなかった。


「ギシャアアアアッ!!」


 ギガシェルピードは両方のハサミを菜々美と静に向けて、中から血飛沫ちしぶきと見間違うような赤い液体を噴水の要領で放って来た。


 一見脅威に見えないが、この血飛沫には浴びた対象の体を痺れさせて動けなくする麻痺性の毒が含まれている。


 一滴二滴程度であれば少し動き辛くなるだけだが、コップ一杯分でも浴びてしまえば体を動かすことが出来なくなり、非常に稀な例ではあるが体内に入ってしまえば心臓や肺が麻痺を起こし、多臓器不全から死に至ることもある。


 そのため、この血飛沫はローパーの触手と同レベルの警戒でもって対処しなければならない。


「防御術式発動、障壁展開!」


 菜々美は自身と静を守るため、前方に障壁を展開して飛沫を防いだ。

 菜々美が飛沫の防御をしている間に、静は反撃の準備を整えた。


「攻撃術式発動、魔導砲チャージ、発射!」


 静が右手を突き出して展開した一メートルを超す魔法陣から強烈な閃光を発する大質量の光線が放たれた。


 光線はギガシェルピードが飛ばした液体を蒸発させていき、甲殻へと直撃した。

 

「ギシェエエエエエ!!」


 静の渾身の攻撃はギガシェルピードに衝撃を与えた。

 しかし、それに反して静の表情は思わしくなかった。


「焦げ目がついただけ……」


 攻撃した本人の言う通り、魔導砲が直撃した甲殻の一部には僅かな煙をあげる焦げ跡が出来ただけで、目に見える程ダメージを与えられていなかった。


「追撃いきます!」


 落とした鞭を手元に戻した菜々美がギガシェルピードへ接近する。

 鞭に魔力を流し、固有術式を発動させる。


「固有術式発動、アシエ=デトリュイル!!」


 鞭の先端が二メートルもの光球と化し、菜々美は重さを感じさせない動きでそれを自身毎大回りに振り回し、静の魔導砲によって焦げ跡がついた甲殻の一部を殴りつけた。


「ギ、ゲエエエエ!?」


 余程の威力だったのか、ギガシェルピードはうめき声を上げて動きを止めた。


 固有術式〝アシエ=デトリュイル〟は鞭の先端に魔力を集中させ、巨大な光球の形状にする。

 それをモーニングスターの如く振るって強烈な一撃を叩きつける術式である。


 菜々美は重さを感じることはないが、唖喰には見た目通りの質量を発揮するため、菜々美は自らの動きを阻害される心配はない。


 しかし、そんな一撃をもってしても甲殻には傷一つつかず、ギガシェルピードはハサミをめちゃくちゃに振り回して暴れ出した。 


 こちらの攻撃を受けた反応を見る限り、甲殻に傷は無くとも痛みを感じないというわけではないことが分かるが、やはり甲殻が防護していることによって威力を大幅に減衰させられている。

  

「これでもだめなんて……私達じゃ火力が足りない……!」

 

 アシエ=デトリュイル以上の威力を持つ術式を菜々美達は持ち合わせておらず、このままではジリ貧になることは明らかだった。


 そこまで考えたところで菜々美はある光景がフラッシュバックした。


 それは、過去の戦いでゆずがクリティカルブレイバーでギガシェルピードを甲殻毎粉砕する瞬間だった。


 当時、魔導士として戦い始めた頃に見たその光景は菜々美に魔導にも才能の差があると思い知らされたときでもあった。


 ゆずなら簡単に甲殻を突破出来たのに、自身の不甲斐なさに打ちひしがれていた。


「……先輩、今なら並木ちゃんがいますし、彼女に――」

「ダメ。並木ちゃんはベルブブゼラルと戦わなきゃいけないし、こんな相手には勿体ないわ」

「……っ」


 ゆずがいればと、弱気になった菜々美の案を静は却下した。

 その目は怒気が含まれているように見えた菜々美は動揺を隠せないでいた。


「相手は上位クラス最硬の唖喰とはいえ、今まで並木ちゃん程の魔導士でなくとも討伐された記録がある。それにここでつまずいてたらベルブブゼラルと戦おうなんて夢のまた夢よ」

「!」


 今自分達が相手にしているギガシェルピードより脅威的な存在であるベルブブゼラルと比べるのは普通に見れば根本からズレているように見えるが、菜々美にとってはそうではなかった。


 菜々美もゆずと同じく司に恋愛感情を向けている。

 ゆず程でないにせよベルブブゼラルが司を昏睡状態に追いやったことは菜々美にとっても許しがたいことである。


 自分にゆずや鈴花ほどの才能がなくとも、ベルブブゼラルを倒したいという気持ちは日に日に強くなっていく一方だった。


 だが、ベルブブゼラルを相手にする前にギガシェルピード相手に手を焼いているようでは静の言う通り、ベルブブゼラルに挑むどころの話ではなくなってしまう。


 自分に自信を持つと決めたのに、また弱気になっていたことを自覚した菜々美は両手で自分の頬を叩いて、自らを鼓舞する。


 すると思考がクリアになったように感じた。

 

 菜々美達はギガシェルピードの甲殻を砕く前提で戦っていた。

 実際には甲殻を砕くどころか傷一つ付けられないのが現状である。

 だがこの唖喰には明確な弱点が存在していたことを思い出した。


 甲殻を砕く手段がなくとも、その弱点を突く手段がないか菜々美は思考を張り巡らす。  

 時間にして十秒もない逡巡である程度考えをまとめた菜々美は静にあることを頼む。


「先輩。地雷陣を展開してください」

「……作戦があるのね?」

「作戦って呼べるかは分かりませんけど、これならいけるかもしれません」

「分かった。簡潔でいいから説明して」


 静は菜々美からギガシェルピードの弱点を突くための方法を聞き、実行に移すことに決めた。


 まず、菜々美は身体強化術式を最大出力で発動させて、ギガシェルピードへ接近する。

 当然、突っ込んでくる相手に対して無防備なままでいるほど唖喰は甘くない。


「ギシャアアアアアアアアア!」


 ギガシェルピードはハサミを閉じてハンマーのように振り下ろす。

 

 菜々美は右側に跳ぶことで直撃を回避するものの、二メートルのハサミによる衝撃は避け切れないため、余波で軽くバランスを崩して着地に失敗してしまうがすぐに受け身を取って立ち上がり、ギガシェルピードの前に立ち塞がって鞭を振るって攻撃する。


 しかし、元から殺傷力が低い鞭ではギガシェルピードの甲殻の前に目に見える効果は無く、それどころかギガシェルピードは視界にちらつく蠅を払うようにハサミを菜々美に次々と振り下ろしていく。


 菜々美は落石のように上から降ってくる攻撃をギリギリで躱し続けるが、ついに菜々美の足に限界が訪れた。


「くっ……!」


 着地した瞬間、足に力が入らず尻餅をついてしまう。


「ギシャアアアアアア!!」


 それを好機とみたギガシェルピードは菜々美を押し潰そうと、体を丸めて回転しながら突進をして来た。 


 そしてそのまま菜々美を轢き殺すことに――。



「転送術式発動、ショートワープ」



 菜々美が転送術式でその場から離脱したため、轢き殺すことは出来なかった。 


「攻撃術式発動、地雷陣八連展開、設置!」


 さらに菜々美が居た場所に静が地雷陣を密集させて展開する。

 刹那一秒で起きた出来事にギガシェルピードは動きを変えられないまま地雷陣の上を通過した瞬間……。


 火柱が立ち昇ったかのような爆発が起きた。

 密集して展開した八つの地雷陣がほぼ同時に起動したことで、通常の地雷陣より強力な爆発を起こすことが出来た。


 カオスイーターやドラグリザーガが同じ攻撃を受けたならば、撃破とはいかずとも行動不能にまで追いやることは出来るほどの威力があるが、それでもギガシェルピードの甲殻の前ではやっと傷を負わせた程度にしかならなかった。


 だが、爆発を受けたギガシェルピードは背中から宙に打ち上げられる体勢になっていた。

 六メートルの大きな体を十メートル程浮かすことが出来ていたのだ。


  


「来た! バッチリです先輩!!」


 菜々美が勝ち誇った声音でそう称賛した。 

 

 そう、ギガシェルピードを十メートルでも宙に浮かすことこそが菜々美の狙いだった。

 

 ギガシェルピードの弱点とはダンゴムシなどの等脚類に共通する体の内側部分が甲殻に覆われていないこと……即ち内側部分は柔らかいというものである。


 普段は地面に接地しているため狙いにくく、同時に六メートルの長さを誇る体躯が接地している状態を浮かすのも容易ではない。

 では何故地雷陣で浮かすことが出来たのというと、ギガシェルピードが丸まって突進する体勢を利用したからだ。


 ギガシェルピードが転がっている時だけはタイヤと同等の接地面積であるため、その体勢の時に下から打ち上げる力が起きれば、容易になるということである。


 それをこなすにはギガシェルピードが転がってくるように誘導する必要があり、菜々美が限界まで引き付けて突進攻撃を誘発させることで、回避不能の打ち上げ作戦が成功したのだ。


 そして宙に打ち上げられて無防備になった内側へ攻撃を叩き込むため、菜々美は転送術式のショートワープで上空に先回りしていたのだった。


 この好機を逃すまいと菜々美は今一瞬に全力を込める。


「固有術式発動、ディミル=スウェール!!」


 音速を越える鞭による一撃がギガシェルピードの肉体を容易く切り裂き、脚が何本か切断された。

 

「ギシャアアアアッッ!?」


 甲殻越しの衝撃ですら悶えていたギガシェルピードは、まともに受けた攻撃に悲鳴を上げた。


「固有術式発動、フラッシュ=クゥインテュゥ=フウェエエエエエエッ!!!」


 さらに固有術式を発動させて鞭を振るう。

 五本の極細の光はギガシェルピードを微塵切りにしていく。

 

 その軌跡は光の帯が菜々美の周囲で踊るかの如く流麗なものであった。

 

「固有術式発動、アシエ=デトリュイル!!!」


 追い討ちをするように鞭の先端に巨大な光球形成し、既に虫の息であるギガシェルピードに目掛けて蹴り飛ばした。


 柔らかい胴体の内側に大岩が落とされたかのように押し潰され、ギガシェルピードは地面に叩き付けられた。


 地面に幾つもの亀裂が走り、落下地点に至っては小さなクレーターが出来上がった。


 その中心に押し込まれたギガシェルピードは巨大な光球と自身の甲殻に挟まれるように肉体が潰れ、塵となって消滅した。


「や、ったぁ……はぁ……はぁ……!」


 菜々美は上位クラスの唖喰を倒せたことで今すぐ両手を突き上げて喜びを表したいところだったが、実際はその両手を膝において肩を大きく揺らしながら呼吸を整えるのに精一杯だった。

 

 魔力の消費が激しい固有術式を連続して発動させたため、急激な魔力の消費が体の不調を起こしたのである。


 それでも総魔力量は四割を残しているため、少し休憩すれば万全とはいかなくともベルブブゼラルとの戦いに支障のきたす心配はないと一人安堵した。


「お疲れ、菜々美。少し休憩してからベルブブゼラルと戦っている並木ちゃん達の元へ向かうわよ」

「は、はい……先輩もお疲れ様です」

「……ええ」


 菜々美は息を整えながら静を労うが、静は暖かな目を向けるだけだった。


「……恋の力って凄いわね」

「先輩、何か言いましたか?」

「何でもないわ」


 ふと洩れた小さな呟きを聞き取れず、菜々美は首を傾げるしかなかった。

 

 

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