閑話② ~教育実習~

60話 2-2組、柏木先生! 前編


 五月下旬。

 中間テストを終え、早いもので既に夏の季節が近づいて来た。

 

 ようは衣替えの季節だ。

 男女ともに夏服……つまり半袖になって、毎年暑い夏を乗り越えようということだ。

 男子はともかく、女子の場合露出面積が増えたから白い肌が目立つようになったし、特にゆずの場合ブレザーの上からじゃ分かり辛かった彼女の程よい大きさの胸もよく見え……ってそんな下心は持っちゃ駄目だ。


 危うく煩悩が俺を支配しようとしたところで、正面を見据えた。


 今日から六月中旬までの三週間、羽根牧区内にある大学の教育学部から各小中高校に教育実習生がやってくる。

 現に俺とゆずと鈴花が通う羽根牧高校にもそんな未来の教師の卵達がやってくるのだが、各学年に三人ずつ割り当てられる中で、俺はある人の勝負運の強さを目の当たりにした。


「それでは、自己紹介をお願いします」

「――はい」


 ウチのクラス……2-2組の担任である坂玉さかだま鳴子なるこ先生ことさっちゃん先生がウチのクラスに割り当てられた教育実習生が教壇へ誘導し、自己紹介を促した。


「「「「「……」」」」」


 クラスで一部を除いた人達が絶句した。

 丁度一か月前にも似たようなことがあっただけに、俺は内心苦笑を浮かべていた。


 教壇に立つ実習生は女性だ。 

 教育実習生であるため、現役女子大学生だ。


 栗色の髪はサイドを三つ編みにして後頭部に束ねるハーフアップという通称〝お嬢様結び〟と呼ばれる髪型で、彼女の清楚さを際立たせていた。


 装いは水色のブラウスに薄茶のフレアスカートという如何にもな新米教師感は、正直男心を擽るものだった。


 教育実習生は緊張した様子で教室を見渡し、俺と目を合わせた途端、緊張が解けたように一度大きく深呼吸をしたのち、自己紹介を始めた。


「初めまして、今日から皆さんのクラスで教育実習を受けさせていただく、羽根牧西大学教育学部二年生、柏木菜々美です。よろしくお願いします」


 教育実習生――柏木さんは頭をぺこりと下げてお辞儀をした。


 瞬間、クラス中が騒ぎ出したのは言うまでもなかった。






 ~前日夜~


「はぁっ!? 柏木さんが教育実習先にウチの高校に来るってマジですか!?」


 柏木さんが教育実習先として羽根牧高校を選択したということは、実はゆずや鈴花に先駆けて工藤さんから電話で聞いていた。


『ええ、教育実習先は自分の母校に限られるのだけれど、菜々美は偶然にも竜胆君達と同じ高校の卒業生だから、一切迷うことなく羽根牧高校を選択したわ』

「迷いなく……」


 どう考えても俺がいるからですね、分かります。

 柏木さんの中で高校の思い出<俺な件。


『どのクラスを受け持つのかは流石に決められないけど……菜々美ってこういう時の運はやたらいいのよね』

「え……それって、俺達の2-2組に柏木さんが来るかもしれないってことですか?」

『あくまで菜々美にとって一番の理想よ。もし違うクラスだとしてもあの子は凄く頑張るでしょうから、出来れば褒めてあげて』


 工藤さんの柏木さん推しっぷりが凄い。

 そりゃ大切な自分の後輩ですもんね。

 幸せになってほしいって思って当然ですよね。


 でもなー。

 

「どっちにしろ柏木さんがウチの高校に来るとしたら避けられない問題があるんですよ」

『あら、なにかしら?』

「柏木さんってめっちゃ美人じゃないですか」

『ええ、昨日も別の学部の人から告白されていたわ。そして当然断ったけどね』


 すげぇ。

 ゆずも昨日告白されてたけど、そんな偶然あるんだな。

 相手振られたことも含めて。


「前に柏木さんと映画を観に行った時にクラスの男子に目撃されていまして……」

『あ~、君と菜々美の関係を勘繰ってくるかもってことね』


 関係も何も、まだ友人関係なんだけどな。

 現状は俺の気持ち次第だからどうなるの皆目見当もつかない。


「とにかく、学校にいる間は教育実習生の柏木さんとその実習先の高校の生徒でいるというのは難しくなるわけでして……柏木さんのアプローチ次第で俺が他の男子に殺されかねないってことだけ伝えてもらっていいですか?」

『相手の好意に気付いているのに随分と難儀なものね』


 いや、本当……。

 せめてゆずか柏木さんのどっちか片方ならそこまでややこしいことにならなかったと思ってます。

 ゆずはともかく、柏木さんは完全に俺の自業自得だけど。 


『分かった。菜々美にはあくまで一生徒として竜胆君と接するように伝えるけれど、確証は出来ないわよ?』

「いえ、事前に教えてもらっただけでもありがたいです」


 ゆずが急に転入してきた時は、うっかり俺とゆずしか知らない情報を漏らしちゃったから、柏木さんが来るってわかっていればあんなヘマはしない。


 そんなわけで、柏木さんの教育実習が始まった。







「柏木先生! 好きな食べ物は何ですか!?」

「パンケーキかな。甘くて美味しいし」

「柏木先生、好きな動物は?」

「犬が一番だよ。あ、でも猫もウサギも好きなの」


 ホームルームの時間は柏木さんへの質問タイムとなっていた。

 男女問わず様々な質問を投げかけている中、先日の席替えで俺の右隣になった鈴花が話しかけて来た。


「ねえ、司。菜々美さん、絶対アンタがいるから教育実習先にウチの高校を選んだんじゃない?」

「そうだよな~、そう思うよな~。てか鈴花も気付いてたんだな」

「当然でしょ~。今もチラチラとアンタを見てるくらいあからさまだし」

「あ、やっぱこっち見てたんだ」

 

 妙に視線を感じると思った。


「司君、柏木さん――柏木先生は人気があるようですね」

「え、おお。あの人かなりの美人だしな……」


 今度は俺の左隣のゆずが話しかけて来た。

 この席順になった時の男子達の殺意は一生忘れない。


「……柏木先生は美人ですか……そうですか……」

「え、ちょ、ゆずさ~ん? 別に深い意味はないから、そんな不機嫌にならなくてもいいぞ~?」

「……なってません」


 いやジト目とほっぺぷっくりな表情で言われても説得力ねえよ。

 そんな風に柏木さんへの質問をよそにゆず達と話していると、一人の男子がある質問を投げかけた。 


「柏木先生、ずばり付き合ってる人はいますか!?」

「ええっ!? 付き合ってる人って、彼氏がいるのかってことだよね!?」

「ぶっちゃけるとそうっす!!」


 きっっったあああああぁぁぁぁぁ……。

 俺と鈴花が苦虫を潰したような表情になった。

 

 絶対来ると思ってたよその質問……。

 なんと答えたものか戸惑っている様子の柏木さんがチラリと一瞬だけ俺の方を見た。

 

 お願いします!

 なんとか無難な回答で追究を逃れて下さい!!


「ええっと、付き合ってる人は……いないよ」

「「「「っっっしゃおらああああああ!!!!」」」」


 柏木さんが頬を赤らめながら答えた。

 その答えに男子達が盛大に喜び出した。


 ゆずの時といい、本当に元気だなこいつら……。


 とにかく、柏木さんに彼氏がいないのは本当だし何とかなった……。



、ね」

「「「「……」」」」


 

 遅延性の爆弾が爆発した。

 それにより騒いでいた男子達が一瞬で静まり返った。


 当然俺と鈴花も絶句した。

 ゆずだけは「ふ~ん」といった感じで落ち着いてる。

 俺達三人の中で柏木さんの好きな人が俺って知らないのゆずだけだしな。


「そそそ、それって、好きな人がいるってことですか!!?」


 委員長の中村さんがメガネをクイクイと激しく動かしながら尋ねた。

 恋バナ好き筆頭め……!

 俺とゆずの距離が戻った時も女子の中で一番歓喜してたからな、あの人。


 委員長の質問に柏木さんはほんのりと赤かった頬をさらに真っ赤にしながら……。


「……うん、片思いだけどね」

「「「「きゃあああああああああ!!!」」」」


 今度は女子達が騒ぎ始めた。

 

 俺は心臓を鷲掴みされたような息苦しさを感じていた。

 このまま誘導尋問に持っていかれて、ポロリと俺だという答えをばらさないか非常に怖い。


 鈴花は谷底に落とされた子ライオンを見るような憐みの視線を向けて来た。

 やめろ。 

 まだ俺ってバレたわけじゃない。

 セーフティゾーン内だ。


 ゆずは変わらず「ふ~ん」という表情だ。

 その余裕を少しでもほしいな……。


 あと男子達は絶望の表情を浮かべていた。

 大方〝既にあんな美人さんのハートを射止めたイケメン大学生がいるのか〟って思っているのだろう。

 

 ごめんなさい。

 それイケメン大学生どころか同じクラスの俺です。

 大変申し訳ございません。


「じじ、じゃあ、好きになったきっかけは……!?」

「え、うう、理由かぁ……」


 やだどうしてそんなに怖い質問をするの委員長?

 現在進行形で俺の寿命を削らないで。


 柏木さんも柏木さんだ。

 なんか〝理由ならセーフかな?〟って考えてそう。

 セーフはセーフでも、ドッジボールの顔面セーフだ。

 怪我が伴うやつだよ。


 少し考えたあと、柏木さんは……。


「えっと、ね。私今までうまくいかないことばかりで、自分に自信を持つことが出来なかったんだ。

 そんな時にね、あの子が「そんなことない。柏木さんが素敵な人だって知っています」って励ましてくれて、とても嬉しかった」


 そう語る柏木さんはかけがえのない思い出を語るように幸せそうな表情だった。 


「「柏木さんが自分の嫌いなところを一つ言うなら、俺はあなたの良いところを一つ言います。良いところも悪いところも全部ひっくるめて〝自分〟なんですから、まずはちょっとでも自分のことを好きになるところから始めましょう」「一人で難しいのなら、俺も手伝います。それくらい柏木さんは魅力的な人だって、俺は知っていますよ」なんて言ってもらった時は嬉しくて泣いちゃったんだ」


 柏木さんの話を聞き入れて静かな教室で、再び柏木さんの声が響く。


「その時に気付いたの……こんなに優しくて私のことをちゃんと見てくれる人がいるんだって。それからその人のことを、好きに、なりました。……これでいいかな?」


 そう語り終えた柏木さんの表情は、完全に恋する乙女のそれだった。

 静寂に包まれた教室の静けさは次の瞬間、女子達の黄色い声によって破られた。


「「「「「「「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」」」」」」」

 

 いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!?????

 

 言ったよ!?

 確かに言ったけどさ!?

 改めて言われるとなんつーセリフ言ってんだ当時の俺えええええええ!!!???


 俺は内臓を抉られるような羞恥心によって机に突っ伏した。

 

 モーマジムリ、オレゲンカイ。


「アンタ、よくもまぁそんな恥ずかしいセリフをポンポンと……ジゴロの舌好調ぜっこうちょうぶりに呆れを通り越してもはや尊敬するわ」


 コイツマジで正気疑うわって目を向けながら言うことか。

 舌好調とかうまいこと言うな。


「羨ましい……私も司君に……」


 ゆずさん、あなたが今羨んだセリフほざいたの俺なんです。

 無自覚の好意で追い討ち掛けてくるの止めてくれません?


 突っ伏してる俺の耳に男子達の話声が入って来た


「ちくしょう……それくらい、俺だっていえらぁ……!」


 言った本人がどうしてあんなことを言えたのか不思議なレベルだから止めとけ。


「良いところも悪いところも全部ひっくるめて〝自分〟とかどんな人生を歩んできたら言えるんだ……!?」


 人生も何も、ジゴロ発言をする精神の持ち主に生まれてくるなんてスタート地点からやり直す羽目になるぞ。


「ええと、もう質問タイムはお終い! そろそろ一限目の授業の時間だよ!」


 柏木さんはそう言って質問タイムを強制的に終了させた。

 うん、もうちょっと早く終わらせてほしかった。


 俺のライフポイントはとっくにゼロです。


 ホームルームの段階でこのザマなのに教育実習期間の三週間を乗り越えられるのか……?

 

 そんな前途多難な教育実習が幕を開けた。

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