20話 女神カシワギ

 オリアム・マギ日本支部地下五階。

 この建物の最下層に当たる階は、魔導士達が訓練する訓練場があるフロアとなっている。


 訓練後の休憩スペースや更衣室の隣にはシャワー室も完備されている。


 更衣室とかシャワー室は完全女性用だ。

 だって男性には魔力があっても操れないから唖喰と戦えないし、ここでわざわざ訓練する必要もない。


 そういった事情で基本的に組織の構成員であっても、この女性専用フロアと化している地下五階にはよっぽどの理由がなければ近寄らない。


 訓練場は一番から八番までの八つがあり、壁は防音仕様だから他の訓練場にいるであろう魔導士達の訓練する音は全く聞こえない。


 攻撃術式や固有術式では建造物を壊すことはないので、割と好き勝手やるそうだ。


 他にも射撃訓練場にトレーニングジムのような設備のある部屋もある。

 こんな設備も完備する組織の凄さを改めて実感させられる。


 そんな場所に鈴花がゆずから魔導の手ほどきを受けるために訪れた。

 俺がいるのはその様子を見学するためだ。

 やましい目的は一切ない。 


「今日は四番訓練場を使用します。それでは橘さんと訓練用の衣服に着替えますので、司君は休憩スペースのベンチで待っていて下さい」

「ああ、分かった」


 一緒に行ったら記憶を消される。

 これが冗談でも比喩でもなくマジなのが恐ろしいところだ。


 ゆずに言われた通り休憩スペースにあるベンチに座り、スマホでWeb小説を読んでいると声を掛けられた。


「こんにちは竜胆君」

「あ、こんにちは工藤さん」


 声を掛けてきたのは魔導士としても大学生としても柏木さんの先輩である工藤さんだった。

 訓練後なのか腰まで伸ばしている黒髪は頭頂部で束ねられてお団子状になっており、青色のTシャツに緑色のジャージズボンだった。

 首にはタオルが巻かれているし、髪もよく見ると湿っているように見える。


 その工藤さんの表情は俺をからかうつもりなのかニヤニヤとしていた。


「ここって男の人は滅多に立ち寄らないんだけど、もしかして運動後の女の子を眺める趣味でもあるのかしら?」

「まさか、ゆずと昨日魔導少女になった友人の訓練を見学するため、二人が着替え終わるまでここで待っているだけですよ」

「むぅ、もっと慌てるかと思ったのに、なんだかドライね」

「誤魔化すようなことじゃありませんしね」


 俺の反応に工藤さんはどこか不満気に拗ねてみせるが、実際そこまで気にしていないと分かるので、こちらも気にしないことにした。


 そうだ、工藤さんが訓練後ということは柏木さんも同じはずだ。

 工藤さんに聞いてみよう。


「柏木さんは一緒じゃないんですか?」

「菜々美ならまだシャワー室で汗を流しているところよ」

「そうですか……」


 それならこの場に来るまでもう少し時間が掛かるだろう。

 出来ればあの電話の内容について謝罪したかったが仕方ない。


「そういえば竜胆君、君って菜々美に気があるのかしら?」

「ぶっへぇ!!?」


 タイムリーな話題が来た!?

 俺は驚きのあまり変な噴き出し方をしてしまった。


 そんな俺の反応が面白いのか工藤さんはにやけ面を隠さずにおちょくってきた。


「なんでもデートの内容を考えるのに菜々美に彼氏の有無を聞いたりしたそうじゃない」

「ななな、なんでそのことを!?」

「あの子が私との約束に遅れて来た理由を聞いたら君との電話の内容を聞かされたからよ。あんな紛らわしいセリフをすらすら言えるなんて耳を疑ったわ」


 間違いない。

 この人俺がどういう意図であんな誤解を招く言葉を放ったのか理解した上で言ってきてる!


「それで菜々美と出かける約束を取り付けたって聞いた時はどんな策士よって思ったくらいだったわ」

「えっと、柏木さんはあれからどんな感じですか?」


 俺としては誤解を招いてしまったことを謝りたいのだが、被害者である柏木さんの様子が分からないとどう謝ればいいのか分からないため、工藤さんに聞いてみた。


 工藤さんは呆れたような表情を浮かべて答えてくれた。


「心此処に在らずといった感じよ。講義中も訓練中もやることはやっているのだけれど、ふとした瞬間ボーっとする時があるわ」

「……」


 開いた口が塞がらなかった。

 それってかなりまずいんじゃ……。


「か、柏木さんは電話の最後に恋人はいないって言ってましたけど、恋愛経験のほうは?」

「あの子、うちの大学でやったミスコンで優勝するくらいの美人だからモテはするんだけどね」

「ミスコン優勝って……」

「自分に自信がないからっていつも告白を断ってるのよ。彼氏どころか初恋もしたことが無いっていってたから、恋愛経験は皆無だと思うわ」

「えぇー、マジですか……」


 綺麗だなとは思っていたがそれほどとは……。

 なんでそんな人が魔導士なんて危険なことをしているのか疑問に思っていると、近寄ってくる足音が聞こえたので、恐らくゆず達だと思いそっちに顔を向けた。


「先輩、おまたせしまし……た……?」

「あ、どうも、柏木……さん」


 噂をすればなんとやら……柏木さん本人だった。

 白色のTシャツに紺のロングスカートという装いであり、シャワー室から出たばかりなので濡れた髪とやや赤い頬は何だか色気があった。


 目の前に俺がいることが信じられないのかポカンとした表情の後、顔をボンっと赤くして工藤さんの後ろに隠れてしまった。


 内心可愛いと思いました。

 そうさせている原因は俺なのに。


「な、ななな、なんで竜胆君がここに!?」

「並木ちゃんと新人の……橘ちゃんの訓練の見学だそうよ」

「へ、へぇ~、ソウナンデスネ~」

「あの、柏木さん……」

「はひゃい!?」


 ……。


「この前の――」

「ううううぅぅぅ!!」


 柏木さんは頭を抱えてしゃがみこんでしまい、俺の言葉が耳に入らない状態になってしまった。


 駄目だ、すっごいぎこちない!

 これすぐに謝らないと話進まないぞ!


 そうと決まれば俺のすることはただ一つだ。


 俺は床に両膝をついて腰を前に折り曲げ、両手を八の字においてその上に頭を降ろす。


「柏木さん、この度は誤解を招いてしまってすみませんでした」


 伝統としきたりの謝罪ポーズ、土下座DO☆GE☆ZAだ。


「えっ、なっ、なんで竜胆君が謝るの!? 誤解ってどういうこと!?」

「あ~、菜々美。この前聞いた竜胆君との電話のことだけれど……」


 俺の態度に柏木さんが困惑している最中、工藤さんが理由を話してくれた。

 説明すること一分。

 話を聞き終えた柏木さんは……。


「……むぅ」

「……本当にすみませんでした」


 物凄く機嫌が悪くなっていた。

 それはそうだろう、自分に気があるのではと思っていた相手の言葉が実は全く違う意図だったのだと知らされれば、怒って当然だ。


「……その、勝手に勘違いした私も悪いけど、紛らわしい言い方をした竜胆君も悪いと思う」

「はい、まさにその通りです」

「……竜胆君、顔を上げて」

「っはい!」


 バッと顔を上げると、柏木さんが屈んでおり、俺と目が合った。

 柏木さんの綺麗な顔が視界に入った時にドキリとしてしまった。


 だってさっき工藤さんからミスコンで優勝したことがあってモテるって聞いたし、そんな人に目を逸らさずじっと見つめられると変に意識してしまう。


 そんな俺の心境を知ってか知らずか柏木さんは口を開いた。


「すっごくドキドキして色々悩んだのに誤解だったってことに私は傷つきました」

「……う」

「竜胆君に悪気がなかったからまだいいけど、女心をちゃんと理解してあげないと並木ちゃんも傷つけちゃうから、次からは気を付けてね?」

「はい、大変申し訳ありませんでした!」

「来週の土曜日は空いてる?」

「え、あ、はい、予定はない、です」


 まだゆずとの次のデートの日程は決まっていないので、休日は予定がない。

 俺がそう答えると、柏木さんは思わず見惚れるような笑みを浮かべた。


「じゃあお詫びとして一日私に付き合ってくれる? そうしたら許してあげる」

「は、はい! それくらいなら全然いいですよ!」

「うん、じゃあ決まり、許してあげます」


 そう言って許してくれた柏木さんの笑顔はとても眩しかった。


 女神かよこの人。

 許してくれる上に一日一緒に出掛けられるなんて……。


 俺もうこの人に足向けて寝れないな。


 感激のあまり俺は柏木さんの左手を両手で握って精一杯拝んだ。


「寛大な心に感謝します!」

「え、な、ちょ、まま、待って竜胆君! 私その、訓練が終わったばかりで汗臭いから……」

「柏木さんのいい匂いしかしていないですから大丈夫です!!」

「ふえええっ!!?」


 っといかんいかん。

 突然崇められたらびっくりするよな。


 俺は柏木さんの左手を離して……ってなんか顔が赤いよ柏木さん……なんで工藤さんは俺に呆れたような視線を送ってくるんだ?


「竜胆君、わざとじゃないのよね?」


 拝んだことか?

 心からの感謝に決まってる。


「本心に決まってるじゃないですか」

「!!?」


 俺がそう言うと何故か柏木さんは肩をビクッと震わせた。

 え、何かまずいことでも言ったのか?


「えっと、柏木さん?」

「や……」

「や?」

「約束はしたからねえええええええええ!!!」

「ええっ柏木さん!?」


 確かに来週出掛ける約束はしたけど、そんな叫びながら走り去るほど緊張したのか!?


「はぁ……私もそろそろ帰るわ。それじゃまたね竜胆君」

「え、あ、はい……」


 なんだろう。

 今工藤さんがついたため息が凄く重かった気がする……。


 そうして工藤さんは柏木さんを追って行った。

 後輩思いだな……。


 俺がそんな風に思っていると、ようやくゆずと鈴花が訓練着に着替え終えて俺のところにやって来た。


 だがおかしい。

 なんで鈴花もさっきの工藤さんと同じく呆れたような視線を俺に向けてくるんだ……。


「……なんだよその目」

「いや、相変わらずだなぁって思って」

「はあ?」

「さっきすれ違った女の人って誰?」

「黒髪の女性の方が工藤静さんといいまして、魔導士になって今年で三年目になる人です」 


 鈴花が何を言いたいのか分からず俺は聞き返そうとするが、それより先に鈴花はゆずに工藤さん達のことを訊ねた。


「栗色の髪の女性は柏木菜々美さんです。魔導士としては橘さんより一年以上先輩になります」

「オッケ―、分かった」

「司君はお二人と仲が良いのですか?」

「え、ああ、まぁ。キャンプ場の時に連れて行ってもらったりしたから、には仲がいいとは思ってるけど」

「それなり?」


 鈴花が何か訝しげに見てくるが、別に間違った言い方はしてない。


「そういや着替え終わったんだろ? 早く訓練場にいこうぜ」

「はい、そうですね」

「はぁ、今度あの二人に会ったら謝ろう……」

「なんだそれ? お前は俺の姉かよ」

「そんな話はしてないでしょ~」

「?」


 鈴花が何を言いたいのか分からず、俺はただ付いて行くことしかできなかった。

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