19話 魔導の授業 後編

「だあああ、なんか暗い! 並木さん、早く次の術式を教えて!」


 欠損すら治せる治癒術式に隠されたふるいに、部屋に重い空気が立ち始めていたが、鈴花がそんなことを言ったことで若干解消されたように感じた。


「要は治癒術式で治せない人が出る前に唖喰を倒せばいいだけなんでしょ! だったらうじうじしてる暇なんてないよ!」

「鈴花……」


 単純で短絡的な物言いだったが、その言葉で俺は励まされたような気分になった。

 

 ――そうだな、守れるかどうかで悩むより今出来ることをやり尽くせば、悔いを残すこともないはずだ。


 そんな俺達の反応を見ていたゆずが授業を再開した。


「では次の術式です」


 俺と鈴花は椅子を座りなおして姿勢を正した。


「次は転送術式というものです」

「転送……?」

「論より証拠です。実践してみましょう……転送術式発動」


 ゆずがそう言って教壇の両側に魔法陣を展開した。

 そして俺から見て左側の魔法陣に移動した。


「これが転送術式の魔法陣です。この上に乗って魔法陣に魔力を流して起動させると……」


 ゆずがそう言った瞬間、魔法陣に乗っていたゆずの姿が消えた。


「え!?」

「消えた!?」


 突如ゆずが消えたことに俺と鈴花が驚いていると、不意に声を掛けられた。


「こちらです」

「「っ!?」」


 慌てて声のした方に振り向くと、ゆずはさっき同時に展開していたもう片方のま魔法陣の上に立っていた。

 

 ――いつの間にそっちに!? 

 と思ったが、きっとあれだ。

 身体強化術式で高速移動を……。


「していませんよ司君」

「おいやめろなんで考えてことが分かるんだよ!!」


 心臓がきゅってなった。

 そんなに顔に出やすいのか?

 

「これが転送術式です。魔法陣と魔法陣の間を行き交うことが出来る術式です」


 おお、つまりワープが可能なのか……。

 魔法陣の設置が必要だけど、行きたい時に行きたい場所に行けるっていうと……。


「まるでどこ〇もドアじゃん……」

「それはどういったものなのですか?」

「おおう、そういえば知らないんだったね……えっと目の前にドアがあって、行きたい場所を思い浮かべながらそのドアを開けると、その場所に行けるっていうアニメに出てくる道具だよ」

「そんなものが出てくるアニメがあるんですね」


 あんな夢こんな夢叶えてくれるネコ型ロボットがそんな便利道具を出して主人公を真人間にする話だよ。

 国民的アニメも教えるべきかな……。


「それに何か制限があるのですか?」

「海の中とか宇宙空間にすら行けるからちゃんと目的地に適した用意が必要ってくらいかな……てか制限っていうことは、転送術式にも何か制限があるの?」

「お察しの通りです。これも治癒術式同様魔力の無い人を転送することは出来ません」


 ですよねー。

 

「じゃあ機械とかも無理なのか……」

「いえ、生物以外でしたら機械でも食べ物でも転送することは出来ます。元の構想ではそちらを優先に作られた術式だそうですので、魔力のある人だけを転送できるように改良されたのはここ二十年ですね」


 組織間で書類や機器の転送を優先したから人の転送は後付けってことか……。

 

「ですが魔導士限定とはいえ人を転送が可能になったことで各国の魔導士の交流が容易になった成果もあります」

「各国っていうとアメリカとかフランスにもいる魔導士が日本に来る時があるってこと?」

「はい、合同訓練等の目的としてですが。観光やただ友人に会いに来るために転生術式を使おうにも、この術式にはいくつかの制限があります」


 その制限は大きく分けて三つ。

 先にゆずが言った通り魔力のある無しで転送出来る人間が絞られる点を除いてあと二つだ。


 次に説明された制限は転送の出発地点と到着地点を設定すること。

 

 ビー玉をペットボトルの中に入れるとする。そしてもう一つのペットボトルにビー玉を入れようとするなら、二つのペットボトルの蓋を開けてくっつける必要がある。


 そしてそのまま傾ければビー玉はコロコロと二つのペットボトルの中を行き交うことになる。

 しかしここで片方のペットボトルの蓋を閉じてしまうと、どうやったってビー玉をもう一つのペットボトルの中に入れることが出来ない。


 つまり点と点を線で繋ぐ必要があるため、片方に転送用の魔法陣を設置したところで、もう片方に同じ魔法陣が無ければ意味がない。


 これがどういうことかというと、行ったことのない場所に転送術式で行くことは出来ないというわけだ。


 ゆずは二つの魔法陣を両側に展開したが、あれだって簡単そうにしていたが実際は転送先を明確にイメージすることと、おおよその距離を知る必要があるという。


 最後の制限は転送する対象と距離に応じて消費する魔力量が変動するということ。


 転送術式を扱う上で一番ネックなのがこの制限だ。

 魔導士個人によって魔力量は異なる。

 それによって個人で転送できるものに差が出来てしまうのだ。


 転送する対象は質量や重量が大きくなればなるほど消費する魔力量は増す。

 無機物<有機物<人間といった順でも大きく消費するし、距離が遠ければ遠くなるのも同じだ。


 つまり遠い場所に体重百キロの人を送ろうとすると、とんでもない量の魔力が必要となるわけだ。

 

 これらの制限により、転送術式は他の術式に比べて扱い辛いものだという。


「次に説明するのは特殊術式という系統です」

「特殊ってどんなの?」

「戦闘時に必須である身体強化術式、唖喰を探すための探査術式、唖喰と魔導に関する記憶を消去する記憶処理術式といった他の系統に属さない術式のことを指します」


 身体強化術式に関しては以前柏木さんに聞いた通り、戦闘中の身体能力を強化する術式だ。

 この術式がなければ唖喰との戦闘は成り立たないというレベルだ。


「この術式は十パーセントから百パーセントまでの強化出力を発揮することが出来ますが、当然体を慣らす前にいきなり百パーセントまで発揮してしまうと、一週間近くは全身筋肉痛で動けなくなります」

「ひぃ……」


 鈴花はゆずの話を聞いて引いた。

 これも実際やらかした馬鹿がいたんだろうなぁ……。


「強化出力は元の身体能力によってその効果を大幅に上昇されます。いくら術式で強化されるといっても日頃の鍛錬を怠ってはむしろ弱くなってしまいますから注意してください」

「はいっ!」


 いい返事だ。

 まぁ鈴花の元の運動神経は悪くないから、戦闘時に動きが悪いなんてことはないはずだ。


「探査術式とかってどんなのだ?」

「瞼の裏にソナーの様なレーダーを映して唖喰や人の生体反応を見ることが出来る術式です」

「おお、それがあれば唖喰が隠れようが見つけられるんだね!」

「この術式の欠点を挙げるなら探査範囲は各魔導士の技量によって変化することと、分かるのは唖喰は人か、生体反応を見るので死体には反応しないという点です」


 つまりその術式に頼り切って死体を見逃した場合、翌日のニュースに不審死として取り上げられるような事態になってしまうかもしれないってことか……。

 

 一般人からすれば猟奇的殺人に見えるが、見逃した人からすれば非常にまずい気持ちになるはずだ。 


「死体には反応しませんが、そもそも唖喰に殺されて遺体が残っているほうが滅多にありません」

「え、なんで? 普通の人からは見えないのに遺体を残すとまずいことでもあるの?」

「まずいことがあるということは一切関係なく、唖喰が自身の食欲を満たすために髪の毛一本でも食らい尽くそうとするからです」

「……え?」


 そうだ、唖喰は食欲本能のみで行動する怪物だ。

 ただひたすら獲物を食って食って食いまくって、食欲を満たすことにしか頭にない。

 そういう怪物だ。


「……」

「……それでは最後の術式です」


 鈴花は唖喰という敵の到底理解出来ない凶悪な本能に言葉が出ないようだった。

 そういう相手だと割り切っているゆずは授業を続ける。


「最後に説明する術式は固有術式という系統です」


 固有術式。

 あの日、ゆずが唖喰に止めをさした時に使った術式の詳細が分かるのか……。


「固有ってことは本人以外には使えないってこと?」

「はい、固有術式は各魔導士が自身の感覚のみに頼って一から構築する術式のためです」

「? 自分の感覚に頼って作った術式がなんで他の人には使えないの?」

「そうですね……橘さんは苦手な食べ物はありますか?」


 ゆずが鈴花にそう訊ねた。

 好き嫌いと固有術式が他人に使えない理由に関係しているのか?


「ええっと……ピーマンとかブラックコーヒーみたいな苦みの強いのが苦手だよ」

「え、ブラックコーヒー美味いだろ?」


 俺めっちゃ好きなのに……。


「はあっ!? あんなの人が飲んでいいもんじゃないでしょ!?」

「いやいや、高校生になってブラックコーヒーが飲めないとかお子様舌過ぎないか?」

「何よ! 司だって生クリームが苦手じゃん、あんなに美味しいのに!」


 生クリーム?

 ショートケーキ一個分しか食べられないよ。

 甘すぎてあれ以上は気持ち悪くなる。


「生クリームこそおかしいだろ、女子は普段から体重がーとか言ってるくせによくあんな甘いのが食べられるな」

「甘いのは別腹なんですぅ!!」


 好き嫌いの話で何故か鈴花と口論になった。

 本当に固有術式となんの関係があるんだ?


 やがてゆずに止められた(威圧たっぷりに睨まれた)俺達はゆずの話の続きを聞く。


「司君は甘いものが苦手で、橘さんは苦いものが苦手ということですね。分かりました」

「……それが固有術式が他の人に使えない理由と関係あるの?」

「はい、固有術式は各魔導士が感覚……要は自分好みに作った術式です。二人のように好みというのは十人十色、人それぞれとなるわけです。よって他の人に自分の固有術式が使えないのは好みの違いということになります」


 意外に単純な理由だったが、よく理解出来た。

 料理好きの人と料理が苦手な人に包丁を持たせてみる。

 すると料理好きの人は意気揚々と調理に励むが、料理が苦手な人は包丁をどう扱えばいいのか分からずあたふたしてしまうだろう。


 固有術式はそれと似たように相手の術式の扱い方が分からないから、他の人には使えないということだ。


「自分にしか使えない術式……それってなんだか必殺技みたいだね」

「おお、確かにそうだな」

「言い得て妙だと思います。固有術式は他の術式に比べて強力なものが多くありますから」


 ですが、とゆずは続けた。

 

「その分魔力消費量も多いですし、何より構築してお終いというわけではありません」


 固有術式は各魔導士が構築したあと、装備に術式を刻む必要がある。

 しかしそのままだと術式の規模が大きすぎてゆずが挙げてきた攻撃術式等の術式が刻めるスペースが無くなってしまうという。


 そうなれば燃費の悪い固有術式しか使えなくなってしまう。

 当然、固有術式に拘っていたら攻撃術式が使えなくなりましたじゃ足手まといになる。


 そういった事態を防ぐために隅角さんのような技術班が総力を挙げて構築されたばかりの固有術式の無駄な部分を削ぎ落して、調整していく必要がある。


 そうしてようやく固有術式の完成というわけだ。


「ほえ~、今術式を覚え始めてる途中のアタシには一年以上は無縁の程遠い話だね……」

「そうでもありませんよ?」

「え? どういうこと?」

「普段の術式を使いこなしていると、ふとした瞬間に自ら術式を構築して固有術式を発動させたという記録があります」


 聞いた限りだと火事場の馬鹿力で作り上げたって感じか……。

 あれ? それって……。


「それって漫画とかでよくある覚醒的なやつでしょ!? うわ~、唖喰に追い詰められてピンチになったとき、土壇場で固有術式を使って逆転!とかカッコ良過ぎでしょ~」


 そうそう、まさにそれだ。確かに憧れるワンシーンだ。

 ところが、俺たちの反応にゆずは良い顔をしなかった。


「憧れるなとは言いませんが、正直それはお勧めしません」

「え? なんでだ?」

「本当にその状況になった時、死の恐怖に押しつぶされて逆転どころではない人がほとんどですので」

「「……」」


 俺と鈴花は黙る。そうだ、普通死ぬような大けがを治せる魔導の力があっても、痛みと恐怖がなくなるわけじゃないし、また大けがを負うことだってある。


 むしろそれが何度も続くのがこの戦いの一番苦しいところだろう。

 ゆずのように折れずに戦っている者もいれば、翡翠のように重傷を治しても、恐怖に屈して戦うことを退いた者がいるのが現実なのだ。


「橘さんの場合は一度唖喰と戦ってみないことにはわかりません。初戦闘の後に前線で戦い続けるか、戦わないか……後者を選んで天坂さんのように後方支援に徹するもの一つの方法です」


 ちなみに後方支援を希望した場合でも、魔導装束などの装備点検が義務付けられている。

 俺の時みたいに、はぐれの唖喰に遭遇したりするケースを考慮してのことだ。なお、その場合も防御や回避に徹して少しでも生き延びるように言いつけられてる。


「さて、これで術式の座学的な説明は以上です。少し休憩にしましょうか」


 ゆずがそう言ったことで一旦休憩となった。

 すると鈴花が机に腕を伸ばしてぐでーっとだらけだした。


「もう疲れたのか?」

「うん~、術式の説明だけで半年分は勉強した気分……」

「まだ術式の座学部分だけだぞ。これから実践とか唖喰の生態学とか――」

「いやああああああ!」


 鈴花は頭を抱えて絶叫した。

 このままだったら唖喰より先に勉強が原因で魔導少女を辞めるとか言い出しそうだ。


「なぁゆず、過去にこんな感じで勉強が嫌で魔導士を辞めた人っているのか?」

「いました」

「よかったな鈴花。一番惨めな辞退理由の第一号は避けられたぞ」

「まだ辞めないから一緒にしないで……」


 ……俺としてはそんな情けない理由でもいいから辞めてほしいけどな。

 命あっての物種。

 鈴花が無事ならそれでもいい……なんていうのは俺の我が儘だ。

 鈴花が選んだことならしっかり応援しないといけない。

 それが今の俺に出来ることだ。


 そうして休憩の後は術式の実践訓練の時間となった。

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