第44話、不時着
機長達は突然の乱入者に戸惑いを隠せない。
それもその筈、軍関係者であればパンやヒートヘイズといった言葉を知るものは多くなったが、それでも一般人には馴染みがない言葉なのだから。
一瞬、何をこの娘は言っているのかといった疑いの眼差しを機長は向ける。
その視線をうけてカジュアルショートの少女は柔らかボブにカットした背の小さな少女に指示を出す。
「珠恵さん、お願い」
「うん、スライム!」
声を掛けられた背の低い少女が短く言葉を発すると――。
彼女の身体から漆黒の煙が湧きだし、それは少女の目の前でバレーボール位の大きさに発現すると宙に浮いてそのままふわふわと漂い出す。
物質には重さがつきもので、ニュートンの万有引力の法則からわかるように必ず落下する。
それが高度1万mの機内の中でもだ。
それが宙に浮いた状態を維持している事に皆驚きの声を上げるが、
「どんなマジックかは知らないが、今はそんな事に付き合っている暇は無い。席に戻りなさい」
珠恵が発言したスライムを手品か何かと勘違いした機長が退出を促す。
どうせ口で言ってもわかっては貰えないだろうと予想していた2人の表情に変化は無い。客室乗務員が2人の手を掴もうとしたその瞬間――。
「珠恵さん、次をお願い」
「うん、展開」
最初から決めてあったのか、2人が言葉を交わすと宙に浮いたスライムがどんどん大きく広がっていきどういう原理かはわからないがコックピットの窓から外へと溢れだした。
「信じて貰えないなら強硬手段よ! パンであるあたし達2人は墜落しても恐らくは死なない。でもこれに乗っている乗客350人を見殺しに出来ないもの」
「う、うわぁぁぁぁー化け物」
コックピットは溢れだしたスライムに満たされ、それまで憤っていた機長も他の乗務員も怖じ気づき悲鳴をあげる。
水楢と珠恵を見る皆の視線は畏怖の感情が篭もり、まるで人外の化け物を見ているような視線を投げかけられる。2人は苦笑いを浮かべながらそれをやり過ごす。
「どう? いける?」
「うん、余裕」
珠恵の放ったスライムは窓から外に溢れ出すといまだ空を飛んでいる旅客機を覆い尽くしにかかる。
旅客機のさらに上空では護衛対象の旅客機の異変を察知するとファウヌス扮するリンドブルムは高度を一気にさげて旅客機のすぐ真上にまで迫っていた。
「あのスライムって――」
「うむ、おそらくはご主人に懸想しておる娘っこのヒートヘイズだな」
「懸想って――」
「お兄ちゃん、やっぱり珠恵さんが本命だったの?」
「いや、そんな事は……っていうかやっぱりって何だよ!」
「だってお母さんも言ってたわよ。お兄ちゃんの事だから気の強そうな澪さんより大人しそうな珠恵ちゃんがタイプなんじゃないかって!」
「いや、確かに口うるさいのは母さんで懲りているから大人しい人の方がいいけどさ――」
「あーじゃあ、外見は澪さんで内面は珠恵さんが好きなんだ!」
雛の予想が的を得ていたのか雪の顔が茹で上がる。
すると――。
「ご主人、動きがあったぞ!」
ファウヌスに促されて視線を旅客機に向けると、コックピットから湧き出したスライムが膜を張るように機体を前から覆っていき、それはあっという間に尾翼に達する。
エンジン部分もすっぽり覆われれば空気が吸引されず当然、燃焼も止まる。
推進力を無くした機体はゆっくりと高度を下げ始める。
「これこのまま着陸させるつもりかな? 大丈夫だと思うか?」
「人の作り出した物の耐久力など我がしる筈が無かろう。だが、弱小スライムでもヒートヘイズだ。着陸の衝撃は和らぐであろうし――障害物に衝突しても無傷で済むであろうな」
ファウヌスの意見を聞き雪が安堵の面持ちを浮かべていると、雪のスマホにメッセージが届く。帰国するだけになった今、雪がバッテリー残量を気にせず飛び立つ前に電源を入れていた事が幸いした。
メッセージには――。
【一応不安だから衝撃を抑えてくれるようにファウヌスにお願いして……】
発信源は水楢のスマホからだった。
「お兄ちゃん、誰からだったの?」
雪がメッセージの内容を確認して読み終えたタイミングで雛が尋ねる。
「あぁ、機内の水楢からだった。ファウヌス、この機体が着陸する瞬間に持ち上げることは可能か?」
素っ気ない態度で雛に答えると雪は呆けた面持ちで直ぐにファウヌスに意見を求める。
先程の話だと衝撃はだいぶ和らぐとは言っていたが、万全を期して損は無い。
(まぁ、こっちが手を出さなくても問題なさそうだけどな)
「ふぁふぁっふぁ、持ち上げるだけでいいのか? なんならそのまま日本まで運んでもいいのだぞ?」
「いや、それは止めてくれ。目立つ所か、首都を攻撃した奴等の仲間だと疑われる」
(先程のオレンジ色の閃光はどう見てもブレスだ。ここでそんな真似をすれば日本がヒートヘイズを使って首都を殲滅したと疑われても仕方が無くなるからな)
雪にしてはいい読みをしていた。
首都を襲ったヒートヘイズは3体。
しかもその3体ともファウヌスが那珂の島で発現させたSランクのヒュドラであった。
那珂の島での映像はステイツを通じて全世界へと流されている。
滅多にいないSランクのヒュドラが大国に出没すれば真っ先に日本が疑われる。
日本の神軍に所属していると目されるSランクのヒートヘイズがここで旅客機を救えば、それが良い行いだとしても何らかの関係性が疑われるのは間違いないのだから。
「それでご主人よ。我は着地の寸前でこの機体をつり上げればいいのだな?」
「あぁ、出来るだけ中の人が怪我をしないようにゆっくりと下ろしてくれれば尚いいかな」
「お安いご用だ! しかと承った」
旅客機はどんどん高度を下げて現在は砂漠を横断する街道に沿って飛んでいる。
大きな国だけあって直線距離で50kmは伸びているだろうか。
ちなみに日本で一番長い直線道路が北海道の美唄市から滝川市までの29.2kmということを考えれば大国にあって50kmというのは特別珍しくも無い。
「それにしても本当に飛行機ってエンジンが止まっていても飛べるんだな」
「雛、それ知ってるよ。滑空状態って言うんだよね?」
さすがは現役受験生。
雪は受験の時に空力とかそんな勉強はしていなかったが、何処で覚えてきたのか雛はそれを知っていた。
「雛すげーな。そんなとこまで勉強してんのかよ」
「えへへ……何言ってるのお兄ちゃん。こんなの参考書に載っている訳ないじゃん」
雛に言いくるめられて苦い面持ちを浮かべる雪。
一方の雛は一泡吹かせることが出来て嬉しそうだ。
そうこうしているうちに機体はどんどん地面に近づいて、街道の両脇に設置してある電柱をなぎ払う。とその時、ファウヌスは両腕のかぎ爪を使い機体の両翼をつかみ取る。
機内では着地の衝撃に備え全員座席の間に頭を押し込んでいる。
これで普通に顔を上げていれば機体を掴んだリンドブルムの巨大な腕を目にすることで、機内をさらなるパニックにおとしいれていた事だろう。
ファウヌスは両翼を掴むと羽を地面とは垂直に立てて勢いを殺す。
速度が落ちた所でゆっくり羽を戻し2度、3度、羽を震わせホバリングすると、機体をそっと地面へ下ろした。
ここで竜の姿を大衆の目に晒すわけにも行かず、機体の後部に回り込むと雪と雛を降ろしファウヌスは子犬の形態へと姿を変えた。
機内からは無事着陸を成功させた機長を称える大声援が轟く。
そしてコクピットでは――。
「こ、これは一体。私たちは助かったのか?」
「機長、生きています。僕達助かったんですよ」
「外をご覧下さい。ちゃんと着陸してますよ」
涙ながらに生存できた実感を味わっている機長等を横目に、水楢と珠恵も視線を交わし微笑み合う。
機内では機長を称えるエールと見知った者達の喜びの会話が聞こえている中、いち早く動いたのは客室乗務員である。搭乗口を開き脱出シェルターが開かれる。
「押さないで下さい。順番にゆっくり――」
客室乗務員のかけ声で乗客達は脱出を始める。
墜落の危険が去った事でその足取りに焦りは無い。
水楢と珠恵がコクピットからその光景を見て歩き出すと、
「君たち待ってくれ! 君たちはいったい――」
機長が2人を呼び止めるが、2人は振り向くことなく両手だけあげひらひらと振った。
副機長がシートベルトを外し、2人を追おうとするがすでに乗客の波に呑み込まれていて追いつくことは叶わなかった。
旅客機の外には大勢の乗客と乗務員が集まっている。
雪と雛は尾翼側からこっそりとその一団へと入り込むと水楢と珠恵を探す。
既に脱出シェルターから降りてくる人は居ない。
背の高い外人の中にあって身長162cmの水楢と身長142cmの珠恵では完全に埋もれてしまっていた。が、客室乗務員とパイロットと思しき者達から隠れる ようにしている2人を発見する。
こっそり歩み寄ると――。
「もう。雪くん達、着陸を助けてくれたのはいいけどまさかそのまま日本に帰っていたりとかしないわよね?」
雪が背後にいるとは思わない水楢が好き勝手な愚痴を漏らす。
珠恵はすぐに気づいたが、雪が鼻の前に人差し指を立てると気づかれないように小さく頷いていた。
「ねぇ。珠恵さんのスマホで今どこにいるか確認してくれない?」
「無理。電池切れ」
「何でよ。今朝はちゃんとあったじゃない。これで救助が来ちゃったら私達の存在がばれちゃうのよ!」
偽造パスポートでは無く、正真正銘、自身のパスポートを使って旅客機に乗り込んだのだから隠し立ては出来ないのだが、それに気づかない水楢が焦り出すが――。
「それさ、雛の救出作戦で入国した時点でバレバレじゃねぇ?」
「ひゃっ」
背後から突然意見されて水楢が小さく悲鳴をあげる。
水楢が振り返るとそこには雪、雛、ファウヌスの全員が揃っていた。
「一体いつからここに?」
水楢が珠恵に向き直り問いかけると――。
珠恵はニコリと微笑んで、
「あはっ、最初から」
最近、雪達と一緒に居ると笑みが絶えない珠恵が楽しそうに微笑んでいた。
「それで機内でヒートヘイズを使った所を見られたんだ」
「見られたというか……ねぇ? 珠恵さん」
機内でヒートヘイズを発現させた経緯を雪に尋ねられ、バツの悪い面持ちを浮かべた水楢が同意を求めるように珠恵に振った。
元々他の乗客を救うために水楢が発案して珠恵がヒートヘイズを人前で発現させた。
「コックピット。発現」
「えっ、それってコックピットで発現させたって事?」
「えっ……ま、まさかそんな訳――」
「機長の前、発現」
「うぇぇぇぇーー」
発現させたのが機内でも大勢の乗客達の前で無かったのは幸甚だが、航空会社の機長達の前と聞き、水楢にそれを再確認すると彼女は焦ったように言葉を言いつくろうとして珠恵の更なる追い打ちに沈黙。雪が信じられないとでも言うように言葉を吐き出す。
「だってあの場合仕方なかったでしょ? 一刻一秒を争う事態だったんだもの」
「それにしたってもっとやりようがあったんじゃ?」
「そんなの無いわよ。珠恵さんのスライムで覆って不時着させる事は打ち合わせていたけど――機長達に異変を察知されて下手な横やりを入れられたくなかったんだもの」
確かにスライムで機体を覆っている途中で機長が異変に気づき、方向を変更されたりすれば思わぬ所に機体が飛んでいく恐れもあった。
だが、ファウヌスに最後の着陸を任せた時点で、どの選択肢を取っても着陸地点が変わるだけで既に誤差のようなものだったろう。
水楢の言い分も確かに一理あることから、雪もそれ以上は何も言わず短く唸ると黙り込むが、しばらく考えた後でハッと気づいたように話し出す。
「んー、でも機長達に顔を見られたんじゃ助けが来たとしても、大国の公安当局に拘束されるんじゃないのか?」
「なんでよ!」
「水楢は見てないのか? あの爆発の原因――あれはヒートヘイズの攻撃だ」
この国ではパンは犯罪者の集団として認識されている。その事を踏まえた上で懸念を口にする。そして口を挟む水楢に雪から語られた内容は2人の顔色を変えさせるには十分だった。
ステイツでヒートヘイズが暴走して都市に襲いかかった映像は見た。クレムリンが崩壊した映像も――だが映像でしか見ていなかった暴徒と化したヒートヘイズがまさか自身の目の前に出没するとは2人も思っていなかったのだろう。
「テロじゃなかったの?」
「ただの爆発と火災だけならテロだと思っただろうね。でも爆発の前にブレスが放射されたんだ。その数は最低でも20以上」
「はぁ? 20以上って――えっ」
「那珂の島、Aランク」
雪から首都を炎上させたのがブレスしかもその本数が20を超えていると聞いた水楢が言葉を失う。珠恵は那珂の島でステイツが仕掛けてきたAランクの竜を思い出したようだ。
「そんな訳でだ――この国でヒートヘイズを発現させた事が公になれば」
「あたし達も共犯にされかねないって事ね――ふんっ、納得したわ。でもそれだと救助が来る前にこの場を離れても私達の存在は大国に知られる。この場に残れば公安当局に拘束される可能性がある? でもよく考えてみたらそれって今更じゃない? 雛ちゃんの救出でホテルでもマークされていたんだし、公安だってとっくにあたし達がパンだって知ってるでしょ?」
「自治区でヒートヘイズを使うのと数千km離れた今もっともホットな場所で使うのとでは意味合いが違って来るでしょうよ。たまたまヒートヘイズ達が暴れてて、そこへ到着予定の機体にたまたまヒートヘイズを発現出来る2人が乗っていたって? 偶然にしてはできすぎだけど――でも私達は犯人じゃありませんって言って誰が信じる? むしろ首都を攻撃する一味が到着時間に遅れたとか考えた方がしっくり来ないか?」
『ご主人、激論中に邪魔するが、すぐここから待避した方が良さそうじゃぞ』
水楢と雪が話し込んでいるとファウヌスが異常を察知した。
「待避ったって――」
待避するにしてもここは砂漠を走る街道で見通しはすこぶる良い。
薄暗くなってきた平坦な砂漠でどこに待避すれば――そう思い雪が辺りを見回すと、炎上中の都市から旅客機目掛けて無数のブレスが吐き出された。
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