第42話雛ちゃん救出作戦
雪が子供のパンを討伐した翌日の早朝。
眠っている所にファウヌスから声を掛けられた。
『ご主人、現れたぞ』
昨夜は水楢達の行った先が気になり中々寝付けなかった雪が、眠気眼を擦り時計で時間を確認しながら声を出す。
「はぁ? まだ4時前だぞ。何でこんな朝早くに――」
『人の事情など我が知るわけがあるまい?』
それもそうである。
雪は眠気を覚ます為に、冷たい水でざっくりと顔を洗った。
「それで今度はどんな――」
雪がファウヌスに尋ねている最中、このホテルの上階から爆発音が響き渡った。時間的な猶予が無い事は揺れの激しさからも判断出来よう。
『この階よりもっと上の階に攻撃を仕掛けたのは、竜だな』
よりにもよってAランクの竜とは、相手が竜ならファウヌスにはSランクもしくは竜を確実に倒せるヒートヘイズで発現してもらうしかない。
「パンの特定は?」
『うむ、ご主人とそう変わらぬと知覚した』
「そっか。小さな子供じゃないならまだ幾分かは精神的に助かる。それでファウヌスは何で竜を倒すつもりなんだ?」
まさか那珂の島の時と同様に、キマイラやヨルムンガンド、ヒュドラはないだろうと思い確認すると――。
『この街を灰燼と化しても構わぬなら、以前に発現させたヒートヘイズを出すのだがのぉ。それではご主人の妹御が危うくなるのであろう? なら今回は地味に行こうか』
ファウヌスの発現させるヒートヘイズに、地味も派手もあるのかよ!
今までの実例で地味なものなんて無かったじゃねぇか!
そんな言葉が喉元まで出掛かっていたが、ここは任せるしかない。
「じゃぁ、サクッと頼むよ。眠いしさ」
『任された。ご主人はここで寝ておっても構わんぞ?』
そうしたいのは山々ではあるが、そんな事をすれば雪がヒートヘイズを操っているとは誰も思わなくなる。手の内を早々に晒す事も無いだろう。そう考え雪も一緒に行くと言い出すが……。
『うむ、今回ご主人は来ない方が都合がいい』
意味深な言葉を残し黒い煙は窓の外へ向かうと、ガラスを素通りし外に出て行った。雪はファウヌスの言葉の意味を確かめる為、テラスに出た。
そこには――。
「はぁ? 鶏?」
雪が呟いた言葉は正確ではない。
正しくは鶏の体に蛇の尾が生えた、見るもの全てを即死させ、その体から吐き出された息であらゆる植物を枯れさせるコカトリスであった。
強力な眼力ゆえに――。
雪を万一にでも視界に治めた場合は、害を及ぼす可能性が無い訳でも無い。それを危惧したファウヌスが雪は引っ込んでいろと語ったのである。
『これで分ったろ? ご主人。これに見つめられればご主人でも――』
ファウヌスはテラスの外に浮きながら、視線を上階に向けた体勢でそう話すが、それが真実かどうかは分らない。ただ言える事は……。
「なぁ、見られただけで即死するなら無関係の人民をも巻き込まないか?」
『なぬっ? 確かに……敵を追った状態の、我の視界に入ればその可能性は高いかのぉ』
「駄目じゃねぇ~か! それなら派手に壊した方がまだ逃げ出せる余裕がある分マシだろ!」
『ご主人に関係の無い人間が何人死のうが、ご主人に影響はあるまい?』
「お前、昨晩、僕の何を見ていた訳? 人が死ぬのなんて見たくねぇよ!」
『くくく、あはは。冗談じゃ即死攻撃を我が行う以上、対象を選べない訳が無かろう』
「まったく寿命が縮む様な冗談吐いてんじゃねぇよ!」
雪が昨晩思いつめていた事を知っている、ファウヌスなりのブラックジョークであった。
今回はファウヌスが全て片付けると断言していたので、雪はテラスからまだ暗い夜空を眺めているだけだったが、上階では――。
このホテルのペイントハウスに住んでいる住人に恨みでもあるのか、甚振るように体当たりで壊しては、爪で住人の逃げ場を無くすなどの嫌がらせを行っていた。
ヒートヘイズとパンの目は共有出来ない。
よって実際にヒートヘイズを操る場合は、パンの視界の範囲内となっている。
今回のパンも昨夜の少年と同様、竜の首に跨る様にして攻撃を加えていた。
そこに雪の滞在している階から一気に飛び上がったファウヌスが現れるが、竜に乗った青年は鶏の姿を一目見て侮った。
「邪魔するな!」
青年が操る竜は大口を開け、ブレスを放つ体勢を取る。
体勢を取った所までは良かったが、竜が大口を開けた瞬間――青年は鶏を見ていた。見てしまった。それは奇しくもファウヌス操るコカトリスが持つ漆黒にして深淵の瞳を見てしまう。
周囲で見物していた者がいれば、何が起きたのか一切分らなかった事だろう。
ほんの刹那、暗闇で視線を合わせただけだった。
だがコカトリスにはそれだけで十分すぎた。
大口を空けていた竜は突然煙となって霧散する。
残された青年は、既に絶命しており高さ300mもある最上階から悲鳴をあげる事なく真っ逆さまに落ちていった。
日が昇る前の早朝で、この光景を目撃した者は恐らく居ない。
ファウヌスもまた姿を煙に変え、主人である雪の元へ戻って行く。
暗闇に溶け込んだファウヌスの煙が、このホテルの客室に入っていった事を知る者も、誰も居ない。
『ご主人、終わったぞ』
ファウヌスは出て行ったかと思えば、5分掛からずに戻ってきた。
雪は心の中で”このチートめ!”そう叫んでいたが、ファウヌスには全て筒抜けであった。
「ご苦労さん。で、被害は?」
被害が大きければ、人民軍の女に何を言われるか分ったものではない。そんな思いから確認したが、帰ってきた答えは呆気ないものだった。
『我が失敗する訳なかろう。被害があるとすれば、地上に落下した青年が何かに直撃しなければゼロだな』
それを聞いただけで空中戦の最中、今回の標的がコカトリスの目を見たのだろうと判断できる。
300mもの高さからの落下なんて、想像したくも無い。
雪は背筋に冷や汗を掻き時計を見ると、また寝るよ。と言って布団に潜った。
∞
某自治区の水楢達は早朝から慌しく動いていた。
朝、それもまだ日が昇る前の薄暗い中、水楢のスマホに偵察衛星を管理している神軍管理センターから緊急連絡が入ったからだ。
その内容は――施設に動きあり。
詳細は追って連絡する。とあった。
眠い目を擦りながら、急いで砂漠に双眼鏡を向ける。
遠目にしか見えないが、施設の格納庫から3台のトラックが出てきて現在ライトを点灯させ出発準備をしていると思われた。今、3台に別々の場所に移動されたら雛の行方を探すのは困難を極める。
軍が協力出きるのは偵察衛星を使った情報戦だけで、実行するのはあくまで学生である2人に任されている。
今、動いた方がいいのか?
このまま見過ごしていいのか?
水楢と珠恵は軍に所属していても、その道のプロでは無い。
ここ一番という時に、判断に迷っていた。
「せめて人数と施設の構造が分れば……」
「私、やる」
「やるって――どうやってよ? まだちゃんとした情報すら集まっていないのよ?」
まさか珠恵がここで名乗りを上げるとは思っていなかった水楢が、情報の不備を理由に尋ねると――。
「私、スライム、使える」
水楢はその言葉を聞きハッとする。
珠恵が以前、ヘリが墜落する際に発現させたのがスライムで、スライムはその特性から影に溶け込む事が出来る。
今はまだ日が昇っていない、今なら可能かも知れない。だが、ヒートヘイズを操るにはパンが出向かなければならない。万一、施設に潜入する事になったとしても、珠恵自身も潜入する事を意味する。
「ここにファウヌスが居れば……」
「居ない。無理」
ファウヌスが居れば、ファウヌスならもしかしてスライムをも発現する事が出来て、潜入作戦も楽に行えるのではないか?
そう考えたが、急を要するのは今なのだ。
「分ったわ。私も行く。危険な状況になったら私も乗り込むから」
「うん」
水楢と珠恵はこのピンチをチャンスに生かす為、行動を開始した。
水楢は雛の救出は、この機会を逃すと巡ってこないと判断し、スマホの電源を常時オンにし、念の為に雪へとメールを送った。
雛を誘拐した敵が何故このタイミングで動き出したのか? そもそも戦時中の敵対国に入国する日本人が居る事が不自然であった。日本人の雛を誘拐し、極秘に自治区に連行すれば――どんぴしゃなタイミングで旅行者がやって来た。その不自然過ぎる行動に当然、当局はマークしていた。実際、水楢と珠恵の部屋には盗聴器が仕掛けられており、会話も筒抜けであるのだが……。
素人の水楢と珠恵には、そこまで思考をめぐらせる事は無かった。
2人は周囲を警戒する事も無く、ホテルを出ると人通りの無い場所ヘ行く。水楢の龍を発現させその背に乗り施設方面へと飛び立った。その姿を黒いスーツを着込んだサングラスの男が視認し無線を取り出した。
「流石に砂漠の朝は寒いわね」
「仕方無い」
核実験施設までは高度を維持して居る為、普段着の2人にはかなり寒い。
だが距離はたった3km。
真下には既に白い建築物の形影が薄っすらと見える。
2人は声を潜め一気に急降下し、施設裏手に着陸した。地上に足を付けると直ぐに珠恵がスライムを発現し、スライムに覆われる形で2人は歩を進めた。
明るい場所で見れば、旅順攻囲戦に使用された堡塁が移動しているように見えただろう。
視界窓が空気穴も補っている事で、格下のヒートヘイズには完璧の防御といえよう。ただ1つ弱点は、気づかれない様に背後に回られたら、敵にバレバレという落ちはあるが……。
エンジンの掛かっているトラックまで後、10mの所まで近づく二人。
慎重に足音を立てない様、気を配りゆっくりと進む。
3台のトラックの内、最初のトラックには運転席はおろか、荷台にも人が居ない。まだ準備に時間が掛かっているのだろうと判断し、2台目に移るがそこにも誰も居なかった。最後の3台目に近づいた時にそれは起きた。
元核実験場施設の屋上に備え付けられていた照明が、一気に電気を流され煌々と辺りを照らし出したのだ。
いくら漆黒のスライムでも、これだけ照らされれば砂漠の土色の中にポツリと浮かび上がる。
水楢と珠恵は一瞬何が起きたのか理解出来なかった。いや、侵入作戦が失敗したのを悟ったが、完璧な筈だったのが瓦解し思考を停止させたのだ。
「日本のパンのお嬢さん、無駄な抵抗は止めてヒートヘイズを今すぐ消しなさい。抵抗すれば――分っていますね」
「澪さん、珠恵さん」
これが水楢と珠恵の目の前で起きている事ならば、スライムを雛に被せ保護し、敵を殲滅する事が出来た。だが、この声は施設のスピーカーから出されている。雛の身柄が向こうにある以上、抵抗は無意味だ。
「――くっ」
「――む」
抵抗しなければいいなら、このままここで待てば。
でも何を?
誰を待つと言うの。
そんな途方も無い事を水楢が考え、珠恵はスライムを消すか悩んでいた。
堡塁の周囲には多数の足音が聞こえてきた。
足音に混ざって、ガシャ、ガシャ、と恐らく銃のトリガーのロックを外す音が静寂の中に響き渡る。
「銃なんて持ち出してどうするつもりなのかしらね……」
「パン、効果、無い」
時間が許すなら、いつまででもこの場所で睨み合う事も出来る。
だがそれは援軍を期待しての行動だ。
敵が焦れれば雛に危害を加える可能性が出てくる。
では、自分達がこの場から撤退すれば――。
恐らくパンである2人を追う事はしないだろう。また雪への人質である雛に危害を加えるとは思えない。そう水楢は判断し、珠恵の意見を聞こうと隣を見る――。
「来た!」
「――は?」
こんな早朝に何が来ると言うのか?
水楢は珠恵が見ている方向を自らも見つめるが、闇の中に浮かぶ星しか見えない。困惑顔で水楢が隣の珠恵に再度声を掛けようとすると――。
「よぉ。こんな所で何やってんだ?」
居る筈の無い、遥か3000km以上離れた場所にいる雪の声が聞こえた。
「雪!」
「なっ、なんで此処に?」
「う、うがぁぁぁぁぁぁぁ」
2人が監視窓の外から顔を覗かせた雪に驚き反応し、大声を上げたのと、スピーカーから男の悲鳴が鳴り響いたのは、ほぼ同時であった。
「さてファウヌスの方も終わったみたいだな」
水楢の思考が追いつかず、首を傾げていると、
「雛ちゃん、無事?」
「あぁ! ファウヌスが到着すると壁を煙の状態で素通りして侵入して行ったからな。さっきのスピーカーの声を聞いた感じだともう終わっていると思うよ」
出来れば自分で雛を救いに行きたかったんだけどな。と暢気に喋る友人を見て、水楢が呆気に取られ言葉を吐き出す。
「何てチートな!」
「ファウヌス、出来た」
普通のパンとヒートヘイズであれば、パンの見えない場所へヒートヘイズを送る事は出来ない。だが、ファウヌスなら? ファウヌスはヒートヘイズでも独立した動きが可能な完全自立型である。そのファウヌスに任せるという事は、前提条件にパンとファウヌスの信頼関係があって始めて成立するのだが……。
雪は夜も開け切らない早朝にコカトリス戦があり、ベッドで2度寝を決め込んだ。そこに水楢から雛の救出作戦を開始するとメールが入る。幸い昨晩、自治区に到着した際、水楢が雪に送ったメールのお陰で、雪は気になって電源を切っていなかったのだ。そこから先はファウヌスの出番である。
「いやぁ~流石に死ぬかと思ったぜ。3000kmを1時間掛けずに到着したんだからさ~」
「いや雪君、時速3000kmってどんなヒートヘイズよ? そんな速度を出せるのは某7つの玉を集めると何でも願いを叶えてくれる龍が出るアニメと、たかしくん位よ!」
「たかしくんは知らないけど、7つの玉は知ってるよ。けどファウヌスのは、ちょっと違うかな。まぁその話は追々するとして――」
雪が途中で言葉を止めた事に、不満顔で水楢が、また隠し事? と漏らしているが、水楢達がいる背後から、ファウヌスに厳重に守られた雛が歩いてきた。
「お兄ちゃん!」
ファウヌスの煙に包まれた雛が、雪の元に辿り着く。
「雛、もう大丈夫だからな! 悪い奴らは全部やっつけてやるから!」
兄貴振り妹を労わり言葉を掛けるが、悪人を退治したのはファウヌスである。
「雛ちゃん、大丈夫? どこも怪我とかしてない? いやらしい事とかされてない?」
「澪さん、そんな恐ろしい事する訳ないですよ。ここの人達は普通の人ですよ。そんな事してパンであるお兄ちゃんにばれたら酷い事になるよ! そう脅したら怯えちゃって、お陰で賓客の様な扱いでしたから」
「あ~それでか……」
雪が周囲を見回すと、人質も助け出され不利になった人民軍は自分達には倒せない相手が目の前に現れた事で、銃を地面に捨て両手を挙げていた。
珠恵が漸くスライムを消し、2人は周囲を見回す。
「雪君、随分と恐れられているのね」
「雪、だし……」
何故か全ての元凶にされ不満顔な雪と、ファウヌスに守られご満悦な雛、呆れた面持ちの2人の少女の元気な姿が偵察衛星のモニターに映し出されていた。
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