第41話それぞれの行動

 雪は子供のパンを殺すつもりでは無かった。


 きちんと拘束してから子供に良かれと思う方法で……そんな甘い考えを持ち今回の作戦に当っていたのだが、逃走を阻止しようと現れたスーツ姿の女によって、甘い考えを捨てろ。さもなければ雛の命は無いとでも言うように。


 雪の目の前で首から夥しい血沫を噴出し、ドクドクと真っ赤な血が流れ出る子供に駆け寄る事も出来ず、雪はただ呆然とこの国の政府に逆らった者の末路を垣間見ていた。


「まずは最初の任務ご苦労だったわね。最後はちょっと甘やかしすぎなんじゃない? とは思ったけどね」


 妖艶な色気を発し流すような視線を雪に向けて、女は雪を労う。


「まさかあんたもパンだったとはね……」


「あら? 言ってなかったかしら。うふふ、年齢制限があるらしいけれど私が覚醒したという事は少なくともテロメアが関係しているのかしらね?」


 テロメアは人の染色体細胞の末端にある保護構造で、人が成長し細胞分裂を繰り返す度にこの保護構造が短くなる。その保護構造はある一定の長さより短くなると細胞分裂を停止してしまう。この女は少なくともテロメアの細胞分裂が活発に行われている若年層しかパンが生まれない事からその結論に辿り着いた様であった。実際にはそんな簡単な話では無いのだが、そこは割愛しよう。


「僕は研究者じゃないんでね、そんな中身なんて知らなければ興味も無いね」


 雪にとってはパンを覚醒させた薬剤がどんな成分だとか、人間の遺伝子を云々は事実として全く興味の無いものであった。


 楓先生であれば面白いように食いついて、話に乗ってきたかも知れないが。


「あら残念だわ。私も自分の身に何が起きたのかは詳しく知りたいのよ?」


 薄く微笑みながらそんな事を言われても、雪が興味のある事は今回に限って言えば雛が無事か否かだけだ。パンを覚醒させる構造なんてどうでもいい。


「これで雛を返してくれるんだろ?」


「最初に言った筈よ? この国で暴れるパンの殲滅が条件だと」


 雪もたった一度、それも弱い子供のパンを討伐するのに協力しただけで簡単に雛を返して貰えるとは思っていなかったが、全く可能性がゼロという訳では無い。だが予想していたとはいえ、まだ弱者を甚振るような討伐を繰り返すのかという思いが面に現れる。


「元々は貴方の国が開発した事が原因なのよ? 最後まで付き合いなさい」


 嫌そうな面持ちから雪の気持を察した女は、今後も似たような事を繰り返すのだとそう告げたのであった。


「それで僕はもう戻って良いのか?」


 今回に限ってはもう事は済んでいる。この場にいても無残に殺害された人民の血臭と破れた内臓から発せられる異臭に苦しめられるだけだ。


 早々に立ち去りたい気持の方が雪には強かった。


「ええ、勿論。次の機会まで待機してもらえると助かるわね」


 まったく心の内が見えない微笑を携え、ホテルでゆっくりしてと労われた。


 雪が来た時に通った階段を徒歩で下りていると、軍服を着た人民軍と思しき連中がゴミ袋を片手に駆け上がってきた。


 奴らにとっては被害者も加害者も同じ。


 ただの肉の塊でしかない。


 どの遺体も一緒に詰められ、焼却炉で燃やすだけ。


 遺族には誰の物かも分らない遺骨を渡す。


 吐き気を催す程、胃が締め付けられ雪は早歩きで百貨店から飛び出した。


 時間はまだ深夜には早い時間だ。


 大通りにはクラクションが鳴り響き、都会の喧騒が今の雪には逆に落ち着く。


 歩道をホテルに向かいながら、夜風を肺一杯に吸い込む。


 百貨店の中で嗅いだ血臭、汚物臭を早く体から吐き出したかった。


 正面から腕を組んで肩を寄せ合い歩いてくるカップルも、以前なら羨ましく思っただろうが、それも今は雪の心を落ち着かせた。


 1歩外に出れば平和な日常がある。


 その裏では百貨店で起きた様な、残酷な殺戮が繰り返される。


 雪はただ幸福そうな人を見ていたかった。


 人の笑顔が眩しく思えるほどに、雪の心は揺れていた。


             ∞


 ホテルの部屋に戻り、何気なくスマホの電源を入れる。


 この国では日本と電圧が違う為に、手持ちの充電器は使えない。よってこのホテルに到着して直ぐにそれに気づき電源を切っていたのだ。


 スマホの待ちうけ画面は那珂の島学園で、最後に皆で撮影した写真に変わっていた。パソコンでは珍しくも無く、待ち受け画像は一定時間で切りかえられるようにセット出来るのだが、雪にはそれを設定した覚えは無い。


 という事は、珠恵か水楢の悪戯であろう。


 だが今の雪には、那珂の島での短い生活でさえも懐かしく思える。那珂の島でも大勢の生徒が亡くなったが、ブレスの攻撃で肉片すら残らずに消滅していったのだから。今回の様な命の切れた死体を見ずに済んだ。


 今は最前線の沖縄に行ってしまったが、真樺前学園長もぎこちないながらも楓先生の隣で笑っている。


 雪の目元も若干険しさが消え、大頬骨筋が引っ張られ口元にも薄っすら笑顔が戻ってきた所で、メールが届いている事に気づく。


 このホテルに付いた時には着信は無かった。という事は、今電源を入れた時に受信したのだろう。現代科学が発展しスマホは契約内容、会社に関係なく世界中どこでも使用できる。すべて通信衛星の発展によるものだが。


 メールが来ているのは恐らくは日本で雪が行方を暗ました事で、その所在確認というか、何やってんだというお叱りのメールだと当りを付け送信者の名前を確認する。フッと吐息を漏らし自分の予想通りの結果に安堵する。


 だがメールを開いた次の瞬間に一気に鼓動は高まった。


 メールは予想した通りに水楢からのものだ。


 用件は空白。


 だが肝心の中身が問題であった。


 メールには『やっほー暗い顔して空の旅はないでしょ? あたし達も雪君が羽田を発ってから大国に向けて飛び立って、さっき目的の場所に着いた所。こっちは責任を持って雛ちゃん救出を成し遂げるから、隙を見つけたら合流しようね!by澪、珠恵』何度もメールを読み直しても雛の救出を成し遂げると書いてある。


 スマホを持つ手がぶるぶると震えた。


 自分1人で雛を救出しようと敵の作戦に乗った。


 自分の責任だから。


 だが何を考えているのか、自分の戦友であり、クラスメート2名は僕が辿り着いていない雛の行方を知っている様子。


 思わず口頭から笑い声が漏れる。


「――ったく。やってくれるぜ」


『ご主人の友人は流石、善人だな』


「あぁ。僕には勿体無い程のお人よしだよ」


 此処に来てから凍っていた雪の心が、氷解していく様なそんな気がしていた。



                 ∞



 ここは雪のいる首都から西へ3000km以上離れた、大国でも21世紀に入ってから武力で制圧した自治区に当る。すでにイスラム圏に足を掛けているこの場所は、かつては核兵器の試験場があった場所でもあり、その実験と称してここに居住していた民族を殺戮した場所でもある。


「さすがにこれだけの距離を、旅客機で飛ぶのも疲れるわね~」


「お尻、痛い、腰、きつい」


 水楢と珠恵の両名は、神軍で極秘に偵察衛星を使い追跡した結果、雛がこの自治区に連れ込まれた事を知らされた。


「雪君があたし達に何も言わず、相手の懐に飛び込んだのは納得出来ないけども、雪君よりも早く雛ちゃんを救出すれば早期解決よね!」


「うん、雪、自由」


 妹想いの彼が部屋に篭ったままの訳が無いと踏んだ、水楢、珠恵は雪が部屋に篭ると同時に雛の行方に関して栗林大尉、燈の両名に追跡報告の詳細を聞いていた。大使館からヘリで羽田に飛んだ雛は、首都で給油を行っただけで真っ直ぐここ某自治区まで連行されていた。この際――飛行機から手錠を嵌められタラップを降りる姿まで偵察衛星はしっかりと記録していたのである。


 現在水楢と珠恵が居る場所は、雛が収容された元核実験場施設から3kmはなれた場所に建設された観光向けのホテルである。


 今現在、雛の身に全く危険がないのかと問われれば、否と答えるしか無いだろう。だが、雪を使い大国にはびこる反乱分子のパンを駆逐するまでは雛には危害を加えないという確信もある。


 人質にされている雛も心配だが、仲間である雪の事も心配な2人は救出作戦が迅速且つ正確に負傷する者が出ない様に、細心の注意を払いながら行動していた。


「でも失敗したわよね。大国に行くと思って大国に合わせた電圧の充電器を持って来たのに、まさかここの電力はイスラム圏から引っ張っているなんてね。お陰で電圧が合わなくて充電器が使えないわよ」


 水楢も雪と同様に、スマホの充電が出来なくて困り果てていた。


 雪はそもそも連絡を頻繁に取る必要は無い分、ましであるが……。


 事、水楢に至っては偵察衛星からの情報を逐一受け取る必要性から、救出作戦にはスマホは必需品であった。


「最悪、私の、使う」


 水楢の1台だけであれば直ぐにバッテリーが切れるが、偵察衛星関連以外の使用では珠恵のスマホを使えば消費は減らせる。


「あ~こんな事なら雪君にメールなんて送らなければ良かったわ」


 水楢が雪にメールを送ったのは某自治区の空港に着いてからで、電圧が違っている事に気づいたのはホテルにチェックインを済ませてからであった。


「電池切れ、雛ちゃん、失敗」


「はいはい。珠恵さんのいう事は分るわよ。スマホのバッテリーが切れて雛ちゃんの救出が失敗なんて許されないって事くらい」


「うん」


 水楢達が宿泊しているホテルから、雛のいる場所は少し遠いがここからは良く見えた。砂漠の入り口にある実験施設跡の周囲には何も無い。それが地上からの接近を困難にしている原因でもある。そこに近づく車やヘリは水楢達が来てからはまだ無い。という事は今も雛はそこに居る事になる。


 水楢と珠恵がここに到着したのは2時間前だ。


 2人は既に食事を終え、暗くなった砂漠を見渡す。


 流石に今晩は情報が少なすぎて動きが取れない。


 だが――早ければ明日の夕方、もしくは夜からでも動きたい。


 計画では暗くなってから、水楢の飛行型ヒートヘイズに乗り元核実験場施設に乗り込む。当然乗り込む際には珠恵もヒートヘイズを出す予定になっている。


 その為には、最低でも施設の構造、人員数、などは知りたい所だ。


 日本の神軍情報部では現在も偵察衛星を数台使い、施設に音波探知や赤外線探査を行っている筈である。


「まずは偵察衛星からの情報待ちね」


 だが結局、水楢の方も、雪の方にしても動きは無かった。

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