半獣神達の産声

第31話世界の異変

 君が特別な存在と奢るのならば、同じ存在に殺されるだろう。


 君が力を追い求めるなら、より強固な力に押し潰されるだろう。


 力は皆に対して平等なのだから。





 ――北の国、首都クレムリン付近


 12月も半ばの早朝、聖ワシリイ大聖堂にも雪が積もり、気温は氷点下35℃を記録し、人々の着衣は大概厚く着膨れをしている。


 ボロイ穴だらけのズボンから肌が露出している部分は、身を切り裂く寒さの影響でジリジリと痛い。


 人々が肺から漏らす息は、煙草を吹かした煙の様に吐き出される。


 現れては消えるその情景を見つめながら少年は、ストレートチルドレンに落ちたあの日を思い出す。


 反政府運動に参加していた両親が、突然消えたあの時を――。


 それから少年はずっと1人で生活してきた。


 裕福そうな衣服を纏い、幸せそうに親子で手を繋ぐ人々を眺めながら、自らの境遇を呪い、その原因を憎んだ。


「よう坊主、今日もこんな所で物乞いか? 寒い中ご苦労なこったな」


 この場所に居座って2年。


 空の缶詰を目の前に置けば、まだ12歳の少年に同情し、この親父さんの様な善人が、何かしら差し入れてくれる。


 この場所は少年のテリトリーだ。


 他のチルドレン達と競合しない様に、少年はここから動く事は無い。


「ほらよ」


 親父さんは、いつもの日課とばかりに新製品の栄養ドリンクを放り投げた。


 この寒いのに良く冷えた飲み物だ。


 それでも少年を気遣っているのは理解出来た。


「ありがとう」


「最近、流行っているらしくてな」


 栄養ドリンクと謳われるだけあり、飲むとカァーッと体が熱くなる。


 頑張れよ、と一言残し、親父さんは店のシャッターを開けた。


 少年が座り込んでいるのは、親父さんが経営する、雑貨店の向かい側にある歩道の上だ。


 普通なら嫌がられ追い立てられるが、親父さんは少年に酷い仕打ちはしない。少年の両親を知っているからだと、以前話を聞いた。


 少年は何度目かになる健康飲料を、チビチビと少しずつ飲む。


 一息に飲まないのは勿体無いからでは無い。


 体温が一気に奪われるからだ。


 四半時ほど掛けて飲み終わると、少年は空き缶を袋に入れた。


 この缶だけでも溜めて持ち込めば、金になるのだ。


 そうして今日も1日が始まる。



 だが昼を少し過ぎた時分に、少年の様子が一遍した。


 突然胸元から、黒い煙が噴出し、それはどんどん大きくなり黒く艶のある竜の姿へと変化していった。


 少年は自らの体から発現した、竜形のヒートヘイズを見上げる。


 昼時でこの通りには大勢の人々がいた。


 人々は突然、道の真ん中に発現したヒートヘイズに恐れ戦き、悲鳴をあげると蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。


 通りを走っていた車が、道を塞ぐ竜に驚き、追突事故を起す。


 周囲は大混乱に陥った。


「面白いや」


 少年は微かに微笑む。彼には何故か、この竜に対し畏怖の感情は無い。


 寧ろ、肉親と再会したような懐かしささえ覚える。


 少年が孤児に落ちたのは10歳の時だ。


 両親が買ってくれたファンタジー物の絵本を通し、竜の存在は知っていた。


 だが、この生活を始めてから、テレビを見た事は無い。


 よって――。


 ヒートヘイズ、と呼ばれ世界を震撼させた生物の存在も知らなかった。


 少年は夢見心地な気分で、竜を操る。


 両親を連れて行ったと目される者達が働いている、クレムリン宮殿へ向けて漆黒の翼を羽ばたかせた。








 ――日本国、富士演習場


 冬に入り、ここ富士演習場も雪景色へと姿を変えていた。


 2020年頃までは地球温暖化が叫ばれていたのだが、それから30年。


 科学者が発表した温暖化には成らずに、地球は寒冷化に入った。


 演習場付近の積雪は1mになり、雪達の訓練内容もがらりと変わった。


 息をぜいぜいと吐き出しながら、宿泊しているプレハブから、食堂までの道を雪かき用スコップで掬いながら雪達は進む。


 その表情は苦痛の色を醸し出し、全身汗まみれであった。


 毎日、毎日雪をかいても、1度雪が降るだけで道は塞がれ、食事を必要とする学生達は、食堂までの道のりを自力で雪をかいて進んだ。


 軍である事から当然、雪かき用ブルドーザーはあるのだが、学園長が発した訓練を理由に人力での作業を行っていた。


「なぁ、水楢……前代わってくれよ」


 苦痛から顔を顰め、後ろを振り向き1番大変な先頭を交代しようと提案する久流彌 雪くるみ せつ

 平凡な面相ゆえ、異性受けを狙って格好良く切り揃えたマッシュウルフの髪型も、今は伸び放題である。


「嫌よ、食事前に汗だくにはなりたくないもの」


 ショートから少し伸びた髪を揺らし、茶色に微かに青色が掛かった、綺麗な瞳で嫌そうに眉をひそめて、水楢 澪みずなら しずくが答える。

 誰に聞いても美人と謳われる美貌は、眉をひそめても健在であった。


「雪、がんば」


 セミロングの髪を柔らかめに整え、艶の帯びた茶色い瞳を輝かせながら、雪を応援する栗林 珠恵くりばやし たまえは、雪壁の高さが1mを優に越して居る事から、手ぶらで2人の後を付いて来ていた。


 雪国で育った者であれば雪達の苦労も理解出来るであろうが、雪かきの苦労はやった者でなければ分らない。

 雪でなければ延々と公園の砂場から、砂をスコップで掬っていく作業が近いだろうか……。

 そんな作業を雪達はもう1時間は行っていた。


 雪をかきを開始する事、1時間半。


 漸く雪達は食堂へと到着する事が出来た。


「お前達、遅かったな」


 偉そうに学園長の桂 梧二浪かつら ごじろう通称ゴジラは、雪達が食堂に飛び込んでくると、既に何杯目かのカツ丼を食いながらほざく。

 ゴリラ顔で2mはありそうな巨体である事から、影ではゴリラと皆は揶揄している。


 既に少数の先輩達は席に付き食事を取っていた。

 1年では、雪達が一番早かった様で、席は殆んど空いていた。


 食堂の中は大型の灯油ストーブに火が灯され、汗だくで入室してきた雪達は、室内の暑さに思わず顔を歪めた。

 汗だくで息を切らせて辿り着けば、噎せ返る暑さだ。

 雪達でなくとも気分が悪くなる。


 テーブルに添えてある冷水のポットから、水をグラスに注ぎ、

 雪達はひと息で飲み干す。


 ほっ、と体が落ち着いた所で定食を受け取りに行く。


 時刻は既に8時近くになる。


 他の1年も遅ればせながら到着し、早々と朝食を取った。


 さて、今日は何をやらせるつもりなのか……。


 この学園長の指導は、パン用の指導とは違う。


 流石、叩き上げと揶揄されても、不思議では無い肉体強化なのだ。


 だが朝食後に迎えに来た4駆に乗って、学園長は軍本部へと行ってしまった。


 代わりに、栃 楓とちのき かえで先生が久しぶりに授業を行うらしい。


 ゴジラに学園長が代わって以来、殆んど授業は肉体強化で、こうして楓先生が教壇に立つのは実に2ヶ月振りであった。


「そ、そ、それでは授業を始めます。学科では教わっていない学年の生徒が困惑するだけです。よって今日はおさらいでテストを出します」


 最初に口調がどもるのも相変わらずで、透き通ったソプラノ声を喉元から奏でる楓先生に癒されながら、各自テストを受け取った。


 楓先生はたまに学会で都内へと赴いて居る為、生徒達と違っておかっぱに切り揃えられている髪の長さは変わらない。


「が、が、学年毎に内容は違いますからカンニングをしても無駄です」


 そう言って1年の生徒の頭を鷲の姿のヒートヘイズが突っつく。


 まぁ、雪の事だが……。


 周囲でクスクスと笑い声が漏れる。


 まぁ、雪のいつもの日常である。


 テストは本当に簡単なおさらいであった。


 クラスの呼び方や、ヒートヘイズの名称。


 ヒートヘイズのレベルとその対戦時における計算だったが。


 中でも、自分のヒートヘイズの点数を参考に答えを出すというものがあり、Sランク遣いの雪には正確なポイントは無い。


 どう考えても問題が間違っている。


 雪が入学以前の問題を流用したものであった。


 後でその件は話せばいいか。と判断した雪は記入後早々に机に突っ伏して眠った。

 後は、通常なら実技に移る所だが、学園長不在の為――。


 幸いにも自習になった。


 雪はそもそも、現段階で少尉の階級を賜っている。


 この全生徒の中では1番偉いのである。


 そんな驕りもあり、テストの点数など気にもしていないのである。



 自習時間も終わり、昼休み。


 元々食堂で授業が行われていた為、面倒な移動をせずに済み、雪だけでなく全生徒が安堵の面持ちを浮かべていた。


 そんな穏やかな空気も食事を食べ終わり一息付いている時に、テレビから流れた緊急報道ニュースによってぶち壊された。


 報道の内容は――突如現れた竜によってクレムリンが消滅。

 何度も繰り返される映像からは総延長2.25km、20の城門を備え中に立てられていた文化遺産の宮殿、大聖堂にブレスを吐き出す竜の姿がはっきりと映し出されていた。


 最悪なのは、ヒートヘイズの暴挙はクレムリンだけに留まらない事だ。

 ドイツ、フランス、イギリス、エジプト、西の大国、インド。

 他にもそれこそ世界中が大混乱と化していた。


 流石に、那珂の島の比では無かった。


 学園襲撃時にもヒートヘイズの数は多かった。


 だが――。


 一般市民への被害で例えれば、ゼロなのだ。


 ステイツでの暴走、そして今回の事件は全て都市部で起きた。


 ニュースでは、受けた被害を正確には分っていない様だが、恐らく何十万単位での死者は確実に出ただろう。


「本格的にステイツが動いたのか?」


 パンを宿しているのは雪の知る限りでは、日本とステイツの2国だけ。


 日本人がそんなテロをする訳が無い。


 そう信じている雪が、ステイツのテロと断定して語る。


 だが水楢と珠恵ちゃんの意見では、分らないというものだった。


 そんな会話をしている間にも続々と中継映像が流れてくる。


 食堂に集まっている生徒達も、前回は取り乱したが、今回は3度目とあって幾分かは落ち着いて報道を見ていた。



 結局、午後の授業は報道の影響を受け中止となった。


 楓先生が、軍本部から掛かってくる電話の対応で、手一杯になった為だ。


 学生達は雪で出来た壁に挟まれた道を、強張った表情で宿舎へと戻っていった。今後の対応は本部からの連絡次第だ。


 雪の部屋は最近では3人部屋と言われても不思議では無い。

 珠恵が雪から離れたがらず、部屋に入り浸る為、水楢もそれに便乗する形で押しかけて来るからだ。

 3人で雪の部屋に入るなり、雪はコタツの電源を入れストーブに火を点けた。

 電気ポットから人数分の紅茶を入れる。


 飲み物が行き渡ると雪が口を開いた。



「それにしても卑劣な手を使うよな」



 雪が映像で見た情景の感想を漏らす。


「良く考えて見たのだけれど……本当にステイツの仕業かしら?」


 雪のポツリと誰彼無しに語った言葉に、水楢が反応を示す。


「何でそう思うんだ?」


 パンが存在しているのはステイツと日本。その考えに固執していた雪が、水楢に理由を尋ねると――。


「う~ん、だって不自然じゃない? クレムリンならステイツの仕業でも納得出来たのだけれど……他の国の被害は普通の建物よ?」


「うん」


 水楢の意見には珠恵ちゃんも同意らしい。


 確かに国の陰謀にしては不可思議だ。これでステイツから犯行声明でも出されれば、次は無いという警告とも取れるが……。


 だがそんな報道は無かった。


「暴走――いや。なんでもない」


 雪はステイツが、テロの実行犯を各国へ送ったが、それらが暴走したとか。

 そう提案しようとして引っ込めた。

 雪もこの数ヶ月、ヒートヘイズと付き合ってきて、理解したのだろう。

 早々簡単に暴走は起こりえないと。


 物事には必ず訳があり、目的がある。

 殺人を起こす犯罪者も、何らかの目的から犯行に及ぶ。

 無差別で殺人を犯す者も過去には居たが、それらも自らの抑圧された感情を、爆発させるなりの理由がある。

 愉快犯にしても同じである。

 犯人の狙いが全く掴めていない現状では、この場で何を議論しても、ワイドショーの知ったかコメンテーターと同じであった。



 日が変わり、朝食時のテレビの内容は各局どれも、ヒートヘイズで持ちきりであった。

 昨晩遅くに戻ってきた学園長から、全生徒に通達があるらしい。


「昨日のニュースは、お前達も見て驚いた事と思う。日本は前回同様、今回のヒートヘイズの暴挙に一切関与していない。だが、犯人がはっきり断定されるまでは行動自粛は止むを得ない。通常では夏季、冬季の連休など無いのだが――今年は一般高校と同様に、冬期休暇となった。少し早いが来週は天候が崩れ大雪の恐れもある事から、明日から翌年13日まで休暇とする」


 基本的に、情報漏えいの観点から生徒達は卒業まで缶詰が通例である。

 それがヒートヘイズは最早日本だけの技術では無くなり、

 世界中で暴れてくれたお陰で、知れ渡っている。

 情報漏えいと暴走を危惧しての軟禁だが、現状で暴走させた生徒は居ない。

 それを評価した上での判断だった。

 最悪、生徒達の誰かが暴走を起こしても、世界中で起きているのだ。

 日本でだけ起きないというのも不自然だ。

 万一暴走しても、日本も被害者ですと吹聴できるわけだ。

 そんな上層部の思惑もあり、雪は半年振りに実家に帰宅する事になった。


 学園長の報告を聞き、特に上級生達は破顔して喜んだ。

 中には涙ぐんで居る者もいる。

 雪が聞いた話では、もう2年以上帰宅していない先輩もいるらしく、泣き出した生徒は1年には居ないが先輩に多かった。


「ははっ。帰宅許可ねぇ~」


 雪は微かに吐息を漏らすと、相好を崩して言葉を漏らす。


「やっぱり嬉しいわよね」


 そう言う水楢の面持ちは優れない。


「…………」


 珠恵ちゃんも水楢と同様にあまり嬉しそうでは無い。


 自分だけ浮かれていて申し訳ない気持から、訳を尋ねた。


「何か2人共嬉しそうじゃないね……なんで?」


 僕が問いかけると――。


「ううん、街に出られるのは嬉しいのよ。でもね、うちは両親が海外だし、唯一の肉親のお姉ちゃんは……分るでしょう」


 水楢はかぶりを振るってから、苦笑いを浮かべて、家庭の事情を吐露してくれた。


「じゃ~珠恵ちゃんも?」


 雪は水楢の姉、あかりと珠恵の姉、栗林 未来くりばやし みくが共に九州の部隊に配属されている事から、珠恵の浮かない表情も同じと当りをつけ言葉を投げた。


「半分。実家、嫌い」


 抑揚の無い声音で話す珠恵だが、実家の部分で、怯える様に言葉を紡いだ。

 何か事情があるのだろうと思ったが、深く突っ込んでいいか分らず、雪は一言、そっか。とだけ告げ珠恵の頭を優しく撫でた。


 それを受け、沈んでいた珠恵が艶然とした面持ちで微笑む。


 珠恵に艶のある視線を投げかけられ、胸が高鳴った雪は、2人に提案を持ちかけた。


「2人とも休みに行く所が無いなら、うちに来ないか?」

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