第19話異常事態
――翌日
日曜日は、何故か3人でショッピングセンターに出かける事になり、澪は相変わらず服を買い込み、珠恵はずっと雪のTシャツの脇を握って付いて来ていた。
「あの珠恵ちゃん、ここ男子トイレなんだけれど……」
流石に雪には異性に用を足す所を見せて喜ぶ趣味は無い。
雪よりも先に用を足していた男性が珠恵が入ってきた事で頬を染め、いそいそと出て行く。
その男性の背中を申し訳なさそうに見つめながら珠恵に注意を促す。
「一緒、嫌」
可愛らしく小首をかしげ一言漏らす珠恵であるが、
「嫌じゃないんだけれど、恥ずかしいから、トイレは1人がいいかなって思う訳ですよ」
雪が優しく諭すように説得する。すると――。
「分った」
雪が予想したよりも素直に応じてくれた。
そもそも珠恵にも雪の用を足すシーンを見学する趣味は無い。
話せば長くなるのだが、珠恵は幼い頃に近所のいじめっ子に虐められた記憶が強く残り、それ故に気の強い男性は苦手であった。
だが、雪はどちらかと言えば気の弱いもやしっ子である。
それだけでも珠恵が惹かれるのは自然な事だった。
そして異性との付き合いが幼少期で止ってしまった珠恵だからこそ、親しみを感じた雪の行く場所にも付いて行く事には全く抵抗が無かったのであった。
尚、珠恵が柔道を始めたのも、言葉が少なくなったのも幼少期の虐めによるトラウマが原因であった。
「理解してくれて、助かるよ」
そんな事情を知らない雪がどう考えたのかは定かでは無いが、珠恵が理解してくれた事でホッと胸を撫で下ろしたのであった。
「うん」
「流石に、雪くんと珠恵さんを見ていると、ちゃぶ台があったら引っ繰り返したくなってくるわ」
雪がトイレに入り、その後を珠恵が付いていった事に慌てた水楢がその後を追って中に入ってきていたのだが、二人が醸し出す恋人同士の様な雰囲気に嫌悪感を示し、苦情をつげてくる。
「何、水楢、焼いてくれているの」
空気の読めない雪としては半ば冗談でそんな言葉を投げかけたのだが……。
「ばっ、そんな訳無いでしょ」
頬を薄っすらと染めた水楢が慌てて早口で否定した。水楢の気持が何処にあるのかは恐らく本人でも気づいていないだろう。
「ですよねぇ」
答えは分っていた雪からすれば水楢の返答は当然の事。呆れ口調で言葉を漏らした。
「雪、私、いい」
すると二人の会話を聞いていた珠恵が、自分だけ見てと積極的にアプローチしてきた。
「もう。好きにしたらいいじゃない」
また甘い雰囲気を醸し出されたらたまらないと、投げ遣りな態度で言葉を吐くと、雪達に背中を向けカジュアルショートの髪を揺らしながら1人で先に行ってしまった。
「珠恵ちゃん、用を済ませてくるから外で待っていて。
「分った」
雪が用を足し、水楢とも先のお店で合流し和気藹々と楽しんでいたのだが、突然鳴り響く警報に、僕達だけでなく、ショッピングセンター内の従業員の動きも慌しくなる。
何処から取り出したのか銃を持つ店員も居る事から、今の警報が物語るのは状況はかなり切迫しているという事だ。
「――今のは一体」
この島に警報が鳴り響くのは雪にとっては初めての事だ。
思わず驚き声をあげた。
「雪くん、学園に戻りましょう」
水楢も異常を察知し学園に戻ろうと提案していると――。
「来る」
突然、警報が鳴ってから上空を眺めていた珠恵が語気を強め叫ぶ。
「珠恵ちゃん、来るって何が」
珠恵の言った言葉が理解出来なかった雪が、珠恵を見つめ問いかけていると、頭上を複数のヒートヘイズが飛んで行った。
種類はランクBワイバーンが10体。他にもランクAの竜も同数は居た。
「な、なんだよ。あれ――」
総数20体以上ものヒートヘイズの編隊が航空ショーよろしくとばかりに飛行して行ったのだ。雪でなくとも驚くであろう。
「学園の方に行った様ね」
冷静な視線でそれを眺めていた水楢が、竜達の向かった方向に当りをつける。
すると、島の中のスピーカーから、学園長の声で、
『この島は、何者かからの襲撃を受けている。1年の生徒と隊員は地下シェルターに避難。2、3年の生徒は対空戦闘用ヒートヘイズを召還し上陸してきた敵を叩け。これは演習では無い。繰り返す――』
「なぁ、演習では無いって――」
雪にしてみればあれだけの数の飛行タイプのヒートヘイズを見たのは始めてである。狼狽しながら問いかけた。
「ええ、どうやら先日のヘリを撃墜した犯人が現れたって事ね」
水楢は先日の件の犯人が現れたと判断したようで、表情を強張らせながら推測を述べた。
「でも授業では、日本人の遺伝子を持つ者だけがパンになるとか、教えられたと思ったけど」
授業で日本人特有の能力と教わった雪が、不思議そうな面持ちで問いかける。
「雪くんって、ちゃんと授業を聞いていたのね」
からかい口調で水楢からそんな事を告げられた。
「それは、聞いているでしょうよ。自分の事なんだから――どれだけやる気が無い人だと思われているんですかねぇ」
雪も呆れ口調で水楢に小言を漏らしていると――。
「来た」
また周囲を観察していた珠恵が何かを見つけた様で、短く叫んだ。
「珠恵ちゃん、何」
雪が上空を見るが、今度は何も居ない。
珠恵に問いかけると――。
「あれ」
珠恵が指を刺した場所は、海岸で、そこからも続々とワームやガーゴイル、ヘルハウンド、中には獅子の体に蝙蝠の羽を生やしたマンティコアも見られた。
「マズイはね、このままシェルターに避難しても追い詰められるだけだわ」
夥しい数のヒートヘイズが上陸してきた。
水楢が苦い表情を浮かべ吐露する。
「水楢、それって……」
水楢のここまで焦っている表情を始めて見た雪も、打つ手が限られている事を感じ思わず声に出す。
「そう、戦うか逃げるしか手は無いって事よ」
半ば吐き捨てるように水楢から告げられた。
「逃げるって言っても、ここは島だぞ」
雪が眉を顰め水楢に当るように言葉を投げつけた。
「最悪、あたしのヒートヘイズで空からっていうのも有りだけれど、空からだと目立ってしまって格好の的になりそうね」
水楢は困惑顔で眉間に指を当て、自分のヒートヘイズでは無理そうだと語った。
「じゃ、逃げ場は無いって事か」
雪が不安にかられ吐き捨てるように言葉を投げると――。
「私、ある」
珠恵が、逃走手段がある事を申し出た。
「あっ、珠恵さん海戦用のヒートヘイズが居たわよね。なら最悪はそれで逃げましょう。まずは一度寮に寄って天羽々斬を取って来ないと……」
逃走するにしても、敵が簡単に逃がしてくれるとは思っていない水楢が、天羽々斬を取りに行く様に提案してきた。
「取って来ないと。と簡単に言うけれどさ、寮と学園は目と鼻の先だぞ。敵に見つかるんじゃ」
敵が学園の方向へ飛んで行ったのは確実なのだ。
心配そうに雪が告げる。
「大丈夫よ、学園にはお姉ちゃんと、栗林大尉だって居るんだから」
雪が不安そうな面持ちを向けていたから安心させようとしたのかは定かでは無いが、それを払拭させるように自信満々で水楢が話す。
「そういえば、栗林大尉って強いのか」
「パン、一番」
「マジかよ。そんな強い人だったんだ。なら敵を殲滅とか出来ちゃうんじゃない」
栗林がそれだけ強いならあっさり解決するのでは、楽観的にそう思い期待を込めて発言すると――。
「そんなの無理に決っているでしょ。前にも言ったけれど、数を多く出しても制御するのは結局、パン個人なのよ。この数を相手に学生とお姉ちゃん達だけでは――勝敗は分らないわよ」
雪の期待は水楢がかぶりを振るった事で儚く潰えた。
そう、どこからやってきたのか分らないが、島に上陸してきたヒートヘイズは100体を優に超えていたのだ。
現在日本国内に存在するパンの数は300人弱。それから見ても異常な数のヒートヘイズの集団だというのは分るだろう。
更に敵のランクがC、Dならまだしも――A、Bが殆どなのだ。
3年で退学になった滝がランクBのヒートヘイズ遣いとして好き勝手に出来ていた事からも、敵の脅威は推し量れよう。
「でも何だって、これだけのヒートヘイズがこの島を襲うんだ。この島はただの学園だろう」
「そんな事、私が知る訳無いでしょう」
「来た」
そんな話をしている内に、上陸してきた中でも足の速いヘルハウンドの群れが雪達へと襲い掛かってきた。すると――。
『ご主人、かなり不味い状況の様じゃな』と、ファウヌスが都合よく現れる。
「ああ。不味いなんてもんじゃない。危機一髪って言葉がそのまま当てはまっちゃうよ」
自分からは発現出来ないが、ファウヌスが現れた事で雪の不安も解消され、茶化す余裕が出てきたようである。
「ヒートヘイズ 話す」
珠恵からすれば始めての邂逅である。目を見開き驚いている。
「うん、珠恵ちゃん。それは後で説明するから――今はこれを何とかしないと」
「分った」
珠恵が左手を翳すと、ゴワッ、といつもの音が鳴りそこに羽の生えた蛇、ランクAのギーヴルが発現した。ギーヴルは地面を這ってヘルハウンドに襲い掛かり、その獰猛な牙を持って噛み付いた。
「すげー。珠恵ちゃんもお姉さんと同じなのか」
「遺伝の力って恐ろしいわね」
「それを、水楢に言われてもね」
水楢も龍を出して、ヘルハウンドを迎撃しだす。
「俺達も負けていられねぇ。頼むぞ、ファウヌス」
『ふん。この様な雑魚はこれで十分だ』そう言うなり、雪の胸からどんどん煙が湧き出し、巨大な蛇へと変化した。
蛇の周囲にはバチバチと稲妻がとぐろを巻いたように走り回っている。
発現するなり、周囲を這い回りヘルハウンドを次々に飲み込んでいった。
「す、凄いわね。雪くん、今度は何を出したのかしら」
水楢が雪を捕獲する時に発現させた蛇が細い糸に例えれば、雪が発現させた蛇は電源ケーブル程の差はあるだろう。
こんな状況だというのに楽しそうに水楢が問いかけた。
「ヨルムンガンド、S」
だが雪が名前を知っている訳もなく、その代わりに珠恵から詳細が告げられた。
「雪くんが、何を出しても、もう驚かない事にするわ。あなた例外過ぎるもの」
「凄い」
珠恵のギーヴルが子供に見える位、巨大な姿でヘルハウンドを丸呑みにしていき、あっという間に20体は居たヘルハウンドはその姿を煙へと変えていった。
その様子を3人は芝居でも見るかのように眺めていた。
「さぁ、寮へ戻るわよ」
周囲に敵のヒートヘイズが居なくなると水楢から声が掛かった。
「はぁ、何だって敵のど真ん中に突っ込まないといけないんだか……」
雪は溜息を吐くと呆れたように呟いた。
「行く」
珠恵は、雪が一緒だからか付いてくる気満々であったが、相変わらず雪のTシャツを掴んだままだ。
澪を先頭にして、路地を走る。
だが、そこにもヘルハウンドや、中には巨大な人型で一つ目のランクA、サイクロプスが立ちはだかった。
雪達のヒートヘイズは発現したままだ、ヨルムンガンドが全長15mはあるサイクロプスに巻きつき、唯一、突き出していた頭にギーヴルが喰い付く――。
澪の龍はヘルハウンドを上空から落下と同時に爪で切り裂く。
中にはそれをかわすヘルハウンドも居るが、サイクロプスが消えたと同時に動いたヨルムンガンドによって丸呑みにされた。
「何だってこんなに数が多いんだよ」
あまりの敵の多さに思わず雪が愚痴を漏らすのだが……。
「でも、雪くんのヒートヘイズはファウヌスが制御しているのだから、雪くんの負担は無いでしょ」
「ずるい」
雪は2人から責められて、バツの悪い面持ちを向けた。
「それは、そうだけど……」
そう言って、雪が周囲を見渡すと、その数が減っているようにはとても思え無いほどのヒートヘイズが残っていた。
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