第45話 とりあえず家に入ろうか
どこにでもあるような二階建てのアパートの一室。
前まではここで暮らすことに何も思わなかったこの部屋もたまに長い間泊まらないでいると懐かしさを覚えるから不思議だ。
……なんて言いたいところなんだけど、残念ながら今の僕にはそんな余裕などなかった。
この部屋には僕一人、愛莉は一度家に戻って準備をするらしいので先に僕だけ来たのだが。
「一体これは……」
これは夢か幻かと何度目をこするものの目の前にある物は無くなるどころか、よりいっそう存在感が増すばかり。
何かの間違いかといろんな角度から見たり、試しに指でつついてみるがこの見た目、つついた感触……それは間違いなくパンツだ。
これはあくまでも予想なのだが、このパンツの持ち主は恐らく────。
「ふふふ、お気付きになりましたか湊様」
「愛優さん!?」
声のした方を見ると、そこには愛莉と一緒にいるはずの愛優さんが壁に寄りかかりながら立っていた。
「色々な疑問がある、というお顔をしておりますね。いいでしょう、私が説明します。まず今愛莉様と一緒にいるのは私の格好をした紗奈です! そして今目の前にあるのは私が用意した愛莉様の下着です!」
「……なんとなくはわかりましたけど、とりあえずどうして紗奈さんに変装を頼んでまでこんな事をしたのかという説明が欲しいんですが」
「そんなのは簡単です。私が湊様や愛莉様を監視できない時に初体験をされたら困るからです!」
「しないからね?」
「そうは言いますがわかりません。湊様も男の娘……いつご自分の心の中にいる狼が暴れだすかなどわからないのです」
「なんか途中物凄くバカにされた気がしたけど……まあいいや続けて」
「そこで私は考えました。狭い部屋、未熟な男女何も起こらないはずもなく……を回避するためにはどうすればいいか。そして出た答えがこれなのです! 男の方はパンツを食べて性欲を抑えると聞いたので」
「いやそんな方法で抑えないからね?」
まあ確かに綺麗に丸く収められた純白のそれは見方を変えればまんじゅうとかに見えなくも……いや見えないな、どう見てもパンツだよこれ。
「ですが湊様」
「ん?」
「もしも愛莉様に発情して自分の性欲が抑えきれず、死にそ〜な時に美味しそうなパンツがあったらどうします?」
「まずその状況にツッコミを入れたいけど……まあどうするかと聞かれたら、どうもしないけど」
「え、食べないんですか?」
「いやいや、そんな意外そうな顔をされても普通はパンツなんて食べないからね?」
「例えそれが可愛いロリの物でも?」
「食べないですよ?」
「脱ぎたてでも?」
「なお食べないよ? というかそもそも食べ物ですらないよね?」
「おかしいですね……男の子は目の前の女の子のバンツが落ちてたら食べるって聞いたのに」
「それどこの情報ですか……」
「え、私情報ですが?」
「……というか逆に愛優さんの立場ならどうなんですか」
「どうとは?」
「お腹が空いてる時に男物のパンツがあったら食べるんですか?」
「湊様何言っているのですか、食べるわけないじゃないですか、頭大丈夫ですか?」
「納得いかねぇ……」
そんなやり取りをしていると、不意に愛優さんは外の方を見る。
どうしたのだろうかと思ったが、その疑問はすぐに解決する。
──ビンポーン。と、チャイムが鳴る。
愛莉が来たのかと思い扉を開けると……。
「奈穂ちゃん?」
「湊さん……湊さぁぁぁぁんっ!」
「っ!?!?」
突然その場で涙を流す奈穂ちゃん。
どうしたのだろうかと、奈穂ちゃんの心配もしてみるが、この状況傍から見たら僕が小学生を泣かせているみたいだよな。
流石にご近所さんには社会的な立場もあるためロリコンを隠しているのだ、ここで色々と噂を立てられるのはゴメンだ。それに奈穂ちゃんも気になるし。
「とりあえず家入ろうか。話はそれから……」
「はい……」
未だに涙を流し続ける奈穂ちゃんを家にあげ、リビングのある部屋に座らせる。
流石の愛優さんもこの状況は想定外なのか、奈穂ちゃんの頭を優しく撫でているもののいつもより落ち着きがない。
「はい、暖かいミルクいれたから飲んで。多分落ちつくから」
「睡眠薬とか入れたんですか?」
「この部屋のどこにそんな薬があるとでも?」
「湊様の濃厚ミルク」
「なんだかドロっとしてそうで嫌です」
「そんなものは入ってない! 愛優さんも余計なことは喋らないでください!」
僕と愛優さんの見慣れたであろうやり取り。しかしそのせいか奈穂ちゃんは少しだけいつもの調子に戻りつつあった。
……僕の支払った疲れという代償はあるけど。
「──それで、何があったの?」
仕切り直すよう正面に座る。
奈穂は少し思いつめたようにことの成り行きを語り始める。
「全ての始まりは昨日の充さんが……」
「充が?」
「お姉さん系に目覚めてしまったんです!」
「…………はい?」
予想の遙斜め上の回答に僕と愛優さんは思わず首を傾げた。
しかし充がお姉さん系かぁ……。
確かに充は最近癒しが〜とか年上の優しさに包まれたいとか言っていたこともあったけど、そこはロリコンとしての性なのか軽く零す程度だったのだけど。
「ついに目覚めたのか……いや……」
「私、充さんはロリ一筋だと思っていたのに……まさかお姉さん系だなんて……」
「ちなみになんだけど、お姉さん系に目覚めてなにか悪いことでもあったの?」
「……いえ、それはまだです。ですけど私聞いてしまったんです。充さんが『やっぱりこれからは──のお姉ちゃんだよな』と言っていたのを」
「なるほど……」
確かにそれは不安にもなる。
しかし僕は知っている、アイツは腐ってもロリコン……今は年上のお姉ちゃんと揺らいでいたとしても恐らく行き着く場所はただ一つ、年下のお姉ちゃんだと。
とはいえこれは昔からの付き合いがある僕だからこそわかることであって、これをほかの人に説明するのはとても難しい。
ましてや年下のお姉ちゃんなんて普通の人からしたら「は? お前何言ってんの?」というレベルだ。
そもそも年上だからお姉ちゃんであって、年下なのは妹……という概念を全部取っぱらった『年下のお姉ちゃん』は非常に難しい考えで、
「うぅむ」
何か良い例えがないかと模索していると、不意にチャイムが鳴る。
今度こそ愛莉だろう、僕はそう思いちょっといってくるねと玄関へ向かい扉を開けた。
……が、そこにいたのは僕の予想していた人物ではなくて。
「た、拓海。奈穂いるか?」
「……充か」
珍しく息切れ気味の親友だった。
「──それで、結局お二人共ここに来た、と」
程なくして到着した愛莉を含めた計四人でお茶を飲みつつ机を囲む。(愛優さんは仕事で戻っていった)
そうして一通り話を聞き終えた愛莉は不思議そうな顔を浮かべる。
「でもそれの何が問題なんですか?」
「うっ……」「うぐぅ……」
ド正論である。
個人の性癖になどと言えばそれまでなのであえて控えていたが、流石は愛莉……思ったことをズバッと言ってしまう。
「そもそも充は本当にそっちの道に走ろうと思ったのか?」
「それは……」
そこで充は言いよどむ。
本気でそう考えているのではないが、それでも揺られるものがあるのだろう。
これは少し長くなりそうだ。
今のうちに喉を潤しておこうと思い、コップに手を伸ばすがお茶の入っていたはずの中身はとうに無く仕草だけで終わってしまう。
まだ充は口を開かなさそうだし、今のうちにお茶をコップに注いでおこう。
拓海がそう思ったのと同時に、充が口を開く。
「実は──」
「ごめん愛莉、お茶取ってくれる?」
「お茶ですか? はい、先生」
「ありがとう」
「今俺が喋ろうとしたのになんでそれを遮っちゃったの!?」
充からの激しいツッコミ。
「え、そうだったの? あ、愛莉のも少ないから少し注いでおくね」
「ありがとうございます先生」
「前々から思ってたけど拓海と愛莉ちゃんってこの関係になってからまだ半年も経ってないはずなのにどうしてか熟年夫婦のような気がする時があるんだが……」
「ええ、それは私も充さんと同じ意見です」
「そうかな?」「そうですか?」
「ほら! 息もぴったりだし!」
「うーん、そんなことないと思うけど……ね、愛莉?」
「私は先生と同じように思ってますが……」
仲良く首を傾げる二人に対して、充達は逆に肩を落とす。
本人達にその気は無くとも恋人としての差を知らされたのだ。
「ここまでぴったりならかの有名な『きのたけ戦争』でさえ平和に終わる気がしてきたよ……」
「きのたけ戦争? 先生、そのきのたけってお菓子のあれですか?」
「うん、きのこの里とたけのこの山であってるよ。あれの派閥があるみたいでそれをきのたけ戦争……って言ってるみたい」
「比較的平和な日本でもそんな戦争があるんですね……。ちなみに先生はどちら派なんですか?」
「僕はたけのこ派だよ。愛莉は?」
「私もたけのこ派です、気が合いますね♪」
いえーいとハイタッチ。
「奈穂はどっち派?」
「私もたけのこ派ですね。充さんは?」
「……俺はきのこ派だ。くそっ、仲間はいないのかッ!」
「他にも似たような質問があるよね。例えば『そばうどん』とか『目玉焼きにかけるのは醤油かソースか』とか」
「先生はそばとうどんはどっちですか?」
「じゃあせーので答えてみる?」
「はい!」
「せーのっ」
「「そば!」」
「また同じですね♪」
嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。
まあこれに関してはきっと地域の関係もあるだろう。
僕達の住んでいる県ではそばが有名で、中でもしおり市の駅そばは今のところ僕のランキングでは一位だ。
「本当におふたりは一緒なのですね、羨ましいですよ……」
「そうですか? 私は奈穂さんや星川さんも良いと思いますよ。だってお互いの物を食べさせ合いとかできるじゃないですか♪」
「……言われてみれば」
「確かに……」
愛莉の言葉に納得する二人。
ようやくこの喧嘩のような何かの終わりを告げた。
「……なあ拓海さんよ」
「なんだい充さんよ」
「俺は思うんだ、覗きってのはきっと覗くこと自体が目的ではなくそこに至るまでのドキドキ感を楽しむのが本質なのではないかと」
「そこに気がつくとは天才か」
「よせやい、あまり褒めんなよ」
あの騒動から数時間、とっぷりと暮れた頃。
ロリ様ふたりは仲良くお風呂に入り、時折楽しそうな会話も聞こえてきたりしていた。
もちろんこんな話をしているが、覗きなどはしない。
ただ一緒に入ろうとしたが、よくよく考えたらここのお風呂は小さすぎるため仮に許可が降りたとしても、とてもお風呂……という気分にはなれないから。
「……にしてもやっぱり小学生っていいよな」
「通報の準備は出来ているぞ」
「俺って信用ないなと感じた瞬間視聴率三パーセント」
「なんだよそれ。しかも微妙な数字だし」
「最近奈穂と色々なことをしてるんだけどさ」
「やっぱり警察に……」
「だから聞けって! ……んでまあ、その成長速度ってのに驚かされるわけよ。まあ頭の構造の違いというのもあるかもだけど俺が習得するのに時間がかかったことでさえすぐに身につけてしまう……本当に小学生は恐ろしいし羨ましい」
「それはそうとお前が覗きに行こうともしないなんて珍しいな」
「そうだな……」
言いながら充はスマホを取り出す。
まさか盗撮!? と思ったがどうやら違うらしい。
「拓海よ、俺は思ったんだ。覗きは合意の元であれば問題無いように盗撮も許可さえ得られればただのヌードモデル……つまり奈穂に許可を貰えさえすれば大丈夫だと!」
「──それで、私が許可を出すと思ったんですか? 出しませんよ」
「なん……だと……!?」
「いやわかりきっていた答えだろ」
両手両膝を地につく充に冷ややかな視線を送る。
それはきっと扉一枚挟んだ向こう側にいる奈穂ちゃんも同じだろう。
「そもそも充さんにそんな度胸があるんですか?」
「あ、あるさ!」
「この前だって少しばかりパジャマがはだけていただけで顔を真っ赤にしながら『な、奈穂、服が……』って恥ずかしそうにしていたのに」
「うっ……」
そういうイラストとかも描いているからてっきり充は色々なシチュエーションに対して耐性があると思っていたのだが、案外初心らしい。
そんな微笑ましいやり取りをしている横で僕と愛莉はと言うと……。
「あ、先生。シャンプーが少なくなってるので詰め替え用のってありますか?」
「マジで!? ちょっと待ってね。あ、あったあった」
「ではこちらに渡して貰えますか?」
言いながらお風呂場の扉が少しだけ開かれる。
同時に物凄い量の湯気が脱衣所に流れ、その扉の隙間からは愛莉の白く細い腕と、顔だけをこちらに出していた。
「はい、本当は僕がやらなきゃなのに悪いね」
「いえいえ、こういうのはお互い様です。それに私髪が長いので先生より多く使ってしまいますし」
「そんなの気にしなくてもいいのに」
「──っと、出来ました。すみませんこちら捨てておいて貰ってもいいですか?」
「ん、りょーかい」
そう言って僕は愛莉から空になった詰め替え用を受け取りそのままゴミ箱へ捨てる。
一連のやり取りを見て、充が何か信じられないものでも見たような目で僕の方を叩く。
「なあ拓海……お前ら本当に恋人、なんだよな?」
「う、うん。まだ恋人だけど」
「実は海外で式挙げたけど公表するのは愛莉ちゃんが十八歳になってから……とかじゃないよな?」
「落ち着こうか、そんなことはないからとりあえず僕の方を叩くのはやめよ、ね?」
「だってさ、今日ここに来てからお前らのやり取りを見ていたら……なぁ、奈穂」
「は、はい。なんと言いますか……結婚していない方が驚きなくらいです」
「私としてはいつでも大丈夫ですが」
「……その件については、少し、色々と、はい」
僕とて愛莉みたいな女の子と結婚するのは構わない……と言うよりむしろこちらからお願いしたいくらいだ。
しかしそこに至るまでには二つの難関がある。
まず一つ目は年齢だ。
日本の法律では男は十八歳、女は十五……と言われているが、愛莉が十五になる頃には両方十八歳になっているだろうからそこに設定するとして、圧倒的に足りない。
そして二つ目。
それは僕の両親だ。
愛莉の方の両親は恐らく問題ないと思う。そして僕の方も父親なら大丈夫なのだが、一番の問題は母親だ。
昔から色々とうるさいから仮に結婚する……となってもサインを貰えるかどうか……。
むしろサインを貰いに行ったのにビンタを貰いそうだ。
「ま、それらを抜きにしても愛の形が一つだけじゃないように、恋人以上夫婦未満っていうのが僕達だから」
「なるほどな。ところで──」
充はお風呂場に向けていた視線を別のところへ向ける。
その先にあるのは……。
「ここにもお宝はあるみたいだな」
綺麗に折りたたまれているピンクや水色といった可愛らしいパジャマ……そしてその上にちょこんと置かれている魅惑の布地。
その事に気がついた奈穂はお風呂場の中でうぅ……と頭を抱えている声が漏れている。
確かにこれは魅力的では……いや、考えるのはやめよう。今は奈穂ちゃんのためにもコイツをリビングへ連れていく必要がある。
僕はすぐにでもその魅惑の布地を広げようとしている親友の腕を掴む。
「ほらあっちに行くぞ。そろそろ奈穂ちゃん達も出るだろうし」
「いててて、引っ張らなくても行くから、だから拓海ちょっと優しく……して?」
「キモい」
「いてぇ!?」
とりあえず一発殴っておいた。
……その後、お風呂から出た奈穂ちゃんに充が説教されたのは言うまでもない。
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