2018/3/16

「佐藤お前……頭、騎士団長殺しなんか? IQあいきゅー84なんか?」と漆村うるしむら部長は言った。「有給明日から四十日全部使つかうて。そんで小鶴おづるに旅行て。何もないやん、小鶴」


 村上春樹と小鶴市を同時にこき下ろした漆村部長に、僕はうなずく。


「すみません」


 自分のデスクを不機嫌そうに指先でこつこつと叩いて、部長は言う。


「すみませんてお前。この時期四十日も穴開けることがどういうことかわかっとるんか? お前帰ってきたとき席ないで? お前のこと手塩にかけて育てた漆村騎士団長ことワシを殺す気なんか?」


「すみません」


「すんませんやあれへんがな。無責任もええとこやで。お前みたいなやつがコインロッカーにベイビー放り込むんや」


「龍の方ですね」


「やかましいわ。何でもええやろ春樹でも龍でも森三中でも。……なあ、佐藤。なんか理由あるんか? お前、ずっと真面目に頑張ってきてたやん、病欠もせんと有給も使わんと。なんかあるんやろ? なあ? オッちゃんに相談してみんか?」


 買いかぶりだ。

 僕はただ、無気力なだけだった。

 日々心の内側に空いた穴に降り積もる埃の山を、見ないようにしていただけだ。

 何かをしていないと不死島先輩が居ない空白に圧し殺されそうだったから、何もしない時間を極力なくしていただけだ。

 責任感なんてものの、まったく逆の方向ベクトル

 逃げるために走り続けていただけの自分をそういう風に評価してくれていた部長に、少し申し訳ない気分になった。

 

「すみません」


 そう言って頭を下げた僕を見て、漆村部長は苦虫を噛みつぶしたような、困ったような

顔をしていた。




 新小鶴行きの新幹線に飛び乗ったのは、仕事が終わってすぐのことだった。

 部屋には帰らなかった。

 出張が多い仕事に慣れると、遠出でも自然と荷物は少なくなる。

 仕事道具をべつにすれば、下着や靴下、替えのシャツさえあれば何とかなるし、それすらも今や少し大きなコンビニエンス・ストアに入ってしまえば現地で手に入るからだ。

 大量消費社会万歳、神は偉大なり。


 けれど、少しの後悔もあった。

 せめて仕事用の安スーツから、普段着に着替えて出かけるくらいのことはしても良かったと思う。そのくらいの時間は十分にあったはずで、実際、自分の行動力に少なからず驚いていた。

 僕は元来、こんなにも衝動的な人間だったか?

 わからない。

 そうだったようにも思うし、そうでなかったようにも思う。

 ひとつだけ言えるのは、僕が不死島先輩を失った十九歳のあの日から、一歩も前に進めていないということだった。


 ――精神的に向上心のないものは、ばかだ。


 だけ老いていく、三十一歳の子ども。

 そう考えると、この衝動的な行動にもある程度の説明がつく気がした。

 僕は自分の後ろに乗客が居ないのを確認すると、シートを倒して目を閉じる。

 新小鶴までの一時間半、しばし眠ろうと思った。







「遅かったやんけ」と戸越は言った。


 新小鶴駅のホームには、彼女以外の誰も居なかった。

 彼女はカーキ色のモッズコートを羽織って、愛用のジッポライターをカチカチ鳴らしながら開け閉めしていた。

 ジッポにはトラッキー(阪神タイガースのマスコットだ)のイラストが印刷してあって、ちょうど首のところで蓋と胴体に分かれていた。

 だから彼女がジッポを開け閉めするたびに、可哀想なトラッキーくんは首がもげたりつながったりしていた。

 カチカチという音は、ギロチンが落ちる音だ。


 僕はといえば、あまりにも唐突な登場人物に思わず頭を抱えそうになっていた。

 それから深呼吸をして、頭が混乱したときにはいつもそうするように、南極の氷の洞窟でじっとしているペンギンを思い浮かべた。

 そうすることで幾ばくかの冷静さを取り戻すことができるのだ。

 そういった幾つかの小さなライフハックは、僕の主要資産のひとつだった。


 そうして混乱から立ち直った僕は、「どうしてここに?」と言った。


「面白そうやし、ウチも手伝うことにした。パソコンの履歴はまめに消すことやで、ジェイソン・ボーンくん。ビジホの予約、ばっちり残っとったわ」と戸越は得意気に答える。


「そうじゃなくて、会社は?」


「辞めてきた」


 さようなら騎士団長。

 僕は漆村部長に深く同情し、それから南極の洞窟でじっとしているペンギンをもう一度強く思い浮かべた。


 メールの着信があったのは、その時だった。

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