2018/3/15

「お前あほやろ」と戸越とごしあかねはよく通る声で言った。

 まだ春と言うには肌寒い夜、僕たちは僕の部屋にはやや大きすぎるセミダブルベッドの中で、身を寄せ合って横になっていた。


「死んだ女のはなし、なんでほかの女にすんねん。春樹気取りか貴様。ハードボイルドワンダーランドみたいな顔しおってからに」


 やれやれ。

 まずは戸越茜の話をしよう。

 彼女の全体像を語らないことには、話は進まない。

 僕はともかく村上春樹に大変失礼な暴言を吐く戸越茜は、会社の部下で僕の恋人だった。

 僕より六つ下の二十五歳で、阪神タイガースのファンだった。

 仕事が良く出来る女の子で、人付き合いも上手かった。

 母方の祖母がロシア人のクォーターで鼻が高く、横顔が綺麗だった。

 好奇心が旺盛で何ごとにも前向きだった。彼女は色々なものを砂漠の雨のように吸収したし、同時にそれらをちゃんと整理して、しかるべきところに仕舞い、しっかりと愛することができた。


 とはいえ、彼女だって完璧ではなかった。

 欠点もたくさんあった。

 とんでもないヘビースモーカーだったし、酒ぐせはひどく悪かった。

 ときたま脇の下に指を突っ込んで、そのにおいを嗅ぐ癖があった。

 阪神が勝った日の機嫌は良かったが、負けたときの機嫌は最悪だった。

 その日はオープン戦で阪神が負けた日で、彼女は腹いせにビールをしこたま飲んでいた。

 何かを話すタイミングとしては最低のものだったというわけだ。

 けれど、そうしないわけにはいかなかった。

 僕のSNSアカウントに、連日のようにからのメッセージが送りつけられてきていたからだ。

 限界だった。

 胸のうちに沈めておくには、あまりにも重すぎた。

 

 

「そんなん、いたずらやろ」と戸越は身体を起こして言った。

 カーテンの隙間から月の光が差し込んで、前下がりのボブカットから覗く彼女の細い首筋のラインを綺麗に縁取っていた。


 冷静に考えれば、そうだ。

 誰かがのふりをして、メッセージを送る。

 僕が深く傷つけば傷つくほど喜ぶ誰かがだ。

 けれど、じゃあどうしてあの言葉を知っているんだ?


 ――精神的に向上心のないものは、ばかだ。


 文字化けしたメッセージは、そう言いたいように見えた。

 それは、僕と不死島先輩との間でだけ成り立つ合言葉のようなものだ。

 他に誰が知っている? 彼女の近くにいた人びとなら、あるいは知っていたかもしれない。

 共通の近しい友人、彼女の両親、当時の主治医、看護師。

 でも、彼らは、彼女の死に際して相応に大きなものを失った人たちばかりのはずだった。

 その中の誰がそんなことを?

 いたずらにしたってたちが悪すぎる。


「もしそうだとしたら、誰がやったのかを、僕は知る必要があるんだと思う」と、僕は言った。

 幸いにも、有給は手つかずで残っていた。

 知ってどうしたいのかはその時点では考えていなかったけれど、自分の最も柔らかい部分を揺さぶろうとしている人間が誰か、それを突き止める必要があると思ったのだ。


「自分、やっぱ頭ねじまき鳥やわ」


 戸越はため息をつき、かぶりを振って言った。

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