第4話 球体の想いで

深夜一時、痛む肋を押さえながら夜間診療の

文字を潜り抜け、診察待ちをしている

母子から離れて座る硬いシート


救急診療科の周囲は不自然に清潔で明るく

少し離れた片隅は薄暗く境い目は見えない


口から吐いて出る息は熱く

その度に僕の中の

熱は失われて身体は縮んでいくようだ


十歳の頃も

こうして病院の硬いシートに座って

足をぶらぶらさせて、うす暗い病室にいた

多分、母を待っていた


何故か灯りを点けもせず

夕闇が部屋にそろり、そろりと

這いいるのを気配に僕は手足を

少しずつ少しずつ丸めて夕闇の中で

球体になって幾年月か幾年月か

きっとまだあの病室の硬いシートの上で

僕は球体のままなのだ


時計の針が変わらず何者も刻んでいくなかで

無数の選択が僕と球体を隔てている


息を吸ったときの肋を

鷲掴みにされる痛みだけが

現実だと体内に鳴り響く


今は球体でない手足を動かして

這い寄る暗がりを払い、また片隅に追いやる


傷痕は残っている

深くもなく痛みもなく

ただ瘙痒感に苛まれる


あの少年と僕は連続しているのか

それともあれは暗がりに刻まれた

残滓か、逃避への手招きか


硬いシートの感触だけが

いつも重なりあっていく


ただ肋が痛いのと同じくらい

僕はあの球体の感触を知っている

それはこの頭の中の脳髄と同じ孤独

誰とも分け合えない感触だ


診察室の戸をくぐる


ドウサレましたカ


肋が痛むのです


ホカニは、ほかニハあリマセんか


肋だけです


瘡蓋に覆われた傷口の瘙痒感など

ひとにみせるものではない


そうして次はレントゲン室の扉をくぐる


放射線が細胞の隅々までつまびらかに

僕を解明していく


息を止めた一瞬、僕しかいない部屋を

また球体が横切っていく

あのまま消えてしまいたかった願望と

生き汚く存在する猿の変種たる人類の

癌細胞のような生存本能


病棟へと続くであろう階段は

非常灯の緑に染まり蒼白な手を伸ばして

あのときの病室への扉をくぐるとしたら

そこに終わりがあるのか


どちらにしろ先行きは暗闇のなかか

病院の外で響いたブレーキ音に足が

動き始める


待合室の硬いシートに座り

手探りの明日を待つだけだ


さよなら、球体の僕

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