是痴

 数日の間に、事件は世間にはそれ程騒ぎにされることもなく、息を絶やしていった。国家政府は、宮家の起こす事件を、懸命に世間一般から隠しているらしい。扇羽の記憶から、銃夜はあらゆる宮家の常識を取り込んでいた。

 百貨店での一件で、すぐに建物を封鎖し、一般客から事件を記憶のままを塗り替えたのは、国家政府が管轄する、管理課という奴らしい。それは明治に政府が置かれた日から、陰陽寮というものが名を変えて、宮家の動きを抑制し、無力な人間を守っているのだと主張するらしい。

 彼らが本当に、無能な人間を守れているのかどうかなど、最早、阿鼻叫喚の夜には理解できず、銃夜はその記憶を見ることを止めた。


 暗転、言われるがままに着せられた、黒く色のない着物の裾を、銃夜は掴む。白露神社の神域にある一部、森の中で、一枚の削られた一枚の岩の前、黒装束で身を包み、皆は立っていた。

 ただ唯一、一人の女が、白く鈍い光を反射させる、神主衣装を着こんでいる。彼は岩の前の、人間一人分の入る程度の穴と、そこに入れられている空の棺桶を見下ろしていた。


「百子様」


 中学の学ランを着込んだゲンが、そう呟いて、白装束の女、百子に駆け寄った。彼は先程まで何処かに行っていたのか、スニーカーには泥が跳ねている。


「死体の準備が整いました。現在、一姫様直々に、搬送されています」


 銃夜が知らぬ人の名を、彼は呟く。百子はわかったとだけ呟いて、その場に佇んだ。

 彼女が見る先、ざっざと、重い物を持ち上げて歩く、一人の男が見える。彼は二〇〇センチメートルはあるだろう長身に、黒スーツの上に白い羽織を羽織るという奇妙な格好で、元々目立つ立場を、更に悪目立ちさせていた。その腕の中には、白い着物を着せられた、少年の足と、腕が垂れ下がる。銃夜には丁度、それが扇羽の四肢に見えた。


「やあ、モモちゃん。ご所望の品はこちらで問題ないかな?」


 男は少年の体を、百子に突き付ける。予感を持って、銃夜は二人に駆け寄った。一瞬、驚いたような表情で、百子がこちらを見やる。


「……問題ありません。どうせ、埋めてしまうものですから」


 男の方に顔を戻すと、誰とも目を合わせずに、少年の体に触れ、百子は黙る。その表情は、一種の苛立ちを称え、睨むように、男を見つめなおす。


「君が直々に他人を弔うなんて聞いたから、張り切っちゃったよ」


 男はそう言ってにんまりと笑う。彼の顔つきは何処か外国人のそれと似ていて、ちぐはぐなその存在に似合っていた。

 百子は長く溜息を吐くと、少年の体を受け取る。高すぎて見えなかったその顔が、女性らしい低身長の百子の腕に落ちると、銃夜にも視認できるようになった。


 その死体は、確かに銃夜が食らった、樒扇羽そのものである。


「あぁ、君か」


 男がそう言って、凍り付く銃夜の頭を撫でた。銃夜が今までに触れた誰よりも暖かいその手は、一瞬の硬直を飲んだ銃夜をの緊張を解す。脳が優しく溶けそうで、男の触れているという事実によってのみ、銃夜は覚醒していた。


「私は豊宮とよみや一姫ときという。君が大宮銃夜君だね?」


 男、一姫の言葉に、銃夜はこくりと頷く。


「そうか。今回は実に災難だったね。もし困ったことがあったら、私に言ってくれ。今回のことについては、私にも大いに責任があるのだから」


 ゆっくりと、実に聞き取りやすい言葉で、一姫は言った。上手く言語化できない脳の中身に、銃夜はついてはいけない。彼のその責任の筋を聞き出したかった。しかし、それも無しに、時間も行程も進んでいく。


 百子は扇羽の形のそれを、土の中の棺に入れ、膝についた土を掃った。


「それでは、始めます。残りは土をかけて終わりですから、皆さん、お集まりください」


 百子の言葉は森の中で、反響することもなく、すぐ近くにいた、扇羽の近親者を呼ぶ。ずるりと、銃夜の影が揺れ動いた。その影は、自分のかつての姿をした、少年の体を覗くように動く。


 墓標の岩の前に集まった全員が、中心にいた百子と、銃夜を見ている。気恥ずかしくなった銃夜は、並んだ中の、晴安の隣に着く。


「静かにな。銃夜」


 人差し指を唇に当てて、晴安は言う。銃夜はこくりと頷いて、それに応じた。ふと銃夜は、もう一方の隣に、赤髪を結った一人の少女がいることに気づく。


 彼女の髪色、瞳の色、気づいてこちらを睨むその目の中の、二つに重なった瞳から、扇羽を彷彿とさせる。

 彼女と目が合った瞬間、突如、大きく揺さぶられるように、銃夜の頭の中がぐちゃぐちゃに混ざり合う。記憶の混同。自分の中でまだ落ち着いていない、扇羽達が、酷く動揺している。


 誰にも聞こえないような声で、銃夜は、思いもよらずに、一つ、言葉を地に落とした。


「姉さん」


 落とした言葉を拾い上げ、少女も酷く動揺したように、目を見開く。その瞬間、銃夜の目の前は白く濁って光り、重力は顔面に当てつけられた。


「お前が私をそう呼ぶことを! 私は絶対に許さない!」


 大声で、本来ならば可愛らしかろうその声を、がなり立て、銃夜にぶつける。二度、三度と、少女は未だ意味すら理解していない銃夜に、拳をぶつけていた。


 拳での殴打は、首を絞められるよりも苦しくない。蹴られるよりも痛くない。罵詈雑言の上乗せをしたそれは、意味を解せば、酷く傷を抉った。


「貴様なぞ勝手に死んでいれば良かったんだ! 何が稀人だ! 強者ならば自分でどうにかしろ! 私達をこれ以上! 奪ってどうするんだ!」


 周囲が取り押さえようと、少女の腕を掴む。しかしそれは、華奢な少女ではありえないような力業で、解かれ続ける。


「何故私の片割れが! 二回も死ななければならないんだ! まだアイツはもっと! この世界を見れたはずなのに! 人として人並みに生きれたのに!」


 晴安が、黙って殴られていた銃夜を抱き寄せて、彼女の拳を避ける。動きの死んでいる銃夜には、何も全て、抵抗する術がなかった。


臨零りんれい! アカン! 銃夜は何にも悪くないんや!」


 少女、臨零は、空を切る拳を、晴安に当てないためか、一度収める。息を切らす彼女の腕を、晴朝が掴んで固定せんとしていた。

 落ち着くように促すよう、晴安は彼女の目を見る。


「扇羽は望んで銃夜の中に混ざったんや。銃夜になったんや。死んでもおらん。生きてもおらん。まだ受け止められへんかもしれんけど、そういうふうになってしもうたんや」


 その言葉を聞いて、銃夜は、リセットされていた思考を再起動して、目を開く。目の前にいた臨零を見て、銃夜は微笑む。その酷く悲哀に満ち、深海にでも落とされた後の様な、諦めの表情に、臨零は目を見張る。


「……俺、ごめん、晴安、俺」


 出そうにも出ない言葉を、銃夜は一度整理しようと、溜息を吐いた。その突然の行動に、晴朝は驚いたか、臨零を離す。その瞬間、待ってましたと言うように、彼女は地に降り立っていた銃夜の首に両の手を添えて、地に落とした。

 それでもなお、銃夜は、寧ろ、覚悟を決め込んだように、しっかりとした表情で、目の前の重瞳を見る。


「俺はもう帰るよ。これは扇羽の葬式じゃない。お前も帰れ。この葬式はただの偽装だ。お前の弟は、俺と一緒にいる。会いたければ俺に会いに来い。お前が今踏みつけている俺の影に、扇羽はしっかりといるんだから」


 冷静に、的確に、銃夜は放った。黙れと、臨零は叫ぼうとしたが、その前には、腹に鈍痛を感じて、銃夜の隣でバランスも保てずに蹲っていた。


「……手を。すみません。俺の義妹が粗相をしました」


 そう言って、銃夜の目の前に手を出したのは、裸女であった。


「裸女……?」


 驚いて、その顔を睨む。だが、裸女と思しき彼は、少々驚いた表情で、こちらを見るだけであった。よく見てみれば、雰囲気は似ているものの、彼は裸女よりも圧倒的に、恐怖すら覚える様な、美を持っていた。手を触れがたい、そうとすら思わせる美だった。


「扇羽の義兄で、今は豊宮家の仕え人をしております。しきみ佑都ゆうとと申します」


 不思議そうな顔の彼は、自ら蹴り上げた、自らの義妹を他所に、銃夜を引っ張り上げる。相当に思い一撃だったのだろう。腹を抱えて、一部血の混ざる吐瀉物を、僅かにその地面に落とす。それを一瞬、佑都は冷たく見下ろすと、もう一度、銃夜を見た。


「君は謝る必要などないのです。勝手に他人の生を踏みにじって、人間のふりをしてきたのは、我々の方なのですから。それを彼は、上手く昇華しただけ」


 その彼とはきっと、扇羽をさすのだろう。佑都はにっこりと微笑んで、銃夜の頭を撫でた。


「これは葬式ではありません。銃夜君、そして千翅。新たな君達よ、誕生日おめでとう。これから先、君達が幸せに、共に長く、その生を過ごせることを」


 夕暮れが近かった。銃夜の影から、一匹だけ、蜻蛉が舞う。彼は何も銃夜に告げずに、肩に乗っていた。

 空は晴れ切って、影をよく伸ばす紅だった。

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