あなたのいちばんでいたいから

藤浪保

第1話 サキ

 注)女性同士の恋愛の話です。

   性描写あり。



 ◆◆◆


「ふぇぇ、サキちゃん……またフラれちゃった……」


 待ち合わせ場所で先に待っていたナナは、あたしの顔を見るなり走ってきて、目からぽろりと涙をこぼした。


 ナナをくどいていた二人のチャラ男は、あたしを見て女子が増えたことを喜んだが、あたしがにらみつけると、そそくさと退散していった。


「三週間なら結構続いたじゃない」


 しがみつくナナの頭を、髪型がくずれないように注意しながら、優しくなでる。


「なんで……ぐすっ……なんで私じゃだめなんだろう……あんなに好きだったのに……。もう私、サキちゃんがいてくれたらそれでいい……サキちゃんとつき合ってサキちゃんと結婚する」

「……無理。あたしカレシいるから」


 あたしを見上げる泣きはらした目に、ためらいながらもはっきりと告げる。


「ふえぇぇぇぇ……」

「いつかナナだけを見てくれる人が現れるよ」

「私には、サキちゃんしか、いないもん……」

「大丈夫。絶対現れるから」



 ◇◇◇



 うつ伏せになったサキちゃんの背中に触れる。

 すべすべで、しっとりと手に馴染む肌。

 スレンダーなのに、筋肉の上に薄く脂肪がついていて、女の子らしい、軟らかな弾力がある。

 

 背筋せすじの凹みをおしりの割れ目までつつっと指でなぞると、サキちゃんが身動みじろぎをした。


 「ん……。おはよう、ナナ」

 「おはよう、サキちゃん」


 仰向あおむけになり、顔だけをこちらに向けたサキちゃんが目をこすってから、眠そうな顔で笑った。


 私は布団の中をさぐり、サキちゃんの手に指を絡めた。


 少しひんやりとした手。


 その細い指が私の肌をい回る感覚を思い出して我慢が出来なくなり、私は指をほどいてサキちゃんの手にえ、胸のふくらみに導いた。


「サキちゃん、まだ忘れられない」

「……しょうがないな」


 悲しい声で訴えると、サキちゃんはあきれたように言って、私に覆いかぶさってきた。



 ◆◆◆



 あたしは今日も嘘をつく。



 少しくせのある柔らかいミルクティー色の髪。マシュマロのように白くふわふわしたほっぺ。目じりが少し下がったチョコレート色の大きな目。生クリームを顔の真ん中にちょこんと乗せてできたような鼻。いちごみたいに真っ赤なくちびる。


 背が低くて、手も足も小さくて、砂糖菓子でできているんじゃないかっていうくらい甘い匂いがして、少し舌っ足らずなしゃべり方をする。


 女の子のかわいさを全部あつめてボウルに入れて、きらきら光る朝露あさつゆを三滴、満月の日に落ちた流れ星のかけらを大さじ一杯、雨上がりの海にかかる虹を少々。空気をたっぷり含ませながら、優しく泡立てる。


 そうしてできたのがナナなのだと、あたしは思っている。


 ナナよりもかわいい女の子なんていない。

 ううん、女の子の中でだけじゃない。

 この世で一番かわいいもの、それがナナだ。



 ナナと出会ったのは、小学五年生の夏休みの前。


 朝、先生につれられて教室に入ってきた転校生は、低学年みたいに小さくて、リンゴみたいに真っ赤になって、自分の名前を小さく言うので精一杯だった。


 わたあめみたいにふわふわしている髪を、いがぐり頭の男子にバクハツだとからかわれたときも、うつむくだけで何も話さなかった。


 となりの席のあたしにあいさつを返してくれるようになるまでには一週間かかって、そのさらに一週間後にはもう一学期の終業式だった。


 夏休みの宿題と通信簿をランドセルに押し込んで、翌日から始まる五回目の夏休みに胸をふくらませたクラスメイトたちが教室を飛び出して行く。


 あたしは成績があまりよくなかったのをお母さんに叱られるのがいやで、ランドセルに物をつめこんでいるふりをしてだらだらと教室に残っていた。


 とはいえ、いつまでも学校にいられるわけじゃない。


 となりのクラスの、おばさんのくせに髪を女子高生みたいに明るく染めた、お化粧のイヤなにおいをぷんぷんさせている先生が通りかかって、あたしは教室を追い出された。


 少しでもゆっくり帰ろうと、誰もいない廊下をとぼとぼと歩く。


 窓から入りこむ真夏の光が床を四角く切り取っていて、それを踏まないように歩いた。光の中に足を入れたら、吸血鬼みたいにしゅわっととけてしまうんじゃないかって気がして。男子がそうやって遊んでいたときは馬鹿にしてたのに。


 昇降口に着いてからも、のろのろとした動作で靴を履き替える。


 そうしたら、靴箱の陰から、突然ナナが現れた。


 うつむいたナナは、あたしのくつ先のあたりを見ながら、両手をふとももの位置でぎゅっとにぎって、


「二学期に、なってもっ、友達でっ、いてねっ!!」


 びっくりするくらい大きな声だった。


 こんな声だったんだ。


 聞こえるか聞こえないかのささやき声しか聞いたことがなかったから、あたしはナナの本当の声をそのとき初めて聞いた。


 こんなに長く話せたんだと思った。

 あたしたちって友達だったんだとも思った。

 

 言いきったナナが、肩で息をしている。

 ぺたんこな胸が、水色のうすいTシャツを規則正しく押し上げていた。


 それを止めるかのように両手で胸の真ん中を押さえつけて、ナナは顔を上げた。



 時間が止まったかと思った。


 

 ナナの顔は赤かった。

 いつものりんごみたいに真っ赤な顔じゃない。ほんのりとしたさくら色。


 あたしを見上げる大きな目は少しうるんでいて、瞳に映った蛍光灯の光がゆらゆらと揺れた。


 いちご色の唇は湿っていて、わずかに開いたそこからちらりと見えた舌に、あたしの目は吸い寄せられた。


 目が、離せない。

 

 どのくらいそうしていたかはわからない。

 一秒にも、一分にも感じた。


 ぱっと、あたしの視線をたち切るようにしてナナは身をひるがえし、ふわりと揺れたスカートが落ち着きを取り戻す間もなく校門へと走っていった。


 あたしはその白いふくらはぎに再び視線を奪われたけど、ナナの背中の不釣り合いに大きなランドセルが見えなくなると、一斉に鳴き出したセミの声が耳の中にぎゅうぎゅうに入りこんできて、息を止めていたことに気がついた。


 マラソンのあとみたいに、心臓がどくりどくりと暴れている。


 ナナの赤い舌と白いふくらはぎが目の前にあらわれては消えた。


 その日、どうやって家に帰ったのかも、お母さんに叱られたかどうかも、覚えていない。


 夏休みのあいだ、あたしはずっとナナのことを考えていた。



 あの日、ナナに心を奪われてから、あたしはナナのことを想い続けている。


 それまでは、かっこいいと思う男子がいたし、友達と恋バナで盛り上がることもあった。女の子をそういう対象として見たこともなかった。


 今でも素敵だと思う芸能人はいるし、やっぱり他の女の子を恋愛対象として見ることはない。


 あたしはナナという存在に恋をしたんだ。


 でも恋人になることはできない。

 だから、親友になった。


 ナナに好きな人ができても、カレシができても、親友というポジションは揺らがない。ナナの一番近くにいられる。

 

 だけど、あたしのこの気持ちがナナに知られてしまったら、この関係は一瞬で崩れてしまうだろう。


 だから、カレシができたと嘘をついた。


 あたしはずっとナナを騙し続けている。



 ◇◇◇



 サキちゃんのざらりとした舌が、私の肌をくすぐっていく。


 ぞくぞくと快感が背中をい上がり、思わず声が漏れる。


 私もサキちゃんに気持ちよくなってもらいたくて、サキちゃんの敏感なところを優しく愛撫あいぶした。



 ◆◆◆



 ナナがカレシに乱暴されたと泣いたとき、あたしはなんてバカなんだろうと思った。


 ナナがそんなつらい思いをしていたのに、それに気がつかないで、どうでもいい話ばかりをしていた自分がゆるせない。


 まばたきでひとすじ流れ落ちたなみだを見て、心臓がロープでぐるぐる巻きにされたように締めつけられた。


 何にも傷つけられないように、ナナをどこかに閉じ込めてしまいたい。


 そんなことは許されないから、あたしはナナを腕の中に閉じ込めた。



 ◇◇◇

 


 サキちゃんが私の全身にキスを落としていく。

 初めて肌を重ねたときから変わらない、優しいキスだ。


 私が汗ばみ、吐息を漏らすようになると、今度はサキちゃんの番。


 少し吸いつくようにしながら、ときおり舌をチロチロと動かしながら、サキちゃんを高めていく。


 強く吸って全身に私の印を刻みたいという衝動を抑え、ほんのりと色づく程度に留める。

  

 欲をかいてこの関係を壊したくない。

 奇跡的なバランスの上になりたっているこの関係を。

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