第15話 八犬士、己が使命を悟り勇ましく出陣するの巻

「ちょっとこれさ、どうするつもりだよ」

「どうするもこうするも、どうしようもねえだろ」

「ヤベーぞあれ。ガチの幽霊だったじゃん。あんなハッキリ見える幽霊いるのかよマジで」

「マジヤベー」


 里美のお母さんが、やけに芝居がかった深いため息を何度も何度も繰り返し、お父さんに肩を支えられてひとまず家に戻った後、秘密基地に残された八犬士たちは語彙力の低い話し合いを始めた。あまりの恐怖にさっきから、やべえ、マジかよ、どうする、という三つの単語しか出てこない。


「どうすんだよマジでよ」

「知るかよお前どうすんだよ。ヤベーよ。ホントヤベーよあれ」

「キーチ、お前はどうなんだよ。これやべえじゃん。お前何とかしろよ」


 犬士たちは困ったことになると、だいたい真っ先に崎山 貴一の顔を見る。崎山は短気で自分勝手なところがあるが、多少周囲の反感を買ってでも「こうすべきだ」「ああした方がいい」と自分の意見をはっきりと言ってくれる。崎山の案は必ずしも毎回素晴らしいわけではないのだが、とにかく何かしら案を出してくれればそれをきっかけに話し合いが始まるので、みんな何となく重宝しているところがある。しかし今回ばかりは、さすがの崎山でも手に負えないようだった。


「知らねーよ俺に聞くなよ。ヤベーってあれ。どうすんだよ分かんねえよ」

「キーチが分かんねえんだったら、俺らに分かるわけないじゃん。どうすんだよ」


 するとそこで、この醜い押し問答を切り裂くように、さっきから話の輪の少し外で一人うつむき加減のままずっと黙りこくっていた塚崎 朋也が重い口を開いた。


「……俺、助けに行くよ」


 塚崎の声はぼそりと小さいつぶやきだったが、他の七人が醜く言い争う雑音の中で、不思議なほどはっきりと全員の耳に伝わった。


「……は?何言ってんだ朋也?」

「里美を助けに行く。そう言ってんだ」


 塚崎の短い一言で、さっきまで飛び交っていた罵詈雑言が嘘のように、秘密基地の中はしんと静かになった。

 塚崎が、ニチャニチャした皮脂で頬をテラテラと光らせながら、ボソリと付け加えた。


「だって里美のやつ、俺を待ってるだろうから」


 その一言に、場に一瞬だけ訪れた静寂が再び破られた。

「はあ?何言ってんだ朋也?待ってねーよ里美‼」

「オメー何様だよ‼自分が里美の彼氏みてえな言い方しやがって」

「マジかよ朋也やっべー。キモすぎねお前?」


 塚崎はたまらずムキになって言い返す。

「いや、だって里美のやつ最近俺にやたらと話しかけてくるし、なんか思わせぶりなこと言ってくるし、あいつ、絶対俺のこと意識してんなって……」


 その言葉に、残りの七人は大爆笑しながら「ないないないない」と一斉に顔の前で手を左右に振った。思わせぶりなことって具体的に何だよ?と皆崎 定春が笑って尋ねると、塚崎は

「いや、あいつ最近、わざわざ俺のことつかまえてさ、『ホント使えないわね』とか『もう何なのよ本当に』とか妙に悪口言って絡んでくるんだよ。それっておかしくね?」

と答えた。

 残りの七人が「それのどこがおかしい?」とキョトンとした顔をしていると、塚崎は今さらながら恥ずかしくなってきたらしく、少し照れた顔になっておずおずと続けた。


「だってさ、俺のこと何とも思ってなかったら、そんなわざわざ悪口言うか?これって好意の裏返しで、なんか俺のこと気になるから、逆に突っかかってくるってやつじゃないのかな?って気がしてよ」


 その言葉に一同がドッと笑い、「どこから来るんだよお前のその自信は!」「マジその発想は無かった」と塚崎の事をからかった。塚崎は耳まで真っ赤になって、うっかり自分の内心をポロっと表に出してしまったことを後悔していた。


「ありえねー!」

「っつーか、仮にその通りだったとしても、里美なんてありえねー!」

「ホント、あの凶悪女が俺のこと気にしてるなんてマジ勘弁。こっちからお断り!」

「ハハハハ!ホントマジありえねー」


 ところが今度は、その話の輪には加わらず、さっきから輪の外で一人うつむき加減のままずっと黙りこくっていた村崎 義一郎がボソッと口を開いた。


「……いや、俺、朋也の言うこと、意外とその通りかもって気がする」


 へ?と再び場が一瞬でしんと静まり返った。塚崎が救われたような顔をして、半分涙目で村崎の方を振り向いた。村崎はさらにボソリとつぶやいた。


「っつーか、俺、里美だったら結構ありかな……」


 会話の流れを完全に断ち切る、空気を全く読まない発言だった。しかし、それでも敢えて言うということは、これが村崎の嘘ではない本音であることに違いなかった。


「……あいつ、時々可愛くね?」


 そう言い足した村崎の言葉を、「いやいやいや無えって」「マジありえねー」と川崎 瑠偉と田崎 満がひきつった笑顔で否定したが、その言葉には先ほどまでの力強さは無い。なんだか場の全体が、とても微妙な空気になりつつあった。坂崎 聡が、自分なら比較的冷静な意見を出せるかもしれないという配慮でもしたのだろうか、ボソリとつぶやいた。


「私は……自分の性別がこんなだから言えるけどさ。里美ちゃん、同性として見ても、普通に結構可愛いほうだと思うよ」


 その言葉のあとも、しばらく沈黙が続いた。田崎 満がひきつった笑いを片頬に浮かべながら「ありえねーって……」とつぶやいたが、その声はすっかり弱弱しくなっていた。


 しばらく、沈黙が続いた。

 全員が腕組みをして、うーん、と唸っている。


 まあ、「可愛いから助けに行く」というのも変な理屈で、里美がもしこの場にいたら「じゃぁ私が可愛くなかったらアンタら助けに来ないのかよ!最低!」と怒鳴っていたと思うのだが、青春を十分に発散できずに、こじらせたまま思春期が終わりかけている残念な男たちに、そのような女性の気持ちに寄り添う発想は存在しない。


「でもさ、仮にじゃぁ里美が俺たちのことを意識してるとしてだよ。それって、意識してる相手は俺たちのうちの誰なんだ?」

 眉間に深いしわを寄せて難しい顔をしていた川崎 瑠偉が、真剣そのものの顔で尋ねた。

 そんな難しい顔して考え込んでいた内容がそれかよ、と思わずツッコミを入れたくなるようなくだらない問いだったが、他の七人は誰一人ツッコまず、「誰なんだろう?」「わかんねえな」と一緒になって本気で悩みながらウンウンうなっている。


 でも、実は八人とも、決して口には出さないが内心こう思っていた。


「俺だな……」

「俺に違いない!」

「そうか里美、俺のことをそんなに……」

「今までお前の気持ちに気付けなかった、鈍感な俺を許してくれ里美……」

「ちくしょう素直じゃねえな里美!そうならそうと早く言えよ!」

「私、心は女だけど、それでもいいの里美?」

「里美……ああ見えて可愛いとこあるなあいつ……」

「こんな俺なんかを意識してくれてるのか……?里美?」


 もしこの場に里美がいたら、間違いなく「キモッ!」と一言だけ叫んで鳥肌を立てて全力で走って逃げていたことだろう。ただ、動機はともあれ、これによって八犬士の決意は固まった。


「助けに行くか……」

「そうだな」

「俺たちが行かないで誰が行くんだ」

「八犬士だもんな俺たち。里美を守るのが俺たちの役目だもんな」

「やれやれ、俺たちのお姫様も手が焼けるぜまったく」


 そう言って犬士たちは、全員いつになく凛々しく、決意を固めた男らしい表情でお互いの顔を見つめ合い、力強くうなずき合った。

 そして、助けに行くなら何か武器を持っていかないといけないなと話し合い、草野球用に買ってあったバットや、秘密基地の材料で余って置いてあった鉄パイプの手頃なサイズのものなどをそれぞれ周囲から探し出し、出発の準備を整えた。


「行く前に、里美のお母さんところに報告に行かなきゃな」

「そうだな」


 次の日の早朝、決意を固めた男たちは言葉少なにそう言い交わすと、剣崎家の玄関に向かった。彼らがやってくることをあらかじめ知っていたかのように、玄関の前にはお母さんがお父さんに支えられながら彼らを待っていた。その表情は厳粛でありながら、里見家の嫡流という自らの重すぎる宿命を、全て悟っているかのようにどこか穏やかでもあった。


「行くのね」

「はい。行って参ります」


 崎山 貴一が八人を代表して、うやうやしく頭を下げてそう答えた。今までの粗野で無礼な八犬士がまるで嘘のような、頼もしく立派な態度だった。


「玉梓の怨念はすさまじいわ。……死なないで」

「はい。大丈夫です。絶対に里美さんを救い出し、全員揃って帰ってきます」


 そして男たちは黙ったままお父さんとお母さんに一礼すると、一斉に後ろを向いて江崎 常雄のライトバンに向かって力強く歩み出した。決意を決めた八人の背中が朝日に照らされてキラキラと輝く。その光景は神々しいまでに美しくもあり、あまりにも美しすぎるがゆえに、どこか不吉でもあった。

 玉梓がどれほど強く恐ろしいのか、神ならぬ存在の彼らには全く分からない。それでも里美のため、覚悟して敢えて死地に赴く八人の若者の背中を、お母さんは目を細めてじっと見つめ続けていた。



 ――するとその時、ライトバンに向かって横一列になって静かに歩く八人の前に、バシュン!という音と共に、まぶしく光り輝く八つの青白い人魂のようなものが突然現れた。


 何だ⁉何が起こった⁉と塚崎 朋也や崎山 貴一が驚いてそのまぶしい光を眺めていると、光はだんだんと収まってきて、青白い人魂のようなものが徐々に人間の形になっていく。そしてその人間の形をした光は最後、袴姿の凛々しい八人の若い美男子の姿になった。


「われら里見八犬士、玉梓の復活と里見家の危機を知り、悠久の時を越えここに再びよみがえった。ただいま参上!」


 ……は?

 ……なんで?

 ……八犬士は俺たちでしょ?

 なんで八犬士を名乗る奴らが俺らの他にも来ちゃってんの⁉

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