葉桜でお花見を

くるる

第1話

 通学路の途中に、橋が架かるような大きな川が流れている場所がある。

 その川沿いの道は桜並木になっており、三月末から、4月の上旬までの間は沢山の観光客で溢れかえるような場所だ。

 僕はその川沿いの道が好きで、何かあるとそこへ行き散歩をするのが習慣となっていた。


 今日も太陽の日差しがアスファルトを溶かすような正午の時間に、川沿いのこの道へとやってきた。

 この道に来ると魔法が掛かったように気持ちが高揚するのだ。

 さっきまでは憎らしかった日差しが暖かい木漏れ日へと姿を変える。僕は鼻歌を歌いながら、川沿いに道を下っていく。

 花見のシーズンが終わったということもあり、道行く人は少ない。これなら、見知った顔とすれ違うことも無さそうだろう。僕はほっと胸を撫で下ろした。


 新緑に染まった桜並木は第二の春の訪れだと僕は思う。

 霞がかった青空に、生き生きとした新緑が覆いかぶさり、その隙間から、まばらに桃色の花びらが顔を覗かせる。

 華やかで明るい満開の桜とは違う、現実感や生命の息吹を感じさせるのだ。


 川沿いを下っていくと、電車の通る橋が見える。その橋の下が僕の隠れ家だ。

 この辺りは田舎なので、電車の本数も一時間に一本程度しか通過しない。静かで、人目につくこともなく、いつまでも座っていられるというのはそれだけでありがたいのだ。

 草むらを下り、法面へと腰を下ろす。対岸に広がる草むらを眺めながら、せせらぎに耳を委ねていると、時間がゆったりと流れるような気分になった。


 電車が数本通過するような時間の間、景色を眺めていると、現実に引き戻すように、背中から春の風が吹いた。

 風はふわりと舞う桜の花びらと、彼女の髪の香りを乗せてさあっと通り過ぎて行った。

 幻嗅かと思い、後ろに振り返ると、そこには風に煽られる長い髪を手で押さえている彼女の姿があった。

 そんな状況にも関わらず、彼女の瞳は空の彼方を映していて、どこか寂しい表情をしていた。


「こんなところで何をしているんですか?」


 思わず声を掛ける、彼女の瞳に僕が映り、表情が柔らかくなるのが分かった。


「君の方こそ何をしているの、まだ、授業中でしょう」

「それを言ったら、芽衣子先輩だってそうでしょう。学校はどうしたんですか」

「大人には勉強よりも大事なことがあるのです」


 芽衣子先輩はふふんと鼻を鳴らしながらそう言うと、おっかなびっくりと斜面を下り、僕の隣に腰を下ろした。


「この場所は僕のお気に入りなんです。広大な風景を眺めながら、ちょろちょろと流れる川のせせらぎを聞いていると、悩み事なんか小さく思えてくるんですよ」


 先輩はふーんと何か考える表情を浮かべた後、ちょっぴりと目尻を下げて微笑みをこぼした。


「わかる気がするよ。自然の雄大さに比べると人の悩みなんて小さいものだよね」


 僕は何も言わずに空を見上げた。春色の青空に一筋の飛行機雲が流れていく。


「不思議なものだよね。この空はどこから見上げても同じなのに、不思議と寂しさを感じるのは何故なんだろうね」


 先輩の憂いに満ちた横顔を眺めると、心の奥にもやもやとした塊が出来るのを感じた。


「気休めにもならないかもしれませんけど、きっと、あの人もこの空を見下ろしていると思います。そして、先輩のように寂しさを感じているのではないでしょうか?」


 先輩は驚いたように目を大きく広げた後、くすりと笑い、こてんと僕に体重を預けた。

 肩越しに伝わる、仄かな温もりと、シャンプーの香り、僕は顔が赤くなるのを隠すように、黙って空を見上げる。

 

「君は優しいなぁ」


 誰にだって優しい訳ではないと言いたかったけれど、それを口に出すのは憚られた。

 そのまま、二人は無言で景色を眺めた。電車が何本か通過し、水面は橙色に染まった。

 談笑する生徒たちが通り過ぎるようになった。


「そろそろ帰ろっか! 帰り道は途中まで一緒だったでしょ?」

「それでは、僭越ながら、エスコートさせて頂きます」


 僕は先に立ち上がり、手を伸ばす。先輩は少し戸惑った後、僕の手を握り返した。





 僕にも、先輩にも、第二の春が訪れたらいいのにと、心の中でそっと願った。

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葉桜でお花見を くるる @yukinome_kururu

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