第14話 楠木さんの逮捕
10月13日の昼下がり…私あてに、南大阪警察署の刑事課から電話がかかってきた。警察からの電話…ケースの死亡か、身元不明遺体の発見連絡か、ケースの逮捕か…基本いい話はない。
「楠木茂雄さん…お宅の保護受給ケースですよね? 至急文書照会を行いますので、ご回答方お願いできますか?」
電話の主は事務的にそう伝えてきた。私は即答せず、折り返し連絡する旨返答し、一旦電話を置いた。
楠木さんが、ウチの事務所のケースであることはわかっていた。警察署とは実務協定を結び、相互に個人情報のやりとりを行うことができるようにはしてあるのだが、電話の相手が本当に警察官なのかどうか…? 声だけでは判断できない。したがって、念のためにということで、このような対応をするのだ。
「玉城さん、ちょっといいですか?」
私は玉城さんに、楠木さんのケースファイルを持って来るよう声をかけた。
「今南大阪警察署から、楠木さんの文書照会依頼が来ました。申し訳ありませんが、一度玉城さんから警察署に連絡を入れて、状況を探ってもらってもいいですか?」
「課長、わかりました。実は一昨日楠木さん宅を家庭訪問したんですが、ドアポケットに郵便物やらチラシやらが溢れていて、しばらく様子見しなければと思っていたところだったんですよ」
玉城さんが南大阪警察署から得た情報では、楠木さんは10月10日に、強盗傷害容疑で逮捕されたとのこと。身柄は署にあるがすでに送検されており、ほぼ間違いなく起訴されるだろうとのことである。
ケースが逮捕されると、生活保護は一旦停止となる。そして、起訴が確定すると、他法で生活…というのかは微妙なところであるが、司法制度の下で生活原資が賄われるため、保護は廃止することになる。
結局楠木さんは、10月31日に起訴され、生活保護は廃止となった。11月分の保護費は銀行口座に振り込まれないよう、庶務の畠山主査によって、保護費返戻の手続きが行われた。後は勾留されている警察署か拘置所あて、「保護廃止決定通知書」を送れば事務的には終了である。
ところがこの件は、それだけでは済まなかった。11月に入ったある日の昼休み…窓口に、一見紳士風の男性が現れた。担当の玉城さんが応対しているが、対応に苦慮している。余談であるが、こういうややこしい人は、昼休みや終業間際によく現れる。男性の言葉遣いが荒くなり始めたため、私も窓口へ赴いた。
「お話し中恐れ入ります。生活保護課長の森山と申します。どのようなご用件でしょうか?」
私が丁重な姿勢で割って入ると、男性はスッと名刺を差し出した。
「大和セーフティ株式会社 岩倉忠雄」
家賃の保証会社の社員である。
「課長さんなら話が早い。お宅で保護を受けている楠木茂雄のことで来させてもらいました。10月分と11月分の家賃が支払われていなくて、ウチの会社が立替払いをしてるんですよ。家に行っても楠木はいないし…で、役場に寄せてもらったというわけですわ」
「岩倉さん。情報提供ありがとうございます。早速事実関係を調査します。ただ…今後についてはともかく、これまでの家賃については、楠木さんと家主さんの間でどのように支払うかを相談していただくことになります」
「そう言うと思ったよ。ウチとしても、家賃を払ってもらわないと困るんよね。お宅だって、支給した生活保護費がきちんと使われていないのは問題ではないんですか? 家賃分だけ返させるとか、手を打たねばならんのではないんですか? 生活保護費は税金でしょ。納税者の立場としても納得がいかない」
「確かに、生活保護費は生活扶助や住宅扶助というふうに、世帯ごとに必要な経費を積み上げて支給しています。でも、それをどう使うかは、被保護者それぞれの責任によるところです。例えば、住宅扶助だけを取り上げて、きちんと使っていないから返せという話にはならないんですよ。でも、調査の上で、生活指導の必要があると判断すれば、福祉事務所としても毅然と対応をさせていただきます」
「俺は、そんな役人の答弁みたいな話聞きに来たんと違うねん。楠木に家賃きちんと払わせろや!」
「役場の対応は先ほどから申し上げている通りです。ご理解いただけませんか?」
その後も堂々巡りが続き…10分くらい押し問答しただろうか…
「お前なぁ…課長やら何やら知らんけどなぁ…ええ加減にせえよ! 町長出せ!」
岩倉氏は立ち上がってそう大声を上げると、イスを蹴り上げた。幸いにも、飛ばされたイスは人にこそ当たらなかったが、大きく破損している。周囲にいた町民から悲鳴が上がり、それを聞きつけたフロアの職員がわらわらと集まってきた。
「玉城さん、守衛室に連絡してください。畠山主査、公務執行妨害と器物損壊で警察に通報してください」
私は玉城さんと、自席にいた畠山主査に敢えて冷静に伝えた。
3分も経たないうちに守衛が駆けつけ、岩倉氏を羽交い絞めにする。程なくしてパトカーのサイレンの音が聞こえ、岩倉氏は警察官に連行された。
「申し訳ございませんが、関係者の方もご同行願えますか?」
別の警察官が我々に声をかける。私と玉城さんが同行することになった。
最終的には、警察から岩倉氏の上司に連絡が行き、警察官立会いの下で我々と協議の場を持つことになった。結果、今後行動を改めてもらうこと。破損した備品を弁償してもらうことで合意できたため、被害届は出さないという判断をし、岩倉氏はその日のうちに釈放された。
生活保護制度上は、ケースに家賃滞納がある場合、家主が福祉事務所に通知することが出来、それを踏まえ、福祉事務所は速やかに事実関係を調査することができる規定になっている。ただそれは、家賃代理納付等を検討するためのものあって、これまでの家賃滞納については、家主とケースの間で話し合ってもらうほかないのである。
また、楠木さんの生活保護は起訴によりすでに廃止になっているが、個人情報保護の関係で、そのことを岩倉氏に伝えるわけにはいかない。綱渡りの対応が求められた。
約2時間後、我々は警察署から役場に戻った。
「玉城さん、お疲れ様。お昼は食べそこなったけど…お互い怪我がなくてよかったですね」
「課長、すみませんでした。私がうまく説明できなかったばかりに…」
「いや。玉城さんはきちんと対応してたと思いますよ。ああいう輩には隙を見せたらダメです。わかりやすい言葉で、必要なことだけを淡々と伝えるのがポイントです。まさか岩倉も、イスを蹴り上げただけで警察に連行されるとは…思ってなかったでしょうねぇ…」
私はニヤリと笑って玉城さんに語りかけた。
「課長。なんでいつもそんな冷静でいられるんですか?」
「いやいや、私も手のひらに汗かいてましたよ。岩倉がうまいことイスを蹴り上げてくれたのが幸いでしたわ。ハハハ…」
役場にはさまざまな人がやってくる。当然、出入り口のセキュリティチェックもない。今回の件などまだまだ可愛いもので、他の自治体では、生活保護の相談対応中の職員が、相談者に刺されて死亡したという物騒な話も聞く。だから、社会的に許されない行為には毅然とした対応をとる。警察への通報も辞さない。
我々は体を張って仕事をしているのだ。
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