三話 面白味のない湯飲みと酔っ払い

3-1

 朝。

 まだ日が昇って間もない頃に俺はリュックを持って家の外に出た。

 時刻は5時50分。

 昨日の夜中、色々考えていたせいで正直まだ眠い。

 それにしても早朝の空気ってのはどうしてこんなに冷たくて気持ちがいいんだろうか。

 目を擦りながら薄暗い家の前の道に出ると、すぐそこの電信柱の側に美鈴がいた。

 俺と同じジャージを着ている。俺のは紺色。美鈴のはピンクだ。

 俺を見付けると笑顔になってすぐに歩み寄ってきた。

「おはよ♪ ちゃんと起きれたね」

「まあな・・・・・・。くそ眠いけど・・・・・・。待ってたのか?」

 美鈴は首を横に振った。

「ううん。涼ちゃんの部屋が明るくなったのが見えたから逆算して、あと26分で出てくるなって思ったからそれに合わせただけ♪」

 俺の頭は寝ぼけていて、美鈴の言ってることがいまいち分からなかった。

 眠い頭を軽く振ると、美鈴は笑って持っていた手提げを持ち上げた。

 中に箱が入っている。

「お弁当作ってきたから、お昼に食べようね」

「・・・・・・こんな朝早くから作ったのか? コンビニとかで買ったらよかったのに」

「いいの。誰かの為に料理作るのって楽しいから。涼ちゃんが好きな唐揚げも作ってきたよ」

「俺の好きな甘酢あんかけのやつ?」

「もちろん♪」

 美鈴は家族より俺の事に詳しかった。

 出会ってからもう五年。仲良くなったきっかけは些細な事だった。引っ越ししてきた美鈴には当然友達がいなかった。それを気にしたうちの姉貴が同い年の子とは仲良くしなさいと俺に言ったのが始まりだ。

 当時の俺としては女子と仲良くなるなんて恥ずかしかった。

 だけどそんな事以上に一人で学校から帰る美鈴の表情が心配になった。

 下を向いて、誰とも目を合わせないようにしていたからだ。

 今思えば仕方がない。知らない土地で友達がいなかったら誰でもそうなる。

 俺はいつも学校から出て三分ほどしてから美鈴に声をかけた。転校生の女の子と仲良くなったら友達に見られたらからかわれる。

 子供の俺にはそれがたまらなく怖かった。

「ひとりで帰るの? 知ってる? 最近ゆうかい事件があったんだって」

 思い返してみれば酷い声のかけ方だ。

 おそらくだけど、危ないから一緒に帰ってやるよ。みたいな意味だったんだろう。怖がらせてやろうなんていじわるな気持ちもあったかもしれない。

 最初は無視された。

 しかしそれがかえって俺をむきにさせる。

 せっかく声をかけたのに。ちくしょう。絶対に一緒に帰ってやる。

 こんな感じだ。

 今思えば意味が分からないが、小学生の行動原理なんて今からすれば理解不能だ。学校から家まで石を蹴って帰ったりしてたけど、今なら金を貰わない限りそんなあほな事はしたくない。

 何度も話しかけた結果、美鈴は次第に反応をしだした。

 最初はむっとして、ついてこないでと怒っていた。

 ようやく認めてもらった俺はそれが嬉しくなった。

 気を引こうと歌を歌ったり、ダンスをしたり、当時テレビで流行っていたギャグをまねしたりしている内に、とうとう俺達は友人になった。

 俺と話すようになると、元々容姿がよかった美鈴には友達が増えていく。

 みんな分からないから距離を置いていただけで、仲良くしたかったらしい。

 肌寒い中、日宮を待つ僅かな時間。俺はそんな昔の事を思い出していた。

 あの時は自分からなにか変えてやろうと行動したんだ。

 そんな事したのはあれが最後かもしれない。

 中学でも高校でも、そして今でも、俺は他人に動かされている。

 日宮に誘われなければ陶芸なんてやらないし、美鈴に後押ししてもらわなければここに立ってさえいない。

 周りの奴はやりたいことがあって、その為に動いてる。

 それに比べて俺は行動できない。

 なんでだろう?

 そう考えて、すぐに姉貴の顔が浮かんだ。

 姉貴があれだけ頑張って、行動して、努力して。なのに結果がついてこない。

 俺はその姿を一番近くで見てきた。

 エロゲの声優だって最初は恥ずかしくてやりたがってなかった。それでも、声優を続ける為に決意したんだ。

『涼ちゃんはわたしのこと、軽蔑する?』

 誰にも相談できなかった姉貴は、泣きそうな笑顔で俺にそう尋ねた。

 あの時俺は、なんて言ったんだっけ?

「涼ちゃん、最近色々考えてるね・・・・・・?」

 ぼーっとしていた俺に美鈴が心配そうに話しかけた。

 俺は現実に戻され、肩をすくめる。

「・・・・・・そうか? 眠いだけだよ」

 それは本当だった。眠い時ってなんで余計なことを考えるんだろうか。

 美鈴は俺の言葉や仕草から何かを察したらしく、優しく微笑んで体を近づけた。

「ならいいけど・・・・・・。あんまり悩まないでね? 涼ちゃんは自分が思ってる以上にすごいんだから」

「なんだよそれ? 俺は何にも持ってないよ」

 意図せずニヒルに笑う俺の頭を美鈴は撫でた。

「大丈夫。わたしがいるから・・・・・・ね?」

 笑顔を浮かべる美鈴の顔を見て、俺はたまらなく情けない気持ちになっていった。

 美鈴の手を払おうとした時、やけにうるさい車のエンジン音が聞こえてきた。

 美鈴は撫でるのをやめて、俺は顔を上げた。

 会社名の書いた古い白い軽バンの助手席側に窓が開いた。

「またせた。中杉は時間通りに起きられたようだな。それとも谷田が襲ったのか?」

 日宮がレバーを回して窓を開ける。そんな車初めて見た。

「ちゃんと起きたよ」

「残念ながら・・・・・・」

 美鈴はなぜか悲しがる。

 日宮は嘆息した。

「・・・・・・まったく、空気の読めん男だ。この調子ならベビー用品を送るのはまだ先だな。まあいい。後ろに乗るんだ。乗り心地は悪いが、歩くよりはましにできてる」

 俺は頷いて後ろのドアを開けた。シートから独特の古い匂いや感触がする。

 先に美鈴を乗せ、その後に俺が乗った。

 ドアを閉めて前を向くと、日宮によく似た眼鏡の男が運転席に乗っていた。

 彼はこっちを振り返って、笑顔で挨拶する。

「おはよう。こいつの兄貴の恭一です。いつも祐二と仲良くしてくれてありがとうな。こいつ何かと偉そうだろ?」

「いいから早く出せ。予定が狂う」

 日宮が偉そうに言うと、恭一さんは肩をすくめる。

 俺と美鈴は後ろで小さく笑った。

「じゃあ、出発しまーす。シートベルトをお忘れなく。揺れるけど、40分くらいで着くから我慢してくれ。寒かったら後ろに膝掛けがある。残念ながら一枚しかないけど、ちゃんと洗ってある。可愛いお嬢さん。よかったらどうぞ」

 日宮の兄貴は日宮と同じ顔をしていたが、明るく元気な青年だった。

 日宮はそんな兄貴を睨んで、腕時計をトントンと人差し指で叩いた。

 恭一さんは苦笑してマニュアル車をがちゃがちゃ操作して発進させる。

 車はすぐにインターチェンジを通過した。

 そう言えば家族以外と高速道路に乗るのは久しぶりだ。

「なんか、懐かしいな」

 頬杖をついて窓の外を眺めると、自然と言葉が漏れた。

 誰に言ったわけでもないが、隣の美鈴が反応して楽しそうに頷く。

「うん。中学まではみんなで色々行ったよね。遊園地に動物園に水族館。それに明太子博物館も。また行きたいなあ」

「そうだな」

 でも、明太子博物館はもういいかな。

 すると助手席の日宮が提案する。

「もうすぐゴールデンウィークだ。二人でどこか行ってきたらどうだ?」

 それを聞いて美鈴は顔を赤くした。

 俺は首を傾げる。

「なんで二人なんだ? お前はなにか用があるのか?」

「いや。ない。あえて言うならお前らを二人きりにするって用があるな」

「なんだそれ? それってないってことだろ?」

 俺は意味がよく分からず笑った。

 すると悲しげな溜息が助手席と俺の隣の席から聞こえる。

「まったく・・・・・・。中杉相手に変化球を投げても無駄らしい」

「しょうがないよ。涼ちゃんはストライクゾーン真ん中以外は全部見送るタイプだから」

「どこのハズレ外人だ。仕方がない。いっそ行動で示せ。生半可なのは駄目だぞ」

「一応、いつでもできるように準備はしてるんだけど・・・・・・」

 美鈴はジャージの胸元を摘まんで軽く引っ張った。

 さっきから一体なんの話をしてるんだ? 準備ってなんだ?

「なんだ? 野球の話か? 美鈴って好きだったっけ?」

 すると美鈴はぽっと顔を赤くした。

「うん・・・・・・。・・・・・・大好きです」

 美鈴が俯いて恥ずかしそうにそう呟く。

 俺は初耳だった。

「へえ、知らなかったな。どこが好きなんだ?」

「あえて言うなら・・・・・・、キャッチャーかな。ほら、女房役って言うでしょ?」

「ポジションが好きとか変わってるな。しかもなんか捕手って玄人っぽいし」

 俺が意外そうにすると、前では日宮兄弟がやれやれと首を横に振った。

「会話の中杉にはまずキャッチボールから初めるべきだな」

 日宮の言葉に俺は首を傾げた。

 また襲ってきた眠気に我慢できず、大きな欠伸が出た。

「失礼な。キャッチボールくらいはできるよ」

 俺がそう言うと、日宮と美鈴は溜息をついた。

 窓の外では景色が流れていく。

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