2-5
食後の紅茶をお洒落なカップで飲みながら、姉貴と神村は本題に入った。
「あ、じゃあなぎささんは養成所だけなんですか?」
すっかり打ち解けたのか、神村は姉貴を名前で呼んでいた。
「うん。専門学校には行ってないなー。でも養成所落ちたら行こうと思ってたよ。大手の養成所は全部落ちて、今の事務所だけが拾ってくれたの。あの時はほっとしたけど、今思えばあそこからがきつかったなー」
姉貴は儚げに笑いながら遠くを見た。
俺は昔の姉貴を思い出して少し悲しくなった。
はてなマークを頭上に掲げながら神村は質問を続けた。
「やっぱり高校の時は演劇部だったんですか? あたし、生徒会以外やってなくて・・・・・・」
「うん。演劇部だったよ。人前に顔出すのが恥ずかしくて脇役ばっかりだったなー。それでも演技は楽しかったから声優になろうって思ったの。声優なら人前に出なくていいって思ってたから。実際はお客さんの前に出ないだけで、色々人前には出るんだけど。演劇部で学んだことが活かせたかって言うと、そうでもないかな。養成所入れば教えてくれるし、その辺りは気にしないでいいと思うよ」
「ホームページ見たんですけど、ダンスとかもするんですよね」
「やったねー。活かせてるのかは分かんないけど、楽しかったのは覚えてる。下手だったけどね」
懐かしそうに照れ笑いを見せる姉貴。姉貴は今もたまに家で踊ってる。正直見られたもんじゃない。ゴキブリでも見つけたのかと思ったほどだ。
神村は楽しそうに笑った。
しかしその笑みはすぐに消え、困った顔で尋ねる。
「あたし、アニメのお仕事がしたいんですけど、どうすればいいんでしょうか? 何をやったらいいのかいまいち分からなくて・・・・・・」
それを聞いて姉貴は苦笑した。姉貴だってそれが分かれば苦労しない。
「え、えっと・・・・・・、まずは滑舌かな・・・・・・? 養成所でもやると思うけど、自分が思ってる以上に滑舌ってよくない人が多いから。わたしもそこで苦労したし。舌を鍛えると良いみたいだよ。それを聞いてからアイスとか舌でレロレロして鍛えるの」
姉貴は舌をちょびっと出した。
あれにはそんな意味があったのか。
エロゲの練習か欲求不満かと思ってた。
それから姉貴は思い出すように小首を傾げ、頬に手を添えた。
「う~ん・・・・・・。あとは複式呼吸とか・・・・・・歌とか、かな」
姉貴は現在進行形で歌には苦労していた。
たまにキャラソンなんかが出るが、その度にネットでボロカスに言われている。俺も風呂場で歌う姉貴の声をよく聞くが、お世辞にも上手いとは言えない。
自分の質問を上手く躱されているのにも気付かず、神村は興味深そうに頷いた。
「滑舌に歌・・・・・・ですか・・・・・・。そうですよね。今の声優さんってライブとかで歌ったり踊ったりしてますもんね。なぎささんは舞台とかには出てないんですか?」
「今はあんまり。昔はやってたよ。先輩に声優になるな役者になれって言われたから。あの時はやりたいことが違うのになーって思ってたけど、今は分かるかな。つまり幅を広げろって事だと思う。広がったかは分かんないけど。でもたまに養成所時代の友達とかに誘われるとやりたくなるね。一つの作品を皆で作ってる感じがアニメとかゲームより大きいから」
「なるほど・・・・・・」
神村は感心したようで、姉貴に注がれる視線にはどんどん憧れが混じっていく。
きっと神村の中ではものすごく膨らんだ姉貴像があるんだろう。
それは同様に声優像でもあって、華やかで楽しげな世界だけが待っているなんて幻想を抱いてる。
キラキラとした神村の瞳を見て、俺は自分が酷い事をしている気がした。
その後も色々と神村の質問は続いた。
ラジオには出てるか?
オーディションはどれくらい受かるのか?
事務所の人間関係はどうか?
姉貴の趣味なんて聞いてどうするんだって質問もあったが、姉貴は楽しそうに最近始めた裁縫だと説明していた。
去年の冬にマフラーをもらったが、短いし、ちくちくするしで結局使わなくなった。
俺は姉貴がいらない事を言わないかをずっと監視していた。
一方で美鈴は友人の神村が楽しそうなのを見て喜んでいた。
すっかり調子を取り戻し、アグレッシブに質問を積み重ねていた神村だったが、次の質問まで少し間が開いた。そのあと聞いたのは憧れの存在だった。
「・・・・・・そ、その・・・・・・。なぎささんって水鳥田さんと会った事って・・・・・・」
「あやめちゃん? あるよ。有名になる前だけどね。今はアニメの主役ばっかりで凄いよね~。ほんと尊敬しちゃう」
「えっと、どんな人でした? ラジオとか聞いてると可愛い感じなんですけど。ネットとかじゃあんまり良い噂聞かなくて・・・・・・」
しづらい質問を神村はトーンを低くして尋ねた。
姉貴は少し困った風に笑った。
「う~ん・・・・・・。まあ、成功する人って変わってて、我が強い人が多いから。でもスタッフさんとか同業者さんには優しい子だよ。ただ、やっぱりこの業界って仕事を勝ち取らないといけない世界だから、感じ方は色々あるよね」
えらく濁った言い回しだった。
仕事を取るまでは敵、取ってからは仲間。そんな事情が見え隠れする。
仲良くラジオに出ていた同業者と次の作品では役を取り合う関係になるかもしれない。両方が落ちれば分からないが、一方が受かれば現実を突きつけられる。
自分は選ばれず、あの人が選ばれた。そんな事が日常的に起こっている世界だ。
姉貴が続ける。
「色々言われてるかもしれないけど、やっぱり同期としては一番出世したのがあやめちゃんがだから、わたしは応援してる。もうあんまり同い年の人もいなかったりするし」
「そうなんですね。じゃあ、やっぱりネットとか信じない方がいいですよね。誰が書いてるか分からないし」
「そうだね。やっぱりわたし達は見えないお仕事をしてるから、どうしても正確な情報っていうのは入ってきづらいと思うな。逆に色々書き込みすぎて、これあの人じゃない? って事もあるけど・・・・・・」
姉貴は苦笑した。
声優は人気商売だ。姉貴も自分の評価や同僚の評価は気にしている。
たまに小さな掲示板で話題になっているのを見て、喜んだり、悲しんだりしている所を見たりもした。表情に出やすいからすぐに分かる。
「アニメとかナレーション以外に仕事ってどんな事があるんですか?」
「最近はスマホアプリとかが多いかなー。今凄い数でしょ。フルボイスのゲームとかもあるし。わたしもこの前あったなー。すぐ終わるからあんまりやった気しなかった。主要キャラなら違うんだろうけど」
「なんてアプリですか?」
「えっと・・・・・・、もうサービス終わっちゃった・・・・・・」
「あ・・・・・・、そうですか・・・・・・」
気まずい雰囲気になり、二人は苦笑し合った。
いきなりゲームアプリが遊べなくなるなんて事も最近じゃ珍しくない。
俺もやってみたがゲームの最初のガチャが姉貴の声だった。それも適当な、弱いキャラだ。色んな意味で悲しくなる。喘いでないだけましだったけど。
姉貴と神村の会話は二時間を超えて続いた。
その際、俺の知らない情報もかなり多かった。姉貴はほとんど全ての質問を優しく答えた。
声優は楽しい職業だと言いながら、それだけじゃない事をやんわり伝える。
ただ、それを神村が受け取ったかどうかは俺には分からない。
神村の声優に対する憧れがどんどん強くなっていくだけはよく分かった。
最後に姉貴はいくつか質問した。
「神村さんはこれからどうやって声優になろうとしてるの? ご両親はいいって?」
「えっと、週5の養成所行こうかなって。親には少し反対されたけど、好きなようにしろって言ってくれてます」
「そうなんだ・・・・・・。でも、凉くんから聞いたんだけど神村さんって勉強できるんでしょ? なら大学に行きながら養成所通ったりもできると思うな。社会人しながらって人もいたし、授業が土日のとこなら通えると思うけど」
姉貴の現実的な提案に、神村は少しむっとした。
「でもそれって演技の勉強以外もしないといけないですよね? 遠回りになる気がするですけど」
「そうだけど。養成所だって演技ばっかりするわけじゃないよ。運動したり、筋トレとかも。わたしは腹筋10回出来なかったけど・・・・・・。だから大学に行ったから不利とかはあんまりないと思うな。わたしは勉強できたわけじゃないけど、できるんなら行ってみたら? 良い大学行ければ、それはそれで肩書きが付くし。ほら、よくあるでしょ? 東大出身タレントとか。あんな感じで売り込んだりできると思うよ」
姉貴は親切心で言っていたが、それは神村には伝わらなかった。
「それってなんだか実力以外のところで選ばれてるみたいで嫌なんですけど。声優だったら演技で勝負したいって思うのは、おかしいですか?」
「お、おかしくないし、わたしもそう思うけど・・・・・・。でも世の中って実力だけじゃなかったりするって言うか・・・・・・。そういうのも実力の内っていうか・・・・・・。大事なのは印象だったりするから、それがよくなるなら行ってみるのもありかなって・・・・・・」
神村の強気な態度に押され、姉貴の歯切れが悪くなる。
けど俺も姉貴と同じ意見だった。アニメとかゲームとかで声を聞いていても、この人より姉貴の方が上手いのにと思ったりする事がある。けどそれは色々な要素が合わさって選ばれた人だから、姉貴はどこかが劣っていたんだろう。
尺度っていうのは人や業界によってどうしようもなく違ってくる。場所によって黒が白になり、白が黒になったりするんだろう。
俺としてはそんなきな臭い世界に足を踏み入れるのは遠慮したい。
しかし姉貴の回答に神村は不満だったみたいだ。
「あたし、本気で声優になりたいんです。アニメで主役とかするのが大変なのは分かってます。けど、少しでも早くなりたいって思ってるんです。だって、あたし今年で17ですけど、あたしよりちっちゃくてデビューしてる子とかいるじゃないですか。高校生デビューとかもよく聞くし。ああいう人達は子役とかやって、子供の時から演技の勉強してる人ですよね? そういう人達と競うなら大学に行く時間なんてないと思ってるんです。ほんとは養成所のオーディション受けたいんですけど、時期的に合わなくて・・・・・・。だから、来年の始まりくらいまでに少しでも上手くなろうって思って、今日はお話させてもらったんです」
強い口調だった。そして強い意志を感じる言い方だった。神村は本気で声優になろうとしている。
俺は少し気押されてしまった。周りの人達もちらちらと見ている。
姉貴にも神村のやる気は伝わったらしく、ふわふわしていた空気がしっかりしたものに変わる。
「・・・・・・そっか。自分で決めて、ご両親が認めてくれてるなら、いいと思う。わたしもそうだったし・・・・・・」
「やっぱり、反対されました?」
姉貴は苦笑いした。俺もそうだ。
「うん・・・・・・。まあね。でも、それが普通だと思う。不安定な仕事だから。わたしだって来年の今頃仕事があるとは限らないし。けど、それはみんなそうなの。そんな中でも頑張れる人が生き残れるんだと思う。・・・・・・だから」
姉貴は少し悲しそうに笑った。
「神村さんも頑張ってね」
「はい。ありがとうございます」
神村はしっかりと返事をし、頭を下げた。
夢に向かって突き進む神村と、夢を不完全ながらも現実にしている姉貴。
その表情は対象的だった。
夢へと向う神村は強気で迷いがない。自分に自信を持って前だけ向いて走っている。
一方姉貴は自分が描いていた未来像と現実の狭間でもがいていた。
二人に関して俺が言えることはなかった。
まだ同じ舞台にすら立てていない。やりたいことすらない。夢に希望を持ったり、失望したりもできない。
神村も姉貴も本気だった。
だからこそ姉貴はどこかつらそうで、俺は姉貴の顔から目線を外した。
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