1-2

 学校生活は単調なリズムの繰り返しだ。

 一週間のスケジュールが決まっていて、それを淡々とこなしていく。

 雨が降ろうが槍が降ろうが授業の終わりにはチャイムが鳴って、休憩の終わりにもまた鳴る。

 教師は教科書に書いてあることを黒板に要約し、俺達はそれをせっせと板書する。

 ノートは少しずつ文字や表で埋まっていくが、頭にはまるで入ってこなかった。

 誰でもいい。高校や大学を卒業して、専門職につかなかった人で、二次関数が必要な場面を教えてくれ。あの時、因数分解ができたおかげで生き延びたみたいな体験談を聞かせてくれたら、少しは数学をやる気になるのに。三角比ができたおかげで彼女ができましたとかでもいいからさ。

 高校二年になって文系か理系かを選ばされた挙げ句、文系を選んだのに俺は数学を解いている。なんでも理系は数三までやるらしいからこれでよかったが、どうせやるならやってて楽しい勉強がしたいもんだ。

 個人的には現代文や古文なんかは好きだった。歴史もだ。まあ、だからと言って成績がいいわけじゃないけど。

 高二になって進路って言葉を少しずつ見聞きする様になった。この前もアンケートを書かせられたりした。

 未定。

 俺の進路はその二文字で表せる。

 大学は・・・・・・行きたい・・・・・・かな?

 一人暮らしして、彼女とか作ったり。勉強はなんでもいい。特にやりたいってのがあるわけじゃない。

 どんな職に就きたいとかも全く決まってない。つまりは未定だ。

 なるようになるだろうと思ってる。皆がやり出せば、その流れに乗ればいい。

 周りもそんなものだと思っていた。まだ将来を決める時期じゃないって。

 しかし、それは昼休みに友人、日宮祐二の一言で否定された。

「進路? 俺は家業を継ぐよ。江戸時代からやってるんだから俺の代で終わらせたらなんか悪いし。俺は次男だけどな」

 そう簡単に焼物屋の息子は言った。日宮はいかにも育ちが良さそうな青年で、服装も髪型もきっちりしている。

 高一の時、隣の席に座った縁で今も一緒に弁当を食べる仲だった。

 そして隣には美鈴が手作りの弁当を広げていた。全てのおかずがきちんと並んでいて、彩りや栄養も考えられている。

 母親には悪いが俺が食ってるのは一体何なんだと疑問に思う時があるほどだ。

「わたしは料理の学校行こうと思ってるんだあ。作るのも食べるのも好きだから。ピアノも好きだけど、今は料理を頑張ろうと思って。それに、未来の旦那様に喜んでもらいたいの」

 そう言って美鈴は頬を赤くした。こんな家庭的なお嫁さんを貰える男はさぞ幸福な奴なんだろう。

「健気だな」と言って日宮は俺を見た。そして、小さく溜息をついてひじきを食べる。

「・・・・・・マジで? もうみんな夢とかあるんだ・・・・・・。え、もしかしてクラスで俺だけ将来が決まってないとか?」

 俺は不安になって教室を見回した。

 楽しそうに談笑してる女子グループ。

 漫画を読みながら一人で食べてる眼鏡の男子。

 さっさと弁当を食って寝ている運動部。

 スマホを見ながらにやけている女子。

 こうやって見るとみんな実は何かに打ち込んでたりするのかもしれない。

 日宮は水筒のフタをコップにして静かに玉露を飲んだ。

「流石にみんながみんな決まってるわけじゃないだろう。けど、呆けてるとあっという間に三年になってるぞ。一年だって知らない間に終わってただろう?」

「・・・・・・確かに」

 ついこないだ入学式をやってた気がしないわけでもない。

「そして気付いたら卒業だ。まあ、ゆっくりやりたい事を決めればいいさ。好きな事とか、得意な事とか、そういうのが中杉にもあるだろうからな」

 日宮は大人びて、静かにそう言った。流石老舗の跡継ぎは貫禄が違う。背筋もぴんと伸びている。

 本人は知らないが、実は女子に人気があったりもするのはこういった所に惹かれるんだろう。男の俺でも格好いいと思ってしまう所があるくらいだ。

「涼ちゃんは何がしたいの?」

 美鈴が笑顔で尋ねてきた。

「何がって・・・・・・。それが決まってないから焦ってるんだ。今まで部活もしてこなかったし、これといって趣味もないしな」

「じゃあ、何もしたくないの?」

 美鈴は首を傾げた。大きな目が俺を見つめる。

「そういうわけじゃない・・・・・・と思う。多分だけど」

「それなら、主夫なんてどう?」

 美鈴は目を輝かせてそう助言した。

「主夫・・・・・・? あの、家で家事する主夫?」

 美鈴はこくんこくんと頷いた。

「そうそう。お嫁さんをもらってね。その人が働いてる間、家の事や子供の世話なんかをするの。料理は作るから。うん。涼ちゃんには主夫が合ってると思うなあ」

 美鈴は嬉しそうにぽわぽわと何か考えを浮かべている。俺はその提案に苦言を呈した。

「・・・・・・でも、俺、家事とかできないぞ」

「じゃあもう何もしなくていいから!」

 美鈴は何故か意地になってそう言った。

 何かしないといけないって話なのに、どうして何もしないでいいって結論になるんだ。

 日宮は口を尖らせる美鈴を見て、きりっとした顔で指を差した。

「それを人はヒモって言うんだ。谷田。あんまり中杉を甘やかすな。中杉も結婚するならせめて稼いでこい」

「おいおい・・・・・・。俺は進路の話をしてんだぞ。結婚とかどうでもいいんだけど」

 特に深い意味もなくそう言った俺を美鈴と日宮は口を開けて見返した。

 美鈴は絶望した様な表情に、日宮は呆れて怒った様な表情になっている。

「ひどい・・・・・・。どうでもいいなんて・・・・・・」

「中杉! お前はどうしてそういう事を言うんだ!?」

 両手で顔を覆う美鈴。日宮はそれを介護する様に背中をさすった。

「え? いや、俺達まだ16、17歳なんだ。結婚なんてずっと先だろ。うちの姉貴でさえまだなんだぞ」

 ただ、そのまだがいつ来るかは俺の知るところではない。

 もしかしたら永遠に来ない可能性も否定できないからだ。

 俺ならエロゲ声優だけとは結婚しないな。

 日宮は俺を睨み、そして持っていた箸を弁当の上に置いた。

「中杉。お前は責任を取って主夫になれ。無理なら空き缶でも何でも拾って金を稼いでくるんだ。それが誠意ってものだろ」

「悪いが何を言ってるか何一つ分からない。頼むからもうちょっとましな将来を描いてくれ。それに俺は多分主夫にはならない。出来れば空き缶も拾いたくない」

「ならヒモでいい。お前は愛玩品としてその一生を終えるんだ」

 美鈴はそれを聞いて顔を上げ、頷いた。

「うん。もうそれでいいよ。わたし、頑張るから」

「ふざけるな! 俺の人生をなんだと思ってるんだ!?」

「いいだろう? どうせやることもないんだから」

「だからそれを探したいって言ってるんだよ!?」

 しかし、俺の必死な叫びがこいつらに届くことはなかった。所詮、夢や目標がある奴らにこの悩みは理解できないんだろう。

 日宮は腕を組み、何かを考え、そして答えが出たらしく俺の方を向いた。

「・・・・・・分かった。もしもの時は、俺が雇ってやる。だから真面目に働くんだぞ?」

「お前は何も分かってねーよ。・・・・・・でも、その時は頼みます社長」

「うむ。家族全員俺が面倒をみるさ。だから、嫁さんを泣かす事だけはするなよ」

 だから、嫁って何なんだよ?

「うう・・・・・・。涼ちゃんの就職先が決まってよかったよー・・・・・・」

 美鈴に至っては感動して泣いている。そう言えば俺が高校に受かった時も泣いていた。親はよかったねーくらいだったのに美鈴は号泣していた。

 どうやらよっぽど落ちると思われていたらしい。

 こうして二年のとある昼休み、俺の将来は最低限保証されてしまったのである。

 喜んでいいのか、悲しむべきなのか。どちらにせよ、当初の問題が解決していないのだけは確かだった。

 俺は、何をやって生きていくんだろう?

 自分の事なのに、どこか他人事の様に考えてる俺がいた。

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