一話 日常と夢のない少年
1-1
翌日。
朝。天気は晴れ。木曜日。
俺が学校へ行く時間に姉貴は目を擦りながら起きてきた。
売れていないとは言わないが、中堅声優なんて大概の日は暇らしい。まあ、売れてるなら都内に住むんだろうから家にいる内は暇で、中堅なんだろう。
「いってらっしゃ~い・・・・・・」
パジャマ姿の姉貴が寝ぼけながらひらひら手を振る。髪もといでないし、化粧もしてないからだらしない。
こんな奴でもエロゲオタクには人気があるそうだ。
どっかから手に入れた写真をネットにあげて、可愛いとか結婚したいとか書き込まれてる。たまーに出てるネットラジオもそこそこ好評らしい。
一度聞いてみたが、まあ、控えめに言ってクソくだらなかった。ファンにしか分からない世界だ。実の姉貴が出てるからってのもあるんだろうけど。
「・・・・・・なんだか、申し訳ない気持ちになる」
「え? なに?」
「・・・・・・いや、いってきます。・・・・・・台本は部屋で読めよ」
俺はそれだけ言って家を出た。
「は~い」と返事をする姉貴の声が後ろから聞こえた。
毎日俺は同じ時間に家を出る。別に決めてるわけじゃないけど、自然とそうなった。中学と高校が近い為、この生活も5年目だ。
家を出てすぐ、正面の電信柱の隣に人影が見えた。正面の家に住んでいる友人がいつも通り日光みたいに優しい笑顔で立っていた。
「あ、涼ちゃんおはよう。今日も良い天気だねー」
まるでエロゲみたいな展開だが、これもまた5年続く俺の生活の一部だ。
谷田美鈴。
小学6年の時にここに引っ越して来てから仲良くなった同い年の女の子だ。
前髪は綺麗にぱっつんと切り揃え、後ろ髪は大きめのおさげにしている。おさげについたリボンは日によって柄や色が違う。今日は赤だ。優しい大きな目に、綺麗な肌。小さな口。身長は普通より少し低いくらい。うちの学校のセーラー服がよく似合っていた。
「おはよ」
可愛い幼なじみと一緒に登校。
字面はいいが、うちの周りに同い年が美鈴以外いないせいで自然とこうなった。最初は恥ずかしかったが、今ではあまり気にしない。
それでもたまに登校途中に茶化される。そんな時、俺は居心地悪く溜息をつき、美鈴は恥ずかしそうに下を向くのがおきまりだった。
「今日は英語の小テストがあるんだって、わたしちゃんと解けるかなー」
美鈴は歩きながら取り留めのない話を続けた。薬にはなるが毒になる話はしない子だ。
良くも悪くも美鈴はのほほんとしていた。
「・・・・・・なんか、機嫌悪い?」
美鈴は俺の顔を下から覗いた。少し心配そうだ。俺は昨日の事を話した。
姉。エロゲ。喘いでる。
「あはは・・・・・・。そっかー・・・・・・。なぎささんメンタル強いな~」
「・・・・・・そういう問題か?」
困った笑みを浮かべる美鈴。こいつは人を責めない優しい性格なので、姉貴に対しても寛大だ。
家族以外で唯一姉貴の職業を知ってる人物でもある。
一度家に来た時、姉貴が持っている台本を指差して「それってどんなお話なんですか?」と聞いてしまったのが事の発端だ。
俺は慌てて誤魔化そうとしたが、姉貴は恥じることなく作品を説明していった。隠語が並べられ、流石の美鈴も理解した様だ。
しかし、姉貴の職業を知って尚、美鈴は姉貴を嫌わなかった。どっちかって言うと潔癖な同姓が嫌いそうな職業なのに、美鈴はあれからもいつも通り姉貴に接してくれている。
そこは少し救いでもあった。
「でもなぎささんも涼ちゃんだからそういう面も見せられるんだと思うなー。だって、普通は恥ずかしいでしょ?」
「・・・・・・いや、うん。だからこそ困ってるんだけど」
「じゃあ、なぎささんが他の人の前でエッチな台詞を言ってもいいの? お仕事以外で」
「なんでそういう話になるんだよ? それも嫌だし、俺の前でも嫌だよ」
「・・・・・・ふ~ん。嫌なんだ」
美鈴は何か言いたげに微笑した。
そりゃ、嫌だろ。何度も言うが、姉だぞ? ああ、妹が欲しかった。エロゲ声優じゃない妹が。
「お前も、俺になったら気持ちが分かるよ。いや、多分全国、全世界の姉を持つ弟は俺の気持ちが分かってくれるはずだ」
「ごめんね。一人っ子で。でも、だからこそなぎささんがいる涼ちゃんが私は羨ましいな」
「やっぱり姉妹が欲しかった?」
美鈴はその質問に少し考えた。前を向き、目線を上にする。そして俺の顔を笑顔で見て答えた。
「昔はね。でも今は涼ちゃんがいるからもういいかな」
「・・・・・・なんだよそれ? 俺はお前の兄貴じゃないぞ」
「うん。弟って感じだよね♪」
ニコニコ笑う美鈴に、俺は苦笑した。
「まあ、弟歴は長いからな。生まれた時からずっとやってるし、板についてるのかもしれない」
俺は冗談でそう言った。俺からしてみれば美鈴の方が妹っぽい。
「うんうん。涼ちゃんはベテランの弟だもんねー」
全く意味が分からないが、間違ってもいない為否定しにくかった。その定義でいけば世の中全ての人は何かのベテランになってしまう。
「・・・・・・弟としてはベテランかもしれないけど、エロゲ声優の弟歴は浅いんだ。だから日々困ってるよ」
「大丈夫♪ そのうち慣れるって」
「・・・・・・慣れたくないな」
大きく溜息をついた時には、学校がちらほら見えだした。
古い、どこにでもある県立高校だ。
西高は普通科と芸術科があるくらいが特徴の学校で、偏差値だって50ジャスト。
まさに普通と言う言葉がふさわしい学校だ。
目の前の橋はちょうど家と高校の中間地点の役割を持っていた。
そしてその景色は俺と美鈴の間で交わされる実のない会話の終わりが近づいてきている事を暗に示していた。
こんな特殊な愚痴を聞いてくれる相手がいるだけ、俺は恵まれているのかもしれない。
俺は黙って美鈴に感謝しながら、鞄を右手から左手に持ち直した。
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